「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「雲隠れにし・・・」

2024年10月17日 | 風物詩

                

今宵は、満月の中でも旧暦9月の最も美しいと言われる満月である。その上地球に一番接近して大きく見える上にきれいな、超の付くスーパームーンという触れ込みに誘われて、夕方あたりから少し期待しながら月の出を待った。

でも内心は、この雲の厚さじゃいくらスーパームーンと言えども、地上に待つ私の目に届かないのではないかと、ある程度覚悟をしていた。日暮れとともに益々雲は厚くなるばかり。結局期待も当ても外れてしまった。ただ早くから全面的な期待をかけていたわけじゃないので、ま、しゃーないかと言った程度の当て外れでもあった。そんなことを考えていたら、頭の中を久しぶりに百人一種が駆け巡った。

中でも月にまつわる歌が、上の句下の句別々にあれこれ浮かんでは消える。
そんな中でもただこれだけは他人に譲れない、いわゆる十八番(おはこ)で絶対に自分で取る、月を詠んだ歌がある。「光る君へ」ではないが万葉の世界、紫式部の作品である。
❝ めぐりあいて 見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな ❞ 

今宵の場合は、巡り合えないままに雲に隠れてその余韻も浸れなかったスーパームーン。あきらめるより仕方がないね。やはり当ては外れないのに越したことはない。でも外れることの方が多い人生もある。

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「やはり秋の象徴」

2024年09月17日 | 風物詩

  

          

         ❝ お風呂屋 の窓で眺めたお月さま ボクの家まで ついてきた ❞

まだ随分若い頃「子供でも才能のある子はこんな傑作が詠めるんだね」などと、おふくろがちょっと皮肉っぽく教えてくれたのを思い出す。
毎年訪れる秋を象徴する中秋の名月を、こんなちょっぴり落ち込む感情を秘めて見上げている。

夕方に立て込んだ用件を済ませ、急いで夕ご飯を頂き目的地に急いだ。クルマから見えるお月さまはもうかなり昇っているではないか、さらに急いだ。いつも使っている近くの駐車場に停めて目的の会場へ。地域の観月茶会をやっているはずであった。やっていない。名水百選に選ばれている親水公園は真っ暗け。お茶席も観月吟詠大会のステージもない。電灯と言えば公園お手洗いの防犯灯だけ。

あの伝統を守り続けた親水公園の観月茶会さえ、世話をする人たちがいなくなったということか。
そんな肝心な情報も得ずに「やっているだろう」と勝手に決め込んで、夕方の汗をものともせず慌てふためいて出かけて、がっかりの面持ちで駐車場から中秋の名月をカメラに納めたら、何のことはない雲に半分隠されていた。
改めて我が家の二階の窓から撮ったお月さまが、まさに中秋のまん丸名月が撮れた。

名月一つをめぐっても、そんなこんなが付きまとうようになった。そんなお年頃なんじゃろうね。

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「ふる里の夏、盆踊り」

2024年08月05日 | 風物詩

     
                  孫さんたちの住む町とは異なる夏休み風景 盆踊り会場
       自治会による出店 定番ヨーヨー吊り             景品たくさんの輪投げ               

       
           櫓上の音頭はともかく、下の太鼓は年季が入っていた

この夏休み、二度目の里帰りをした孫姉妹。目的の一つは、嫁さん側のおばあちゃんの提案で、嫁さん三姉妹の家族が一堂に会して一泊二日で遊ぼうということになったらしい。それも日本三景の一つ安芸の宮島にゆったり一泊。宮島水族館見物や廿日市市の大型プールなど豪華に過ごして戻って来た。

そんな彼女たちに、爺ちゃん推奨の、素朴で昔ながらのふる里盆踊りなんかはどうかなとの思いもあったが、そこは小5と小1の姉妹。遊ぶことなら大歓迎で「行く行く!」と大はしゃぎ。
自治会手作りのお祭盆踊り。チケットを買って、ヨーヨー吊り、スーパーボール掬い、景品が豊富な輪投げゲーム。かき氷に至っては早くに氷がなくなって売り切れでお終い。ここらあたりの緩さ加減がふる里盆踊りの真骨頂でもある。その分払い戻しにおおわらわ(笑)

ただ、主催する自治会連合会の高齢化や人手不足は顕著である。その分を地元中学校と連携している。
1年2年の中学生男女が大勢でお手伝いしている。これは一計であり集まる子どもたちも、手伝いの中学生にとっても張り合いのある一晩であり、思い出を作っているようだ。

古来の「岩国音頭」という特異な節回しと太鼓のリズムで、櫓を囲んで自由に踊る。元々は戦没者を慰める慰霊盆踊りが広がり、どこの小さな自治会でもこの時季に行われていた。それも遠い昔の話となり、今では何地区かが合同で行っている。東北地方に、ねぶたや竿灯祭りがあって盛り上がるように、スケールこそまるで小さいが、みんなが一緒になって楽しめるこのようなふる里盆踊りは、受け次いで残したい季節の行事である。

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「竹細工教室」

2024年07月31日 | 風物詩

  

地元にある二つの小学校で高学年の希望者を集めて、私たち地区社会福祉協議会が、夏休み恒例の竹細工教室を、一つの小学校は7月25日に終え、今日はもう一つの小学校で実施した。両校合わせて約50人の児童が参加してくれた。迎える我々の方も参加する児童の方も、夏休みに入ったら竹細工教室が行われるのはいつしか風物詩のように定着しつつある。

小学校の古い講堂には冷房設備はない。大型扇風機が何台か据えてはあるが暑い。子どもたちは講堂の暑さに慣れているかもしれないが、指導者として参加する私たちは年々歳を取り暑さが身にこたえる。
それでも子どもたちの歓声や笑顔に触れるのは、小さいながらも地域活動を続けている者にとっては貴重な感触であり貴重な時間でもある。それにしても暑いねぇ。暑さに負けないようみんなが力を出し合う。
     

普段使ったことのない小刀で固い竹を削り、ガリガリトンボを作り上げてプロペラが回ったらこの笑顔。嬉しそうにニコッとこぼれる笑み。その裏には小さいながらも達成感が見え隠れ。
竹細工教室を続ける私たちの目標の一つに「達成感を味わってもらうこと」がある。指導者たちがあまりにも手を出し過ぎないよう、ケガだけはさせないよう、コツや隠されたポイントを一つでも覚えてもらえたら嬉しい。暑くてもやっぱり朝早くから顔を出せるのは後何回だろうか。

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「見事な空振り!」

2024年06月29日 | 風物詩

    

大きな大きな空振りをした。情けなくて自分を笑ってしまうほどの見事な空振りであった。
今年はタケノコも梅の実生りも裏年で少ないよ、という噂はもちろん耳に入っていたし、我が家の隣の空き地に植えた梅の木の生り具合をみても、今年は少ないなと覚悟はしていた。

その上にこの身は、肝心な梅ちぎりのシーズンは手術後のリハビリに追われていて、絶好のタイミングを失ってしまった。やっと今日、思い切って汗をかいて収穫しようと、一大決心して1時間ばかりの山間のカミさんの里に出かけた。生っていないのよ。梅の実の姿が見当たらない。必死に探してやっとこさ1本の木に16個を千切りとった。他に2本の木にはそれこそひと粒の梅の実も付いていない。呆気にとられるとはこのこと。

立ったり座ったりする作業に合わせて地下足袋履いて、汗止めに頭にタオル首にもタオル。こんな格好が恥ずかしくて早く着替えたくなるほど梅の実がないのよ。毎年、大量の青梅を使い切るためにあちこちもらってもらったのに。今年ばかりは自分ちの梅干しも出来はしない。梅ジャム、梅ジュースなどとんでもない話。

それにしてもこれほど生っていないのも珍しい。これはおかしいぞ。どなたかお先にこっそりゴッソリ頂いていかれたのに違いない。ま、いいか。自分たちの家庭の事情でいつまでも木に生ったままほったらかしにしたのが悪い。何事も旬の時期を逃さず収穫するべきなのだ。と言い聞かせて納得。それにしても今年の梅干しどうしよう。空振りだったのだから三振アウトということで、今年はウメ―話にならなかったねー。

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「玉紫陽花一輪」

2024年06月18日 | 風物詩

              

たった一輪咲いた我が家の玉紫陽花。友達のいない寂しさも感じさせるが、たった一輪の美しさもまたいい。色とりどりの紫陽花が人目を集める季節は、梅雨入りとか、集中豪雨、線状降水帯など不気味な言葉が飛び交う季節でもある。

山口県も昨日梅雨入り宣言が発表された。深夜から朝方にかけては土砂降りもあったが、夜が明ける頃から小降りになり、その後はカッカと照り付けるアッツ~~イ一日となった。
関東方面では新幹線が運転を見合わせるほどの大雨。まさしく梅雨入り宣言と同時にやって来た豪雨。

毎年どこかで、多くの命の犠牲やかけがえのない財産の喪失。あらかじめ災害に備えてとあっちからもこっちからも聞こえてくる。それでもなお「想定外の雨量だった」とか「短時間の豪雨は予測できなかった」などなど、大切な生命財産の保全が後追いになっている現状がある。
あなたならどうする あなたならどうする 泣くの笑うの死んじゃうの・・・歌など歌ってる場合じゃないが、じっさい『正解』が見つからない。それでもやっぱり危険予知、危険や恐怖を早めに予感し、我が身を守る心構えを少しでもいい、準備しておきたいよね~。紫陽花の可憐さとは反対の季節なのだから。

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「東ゃ長良か、西ゃ岩国か・・・」

2024年06月09日 | 風物詩

            
                 錦帯橋鵜飼い始まる。毎日新聞山口県版より。

5月の終わりに入院したこともあって、短い期間なのに戻ってきたら6月も8日と暦は進んでいた。
従って、皐月つごもりも水無月ついたちも吹っ飛んでしまった。留守中の新聞を読み返してみる。中でも毎日新聞は、私の趣味のひとつ「はがき随筆」の掲載者一覧表を埋める作業のためにも目を通す。当然他の紙面にも目が行く。そこに「錦帯橋鵜飼い始まる」という記事が大きな写真と共に載っていた。

コロナ感染以前のこの季節には、大勢の観光客はもちろん岩国市民も大小宴会などに多くが利用した。
「東ゃ長良か西ゃ岩国か~ドントセドントセ・・・」と岩国鵜飼い音頭にうたわれる通り、賑やかな一時期もあった。もともと舟遊びや川遊びは、大店の旦那衆の豪奢な遊びのイメージが強かった。が現在は乗り合い観光船やリーズナブルな利用方法が拡大して、私にも鵜飼い観光に出向けるし、家族の一夜の夢あそびとして鵜飼いを愉しむこともできる。皆さんも観光に一つに組み入れて頂けるとしあわせます。

そして本格的な雨のシーズンを迎える。思いがけない雨量・想定をはるかに超える雨量、などと必ずどこかの地域で土砂災害や洪水に見舞われる。転ばぬ先の杖。災害発生は避けられないとしても、人々の生命財産は失うことのない6月を過ごしたいと思う。

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「夏に備えて」

2024年05月09日 | 風物詩
初夏の日差しに誘われて、長いことほったらかしにしていたメダカの水替えをし、水槽をゴシゴシこすってきれいにしてやった。
こんな状態でも平気で生きていられるんだねーと感心させられるほど苔が溜まり汚れていて、さぞかし酸欠気味の水は不味かっただろう、よくぞで我慢して生きていてくれたと、タフなメダカさんたちを褒めてやりたくなる。
もっと早く水替えしてやればよかったのに。
         
古い水槽からすくい出して、新しい水に入れたら気持ち良さそうに泳ぐは泳ぐは。水を得た魚とはこのことを言うのか。イヤちょっと違ってるけど、兎に角きれいな水、真っ白い仮の住まい。そして洗い清めた元の水槽に、新しい水と共に戻す。この作業によって、メダカは種の保存とばかりに産卵を繰り返す。何はともあれ、夏に備えての一仕事を終えた。

ところが、この行為がメダカにとって本当に有難いことなのかどうか。
元の水槽に戻したメダカは、食料を求めてさまようように、ツルンツルンになった水槽の壁面を舐めるように泳ぎ回っている。古い水槽の苔むして青くなった壁面は彼らにとって、おやつの宝庫だったのではないのか、それをきれいに水替えすることで奪ってしまったのではないか、などと考えてしまう。

いずれにしても、水槽の水が常時入れ替わるような施設を使わず、単にそこらにあった古い火鉢や陶器の水がめなどに水をためて、エサだけはちゃんと与えるだけで、一丁前に「メダカ飼っています」と言うのだから、いい気なもんだよね~。
間もなく始まる産卵によって孵化した子メダカは、もっと住みよい施設で過ごさせるよう、一工夫してみよう。物言わぬペット。可愛がって上げなければ。
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「祭りとともに」

2024年04月07日 | 風物詩

  

こちらの町では、天神さん祭りは春に行われる。隣町同士、ひとつは4月第1土曜日、今ひとつは4月の第1日曜日と決められている。4月早々二日続きで近くの神社や児童公園で、昔懐かしい山車を引き回す天神祭りである。近年では少子化で山車を引く子どもの数が少ないので、エンジン付き軽トラなどが使われている。
  

その代わりというのもおかしいが、地元の中学生はブラスバンドで応援。地元の伝統神楽団は小学生数人に神楽の基本を教えている。その子たちにとって本番のデビューがこのステージとなる。
各自治会が大切なお祭りとして、たとえ山車は出さなくても年に一度のお花見として、会場に集まってくる。

昔からそう感じて来たが、私たちの住むこの町ではこの天神祭りがやって来るくることで春が来る。新年度が始まるという意識がつよい。だからこの天神祭りは大切にされ、みんなの祭り、みんなのお花見というイメージで人と人がつながり、お年寄りと若者が少しだけ融合している。どっちにしても祭で春がやって来る。

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「たき火」

2023年12月04日 | 風物詩

                      

庭の一角を占める、高さ1mにも及ばない小さなサザンカではあるが、いち早く八重の真っ白い花を咲かせている。我々より先に季節をちゃんと捉えている。
 ^^♪ さざんかさざんか咲いた路 たき火だたき火だ落ち葉たき 当たろうか当たろうしもやけお手手がもうかゆい ♪
こんなのどかな唄は歌えもしないし、そんな情景さえこの世から消え去ろうとしている。それでも、山茶花の花は今年も来年も咲き続ける。

いまの日本では、しもやけを作るような子どもは見られないのではないか。枯葉を集め、たき火をして集まる子どもたちに暖を取らせる。こんな構図も天下のご法度。へたをすると「迷惑防止条例違反」で逮捕までは行かないにしても書類送検くらいは課せられる。子どもを大切に守る方法も今と昔では随分と異なる。ほのぼの暖かさとかそれとない優しさなどはあまり重宝されない。制度や教育方針でガチガチに固められた優しさに育てられている。

いいとか悪いとかいう次元の話ではなく、ただただ時代の流れ、人々の考え方と価値観の変化。誰にも止めることのできない自然の流れみたいなものである。サザンカの咲くころ、小さな路地の曲がり角でチョロチョロ焚火をたいて「温まってお行き」という時代も生きて来た。少し大きな声で指導することはパワーハラスメントで注意される現代も生きている。幸か不幸かその両方の時代をこの目で見、その時その時代で年齢がうごいているわけで、やっぱりみんな違ってみんないいってことになるんだろうね~。

毎年毎年山茶花の咲くころに寄せて、同じようなことをついつい思ってしまう。真っ白も真っ赤も山茶花が穏やかに咲く平和な冬を迎え続けて欲しいものである。

 

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