「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「神無月つごもり」

2023年10月31日 | 地域活動

                                                               
                    スマホの打ち込まれた11月の当面のスケジュール

今夜を寝ると、今年のこよみの残りが2枚になってしまう。気忙しい師走が目前となる。そんな神無月つごもりは、霜月(11月)の予定をカレンダーやスマホに書き込みを入れる日でもある。まだまだ孫君の追っかけが書き込まれていないので、これから予定欄は益々黒く埋まってくる。

忙しくも充実した頑張らなくてはならない1ヵ月となる。予定の中味は色々ある。もちろん、体調管理の病院行きも数々含まれている。特筆すべきは、肩腱板手術から丸2年経過しているのに未だMARIやCT検査が予定されている。このように、執刀医から完全に守られるのも健康保険と言う制度に守られ安心して医療が受けられる倖せを思わずにはいられない。実に有難いことである。

予定欄に書き込まれた大半は地域活動のスケジュールといってもおかしくない。そのくらいに詰まっているが、これも自分自身の現在のライフワークとして色んな形のボランティア活動に取り組んでいる結果なのだから、やるしかないのである。自分が動けば何かのつながりで喜ぶ人がいるかもしれない。いないかもしれない。たとえいなくても、それらのスケジュールをこなすためには先ずは自分が元気でいなければそのノルマが果たせない。

ときにはドクターストップや、自分自身がしんどくて動けないこともある。出来る限りそんな情けないことにならないよう、健康管理に気を配り、全ての役割を後進に譲って隠居するまでは勤めなくてはならない。それが地域活動でありボランティアなのかもね。

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「秋風揺れて!」

2023年10月30日 | スポーツ・観戦

                   

秋の桜とも書くコスモスの花。色んな場面で色んな形で歌われたり、詩の題材になったりしている。秋の風にゆ~らゆ~ら揺れる頼りなさを感じさせながらちゃんとした1本の茎としてがんばっている、そんな姿が好きな花の一つである。

コスモスの語源は、ギリシャ語の「宇宙」の「秩序」を意味し、コスモスとはラテン語で星座の世界、つまり秩序をもつ完結した世界体系としての宇宙のことである。 というふうにネットで説明されている。分かったようでよく飲み込めない話ではある。ただ一つ知っているのは、コスモスの花芯にある黄色い部分のどれかに宇宙を思わせる星が見えるということである。おひまな方は一度花芯を覗いてみては如何?

別にコスモスの花のウンチクが云いたいのではなくて、秋風にゆ~らゆ~ら揺れるコスモスにも似た立場の人のことを考えてみたい。
プロ野球は日本シリーズで関西球団対決の盛り上がりを見せる中、各チームとも戦力外通告と称する一方的解雇通知が発せられる時期である。
イヤな世の中だね~と思いつつ、そんな残酷な話が現実に起きているのよ。ふる里の星として華々しく加入したプロ野球の世界。順調に成長してゼニの取れる選手になれるのは一握り。大半が5~10年で見切りを付けられる、というか自ら見切りを付けなくてはならない。。

ゼニはグラウンドに落ちている。拾い上げるのはお前の力だよ!って檄を飛ばした監督がいたのを思い出している。まさにその通り、滅多に与えられないチャンスを運よく確実にモノにした人間だけが生き残れる世界。きびしいよね~。それでも夢を追って一回こっきりの人生を賭けてみるのもまた面白い。

今は可能性がないと思っているから「野球をやるのならプロを狙え!」などと勝手なことを言う追っかけ爺ではあるが、本当に高校・大学で活躍してプロの世界が見えた時、いったいなにを思うのだろう。オットット、いくら追っかけ爺とはいえ、孫君のそこまでお付き合いは出来ないし、その心配もないだろう。でもこれはここだけの話で、たとえ練習試合でもこの爺が応援に行けば喜んでくれるし、ヒット1本は打とうと努力してくれる。

身体の痛さや目前の手術の話など一切考えず、体いっぱいに応援してやれる気持ちになりたい。コスモスの花のようにゆ~らゆ~ら揺れているには自分自身なのだとわかった。

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「久しぶりの・・・」

2023年10月29日 | 宴会・会食

                 
                     かつての教え子から記念の花束を贈られる先生方

今年の秋の中でも格別な感じのする小春日和が続く昨今、中でも一昨日、昨日そして今日はまるで絵に描いたような行楽日和であった。
そんないいお天気続きで、長いことふさぎ気味の気分も体調も少し緩んできた。それもそのはず、昨日10月28日(土)は待ちに待った365日ぶりのお出かけの日である。高校の全体の同窓会が国際観光ホテルで予定されていた。

高校卒業20年目にあたる学年が幹事団を組み、運営など内容は幹事団にお任せ。但し、往年の猛者というか高齢の参加者もいるわけだから、幹事年代の独断的な内容に偏らないようにという暗黙の了解は、過去の反省も含めて厳然としたものはある。高校卒業20年目38才の後輩たちの腕の見せ所といった側面もある。ある種ややこしい役回りでお気の毒ではある。

かく云うそれがしも超高齢出席者の一人である。ただこの高齢者は、こういった会の幹事をイヤというほど経験させられたワケ知りでもある。今年度幹事代表と顔見知りと言う偶然も重なっていくつかの相談にも乗って来た。そんなことはともかく、帯状疱疹の痛み緩和の点滴治療を受けながらではあるが、ここは一番スーツにネクタイをビシッと決めて先輩の威厳も示さなきゃならないし、兎に角、1年前のこの同窓会以来のお楽しみなお出かけ・宴会である。こんなチャンスを無駄にしてなるものか、痛さなどはひた隠し何が何でも自分で楽しい時間にするのだ。おおむねその通りになった。

あらかじめ頼まれていたカンパイ発声もなんとか無事にこなした。やはり長年のサラリーマン生活はネクタイ・スーツに身を包むことで気持ちがシャキッとするし戦闘意識が芽生える習性があるのかも。なんだかんだ言いながら、全てを忘れていい時間に浸った昨日であった。

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「河岸の流れの・・・」

2023年10月27日 | 風物詩

  

   ♫ 河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる 顔と顔

           立ち止まり 懐かしいやら 嬉しやら 青い月夜の 十三夜 ♬ 

           作詞 石松 秋に  作曲 長津 義司  唄 小笠原 美都子 

こんな懐メロをご存じの方も多かろうと、自分勝手に思っているが、要するに昭和初期の歌謡界を席巻するほどのヒット曲のはずである。
何故ならば、子供心に耳にして、よくは分からないまま繰り返し聞いているうちに、何となく曲調も歌詞も頭に叩き込まれてしまった。

それにしても今宵の空を明るく照らす、旧暦9月13日のお月さまを十三夜の月と呼び、見るべき価値のある美しいお月さまである。
この月の十三夜の月は、仲秋の名月と同じくらいの気品と美しさがあるのだと言われている。
ヱー?そんな謂れがある月なの?、いつもの月と同じように見えるけどね~ などと言う無粋なご仁は空を見上げないで、テレビでもみてなはれ(失礼!) 

恋知り染めるお年頃のお二人さんが、まん丸いきれいなお月さまの明るさを少し避け、柳の木陰に身を寄せてふと見合わせる顔と顔。ええじゃないですか。一度や二度はあったのかなかったのかな。もうとっくに忘却の彼方の話題だが、歌謡曲の世界では厳然と息づいているのがたまらなくいいね~。

花を愛で月を愛で、雨を風を愛で雪を愛でる。生活に溶け込む自然の移ろいを感じながら、ゆったり生きて行きましょうよ、ご同輩。  

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「冬告げどり!」

2023年10月25日 | 季節の移ろい・出来事

                                                                            
                        紋付き羽織の後ろ姿を見せるジョービタキ

今年もその季節を迎えたのか、隣りの空き地に私流「冬告げ鳥」ジョービタキがやってきた。
几帳面にも紋付羽織姿で「この冬も御社の畑を中心に、この空き地全体を我がテレトリーして使わせて頂きます」と丁重なる挨拶をくれたのかどうか、定かではないが、ここ2・3日前から、相変わらずせわしなく飛び回り動き回っている。

ジョービタキはこの季節に我が家の隣にやってきて、春の終わるころに新たな寒い国を求めて旅立っていく。つまり、彼がやって来ると間もなく冬が訪れる。そんなことから勝手に「冬告げ鳥」と呼んで、少なくとも邪魔をしないよう、できれば住みやすいよう協力している。
四季折々の季節に合わせて訪れる小鳥をそれぞれに「〇告げ鳥」と呼んでいる。春の訪れを告げに来るのは「ウグイス・メジロ」だろうか。

では夏告げ鳥は? ウ~~ン、ツバメかな。そして秋の訪れを告げるのは? 小高い木の天辺から地上を見下ろし、キー・ピーと啼くモズかしらね~。
そう云えば冬を告げる鳥は、ジョービタキを筆頭にツグミ・ヒヨなども冬の畑をチョロチョロするね~。あれこれ思う見るに、所詮季節を告げる鳥は○○などと決まっていないのが現状かな。となれば、自分が気に入った小鳥の名前を付けて、〇告げ鳥と呼んで楽しめばいいということだ。

それにしても冬告げ鳥のジョー君は、どこから飛んでくるのか知らないが、間違いなく我が家の隣の荒れ地にやって来る。顔を見てもはっきりしないが昨年やって来たのと同じか、娘か息子に違いないと思う。それも間違いなくたった1羽でやってくる。相棒はどこか別の空き地でエサを求め、ひと冬越したら、一緒にどこかへ飛んでいくのだろうか。色々分からないことだらけだが、まあ深く追求せず小鳥の想いに寄り添って、そっと見守ってやりたい。

ところで、紋付羽織のジョー君は、それぞれに呼び名があるのをご存じかな? オスはジョビオ。メスはジョビコ(子)っていうんだよ。って聞いたところで、一カ所にちっともじっとしていないジョビオにジョビコ、まともに答えてはくれそうにないね~。

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「霜降」

2023年10月24日 | 季節の移ろい・出来事

                       
                          「霜降」 イメージ(ネット拝借)

今日は早くも霜が降りる季節を示す、二十四節季のひとつ「霜降」であると、天気予報のアナウンスで知った。
自分にとって格別な二十四節季には興味を示すが、それ以外あまりシビアには考えないのがこれまでの生き方であった。それが今日の場合、今日が霜降であると聞いてちょっとびっくり。同時にがっくりうなだれている。

今年はお彼岸を過ぎても異常な暑さが続いた。例年と異なって、冬野菜の植付けが少しは遅くなっても大丈夫だろうとたかをくくっていた。
そしたら、思いのほか帯状疱疹の回復が遅れ、季節は動いても畑に立つ気持ちになれないまま、俯き加減で過ごしていた。やっとのこと二日前から例年通り多彩な野菜のタネを蒔いた。当然ながら鍬を振るって畑づくりにも精を出した。早い話が、冬野菜の種蒔きが終わったと思ったら季節はもう霜が降り始める霜降を示していた。遅きに弑した、ウ~ン残念と言う思いである。

もともと9月の初っ端から崩れた体調の回復が長引くのにつれて、「今年はもう手作り野菜はあきらめようね」などと何度も言いあってきたのに。少し、ほんの少しでも背筋を伸ばせるようになり、胸を張れるようになると、やっぱり何かしたくなる。生産活動をしたくなる。ついつい張り切ってあれもこれも植えてみたくなる。貧乏性は生涯ついて回るんだね~と自分で笑ってしまう。

でも植え終えて軽い汗を拭き、仕上げの手を洗う時は「芽を出してくれよ、できれば大きく育ってくれよ」などと、植える時期が完全に狂っていても願ってしまう。霜降の今日はもう、新たに出た芽が霜にやられないようフォローしてやる季節なのだと分かっていても、つい祈ってしまう悲しい性よ。
しゃーない、今年の新芽への期待はあきらめて、と言いつついつまでたっても芽の出ない畑の周りをウロウロするかもしれないね~。

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「再起を期して!」

2023年10月23日 | 健康イチバン!

                      
                             芳香を放つ金木犀

連日の爽やかな秋の空は、少しくらいの体調の悪さも ❝吹き飛ばせ~~❞ と檄を飛ばされている心地がする。
金木犀が芳香を放ち、深み行く秋を感じさせる抜けるような青空、暑すぎず寒くもない絶好の季節。気持ちはウズウズ、体調はブレーキ。いったいどうすりゃいいのよ、悩んでしまう。悩むことなどありはしない、先ずは体調ブレーキを取り除き万全の状態を取り戻すこと。治療専一に・・・。

わっかっちゃいるんよね~、わかっちょるだけにこんな素晴らしい秋晴れの下では、何とか生産活動をしたいというジレンマに襲われる。
そんな今日は、思いがけないラッキーというか気持ちの高ぶりを覚えた。
今日は検診予約の点滴が予定されていた。昼過ぎに終えて帰り際、病院のすぐ隣にある旧知の友のガレージに車が止めてあるのを確認した。お邪魔していいか電話をしたところ「どうぞ!面白い話があるよ」と、なんじゃろう。

部屋に入ると、思いもかけない川崎に住んでいるはずの同級生の笑顔があった。初めてお目にかかる奥さんも同伴である。
エッ?何で?この組み合わせは。旧知の友と彼は高校・大学の同級生で勤務先こそ違ったが、長い付き合いが今も続いていたのだ。私と彼は、中学時代の同級生で中学校同期会の関東方面からの参加者として希少価値の同級生であり、同期会幹事としては実に有難い存在。しかも、彼と私はくしくも同じ会社の同僚というか、こちらは下っ端、彼は出世コースの偉い人である。ただ、中学時代は本当にくんずほぐれつ、大の仲良しであった。

まさに縁は異なもの味なもの。彼と友は高校時代の出会い。私と彼は中学校での出会い。しかも互いに消息を知る程度の薄い付き合いで、接点など考えられない三人が見事なご対面。短い時間であった楽しかった。急いでいた彼を見送る折り、今度は彼の家にお邪魔する約束で別れた。
こんなことがあるのだから元気でいなくっちゃ始まらない。やはり健康イチバン、再起を期して。友と彼と思い出話に花を咲かせよう。今を盛りと匂いたつ金木犀のように。

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「地域の体育祭!」

2023年10月22日 | カープ一喜一憂

3年間のコロナ禍休みを乗り越えて、4年振りに地域の体育祭が開かれた。
私の住む地域は総人口11000人余を擁する、この田舎にしてはジャンボ地域と言われるほど大きい。その地域を5色に別れて優勝旗を賭けて競技を楽しむ。中学校の運動場には、朝早くから楽しみに駆けつける応援団が陣取る。お酒はご法度だがそれ以外の飲み物食べ物はどうぞご自由に。

 

特に小学生にとっては、自分も参加するが親や兄弟も一緒に参加して楽しめるのがこの自治会体育祭である。学校の運動会とは少し趣が違って魅力があるようで、非常に張り切っている。パン食い競争にも積極的である。
 
       パンク食い競争にダッシュする小学生たち。
 
       必死にパンに食らいついたパンが賞品として頂ける。
そして、地域が一つになって応援に力が入る綱引き大会。小学生女子を3チーム編成して力比べ。これがなかなか、リキが入るのよ(笑)
学年に関係なく一つの集団を作って、顔なじみが連携して綱を引く。見ものである。

ただ残念なのは、過去3年間のコロナ禍休みが祟ってチームを組めない地域も出てきてしまった。
「もうやりたくない」「選手を集めるのが大変」などと負の意見が大勢を占め、結局参加しないことになって5色のチームのはずが4色となってしまった。確かに少子高齢化はこんなところに大きな影を落としている。
ただこれからは、30年この方続けて来たプログラムを何が何でも死守ではなく、人口分布に応じたゆるやかな遊び楽しめる、自治会上げての秋のお花見風情といった、老若男女誰でも参加して、競技に出なくても観ているだけで楽しめる「自治会運動会」にするための知恵と工夫に期待したい。

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「燃えた1年、有難う!」

2023年10月21日 | カープ一喜一憂

                            

1年間、あーでもない、こーでもないと、批判したり共感したり感心したりしながら、テレビの前で肝を焼き焼き応援して来た我が愛しのカープさん。
申し訳ないことながら今年はついに一度も、マツダスタジアムの応援シートに座ることなく終わってしまった。
それでもレギュラーシーズンを2位で終え、あわよくば日本シリーズへ、という夢を見させてくれた。が、それは夢に終わった。

それでもカープ球団の営業成績からいうと、レギュラーシーズンだけで終わってしまうよりはるかに大きな増収増益となったのは間違いない。
所詮プロ野球なのだから勝って営業収益が上がればこれに越したことはない。プラスαを5試合戦ったのだからそれでよしということにしよう。
やはり常道通り、リーグ優勝したチーム同士が日本一を争うのが自然でいい。負け惜しみなどではなく、素直にそう思っている。
そんなファーストステージやファイナルステージを逐一熱心に応援する間に、帯状疱疹の厳しい痛みを忘れている時間が多くなってい
た。これは有難いことであった。何かしら身体を動かしたい気持ちが強くなり、グラウンドゴルフにも積極的に参加した。ほったらかして何も植わっていない畑にスナップエンドウやグリンピースの苗などを植えた。

やはり体を動かしたい、何か生産活動をしたい意欲が湧いて来たのが自分でもわかる。それが嬉しい。痛い痛いで下を向いていては何にもできないし、気持ちが内向きになって、まるでコロナ蔓延の時に47日入院させられたあの時の閉塞感につながる。
ペインクリニックの医師とあれこれ細かな意思疎通ができたことがありがたい。週2回の点滴、大量の飲み薬にはこれぞ闘病という実感を持ちながら、兎に角早い回復を祈って、出来ることはした。気持ちも少しずつ前向きになっている。完治はまだまだ先の話だが取り敢えず病気に負けなかったことをヨシとしよう。

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「バナナは美味い!」

2023年10月17日 | 健康イチバン!

                 

初めてバナナというものを口に入れその味を感じた時「世の中にこんな美味しいものがあるのか」と肚の底から思ったのを思い出している。
小学校に上がる前だったのか後だったのか、それさえ定かでない遠い昔の話でであるが、親戚筋の伯母さん夫婦がハワイから帰省したときにオミヤゲとして頂いたものであったと思う。まだまだバナナなんて、そこにもここにもある小さな雑貨屋さんでは売っていなかった。かなり成長した時分にようやく高級果物店で売り始めた舶来品で、貧乏人に買える値段ではなかったようだ。

そんな高嶺の花の美味しいバナナも、歌になり労働者を励ます役割も果たした。そしてようやくどこのスーパーでも軽トラ野菜市でも売られるようになった。値段もお手頃、リーズナブルになってきた。便秘気味の方にはしっかり召し上がって頂くと便秘薬が要らない、という側面も持っている。

この頃では我が家の食卓の片隅にいつも乗っかっている。一本全部は食いにくくても半分とか三分の一くらいならいつでもいける。
目下、帯状疱疹の後遺症でペインクリニック内科にお世話になっているこの身は、手のひらに余るほどの薬を処方されている。朝食後はホルモン治療薬も含めると10錠、昼食後は半分くらいそして夕食後は9錠そして寝る前に4錠。まさに薬漬けだ。ほとんどスンナリ飲み込めるが、ときには喉に引っかかった感じがすることもある。そんなとき手を伸ばすのがバナナ。しっかり噛んで飲み込みさらに白湯を流し込む。

こうやって日々神経痛のような痛みと闘っているが、なかなか完治は難しいようだ。それでもしばらく点滴を続けながら薬を飲み続ける。
あの、この世にこんな美味いものがあるのかと思ったバナナが今手許にあふれている。

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