「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「霜月つごもり」

2017年11月30日 | ニュース・世相

              
              

     あたたかき 十一月も すみにけり     中村 草田男

今年の11月は、格別あたたかきわけでもなかった。むしろ平年に比べると寒い方の部類かもしれない。
そんな11月も今日でおしまい。12枚あった暦もいよいよ1枚を残すのみ。
明日から師走。その名を聞くだけでなんとなく気ぜわしさを覚える今年最後の1か月となる。

1年を総括するにはいささか時期尚早の感もあるが、一つ大きな転機を迎えた業界もある。
それが日本の国技と呼ばれる「大相撲」の世界。特にこの1年を締めくくるべく本場所九州場所の最中に持ち上がった横綱による平幕力士への暴行事件。今さらすったもんだの経緯や、だれがどうした、なんと言ったなどは述べるまでもなく、先刻ご承知のことであろう。

日本放送協会という名の公共放送NHKでさえ、他に重要なニュースはないのか?と一喝したくなるほどの過熱ぶりで、「横綱暴行事件」を連日連夜トップニュースとして取り上げた。国会審議も予算委員会も、北朝鮮ミサイルも、かすんでしまうほどの報道量であった。
だから、それにWAをかける民間の午後番組など、これでもか、これでもか・・・と映像や画像を繰り返す。

挙句の果ては、相撲界の勢力争いがちらり。横綱審議委員会の確固たる結論も出ない。という何もかもイマイチ釈然としない中で「結論ありき」のように当事者の横綱日馬富士は引退した。このことに対しては賛否両論が拮抗。小生自身も賛否相半ばである。
但し、暴力はダメという信念だけはゆるぎない。そして、相撲は日本の国技と言うからには、外国人であろうと、地位が何であろうと、人間的なマナー・品格・お相撲さんと言う憧れの世界であることなどを、誰がどのように指導、協育しているのか、そこが知りたい。

何かことが発覚したらそこで、付け焼刃的対処を講じる。そこにこそ問題あり。
事件や問題が発覚する前に、そういったことを予知しながら、危機管理をするのが八角理事長の手腕である。
根元を断つ対策を講じ、難題や軋轢が発覚しないよう、八角理事長に改めて物申したい、一相撲ファンである。

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「わらそぐり」

2017年11月26日 | 地域活動

                                        
   わら束を木槌で叩いて       手作業でわらのはかまを取り除く        わらそぐり器

   ^^♪ 与作は木を切る ヘイヘイホー ヘイヘイホー
         女房はわらを打つ トントントン トントントン ・・・ ・・・ ♪♪

北島三郎が歌う「北島演歌」の中でも突出した叙情演歌であると、小生自身が勝手に評価している「与作」という歌。
よほど気が乗った酒の席でたまに歌うことがある。自分で自分を酔わせるようなノリのいい歌だと思っている。

演歌の話はさておいて、ここでは、間もなく始まるお正月用しめ飾り作りの話に移るとしよう。
12月に入ると、地区内にある二つの小学校で「日本の伝統文化にふれる教育」の一環として「しめ飾り教室」を行っている。
これは地域の社会福祉協議会が校長先生や教頭先生に呼びかけ、綿密な連携のもと毎年実施している事業の一つである。

しめ飾りを作るためには、わらの不要な「はかま」や「ほつれ」を取り除き、わらの芯のいいとこだけを取り出す作業が要る。
そのひと手間を「わらそぐり」という。但しこのわらそぐりという言葉は広辞苑にも、百科事典にも載っていない。
それなのに、ネット検索するとちゃんと「わらそぐり器」という器具の写真付きで、わらのはかまを取る、と解説されている。

小学4年生を対象に行う「しめ飾り教室」では、事前に大量に準備したわらを、我々大人が大勢集まって先ずは「与作」の歌詞の通り、トントントン、トントントンと打つ。そしてわらそぐりをして取り出した芯を、縄を綯いやすいように10本ずつ輪ゴムで止めて仕上げる。
もちろん、ウラジロ・ユズリハ・ミカン、そして装飾の金紙なども全て完璧に準備する。

そうして迎えた当日、「しめ飾りの由来や謂われ」と「綯い方・作り方」は簡単に説明する。が、わらそぐりなどの水面下の作業は、彼らに伝わらないまま、何もかも完璧な下準備をして「はいどうぞ、縄を綯って下さい」とやらせることで、日本の伝統文化にふれる教育という目的が本当に果たされているのか、いささかの疑問は残る。

せめて私の孫にしめ飾り作りを伝授するときは、♬ じーじはわらを打つ、トントントン・・・ から教えたい気がする。

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「歴史の順送り」

2017年11月24日 | つれづれ噺

クルマで30分走った位置にある、真言宗御室派の二井寺山極楽寺という古刹で、毎年11月23日勤労感謝の日に「柴燈(さいとう)護摩大法要」という、いわゆる火渡り祭りが催される。初冬の穏やかな日差しに誘われて参詣に訪れた。
13年前から極楽寺常駐となった住職さんはじめ、京都や神奈川などから派遣された真言宗住職が、山伏姿の行者となって素足で火渡りをして、邪気を払い、五穀豊穣と地域安泰を祈願する昔ながらのお祭りである。 

柴燈護摩と呼ばれる、ヒノキの葉で覆った木組みのやぐらに火を放ち、参拝者が寄進した厄除け祈願を書いた木札を燃やし、炎と煙にゆだねて、願い事を天高く昇華させる。
そうして、まだ燃え盛る火の中を、天狗伝説が伝わる極楽寺特有の天狗面を戴いた行者に続いて住職が火渡りをする。
勇壮と言えば勇壮、無謀と思えば無謀にも似た、太古の昔を偲ばせる「行」である。

二井寺山極楽寺は、玖珂の大領秦皆足(はたのみなたり)朝臣が天平16年(744)、霊夢を感じて当山に登り、神霊より十一面観音像を授けられ御堂を開いたことが開祖とされている。本尊は「十一面観世音菩薩像」。
その後大内氏滅亡など、歴の流れの中で寂れて行った。その後寛永年中(1642-1644)岩国横山村妙福寺住職侑山が吉川候に再興を願い、元禄7年(1694)吉川宏紀により再興され、細々ではあるが現在に至っており、参拝者も少ないながら途絶えることはない。

檀家の数は数える程度しかないが、地元の人たちが地元食材を持ち寄って、極楽寺名物豆腐汁やささげご飯が振る舞われた。
標高150mで決して高くはないが、ふもとの駐車場から本堂まで、約20分の坂道や石段は、元気なうちでないと行かれそうにない。
えっちらおっちら上り詰めたところで、アツアツの豆腐汁の接待は有り難いし、身体の芯が温まる。

火渡り開始を待つ間の、先代住職の法話が面白かった。
人間の欲とは際限がない。得れば得るほど次の物を得ようと欲張る。そうなると今の幸せが幸せではなくなり「足りない」不満ばかりを言う。
「“足るを知ること”を忘れるな」「お金持ちになりたければ無一文になれ、そのあとにお金の有り難さを知り裕福な気持ちになれる」「無一文になるためには、お寺に参ってお布施をしっかり出しなさい」と。お寺が裕福になれば皆さんの下に必ず幸せが訪れる……と。

真理とジョークを交え、現代のあふれる文明を揶揄し、笑顔を忘れず、立て板に水の如きトークは、聴衆を酔わせた。
今日も又いい一日であった。

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「ハナの脂を・・・」

2017年11月21日 | つれづれ噺

             

「掃除機が壊れて動かんようになった」といって、比較的新しい一階用の掃除機を二階に持って上がって使っている。
「ヨーシッ、ここはおいらの出番。ちょっといいとこ見せよう」と、勢い込んで工具箱を引っ提げて、二階の日当たりのいい部屋に陣取った。
先ずはドライバーをセットして、動かないという掃除機を前に「ここから開いてみよう」と、ネジを一つ外した。

オッとその前に「今一度どんな状態なのか確認を」と、コンセントを差し込んで手許スイッチを入れた。
全く何の支障もなくブンブン回る。吸引力も十分ある。「どっこもおかしくないよ」「でも昨日はおかしかったんよ」と押し問答。
「ひょっとしたらオレの鼻の脂で直ったのかもしれん」「普段あまりやらん人が張り切ったので掃除機が恐れをなして自分で直ったのかも」

少々不納得ではあるがそそくさに工具箱をしまってから、「突然使用中に停まったりしたら、差し込み部分を今一度押し込んで、接触を確認するとか、ちょっと手を添えてみること」。という注意喚起で一件落着。
「もうずいぶん前に買ったもので、いつ壊れても不思議じゃないくらい古いものなんよ」「ふーん、なるほど」。
そろそろ新しいのが欲しい、と顔に書いてある。でも使えるものはもう少し使えば、と背中で言ってみる。

サイクロン方式だのルンバだの、日進月歩の家電業界。次から次へ新しいものは出てくる。追いかけていたらキリがない。
と大声で言いたい。なんでじゃろう?「古いものはやっぱりダメよ、新しいものでなけりゃ・・・」という発想に、本能的に抵抗してみたくなる。古いからこそ、手を掛け目をかけいたわって、少しでも長持ちさせてみたいよ。
今さら若返られるわけもないが、人間の場合、新しさや若さだけが値打ちじゃないよ。年齢相応の味わいや思慮分別も出て来るよ。

オッと、これは飽くまでも掃除機の話だった。なのにそこまで飛躍してひがむところにこそ、〇〇を重ねた〇〇の悲哀が感じられるのだ。
まだまだこれから・・・と思い過ぎるのも問題ありだが、あまりにも引っ込み思案も性に合わないような。
ほどほどに謙虚という上着をまとって、やれることはやっておきたいよね~。どんなに頑張ったって限られた時間だもの。

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「しまいの紅葉」

2017年11月18日 | 季節の移ろい・出来事

                            
              宇野千代生誕120年、もみじ茶会
心配された冷たい雨も朝方には上がり、今シーズンのおしまいに近い紅葉・黄葉が、最後の力を振り絞って、訪れた行楽客を喜ばせていた。
ふるさとが生んだ文豪「宇野千代」の生家では、宇野千代顕彰会主催による、生誕120年という節目の「もみじ茶会」が華やかに催された。
明治期の建物を1974(昭和49)年に宇野千代自らが復元した生家と、300坪に及ぶ庭に手植えしたもみじはNPO法人によって手厚く守られ、もみじの本数は年々増えているという。もみじ茶会は、この季節を代表する地元の風物詩になっている。

小生自身かつて在籍したことのある宇野千代顕彰会。その顔ぶれは、今も大きく変わることなく、久しぶりの顔合わせに元会長さん他かつての仲間から笑顔の歓迎を受けた。お抹茶の味が一段と美味しかったような。
お茶席を預かるのは地元の諸流派による持ち回り制で、接待に当たる女性の和服姿もまたいい。紅いもみじに馴染んでいる。 

      
                  しまいの紅葉、岩国もみじ谷公園
美味しいお抹茶としばしの談笑に続いて、岩国城のふもとにある紅葉谷公園に足を延ばした。
「岩国の隠れ紅葉名所」と自分で勝手に名付けているこの公園は、やはりひと味違う美しさがあり、郷愁をそそられる。
黄葉・紅葉そのものは、確かに絶頂期を過ぎた「しまいの紅葉」の感はあるが、それでも堪能するにふさわしい光景が広がる。

隠れ紅葉名所と自負していたこの場所も、観光シーズンの客足の増加は目を見張るほどで、無遠慮な中国語が飛び交う現実は、喜ぶべきか憂うべきか、思案投げ首ではある。

何はともあれ、雨上がりのしっとり紅葉もまたいい味を出し、薄日差す柔らかな紅葉谷もまた気持ちを穏やかにする。
ただし、ひとたび目線を落とすと、そこには「濡れ落ち葉」が靴の裏にまといつく。
見上げる紅葉の味わいと、枝から離れた葉が足もとで濡れ落ち葉という厄介者に変わっていくこの落差。ちょっとだけ身につまされる。

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「命日祭」

2017年11月16日 | ニュース・世相

                           

大政奉還150年という今年。色んなお祭りやイベントが各地で華やかに繰り広げられている。
先日訪れた、周東町の山懐にある「通化寺」の「もみじ祭り」も、大政奉還150年記念イベントの一つであった。
今日の中国新聞には「竜馬のご縁 7県おいで」広島や山口 京都でPR。と報じられていた。

歴史上の人物で一番興味深いのは誰か?と尋ねられたら、即座に「坂本龍馬」と答えるであろうこの龍馬ファン。
もっとも、自分自身で深く研究したわけではない。あの司馬遼太郎の手による、江戸末期から明治に至る日本の大きな過渡期を描いた小説の数々をひも解いているうちに、坂本龍馬という33歳の短い生涯の中で、とてつもない大きな仕事を成しえた人物に惹きこまれた次第。

そんな坂本龍馬という人の命日が旧歴の11月15日であったことから、新暦に変わった今もこの日を記念して「龍馬祭」(坂本龍馬命日祭)として多くの人が遺徳を偲んでいる。
「龍馬のご縁・・・」報道の山口県では、薩摩、長州、土佐の三藩が会合を開いた萩の「松陰神社」がPRされていた。
広島県は鞆の浦沖で発生した、龍馬率いる海援隊の船と、紀州藩軍船が衝突した「いろは丸事件」を題材に。そして高知県は言わずと知れた龍馬誕生から成長の日々をPR。それぞれの特色を生かした観光宣伝に躍起となっていたようだ。

没後150年が過ぎた今も、龍馬を襲った凶刃組織の真相がはっきりしないままとはいえ、命日祭として多くの人が当時を偲んだり、業績を改めて評価するなど、坂本龍馬ファンの熱き心はとどまるところを知らないようだ。
それにしても33歳という若さで惜しい命を失ったものではある。

あのまま龍馬が生き抜いて、世界の海を股にかけて交易を発展させていたら、日本の国はどう変わっていたであろうか。
日本中を二分するような戊辰戦争や西南戦争も防げたのではないか・・・・・・。などとタラ・レバの世界に足を踏み入れている。
言えることは、あれも歴史、これも歴史。そういった歴史の上に、現在があるということだけは間違いない事実である。は

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「初冬の陽ざしに誘われて」

2017年11月12日 | 季節の移ろい・出来事

                        
              心字池から望む雪舟庭の紅葉

秋本番の10月は、ほとんどの週末の土日が雨にたたられた。数多く予定されていた秋祭りや体育祭が、延期や中止を余儀なくされた。
11月も半ばを迎え、初冬らしい寒さが幅を利かせるようになった。黄葉・紅葉が見ごろを迎え、あちこちから「もみじ祭り」の案内が舞い込むむ。

そんな初冬のうすら寒さを跳ね返すような、朝からの陽ざしに誘われて、クルマで30分の通化寺(つうけいじ)を訪ねてみた。
普段は物寂しい山奥の廃寺に近い感のある古刹なのに、もみじ祭りの今日は、初めて見るほどの大勢の人出。駐車場を新たに設けて、誘導員も数人を配置するほどの盛況と歓迎ぶり。住職の安堵の笑顔が印象的であった。

通化寺は、京都府宇治市にある黄檗宗大本山萬福寺の末寺で、今や檀家が10軒に満たない枯れかけのお寺である。
そこへ昨年、大本山萬福寺の教学部長を務める40代の僧侶が派遣されてきた。常駐ではあるが、月の内数日を本山で過ごすという若い僧侶と、地元との連携もあってか、その後、縁日や延命地蔵尊まつり、そして今年2回目となるもみじ祭りなどが活発に行われるようになっている。

もっとも、今年の場合、徳川幕府による長州征伐での戦い「四境の役150年」という記念の年に当たり、県内各地で近い歴史を掘り起こすイベントが盛況である。中でもこのお寺は、高杉晋作率いる騎兵隊の駐屯地として、確かな歴史を築いている寺でもある。
長州に攻め込む幕府は今の山口県を四方から取り囲むように大軍を送って来た。中でもし烈を極めたのが、広島方面の陸地から襲ってきた「芸州口の戦い」であった。そこで幕府側の戦意喪失ともいえる大勝利を収めたのが、この騎兵隊を中心とする長州兵士であった。

そんな歴史を秘めた古刹ながら、人口減少と、観光地としての衰退など、存続が危ぶまれている。
そんなお寺ではあるが、「四境の役150年記念事業周到実行委員会」が主催して、まさに手作りのお祭りが開かれたという次第。
中学生の写生大会、太鼓・フルートの演奏会。中でも「高森チンドン隊の20人近いチンドン行列には圧倒される楽しさがあった。
衣装が面白い。かつては晴れ着であったろうご婦人の着物や帯をあしらった豪華絢爛衣装。幟旗や紅白横断幕、風呂敷などなど、ありとあらゆる布地をアレンジした華やか衣装に、金ぴかのサックス、クラリネット、アコーディオン、三味線、笛太鼓。郷愁を誘うメロディ。 

                        
          高森ちんどん隊御一行様がお祭りを盛り上げて

ちっちゃな田舎のちっちゃなお寺のちっちゃなお祭り。でも盛り上げようとする実行委員の意気は大である。
雪舟庭を巡る、八十八カ所巡礼のミニ版も面白い。中でも心字池から眺める庭造り、なかなかのものであり、お勧めスポットである。

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「やる気と練習と」

2017年11月11日 | 家族・孫話

    
    気合を入れて立ち合う悠雅君(左側)     賞状と大型御幣を手に各部の優勝者。一番右悠雅君

『天下御免 豊太閤官許田浦(でんぼ)相撲大会』といういかめしい名前の伝統行事が、孫の悠雅君が通う小学校で行われた。
このいかめしい名前の由来は、420年も昔にさかのぼる。豊臣秀吉が朝鮮征伐に向かう大軍を率いて、海路九州に赴くとき瀬戸内海通津の沖を通りかかった折に大時化(おおしけ、今の台風)に見舞われた。緊急避難で通津の浦に上陸した。時化は4日間に及んだようで、戦場に向かう将兵の士気の低下を恐れた秀吉が、各部隊の力自慢を集めて相撲を取らせた。その時の地名が田浦であったことから、437回を数える今も「田浦相撲大会」として毎年賑わっている。

我が孫三兄弟の三男坊悠雅君は、野球も相撲も得意としている。
野球は「広島カープ二塁手菊池」のプレーをテレビを食い入るように観ている。足の運び、送球の仕方までシビアに批評する。
相撲は「遠藤関」の大ファン。立ち合いの腰を落とす姿勢、手の出し方など、ジジを相手に再現して見せるほどである。

そんな優雅君は、クラスの予選を全勝で通過。本戦に臨む者だけが上がれる土俵に立った。
ここ数日は野球ではなく相撲の立ち合いを、組んでからの押し方を、ジジを相手に入念に練習をした。応援するこの手ににも力が入る。
初戦は1年生代表を堂々と押し出し。決勝戦は同じく1年生を破って勝ち上がった2年生同士の対戦。少しもみ合った末、相手をひっ抱えて土俵の外へ。1・2年生男子の部で見事優勝。昨年に続いて2度目の賞状と大型御幣を手にした。

                              

お腹を空かして我が家に戻って来る夕方の5時。日替わりメニューを注文する彼の胃袋を満たすババは「大変だ~」とこぼす。
そのくらい旺盛な食欲と、やる気と練習が実を結んだ相撲大会優勝。ニッコリ笑顔。また一つ自信を得たようだ。
1学年40人。2クラスしかない小規模校ではあるが、何はともあれトップに立つことで心の中に生まれる自信は、彼を一回り大きくしてくれるのだろう。彼自身が選んだわけではないが、生まれた環境が「鶏頭となるも牛尾となるなかれ」のことわざの通りとなっている。

やがて彼自身が選ぶことになる色んな選択肢が出てくる時代にぶつかるのだろう。
そんなとき、どっちの道を選ぶにしても、自信を持って「自分に合った方向」に進むといいな~、などと先の長い世界に想いを馳せるジジバカである。

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「喪中はがき」

2017年11月10日 | 季節の移ろい・出来事

          

年賀状が売り出されてから早くも10日。
今年はどんな絵柄にしようか、お付き合いのジャンルに合わせて何種類の賀状を作ろうか、あれこれ迷う季節となった。
毎年この頃から、ああしようか、こうしようか迷う。こんなに早くから迷うのだから、十分余裕を持って出来上がりそうなものだが。
どうしても投函するのは、クリスマスを前にしたギリギリまで手許に置いてある……というのがいつものパターンである。

ただ、今年に限って言えば、これからゆっくり図柄を考えながら、などと悠長なことは言っていられない状況にある。
3月初め、実の姉が交通事故と言う全く予期しない事態で急逝した。
あの時の悲しみは今も気持ちの中で一つの傷として残っている。そんなわけで、年賀状に代わる喪中欠礼はがきの発信ということになった。

これまでも何回か経験してきたことではあるが、なんせ、9年前に母を見送って以来の喪中はがき作成。
賀状とは勝手の違う戸惑いもあるが、早くからすでに何通かの欠礼はがきが届いているのを参考に、オリジナルを考えてみる。
そうして昨日、180枚の束を郵便局に持参した。年末の大きな仕事を一足早く片付けた安ど感はある。

喪中はがきを作りながら、やはり色んな思いが頭をかすめる。姉のこと、母のこと、兄貴のこと、そして親父さんのこと。
その都度、深い悲しみの中で思いを新たにするなにがしかの決意を持って喪中はがきづくりに精を出してきたのだということを。
そして結論は、やはり身内に不幸のない穏やかな一年を過ごしたいという切なる願望が改めて胸に迫る。

喪中はがきのサンプルを見ると、最近では色んなタイプのものがある。
ただしめやかに走りすぎるのもどうかな、などと少し悩んでみる。受け取られた人の反応も気にしながらではあるが、結局はやはり小生の好みになってしまう。まあこれは年賀状と同じで、出す側の独断を甘んじて受けるのと似ている。

兎に角、儀礼であろうがなんであろうが、素直に「新年おめでとう」と声をかけられるごくふつーの正月が迎えられることが一番の幸せであるということだ。
来年は年賀状に悩む年末を迎えたいものだ。鬼が笑うね~。

 

 

 

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「手作りのお祭り」

2017年11月06日 | 地域活動

      
             実行委員による「お楽しみ抽選会」         市内の向峠神楽保存会による迫力ある神楽「大蛇(おろち)」

若いころに住んでいた海土路(みどろ)という地区の「15年紀祭」が執り行われた。
いま住んでいる地区も、大別すれば海土路と一緒の灘地区というひとくくりの中に入る仲間同士で、顔見知りばかりのお祭りは、なんかしらふるさとの祭りといった感じが強い。
ひとくくりの大きな地区の活動をしている関係で、一応来賓招待があった。つまりいくらかの木戸銭を払う招待客である(笑)

このお祭りは海土路地区に伝わる歴史豊かな祭礼として、その名の通り15年に1度行われる。
由来は、路傍に棲む神さま、道祖神を15年に1度手厚く祀り、様々な奉納をして五穀豊穣、地域の安泰、家庭円満などを祈願したことに始まると言われている。

ただこのお祭りは、伝統は古くても15年に1度とあっては、前回の実績などがあまり残されていない。
つまり、15年目に当たった人たちが実行委員会を立ち上げ、あれこれ頭を悩ませながら実施にこぎつけたという側面はある。
にわか仕込みの実行委員会ではあったが、参加してみて、意外に古臭くなく、しかも斬新に走り過ぎず、ほどよいゆるさとほどよい緊張感で祭りは成功だったと言える。これは、昔気質のああでなけりゃいけん、こうでなけりゃダメという概念にとらわれ過ぎなかった、リーダーやサブリーダーの手腕によるところが大きかったのだろう。運営資金も殊の外順調に集まったようである。

神事に始まって、ステージでは「岩国竹楽坊」の竹楽器演奏やお琴教室の発表。朗読和楽器ライブ「言魂」の出演など多彩。
一方で、地元で活躍する素浪人塾生や婦人会、スポーツチームなどが、おでん、焼き鳥、とん汁、ぜんざいなど、各コーナーを設けて無料で振る舞うという威勢良さ。まさに手作りのお祭り感が強くて、実によかった。里帰りしていた孫も大喜び。
神楽大好きの悠雅君は、ステージに乗り出して、繰り広げられる数々の演目に目を見開いていた。

古式ゆかしい伝統儀式にのっとった格式ある祭りも、それはそれで楽しいが今回の手作り祭りもまた楽しかった。
さて15年先の次回の祭り。私など見ることはないだろうが、どうにかして今回のノウハウみたいなものを残して置ければ、即席実行委員会による手作り祭りもさらに充実させられると思うがどうだろう。それにしても15年に1度は、長いスパンだよね~。

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