「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「文月つごもり」

2021年07月31日 | 季節の移ろい・出来事

    
              実りのハス田                     純白が目を射るハスの花

文月つごもり。まさしく一年中で最も暑いと言われる「大暑」のど真ん中。何はなくともエアコン無しでは、この夏を越せそうにない。
暦の上では1週間もすれば「立秋」を迎えるのであるが、実感としてはとてもとても秋などと云う言葉は、今は遠い存在である。

  「飛び込みのもう真っ白な泡の中」 「夏草や兵どもが夢のあと」。それにしても暑いね~。

玄関を出て100歩も歩けば、見渡す限りのハス田集落に出る。この炎天にも負けず青々とした実りの葉っぱを広げ、お盆供花用に出荷が待たれる純白やピンクのハスの花を風になびかせている。

2メートルほどに伸びた茎は、その先に直径70・80cmはあるまん丸い葉っぱや、純白・ピンクの大輪の花を付ける。こんなハスや稲など田んぼで育つ作物は、この暑さのお陰で大きく、美味しく成長するのである。夏が涼しかったら、それはそれで不幸をもたらすことになる。
この大暑の猛烈な日差しは、田んぼの表面を煮えつかせるほどに熱くする。その温度を受けて根っこを大きく張り巡らせるという。
暑さにへばる人間様に比べると、植物はタフであると考えるのは短絡過ぎるかな。

7月の終わりで思い出すのは小学校の夏休みである。大量に出された宿題を、大急ぎで出来るだけ多くを7月31日までに済ませる。あとは遊び呆けても、なんとか8月の終わりに再び大急ぎで足りない部分を補って帳尻を合わせる。そのためにも、7月末日の宿題の進行具合は、夏休みの楽しい過ごし方のバロメーターでもあった。

そして現実に戻って今年の夏休みの状況はどうだ。新型コロナウイルスの感染拡大の数値は見るも無残な、過去最大記録を更新中である。
東京では4058人。そのうち、10歳未満から10代の若者が500人超。この数値はいったい何を意味しているのであろうか。若者を取り巻く親・保護者・家族など周囲の人たちに訊いてみたくなる。大切な若者を流行り病から守りましょうや。人混みに入るのをガマンさせ、大人もガマンしましょうや。せっかくの夏休みが、地獄の一丁目になっては本末転倒ではありませんかね~。

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「鬼の目にも涙!」

2021年07月29日 | スポーツ・観戦

どんなに無慈悲な者でも、時には情にほだされ、涙を流したり心を動かされることがある。そんなことを「鬼の目にも涙」という、これが本来の意味である。
気が強くて頭脳明晰、何をやらせても完璧にやり遂げ、周りの誰もが一目置くバリバリのキャリアウーマンも、時に気の置けない友の前では愚痴をこぼすし涙することもある。そんな場合のたとえに使われるこのことわざ。

ここではそういった話しではなく、単純に鬼のような顔をした人間が、感極まって流す涙の裏側を想像すると、ついもらい泣きをしそうになる「鬼の目にも涙」の物語である。

連日連夜テレビに映し出される大男たち。濃い髭を蓄え、大きな眼に厚い唇。暗闇の辻でいきなり出会ったらハッと息をのんで腰を抜かしそうな偉丈夫。7人制ラグビーのフィジー選手団や、柔道の重量級外国選手など、まさに日本むかし話に出てくる鬼の形相である。断っておきますが、差別的な意図などで言うのではありませぬぞ。逞しい闘争集団であることを前提に、畏敬の念を持っての表現です。

見るからに力強く、体の至る所にタトーを覗かせるこわもての選手。見かけは間違いなくそうなのに、メダルを賭けたオリンピックの戦いでは、勝ってうれし涙の号泣。負けて悔し涙にくれて立ち上がれない選手も少なくない。勝っても負けても、この大男にしてこの涙。オリンピックという魔物の世界ならではの光景だろうと勝手に想像する。そしてその涙の向こう側に思いを馳せる。ここに来るまでの計り知れない努力ときつい練習があった。それを乗り越え、国内予選を勝ち抜いて立たせてもらった世界の舞台。それがオリンピックなのだ。と改めて感動させられる「鬼の目にも涙」なのである。

まさに鬼の形相で勝利を目指しても、戦いが終われば、あの分厚い胸板、髭だらけの頬を擦り合わせて、敗者は勝者を讃え、勝者は敗者をいたわり、互いの健闘を讃え合う。こんな人間ドラマは、オリンピックという選ばれた者にだけ演じることを許される、特設ステージなのであろう。毎夜興奮させられて眠りが浅くなりそうである。

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「プチ贅沢 ❔」

2021年07月28日 | 季節の移ろい・出来事

               

土用の丑の日、人並みにうな重を頂くという「プチ贅沢」を試みた。
コロナ禍で観光客激減に喘ぐ、国際観光ホテル存続の手助けになるのかどうか、テイクアウトで「うな重」を頬張ってみた。美味かった。
こんなプチ贅沢でさえ度々出来はしない我が家の家計ではあるが、連日連夜、金・銀・銅のメダルラッシュに沸く、東京2020のテレビ映像に乗っかって、奮発してみた次第である。

なんかしら的外れの感がしないでもないが、まあ理屈は後回しにして、兎に角この猛暑酷暑を無事乗り切るため、滋養強壮効果があると言われる迷信にあやかってみたかった、というのが本音かも。
その迷信とやらをちょっとだけひも解いてみると。春夏秋冬それぞれの立つ日、つまり立春・立夏・立秋・立冬の前18日間をその季節の土用と呼ぶのだそうだ。

江戸時代から続く「土用の食い養生」という風習が今に受け継がれ、季節に合った食べ物がある。
春の土用の丑には「い」が付くもの、イワシ・イカ・イチゴなど。夏の土用の丑には「う」がつくもので、言わずと知れたうなぎであり、梅干し・ウリなどと続く。秋の土用の丑には「た」がつくものや青いもので、大根・玉ねぎ・サンマ(青魚)など。そして冬の土用の丑には「ひ」が付くものや赤いもの、ヒラメやトマトを食べると健康保持によいとされている。特に夏の土用の丑の日に鰻を食べるのは江戸っ子の粋として、営々受け継がれているというお話。

いまさらそんな御託を並べるより、一番高い表彰台に立つ日本人選手に贈られる「君が代」を聞きながら、うな重をつつくのがせめてもの暑気払いというものである。

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「黙り込んだりはしゃいだり」

2021年07月27日 | ビッグニュース

         

「賛否両論ある中で、オリンピックが行われることに感謝したい」。これは、柔道73キロ級ゴールドメダリスト、ご当地山口県出身大野将平選手の優勝インタビュー第一声である。
目標として掲げた4年間という調整期間で、ベストな状態に仕上げたところで開会が1年延長。挙げ句に「やるべきではない」などの声が、アスリートの心まで折ってしまうのではないか、と心配した一人である。

その分、エアコンの効いた部屋で、それぞれの種目、それぞれの立ち位置で力を出し切ろうとする選手が、国内のあちらこちらで大活躍する姿を応援できることは、まさにあの世への手土産であり、人世の贅沢の極みである、と思っている。そして、勝って一緒に嬉し泣き。負けて「捲土重来を期して次を!」と立ち上がる彼を、彼女を心から応援したい。

レベルの違う話ではあるが、小6の孫君が、この暑さに負けるどころか「暑い」なんて言葉を口にせず、必死に投げ、必死にバットを振る姿に重ねて、オリンピアンを眺めるジジバカではあるが、兎に角スポーツを通して、長い人生の心身の骨格を形成して欲しいな、と欲張ってしまう。もちろん、いいことよりも辛いことの方が多いであろうスポーツ人世ではあるが、本人が望むなら経験させてやりたい世界ではある。

勝っても負けて心底楽しませてくれるオリンピック。よくやった!!の声を掛けながら精一杯の応援を贈りたい。

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「ご多忙、4連休!」

2021年07月25日 | 家族・孫話

  

真夏の4連休を有り難がる人も多かろう。たとえコロナ禍ではあっても、この異常な暑さの中の4連休、活用しない手はない。365日連休の我々でさえ気持ち的には「皆さんが少しでもゆっくり過ごせるといいな~」などと思う。

そんな余裕を見せたところへ、倅の勤務に合わせて夏休み中の姫孫二人がやって来た。
「じいちゃん、畑にいこ」「散歩にいこ」「海の公園行きたい」色んな注文が矢継ぎ早に出てくる。
畑はもちろんスイカとトマトがお目当て。海の公園は弁当持参で親から放たれて存分に遊べる。こちらはギラギラ陽ざしも厭わず、カメラ片手に溺れないよう見守り役もしなくてはならない。

幸いにして歩いて行ける近くに、元市営海水浴場であった海浜がある。今は施設も何もないがトイレとシャワーだけはある。厳密にいえば「遊泳禁止場所」の一つであるが、保護者監視のもとの水遊びは大目にみてくれないとねー。というわけで広い砂浜の割には人口密度は極めて低い。保護者は一応マスクはするものの、水に戯れるおさな子にマスクまでは強要しない。格好の遊び場ではある。

ジジの期待の星の孫君は、22日と今日、炎天下のソフトボール公式戦。もちろん応援に。これは暑い。日干しになりそう。でもね、彼らは埃立つグラウンドで一生懸命がんばってるのに、応援団長が日傘をさすわけにもいかず。服装に心配りをしても真っ黒けっけに日焼けして、あちこちヒリヒリ。

暑くてきつくてそして楽しかった4連休が往った。本気でオリンピックの感動を追いかけるぞ~。
やっぱり幾つになっても忙しさとは深いご縁で結ばれているようだ。

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「見納めの五輪開会式」

2021年07月24日 | ビッグニュース

 
        選ばれた者の歓喜の笑顔。日本選手団の入場行進             生涯一回のチャンス 選手宣誓 山形亮太 石川佳純

  
   開会の挨拶、橋本聖子大会組織委員会会長                開会セレモニーを終えて歓喜の花火打ち上げ    

  
   聖火台への階段を駆け上がる 大坂なおみ                  聖火台に点火する 大坂なおみ

  
      紆余曲折、全てを飲み込んで燃え上がる成果の炎         開会式の全てを終了。真っ赤な花火に包まれるオリンピック会場 

2013年にオリンピック・パラリンピックの開催がTOKYOに決まって、手放しで喜んだあの日から8年。「あの時の喜びは何だったのか」と思わせるほど多くのアクシデントがあった。その最たるものが、現在の人知では防ぎきれない不可抗力的な新型コロナ感染症である。
それ以前にも、エンブレムの盗作騒動に始まって、明らかな人為的欠点を数多く出して来た。
それでも、昨夜行われた我が生涯の中で間違いなく最後となる「日本でのオリンピック開会式」を食い入るように見つめた。

再び見ることのないこの映像。ブログにも自らの日記にも再び登場することのない、自国での開会式。私個人としてはこの目で見ておきたかった一大イベントである。テレビ画面を通しての画像ではあるが、拙ブログの忘れ得ぬ1ページとして、ここに画像をとどめおきたい。

当然ながら人並みに、払しょくし切れない一抹の不満も不安も持っている。しかし、世界のアスリートがしのぎを削った結果、勝って涙、負けて涙の感動シーンを分かち合えるスポーツの祭典を、堪能させて頂きたい気持ちは強い。
ここから得る色んな感動、勝負の世界の非情さ無念さ、そういったものを、スポーツにいそしむ孫君にしっかり伝授する勉強をさせて頂きたい。
応援団長を辞任するジジにとって、かけがえのないオリンピック・パラリンピックである。

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「TOKYO2020いよいよ!!」

2021年07月22日 | ニュース・世相

    

開会式を前に、いよいよオリンピック競技が始まった。
昨日のソフトボール、なでしこジャパンサッカーなど、先ずは順調な滑り出しを見せている。
ただ、昨日を迎えるまでのTOKYO2020は、新型コロナウイルス感染拡大に世界中が翻弄される中にあって、数え上げればキリがないほどの紆余曲折を経験した。

それでも時の流れはとどまることを知らず、様々な声が飛び交う中で開会の時を迎えた。タイトルは飽くまでもTOKYO2020であるが、1年の延長があったのだから実質TOKYO2021と呼ぶべきではないかという疑問は持っている。それにしても、4年間という限られた時間の中で、極限まで自らと闘い、自らを高めるためにあらゆる努力を積み重ねたアスリートにとって、さらに1年間の延長とはどれほどきついことだったか。我々には想像もつかない壮絶な闘いであったに違いない。

そんな経過の上で開会が決定した瞬間も、周囲の色んな声のボリュームが大きくて、アスリートの多くが「オリンピックを闘っていいのだろうか」という疑念にさいなまれるケースも少なくなかった。しかし、そこはスポーツ選手という原点に立ち返って、鍛え上げた自らの限界をさらけ出して頂点を目指して欲しい。そこにこそ、応援する私たちの感動の涙を誘う結果が得られるのではないか、そして自らの達成感を味わえるのではないかと思う。

紆余曲折あったTOKYO2020も、鍛え上げた肉体で限界に挑むパフォーマンスを見せてくれることで、少しは救われる部分はあると思う。何をやってもどっちにしても、100%の賛成なんて金輪際ありはしないのだから。ただ、観客として競技や演舞を楽しむ我々には、コロナ感染対策という自らを律する責任と義務を忘れてはならない。コロナ観戦者の数値が一向に下がらない都会に住む人たちは、コロナの怖さを知っているのか?訊いてみたくなる。

先ずは、日本選手の活躍、世界中の選ばれた人たちの活躍に拍手を贈りながら、オリンピックを堪能したい。

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「スイカ三兄弟!」

2021年07月20日 | 晴耕雨読

                        
                                  今年の収穫、スイカ三兄弟 

いい塩梅のお天気に恵まれ、程よい雨に育てられて、スイカが大きく実った。久しぶりの大玉、7.2kgをゲットした。小さく「エッヘン!」かな。

今は大学生になった近くに住む孫兄弟が、まだ小学生だったころには、抱きかかえるのがやっと、といった大玉が難なく?採れていたような気がする。それがここ数年、手抜きがあったり、天候不順があったりして、案外ここまでの大きさにはお目に掛かれなかった。なんとこの大きさ、この重さですぞ。                  
   

二学期の終業式を終えて駆けつけた三男君は、さすがにスポーツ万能で力も強い。7.2kgを楽々持ち上げる。食べたいと言うのでスイカ三兄弟の真ん中を切ってみた。真っ赤に熟れた小玉君。甘みの濃いいい出来映えであった。
と、こんな話をブログで書くほど罪なことはない、というのが平均的ブロガーの常識であり、エチケットだと聞いたことがある。立派なものが採れた、美味しかった。ふ~~ん!それがどうした?全くカンケーねえ話だけを聞かされてもねー。それも自慢タラタラに。こういうのを鼻持ちならんと世間では言うようだ。

分かっちゃいるのに、いっつもそんな話題を取り上げたり、内容の乏しい軽~~い話になって申し訳ない。そこで一つ「なんでこんなに甘くなったか」の蘊蓄をひとくさり。そんなこたー誰もが知ってる常識じゃんか。と言わずに、耳学問で得た知識を素直に実践した結果がこうなった、と言うお話し。家庭菜園でも是非お試しを。
買ってきた苗を大事に植え付ける。活着して新らしい芽を吹き始めた頃、苗の周辺直径50cmあたりに浅い溝を掘って米ぬかを撒いて土をかけておく。たったこの一手間でスイカの味が変わるから不思議。騙されたと思って是非お試しを。言っておきますが、農事百科事典を調べたわけではなく、飽くまでも経験則に従った友のアドバイスを小耳に挟んで実行したまでのこと。効果の保証などありませぬ。

それよりも暑い暑いとニュースのトップで報じられるほどの異様な暑さ到来。週3日のG・Gも年に不足のない仲間の集まり。休む勇気も要るのかな?兎に角、熱中症をなめたらアカン。気を付けたい。

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「世が世なら!」

2021年07月19日 | ニュース・世相

ちょっと大げさかもしれないが、世が世なら今日7月19日は「海の日、祭日」のはずであった。
世界のスポーツの祭典、平和の祭典「オリンピック」の開会式に合わせるために、予定変更。海の日は22日に移動された。それはそれで致し方なし。世界の大きな動きの一つを我が国が受け持ち、実施・進行を決めたのだから。もちろん、それぞれのご意見があって「なんで今オリンピック?」という声があることも十分承知している。ここではそれを議論するものではない。

  
    全長800mに及ぶ広い、白い砂浜におよそ500人の老若男女が、漂着物の回収に汗を流す

  
         砂浜の定点に回収物を集め、チャーターした地元漁業者の漁船で港に運搬、荷揚げ

  
 現場で汗を流し、奮闘する中学生と集めた漂着物。港に積み上げられた約6トンに及ぶ回収物の全量

過去12年、一度も休むことなく続けてきた、わが町の社会福祉協議会主催の「瀬戸内海環境保全大作戦」と銘打った海岸清掃。いわゆる漂着した材木やごみを回収するボランティア活動である。一昨年は台風襲来で中止に追い込まれた。昨年はコロナとの闘いに明け暮れて、中止を余儀なくされた。
この一連の活動は「海の日キャンペーン」として旗揚げして以来、周囲の注目を集め、資金調達にも我々の団結力にも、大きな看板として君臨するほどのメインとなった。

7月海の日の海岸清掃。避けようのない暑い時期であり、参加者の熱中症に怯え、様々な対策を施して尚、おっかなびっくりで12回開催してきた。そんな折、2年にわたって海の日開催が中止となり、秋の終わりに小規模な清掃を実施した。それ以来一気に「夏の開催を避けて秋にしてはどうか」との機運がたかまった。事務局としては渡りに船。熱中症対策という大義名分を得て、今年から11月開催に切り替えることにした。そんな状況の中で、今回の海の日の移動は、痛くもかゆくもなかったが、初代会長の深い思い入れであった「海の日開催」を「秋の日開催」に切り替えたのを、あの世で怒っておられるかも。だが、今日の異常気象による異常高温への対処ということで許して頂けるであろう。

500~600人を集めるこれほどの一大事業である。無事に終わることを願って、身の細る思いで計画し対策を練ってきた。今年からその心配は一つ減った。但し、夏から秋に変更した分、漂着物が大量に増える心配はある。一難去ってまた一難。ではあるが、作業効率という点では涼しい秋を選ぶのが賢明であろう。何をやっても一長一短。運営する側の裁量にも限界はある。そこに協調と協力が全ての原点になるのだろう。 (注:掲載写真は2018年実施の現場風景)

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「夏の華!」

2021年07月18日 | 季節の移ろい・出来事

  
           

昨日も今日も梅雨末期の長雨に祟られて、元気の源、孫君の追っかけ応援の当てが外れた。
止み間なく降る雨音を恨めしげに聞きながら、あれこれを用件を。午睡から覚めると空が明るくなり「お出かけするなら今よ」と雲の切れ間の薄日が誘う。

そうだ!親しき友から、広島県の山間にある見事な睡蓮池のあるお寺を紹介されていた。ただ今日の時間帯ではそこまで足は延ばせない。改めて近いうちに出掛けるとして、今日の場合は近くにある「古代ハスの池」として地域住民が守っている田んぼに隣接する、ちっちゃな睡蓮池を訪ねることにした。こういったものは朝早くがもっと見事であろう、と想像しつつ取り合えずパチリ。

二日間雨に降り込まれた鬱々気分には、この程度でもちょっとした気晴らしにはなる。安上がりだねー。所詮安上がりに出来ていることは誰よりも本人が一番心得ている。
ま、そんな話ではなく、睡蓮と蓮はどう違うのか、これまた安上がりな疑問を持った。特徴的な違いがいくつかあるようだ。
その1、睡蓮はまさしく水面に花を咲かせる。蓮は花茎を伸ばし空中に花を咲かせる。
その2、葉の形が違う。睡蓮の葉は切れ目が入っているが、蓮の葉は切れ目なくまん丸。
その3、睡蓮の葉には斑入りがあるし赤い葉もある。蓮はただ緑一色。

そのほかにも幾つかあるようだが、そんなことはネットを開けば一目瞭然。兎に角、この鬱陶しい季節に泥水の中から可憐な花を咲かせる、睡蓮の健気さに興趣をそそられる。
ちなみに花言葉も探してみた。「清純な心」「信頼」「信仰」とある。この季節に咲くので、もちろん季語は「夏」。などと、誰でも知っているようなことを、ちょっと復習してみたかった。ということにしておこう。

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