「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「4月、往く」

2022年04月30日 | 季節の移ろい・出来事

          

中国の古典「史記」に『桃李もの言わざれども、下自ら道をなす』という一節がある。
徳のある賢者の元にはその人格を慕って多くの人が集まってくる意味の金言として使うという。

この桃李を日本人的に解釈すると、桃やすももの花は美しいから自然に木の下に道が出来る、となるが、中国人は、桃やすももの実は美味しいから、自然に道が出来ると解釈するのだそうな。
つまり、日本人は実よりも花の美しさを尊ぶ。これに対して他国の人は、花より実を選ぶ現実主義に徹しているようだ。

日本人の観念的捉え方とは少し異なるんだね~。これからの世の中は、こういったものの捉え方の違いが大きな紛争のタネにならなければいいのだが。

春先から咲き乱れた梅・桃・すもも・桜などの花々が終わりを告げて4月が往く。
そして青葉若葉が萌え出でて、山笑う5月へと季節は移る。ただただ月日の流れゆく早さに感じ入る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アンパイヤー」

2022年04月29日 | ニュース・世相

           

プロ野球も開幕から約1ヶ月。調子の良すぎるチームとそうでないチームが、まだまだ遠い先のゴールに向かってひた走っている。
チームもそうなら個人の成績や記録も熾烈な戦いの中で、色んなことが起きている。完全試合をやってのけた年若い投手が、審判の判定に薄笑いを浮かべて抗議の態度を示したとか。それに対して審判が試合中にもかかわらずその投手に詰め寄ったとか寄らなかったとか。

あれこれ面白おかしく騒ぎ立てているようだが、なんともはや、バカらしくて見ていられない。なんとかスッキリ出来ないのかとカツを入れたくなるお粗末である。プロ野球という職業で、試合中といえば選手も審判も高給を頂く職場である。しかも高いお金を払って観に来ている大勢のお客様の前で演じる失態。ナニやっとんじゃ!!どちらかが大人になって毅然とした態度を取れば何も起きなかったことである。

特に公式審判を立てての公式戦は、その主審の判断が全てであるだけに、主審の責任は重い。軽々しく選手と同レベルでケンカなどするなよ、と言いたい。
プロ野球の審判・アンパイヤーとして有名なのが二出川延明(にでがわのぶあき)氏である。今のようにリプレイ検証などない時代。アウト・セーフ判定で執拗な抗議がなされた。すったもんだの挙げ句「セーフと言ったらセーフだ」という二出川審判に「ルールブックのどこにその理由が書いてあるか?」監督が食い下がった。その返答が「オレがルールブックだ」といってことを収めた。
今ひとつ、二出川氏は自分が一塁塁審のとき、内野ゴロで全力疾走を怠った選手を、試合後に審判室に呼んで「君のためにもお客さんのためにも全力疾走を怠ってはいけない。プロ野球選手としての誇りを持て!」と諭したという。

審判たる者、そのくらいの威厳と、観客とプロ野球の結びつきの大切さを心に秘めて、ストライク・ボール、アウト・セーフを誠心誠意判定してもらいたいものだ。審判は一段と高いところから、公平な広い視野で判定を下すべきだ。「アンタの判定でオレがクビになるんや」と言ったのは野村克也敢闘である。

今の世界には、威厳と権威を兼ね備えたアンパイヤーが見当たらない。だから、一方的な侵略戦争を引き起こしても、強い者が弱い者をいじめるのを見ているしかない。両者の中に割って入る有能繊細なホンモノのアンパイヤーの出現が待たれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「5月を前に・・・」

2022年04月28日 | 地域活動

           

5月を目の前にして俄然忙しくなった。所属する地域活動の定期総会が迫って来た。
過去2年間はコロナ感染対策のため、対面での総会は開かず、書面議決という方法でなんとか凌いで来た。未だ完全なコロナ収束と言える状態ではないが、敢えて3年目となる今年の総会は、市役所出張所の集会室を会場として対面で実施することにした。ある意味苦渋の選択である。

完全な任意によるボランティア集団である地域活動は、現状維持は退歩であると言われる通り、何か目新しい活動を模索したり、個人の志気を高める動きが常に求められる。まして、自主財源を持たない否営利団体ゆえに、地域の皆さんから預かる浄財が運営資金となっている。このため、実際の活動の足跡や成果を目に見える形で地域住民に知らしめる義務を負っている。

そんなことをあれこれ考えると、役員さん全員に一度ご足労頂いて、活動実績の報告や資金の活用状況などをみんなで周知し、共通認識のもとで新たな年度をスタートしたい、活気のある地域活動にしたいなどと、少し肩にリキが入る季節なのである。事務局としては総会議案書の原稿作りが急がれる。大空を悠然と泳ぐ鯉のぼりをゆっくり眺めてなどいられない。

3年振りとはいえ、志気を高めるためとはいえ、50~60人を集めての会合は「コロナ対策に万全を」というもう一つの大きな課題をクリアしなければならない。「なんでそこまでして総会を開くのか」「そこに困った高齢者がいて、支える手を待っている人がいるから」ということかな。
乗りかかった船ならば、体力が続く間はがんばってみっか、などと思ってはきたが、ここにきて急激な衰えを感じるようになった。そろそろ後任探しを。これがまた厄介。さていつまで出来るのやら。
悩ましき5月病の一つみたいだねー。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「断捨離考」五木寛之さん

2022年04月27日 | つれづれ噺

                 
                       断捨離、イメージ

「僕はへそ曲がりである。世の流れに逆らうことに、ひそかな生きがいを感じてきた」。とおっしゃるのは、「捨てない生き方」を1月に出版された大作家の五木寛之さん。
「世はまた断捨離ブームらしい。モノに執着せず、さっぱりと捨ててシンプルに暮らす。潔いと思う。雑多なモノがある暮らしは、今やネガティブに語られがちだ。でも僕は『捨てないこと』にこだわってきた。『捨てるな』とは言わない。だが捨てない暮らしや生き方も面白いよ、とひそかに提案したいのだ。」と続き、僕はモノを捨てることはめったにしない。仕事部屋はモノだらけである。まだまだ続く断捨離しない生き方。

断捨離しない、捨てない生き方、などと普通の人が言うと、なんかしら不潔感やけち臭さや強欲など、負のイメージがつきまとう。しかし、彼の五木寛之さんの発言となると、妙に納得してしまう。とりもなおさずかく云う小生も断捨離は苦手である。捨てない生き方推奨派である。
何故捨てるのがイヤなの?別にイヤなわけではない。長い間一つ屋根の下、身の周りにあって一緒に生活をしてきたのだから、なにがしかのつながり、思い出、かつては必要としてきたモノなど、「無理して今捨てなくても・・・」とつい置いてしまう。

特にスーツなど一度身にまとったモノは、その時々の思い入れや経過などに結び付いてなかなか捨てられない。体型も変わり年も重ねて色や柄が合わないことはわかり切っていても、自分の手ではなかなか処分できない。誰かが知らないうちに一切合切処分してくれたなら意外にあきらめがつくのだろうけどね。

再び五木寛之さんの登壇である。「どれひとつをとっても、それを手に入れた時の人生の風景、記憶が宿っている。僕は『依代』と呼んでいる。喫茶店のコースター、バーのマッチ、古雑誌、何でもいい。あのバーには誰と行った、あんな曲が流れていた・・・」そんな他愛もないものをきっかけに、長らく思い出すことのなかった過去の記憶がよみがえる経験は、誰にでもあるのではないか。ウ~~ンなるほど。

確かに思い当たる。しかし、「自分のモノは自分の時代に処分しておかないと、若い人にとってとんでもない負の遺産だからね」と、断捨離大好きな山の神の言葉も説得力がある。結局は、もう少しの間、記憶力が確かな間だけ待ってもらって、やがては身の回り何にもなくなるのが幸せなのかも。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「チラシの効果?」

2022年04月25日 | 地域活動

  

造成から27年の歴史が流れた我が住む小さな団地。かつては子ども会活動も活発で、小学校の登校班を組んで、上級生が下級生を指導するという、どこにでも見られる普通の団地の姿があった。
高齢化や少子化はこの団地も例外ではなく、今や子供の数は極端に減り、子ども会も解散し登校班も組めない自主登校のありさま。当然ながら定年退職者や自営のリタイア組など、高齢者があふれる団地へと様変わりした。団地公園にあふれていた子どもたちの遊び声が消えて久しく、その代わりに公園は誰も使わない、草取りに追われる、言うなれば無駄な広場になりかかっていた。

公園を活用して何か和みのある活動が出来ないだろうか。
そんな思いが高じて、3年前のこの季節に思い切って始めたのが、小さな公園の小さなグラウンドゴルフ同好会の立ち上げであった。
スタート時の会員は、3夫婦と個人4人の合計10人。最高齢者は当時82歳男性。次が79歳女性。最も若い人で69歳という、平均年齢では他の先輩同好会に負けてはいなかった。

この10人で和気あいあい楽しくやってきた。残念ながら一人の男性が心臓発作でリタイア。目下実質9人で間もなく4年目に入る。そろそろ本気で若い人の入会を誘ってみようということで、「お試し会」を企画してチラシも作成。各班毎に回覧版として案内を流した。その第1日目が今日であった。市の運動施設から6人分の用具を借り受け、新人名簿も書き込めるよう周到な準備で公園に出向いた。普通の練習日より気持ちはハイテンション!!

残念、約束の時間が来ても、顔ぶれは今までと変わらず新人の顔は見えない。心臓発作でリタイアした元の仲間でさえ杖をついて来てくれたというのに、新人さんの参加はゼロ。気持ちの半分は「誰も来ないだろうな」ではあった。それでもこうしたお誘いを1年に1度は出しておかないと「勝手に仲間を集めて勝手にやっている」というやっかみは必ず出てくる。そんな野暮をいう人の対策としてのパフォーマンスの意味もある。そして公園を使うという負い目もあるし。
一つのことを何かやろうとすると、八方目配り気配りをしてこそやっと活動出来るという側面はある。これが人間社会でもある。

ただ、結果的にはまた向こう1年同じメンバーでやることになる。それはそれでいい。気の置けない仲間同士が「今日は調子がでなかった」「今日は最高じゃった」と互いを評価しながら、気持ちも身体も少しの運動も楽しんでやってりゃ、そのうち「やってみようか」という物好きがあらわれないとも限らない。要は続けることに意義を求めて。
写真入りで念入りに仕上げたチラシに、お茶を引かせたのは少し残念ではあるが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「終生飼養」

2022年04月23日 | ニュース・世相

             
                 アカミミガメ(ミドリガメ)    ネット拝借

ペットとして飼っていた2m超のニシキヘビをクルマで移動中に、いなくなったので外に逃げたのではないかと、市民や警察を巻き込んで大騒ぎしたのは、つい最近のことである。このニシキヘビ脱出逃走疑惑は、幸いなことにクルマの中に潜んでいたのが見つかって事なきを得た。
ほかにも、最初は小さくて可愛いためにペットとして飼い始めたのはいいが、大きく成長して世話に困った挙句に、放出したり勝手に逃がしたりして被害が出たなどという、人間の無責任極まりない話も何度か耳にしてきた。

そんな物騒な話を限りなく少なくしていこうと、このたび生態系への影響が深刻なアカミミガメ(ミドリガメ)について環境省が、「終生飼養」を基本としつつ、やむを得ない場合は殺処分も必要とする考えを周知する方向で検討しているという。
率直な意見を言わせて頂くなら、「ごく当然なことで、いい考えだねー」と賛成票を入れたいと思う。人間の無責任感覚に警鐘を鳴らす意味からも、一緒に生きたペットに対し、自らの責任でもって灰にしてあげる優しさを持って飼って欲しい。その責任の重さに不安があるなら、ペットなど飼わないことだ、と思う。

ちなみに我が家では現在ペットは意識して飼っていない。その昔、夫婦二人きりの生活になって何度かハムスターを熱心に飼った一時期がある。ハムスターの命は長くて3年、早ければ2年あまりでお別れが来る。そのたびに、涙を流しながら庭の片隅に埋めてきた。目印の粗末な石が数個ある。そんな別れの辛さが身に染みてからというもの、ペットを飼うのが辛くなった。

もう一つちなみ話をすると、ミドリガメの寿命の平均は20~40年と言われており、ギネスに掲載されている最長記録は50年と言われている。それほどの長生きならどうかすると飼い主より長く生きるかもしれない。そうなると、飼い始めたら命尽きるまで、その後の面倒も見なさいとい「終生飼養」は不可能さえ生じる。生き物を飼うにはそれなりの覚悟と責任を持つべきである。フン害でご近所さんとトラブルになるなど、飼い主のいい加減さが後を絶たない。トラブルも後を絶たない。

終生飼養!声を大にして叫んで歩きたい(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「頼まれごと」

2022年04月22日 | カープ一喜一憂

       

お向いさんのハナミズキの白が目に染みるころ、我が家の平戸つつじの真っ白い花も見事に咲いた。
この白い花が咲きゴールデンウイークの前になると、山の上(やまのかみ)から一つの注文が出される。「網戸の修繕をして」と。
年がら年中ゴールデンウイークのようなこの身、「ヨッシャーッ!」と言えばいいようなものを素直にオーケーとは言わない。

「網戸の張り替え如何ですか。小さい網戸○○円、大きい網戸✖✖円・・・」と、軽トラ移動販売がやってはくるが、これに依存するのもちょっと芸がなさすぎるしなー。かといって、上手く直せればいいけどねーなどと、腰が引けたり。
でもね、もしもこれから先、この高齢化社会において、独り住まいの方から「網戸直して欲しいんよ」とか頼まれた時「いいですよ」と軽く言える自分でいたいと思う見栄もある。それならいっそ、自分ちの網戸修繕で練習しておくのも悪くないねー。

ここはひとつ、面目躍如とばかりに持ち前の腕を振るってみるか。ただ不安なのは、手術後5ヵ月目だがまだ完全でない左肩の厳しい痛みがねー。
今日も1週間ぶりのリハビリに行った。マスクで顔を隠しているからいいようなものの、大きな口を開けて悲鳴寸前。脂汗が出る痛さを我慢して来たのよ。網戸の修繕もやがてはやるとして、先ずは左肩完治が先だねー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「赤いランドセル!」

2022年04月21日 | 季節の移ろい・出来事

                

 ♫ 背中よりでかかった 赤いランドセル 雨んなか泣いていた 学校帰りよ~ ^^♪ 吉幾三唄う「娘に」の一節。
ついこの間、真新しい色んな色相のランドセルに、黄色いカバーの付いたピッカピカの1年生が、はしゃいでいたと思ったら、もう来年のランドセル商戦が動き出しているというではないか。季節の変わり目も、その時々の感激もロクに味合わないまま、もう1年先のことを考えて売り上げを競うとは、商売人というかメーカーも辛いね~。こちらは目まぐるしくて付いて行けないよ。

しかも、タブレット端末が収納できる工夫とか、よく光る反射材を使って安全性を重視したものなど色々。老舗のメーカーは、都内などに直営店を設けて、通学時のランドセルの見え方を具体的にイメージする、体験型試着室を設置して集客に努めるという。
まるで大人の最先端を行くファッション業界並みである。そこまでしてくれる親の意向に感謝する気持ちを、子どもたちが生涯持ち続けてくれるといいのだが。などと、ホンのひとかけらでも見返りを求めちゃいけないんだよねー。無償の愛。感謝の気持ちなど忘れてカンシャクばかり起こす子に育っても困りものだが。ちなみに、値段はといえば31900円から83600円までの幅があるという。安くはないねー。
まあ、世の中色々だ。貧乏人がとやかく言うこともないか。そうは云っても、こちらにももう一人ランドセルが必要な孫ちゃんがいるのだ。

世の中のサイクルが兎に角早く感じられる。時間が過ぎゆくのも実に早い気がする。それがいいことなのか悪いことなのかよくわからないが、記憶にとどめるのが間に合わないほど早く日が過ぎていく。そんな気持ちにさせられるのも、季節を先取りし過ぎる世の中の動き、商業機関の販売競争のペースに載せられてしまっているせいなのだろうか。

兎に角、赤いランドセルを背負って将来を見据える幼子の馬力や新芽を吹き出す草木の勢いを借りて、今一度自分の足元をしっかり見つめ直し、小さくてもいい楽しいことを求めて行きたいものだ。
ハナミズキが今を盛りと咲くいい季節なのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「丸い卵も・・・」

2022年04月20日 | つれづれ噺

            

最初に腕時計を手にしたのは幾つの時だったろうか。少なくとも6・70年前の話ではある。それ以来、いったい何種類・何個の腕時計がこの腕を飾り、人に見せびらかしたり自己満足に陥ってきたことだろう。
どんな時でも1個だけは、勝負腕時計とでも言おうか、心の財産とでも言おうか、大事なときや節目を刻むときに使用する、プロ野球の押さえのエース的存在のとっておきが、引き出しにしまってある。
その1個が、こことうとき気持ちよく持ち出せるので、それ以外はあまり高価なものでなくても、利便性優先で、どうかすると安物と呼ばれる部類でもガマンできる気持ちの余裕がある。

そんな贅沢な話は置いといて、今日の話は、小さなローカル駅の真ん前にある小さな小さな老舗の時計店でのひとコマである。そのお店は90歳に手が届く品のいいお爺さまがオーナーである。
手許の超安っぽい腕時計の電池が切れた。自分で取り替えられないことはなさそうだが、壊したりすると、たとえ安物でも愛着をもって使ってきた分無念さが残る。そんな愚をさけるため、捨てるという選択肢もある中、ローカル駅前の小さな時計店を訪れた。

簡単な作業で電池交換を終え、丁寧に丁寧に拭き上げる所作は、まるで高給ウオッチの扱いと全く一緒。そんな扱いをされるとこちらが恥ずかしくなる。「安い時計をそんなに扱ってもらって恐縮です」というと「値段は安いかも知れませんが、歩数計やカロリー計算の付いた便利な時計ですから、大事に使って下さい。このように電波を拾って正常に動いていますよ」とやんわり諭された。
さすが年季の入った職人オーナー、人の気持ちを癒やし、また来るねという気持ちにさせてくれる。

丸い卵も切りようで四角。モノも言いようで角が立つ。というが、丸い言葉で交わす会話は、豊かな余韻を残す効果まである。和顔愛語、言ノ葉だけでなく身に付くといいのだが。なかなね~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クシャミ10連発!」

2022年04月19日 | 健康イチバン!

                    

花粉症は突然やってくる、と多くの突然花粉症経験者が言う。
花粉症とは、植物の花粉が原因で生じる季節性アレルギー性疾患の総称である。主に、鼻の症状からくるアレルギー性鼻炎や目の症状からくるアレルギー性結膜炎が現れると言われている。また、花粉皮膚炎とよばれる皮膚症状が出ることもあるという。
患者数は年々増加傾向で、国民のおよそ42.5%が花粉症にかかっていると推測されているのだそうだ。とりわけ、全国の森林の18%を占めるといわれるスギの花粉による花粉症の患者が多く、2019年の全国調査では、スギ花粉症の有病率は38.8%と増加傾向にある。(ネット情報拝借)

小生もこの年になって初めて、くしゃみ10連発を経験した。5・6連発はしょっちゅうで、ティッシュが離せないほどの鼻水。「花粉症だろうね~」と話してはいるのだが、まだ耳鼻科に出向く気持ちにまではなっていない。
なんせ、子供のころから杉やヒノキに囲まれて育ったのよ。特に杉は、あの小さな杉の実が通る小さな笹を筒にして「杉でっぽう」をおもちゃに遊んだものである。もっともその当時は、杉の木やヒノキに花粉があることさえ知らなかったし、花粉症という病名があったかどうかも定かではない。それが今頃になって、鼻水・鼻詰まりに悩まされるとはいったいどういうこっちゃ。

小生の個人的なくしゃみ占いがあって、1褒め2くさし3惚れ4風邪で今までやってきた。くしゃみが1回なら誰かが私を褒めている。2回はくさされたり悪口を言われている。3回は誰かが私に惚れてくれて、4回は風邪引きであった。さてあなたのところでのくしゃみ占いは如何なものだったのでしょう。いずれにしても、コロナ禍に喘ぎマスクを外せない今日では、くしゃみも鼻水も人前では憚られることであり、迂闊には出来ない。
やはり、耳鼻咽喉科で鼻の奥を突っつかれ、鼻水の上に涙までながさなきゃならないのかね~。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい