「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「人の見上げる」

2016年04月29日 | 季節の移ろい・出来事

           

青葉若葉が目に染みる季節と言われる中で、まさに絵に描いたような絶好のお天気。
柔らかな緑色に映える薄紫のフジのはな。その向こうには濃いピンクの山ツツジ。絶妙のコントラストが心憎い。
どこにでもあって格別な風景ではないのだろうが、今この限られた時季でしかお目にかかれないとなれば、やはり今年は今年の景色として目に収めておきたいと思う。

開いた花弁は上向きに、花房全体は一様に揃って垂れ下がり下を向いている。でもそばに寄るだけで独特の匂いを放つ。
強引に人目を引く色濃さも持ってはいない。むしろ少し頼りない淡さを秘めている。なのに人から見上げられるフジのはな。
同じ花でもその生きざまは色々だねー。 そこで “さがるほど 人の見上げる フジのはな”
時には少し肩をすぼめて生きる様も悪くないような。

そんな公園に咲く花を愛でて、多くの人出でにぎわう錦帯橋祭りに足を運ぶ。
河川敷に広がる骨董市や、単なる古ものを並べたような露天商を冷やかし、メダカが卵を産み付けるという手作り根城を買った。 

   
     賑わう骨董市                     錦帯橋を渡る大名行列

錦帯橋祭りのメインともいうべき「奴道中、大名行列」を眺める川土手に陣取る。
広島から来たというおばちゃんに、一方的に錦帯橋のうんちくを少しだけ披歴。あまりいい反応ではなかったような。
そして思うのは、祭りのスケールが年々小さくなっているようで心もとない点である。

「錦帯橋を世界遺産に」と叫ぶ声がある割には、こういった観光イベントのプロデュースがイマイチのような。
市観光課や観光協会などが中心の実行委員会なのであろうが、今少し努力が欲しいという気がしてならない。

派手さを競うのではなく、フジの花のように地味でもいい。下を向いて垂れ下がっていてもいい。
が、あの匂い立つような独特の香りを放ち、「楽しい祭り」と地元の人も見上げるような祭りになってくれるといいのだが。

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「ショートショート自分史」

2016年04月27日 | 趣味・・エッセイ

               
                 なかなか捨てられずにしまってあった、使い古しのシェーバー   

新たに買ったために要らなくなった古いオーブンレンジと扇風機を処分するよう頼まれた。
こういった不要の電気製品や金属類を無料で回収している業者が、わが家のすぐ近くにある。
仰せに従って回収業者に持ち込もうと、重い腰を上げたときにふと思い出した。

洗面所にある背高戸棚の引き出しに、古ぼけた電気製品が眠っていることを。
こちらも「そろそろ処分したら?」と催促されて数カ月が過ぎた代物である。
戸棚の引き出しに眠る古ぼけた電気製品とは、ここ10年ばかり愛用してきた歴代のシェーバーたち5台。

思い切って処分するに当たって、このたび買った最新鋭のブラウン製も並べて記念写真を撮った。
これで一区切り、思い切って業者に持ち込むことにした。
何故にここまで、古ぼけたシェーバーを処分するのに未練をおぼえるのか。

高価な品、衝動買いの安物。値段はともかく、使用期間はそれぞれ多少異なるが、少なくとも2年くらいは毎朝愛用したものばかり。
出勤前に、お出かけ前に、顎から頬にかけて、念入りにシェープアップする小道具として必要欠かせない、男前を上げるグッズである。
しかも、「こいつはヨーロッパに連れて行ったヤツだ」「これは安物だが随分重宝したなー」、などと一つひとつに何かの物語や思い出が刻まれている。およそ10年くらいの短い期間であろうが、これらの5台はいろんな日々を眺めてきたのであろう。

毎日の日記に象徴されるショートショート自分史。色々書き留めた随筆系のものや、頭を悩ませた小論文的なものを連ねて作り上げる自分史。
色んな形がある自分史ではあるが、この古ぼけた、処分するしかないシェーバーにさえ、短い短い自分史を重ねることは出来そうである。

そんなわけで、案外簡単に処分するのがつい惜しくなったりする。でも思い切って回収業者に渡そう。思い出は引き出しに残して。

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「あかしろきいろ」

2016年04月23日 | 地域活動

  
       岩国吉香公園牡丹園に咲く乱れる、あか しろ きいろ の見事な牡丹

定期的に里帰りする2歳10ケ月になる孫娘ののぞみさん。じいちゃんとのお散歩が大のお気に入りである。
ようやく歩き始めたころからお手々つないで、田んぼの広がる田舎道を歩くと、いろんな花が咲いている。
「ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ・・・~」から「さいた さいた チューリップのはなが・・・~」まで、いろんな歌を歌いながら歩いた。最後の「あか しろ きいろ」というフレーズが特にお気に入りだったようで、何度か繰り返し歌ったりした。

時や良し、最高に咲き乱れているであろう岩国吉香公園の牡丹鑑賞に足を運んだ。
あのころ、のぞみさんと手をつないで歌った通りの光景が広がっていた。まさに、あか しろ きいろの牡丹が満開。
約850㎡という、決して広くはない「吉香牡丹園」ではあるが、50品種500株が大輪を競う様は見応えがある。

それぞれ一株ごとに特殊な名前が付けられていて、とても覚えきるものではないが、その名前と花の形を見比べると「どんな人がどんな意図で命名したのだろう、などと花の向こう側への思いが募る。
それに、普通は花の名前や魚の名前などは、カタカナ表記をしたくなるし、その方が正しいという説が主流である。
そんななかで、この「ぼたんの花」だけは「ボタン」とカタカナ表記するより「牡丹」と漢字表記の方がぴったしくる感じがする。

漢字表記することで、別名を『富貴花』『百花の王』などと呼ばれ、日本古来の花として重宝され愛されてきたことがうなずける。
ときに漢字表記も、そのものの奥深さを呼び覚ます効果をもたらすものだ。
ちなみに、牡丹の花ことばは、「王者の風格」「富貴」「恥じらい」「高貴」などである。

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「惜しいな~」

2016年04月21日 | おせっかい

                

十数年来、この季節を楽しみしてきた仲間がいて、一日をゆっくり楽しむ恒例行事があった。
名付けて「藪の中のクラス会」。
竹藪を持つ同級生のもとに、気の置けない仲間が集まって、タケノコ掘って茹で上げる。その間、ワイワイガヤガヤの酒盛り・BBQに打ち興じる。
上手に鳴くウグイスの声がかき消されるほどの賑やかさ。

始めた時は男ばかりのたった3人であった。
1人増え2人増え、最高は男性5人、女性5人、合計10人の大所帯にふくらんで、数年続いた。
女性群は前日からスーパーに買い出しに行き、お昼ごはんやBBQの準備に追われていた。

あれから14年の歳月。ピークの頃から言うと、逆に1人減り、2人減り始めた。
今年に至っては、最初に始めた当時の男3人と女性が1人。なんとか4人残ったという寂しさを味わうしまつ。
別段誰が悪いわけでもない。強いて言うなら悪いのは歳月という時の流れか。
それぞれに歳を取ったということなのだろう。本人の病はもとより、連れ合いの看護が必要になった人もいる。

そう考えると、実質15回目の薮の中のクラス会を迎えられた我々3人は、元気をもらっている親や、お天道様に感謝すべきなのだろう。
来たくても来れない体調不良を抱えるのは、本人も家族も辛いことだろうと、容易に想像できる。
特に今年は、その日がなんと最高のタケノコ日和。うららかな青空に、藪を通り抜けるそよ風の気持ちいいこと。
しかも「美味いものは小人数」という。シシ肉のBBQをたらふくご馳走になった。
一方で、「仕事は大人数」と言われるように、掘る・皮を剥く・茹でるの一連の実労働は、人数が少ない分、手間もかかるし負担も大きかった。

それでも、来られない仲間の気持ちを思うと、まだまだこの歳でこれほどの楽しみをキャンセルとは「惜しいよの~」と思ってしまう。
なんだかんだ言ってもやはり、人並みな元気と体力を維持できていることは感謝以外の何物でもないような。

さて来年は・・・?いったい何人が集まれるのだろう。そういう自分こそ気を付けなければ。
「あいつも来れなくなったの? 惜しいな~」 などと言われんように・・・。

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「ちょっと足を延ばして」

2016年04月14日 | 旅行・レジャー

             
                        桜の、国宝松江城 (2016.4.9 撮影)

高校に進学した孫兄ちゃんの入学式に参列した折、予定した行事は午前中で全て終了した。
お天気は最高、桜もまだ見頃。そのまま真っ直ぐ帰るには少しもったいない気持ちになった。
朝早く起きて、153kmという長距離を運転してきたのだ。飽くまでも本命は入学式参列である。その要件をクリアーした後は自由時間にさせてもらってもお咎めはないだろう、と勝手に決め込んで・・・。

兄ちゃんの学校から日本海側を目指して、国道54号の一般道路をひた走る。約70kmばかり走って宍道湖畔に出る。
そこからさらに松江市を目指して数キロ。目標の国宝に指定された松江城に到着。カーナビが迷うことなく道案内してくれた。
花見客で狭くなったお城前広場を、桜を眺めながらそぞろ歩き。見上げる天守閣は、黒を基調にした重厚感あふれる見事さ。

どうしても一緒に行きたいというカー君の希望に合わせてゆっくり城内見学。
コンクリート造りの岩国城では味わえない、古きよき木造建築の粋を見せつけられる。柱の1本1本にも深い趣を感じながら。
国宝に指定される決め手となった、2枚の「祈祷札」が打ちつけられていた箇所や、兵糧攻めに対応する城内の井戸など、しかとこの目で。

『弁当忘れても傘忘れるな』と言われるほどに、曇り空、雨や雪の多い山陰地方。
それでも、宍道湖や日本海に近づくと、雪の量も多少は減るのだろうか、道路わきの雪の深さを示すポールが見当たらなくなる。
兄ちゃんの学校に行くまでには、間違いなく道路両サイドに紅白のポールが立っていて、積雪量がひと目でわかるようになっている。
学校から数十メートルの位置に、スキー場がいくつもある雪深いところ。

縁あって島根県を身近に感じるようになった。その代表が松江城、というわけでもないが、「一度はご覧なさい」と言っておこう。
一日の走行距離としては過去最高の460km。いささかお疲れ。翌日はお尻の周りが重かったような。
でもそんなことを言ってはいられない。いつ応援に駆け付けることになるのやら。
兄ちゃんのいない寂しさを一番感じているのは、ほかでもない「おとうさん」と、娘が笑う。

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「ピッカピカの1年生」

2016年04月11日 | 家族・孫話

     
    入学式後の記念撮影。心なしか表情が硬い        教室に入っても、やや緊張の面持ち

絵に描いたようなピッカピカの1年生。
孫三兄弟の三男坊、悠雅君がいよいよ小学校に入学した。この世の中で誰よりも大好きな「かあさん」に手を引かれて。
あれほどやんちゃでマイペースな彼も、今日ばかりはいささか緊張気味。あの柔和な笑顔もあまり見せない。
普段はわざとそっぽを向いたりして、良いポーズではなかなか写真を撮らせてくれない彼が、こちらの要求に応じて気持ち良く写真を撮らせてくれた。これも、気持ちの中にある緊張感と少しの寂しさが、ジジの存在に安らぎを求めたのかもしれない。

新1年生40人。それを2クラスに分けて20人ずつという、ある意味贅沢なクラス編成。悠雅君は1年1組、出席番号10番。
♪♪ いちねんせいになったら~ いちねんせいになったら ともだち100人できるかな・・・♪ の音楽と拍手で迎えられ入学式会場へ。
型どおりの入学式に続いて、クラスごとに保護者を交えた記念写真。ここでもまだなんとも表情が硬い。
無理もない、今日顔合わせした子らとは初対面ばかり。同じ幼稚園で過ごした子は一人もいないのだという。

そこら辺りが、どうも普段の彼らしくない緊張感をただよわせていたのだろう。
彼なりに小さな胸を痛めているのかもしれない。それもほんのちょっとの間であろう。すぐに慣れて大騒ぎするに違いない。
ちょっと袖丈の長い感じの制服もすぐにピッタシになるほど成長の早い時期である。どんな成長を見せるのか、本人よりもこちらの胸がワクワクする。5月の終わりには運動会も予定されているという。体育会系はお手の物。これも楽しみに待ちたい。

入学式といえばその昔、娘が入学するときに、折悪しく母親が病気入院中のため、父親の私が会社を休んで、ビシッとスーツで身を包み勇躍娘の手を引いて校門をくぐった。子どもにとって男親の無力さを感じたのが、紛れもなくその時である。
いっくらお父さんがスーツにネクタイで身構えても、入学式の母親の絵羽織の前には形無しであると感じたものだ。

あれから30数年。母親の絵羽織などただ一人お目にかかれなかった。
それどころか、和服のおかあさんはせいぜい一人か二人。様々な色柄の気ままな服装が目立つ。
来賓出席者の黒礼服が浮いて見えるのは、気のせいだろうか。そんなことは大目に見るとして、子育てだけはしっかりしてもらうことを祈りたい。
3月1日から始まった一連の卒業式、4月に入っての入学式。春の別れと出会いの立会が一通り終わった。

ガンバレ!などというとヒンシュク物かもしれないが、人は人、我が孫にはやっぱり、ガンバレ悠雅君である。 

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「真新しい詰襟」

2016年04月10日 | 家族・孫話

             
                一人ひとり名前を呼ばれて、校長先生から「入学許可」

初めてこの手に抱いた孫。
嫁いだ娘夫婦が我が家の近くに新築して引っ越してきたのが16年前。間もなく第一子が誕生した。
それが、私たちにとっての初孫、ことし15歳。高校入学という大きな節目を迎えた、孫兄ちゃんである。

持ち前のバイタリティと、天性のバランス感覚を、早くに見出したお父さんの影響もあって、幼いころからスキーを始めた。
小学校6年から3年間、冬休みの2週間は全て、夕張レーシングチームの強化合宿の一員として北海道で過ごした。
親許でのクリスマスもお正月もない、他人の中での3年間が、彼にとってはさほど苦にはならなかったのだろう。
高校は「できればスキー部があって、本格的に練習できるところに行きたい」という夢を膨らませていたようである。

念願かなって、島根県の、スキー部はもちろん全寮制を持つ県立高校になんとか入学できた。
宍道湖から山間に向かうこと約70km。広島県三次市から約40㎞の、スキー場が至る所にある、まさしく山間地。
冬場には雪が多くて交通も遮断されることもあるという町。これも自らが選んだ高校。住めば都になっていくことだろう。

学校に通じる道路には、至る所坊主頭立っていて、クルマに向かって慇懃に頭を下げ「おはようございます、こちらへどうぞ」と、心地よい誘導をしてくれる。何人の前を通過したろうか、決められたスペースに案内され駐車した。
坊主頭の大声を憚らない、極めて礼儀正しい彼らは、全て野球部員ということだった。
雪深い山間部の高校で野球部?という素直な疑問を持ったが、いつかは甲子園目指して練習に練習を重ねているということだった。

                             

スキー留学を受け入れる高校というばかりではなく、意外とと言っては失礼だが、多様な教育理念を持った普通高校である。
進学にはもちろん重点を置いており、女子寮も完備してあるという。
駐車場でのちょっとした立ち話の中でも「滋賀・神戸・京都・東京」といった遠方から来た保護者と言葉を交わした。
こりゃ困った、兄ちゃんは学力で付いていけるじゃろうか・・・などという心配が出てきた。

まあいい、15才から22才くらいまでの花の青春を過ごす中で、自分の本当にやりたいこと、本当の夢を見つめてくれればいい。
周囲にいるいろんな人との交流の中で、自分を見つけ出す日は来るのだろう。
親許を離れた寮生活の3年間。食べ物の好き嫌いをなくし、どれほどの成長を見せるのか。夢は膨らむばかりである。

女子は近代的なブレザーが制服となっていたが、男子は昔ながらのガクラン、詰襟であった。 ガンバレ、にいちゃん!! 

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「咲いた桜も」

2016年04月06日 | つれづれ噺

             

日本中をあげて満開を待った桜花。ご当地錦帯橋周辺では今日あたりがピークだったような。
まさに満開。真白く咲き誇る見事な桜は、毎年のことながらやはり目に焼き付けておきたくなる光景ではある。

ピークを迎えた桜は、早くも散り際を心得ているかの如く、穏やかな春の風に誘われ、ひとひらひとひら花びらを舞わせ始めた。
   “ 散るさくら 咲いたさくらも 散るさくら ”
人々に待たれて花開き、さかずきを手に見上げられ「きれいね~」と褒められる。花見弁当の味をさらに美味しくさせる効用をもたらす。

但しそれもほんの束の間。咲いた桜は、見事に散りゆくさまもまた、美しく潔しとして讃えられるのである。
人間もまたしかり、人生に花を咲かせたら静かに散り際を待つことになる。
その時を静かに待つ段階になったのではないかと気掛かりな、近しい人のお見舞いに行ってきた。
これまでもおよそ月1回のペースで見舞ってはいたのだが、今日の場合、少し気が重くなる感情を捨てきれずに出かけた。

今年の1月3日、満104歳の誕生日を迎えた叔母さん。
3月初めにちょっとした風邪をこじらせて、悠々自適の介護施設から、高齢者対象の病院に入院を余儀なくされた。
私たち夫婦の顔を見るなり「あんたらーの顔を見るのが一番うれしい」などと、はっきりした言葉で歓迎される。
でも、ベッドに寝たきり、点滴2本のチューブに繋がれている。ホンの一口の差し入れも持参できない状況の中で「あんたのお作りる寿司が美味しかったね~」としみじみカミサンに言う。本当はわざわざこしらえてでも我が家の寿司を一口食べてもらいたいのだが。
今そんなことをすれば、たちまち面会お断り、入室禁止などのペナルティを受けることになる。

出された昼食はゼリー状の流動食が少々。それを看護師さんが食べさせる「いまはいらん」といって食べなかった。
「今は11月かねー、もうちょっとで正月がくるんじゃろ?」と、これまでにはなかった季節感にさえズレが生じて来たような。
無理もない。テレビも新聞も、いわゆる世の中から隔離されたような寝たきり生活なのである
「今は4月で、桜が満開よ」というと「あんたの孫も進学かね」と、一気に現実に戻るあたりは、まだまだ以前のままの叔母である。

こんな会話を何度となくおふくろと交わしてきただけに、なんとなく目頭が熱くなったりする。
この病院での最高齢を誇る叔母さん。もう少し、いやもっともっと生きていてほしい・・・と欲張ってしまう。
さくらは満開になれば必ず散り始める。叔母さん桜はまだ満開になっていないことを信じながら、病院を辞した。
来年もまた桜の話をしたいもんじゃね~。

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「春本番」

2016年04月03日 | 季節の移ろい・出来事

                
                   我が住む町の春本番は天神祭りから

我が住む町の、春本番を告げるのは「天神祭り」からと言われている。
少し離れた場所に2カ所の天神様が祀られており、それぞれに地域の鎮守様として崇められ、総代会によって守られている。
この時季によく降る雨に邪魔されることもなく、今年は二つの天神祭りが、土曜・日曜に分かれて順調に執り行われた。

かつては、15自治会くらいが競争で山車をこしらえ、出来栄えを自慢し合ったものだ。
山車を引っ張るのは、長いロープにまとわりつく子どもたちの晴れがましい姿であった。それほど子どもたちがあふれていた。
次代の流れとともに、子どもの数は減り、山車をこしらえる自治会の数も減った。

それでも、地域の春の始まりは天神祭り。山車の台車はエンジン付きの軽トラックが主役になって、引っ張る労力があまり必要でなくなった。
淋しい光景ではあるが、どこの自治会でも子どもたちは引っ張りだこ。自分の自治会が山車を作らなくても、どこかの自治会に入って、「祭りに参加した」という満足感と思い出は残してやれるようである。「祭りの法被」を着た老若男女のはじける笑顔も昔のままだ。

できることなら、二つの天神祭りどちらにも出向いて声援を送りたいと思う。
が、4月の最初の日曜日は小生にとっても大切な一日となる。否応なしに片方の天神祭りは失礼することになる。
会社OB会の「歩こう会」と名付けた、定年退職者による大花見が、錦帯橋近くの公園で繰り広げられる。
今年は115人の参加であった。

どうかすると一次会は形式的な参加であり、問題は如何にいいメンバーで二次会に繰り出すか。
今年も気の置けない仲間と、満開の桜のもとで楽しい二次会に興じた。
これで個人的にも、花の4月を心置きなくスタートをした気分である。

何かにつけて「節目」という区切りを付け、それをステップにして新たなファイトを生み出す。
言わば、何か行動を起こすときの掛け声みたいなものだろうか。いよいよ春本番!!

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「雨の花見、決行」

2016年04月01日 | 旅行・レジャー

           

いよいよ4月。新しい年度の始まり。
多くの人がそれぞれに、新たなスタートを迎える節目の月でもある。桜も本格的な見ごろを迎え始めた。
我が家の、というかジジが勝手に思う「我が家の星☆☆」二人も、高校・小学校へ入学し、新たな体験が始まる。

4月1日。今年最初の花見を計画した日である。なのに朝から止む気配のない雨がしっかり降っている。
出来るのかな~。冷たいビールが美味しく呑めるんじゃろうか。
兎に角幹事殿にお伺いを立ててみた。「やりましょう、えらく消極的じゃないですか」と、挑発的なお言葉を。
ヨシッ決めた、行くぞ~。““ 一度決めた~ら~~♪♪ ””
冷たい缶ビールと買い求めた花見弁当におつまみを、クーラーバッグに押し込んで、バスに揺られて目的地へ。

「やっぱり、桜は錦帯橋が一番よー」と意気込んで錦帯橋河原に降り立ったものの、雨は弱まる様子も見せない。
本来なら12・3人は集まるはずが、たったの5人。それでもやると決めたお花見は絶対にやるのだ。
但し、いくら頑張っても青天にシートを敷くような空模様ではない。桜の木の下での宴はあきらめざるを得ない。
それでも「やっぱり辞めましょうか」という声は出てこない。
幸い河原には、テントを張って花見座敷もしつらえてある売店が数軒、軒を連ねている。

交渉の結果、人数分の貸し切り座席で席料実費でOKということで、ついに始まった。
幹事殿肝煎りのワインでカンパ~イ。これがなかなかイケる。淡いピンクの桜に真っ赤なワインが似合っているのだろうか。
やおら持参の缶ビールもプシュッ!これはこれでやっぱりうまい。
雨であろうが外で出来なかろうが、花見は花見。人数に関係なく盛り上がって、当初の目的を達成した。

今年初めての本格的花見。何がよかったのかと聞かれれば、“天候に惑わされることなく、お酒がおいしく飲めるのは元気な証拠”
という確信を得たことである。新しい年度を迎えて、また向こう1年、この元気さで乗り越えたいものである。

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