「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「大晦日、大つごもり」

2018年12月31日 | 季節の移ろい・出来事

   
           にぎやかなもちつき。5歳半と1歳半が大喜びで餅をこねて(12月30日)

いよいよ数時間で、30年に及んだ平成時代最後の年が終わりを告げる。
昨日が晦日、今日は大晦日。昨日がつごもり、今日が大つごもり。年越しそばも大賑わいの中で頂いた。

ここ数年、自分でもよーわからんままに、ただ時間と追いかけっこして負かされて、ぐったり落ち込んだり。されど再びムックリ起き上がって、マイペースな時間を見つけて少しだけはしゃいだり。年齢の割には元気なんだね~などと自分で自分に少しあきれたり。

そんなこんな色んな事が持ち上がり、なんとか消化する。また新たなことが持ち上がる。気持ちを整理したり、時に応援団を作って力を借りて乗り越えたり。順不同で頭をよぎる数々のシーンが、今思うとやはり自分にとってマイナスではなかった、と思えるのは少し嬉しい気がする。

来る年のために布石を打った計画もある。これまでの繰り返しの役割もある。自分自身で突っ込む自己研鑽もある。なにかををやってないと限りなく不安になる性分は、いつからこうなったのか、いつまで続いていくのか、自分でもよーわから。わからんから面白いことだってある。

大晦日の夜もだいぶん更けてきた今、新しい年に向けて改めて思うのは、兎に角人間はいつだって、どこに立っていても座っていても一人じゃないよってこと。必ず周囲には、賛同者、反賛同者含めて様々な人がいる。自分に視線を投げかけている人がいるということ。少女趣味と嗤われてもいい。さっき開けたばかりの大吟醸の勢いを借りて、少し勢いづいたのかもしれないが、そんなことを思う年の瀬である。

この一年間、飽きもせずお付き合い、お引き立て賜りました皆様に篤く御礼申し上げます。来る年もまた、皆様の寛大なお心でよろしくお付き合いのほど願いあげます。

皆様にとりまして、素敵な年明けになりますようお祈り申し上げます。

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「晦日、つごもり」

2018年12月30日 | 季節の移ろい・出来事

          

平成30年もいよいよ、晦日、つごもりを迎え、残すは1日のみとなった。
晦日とは、云うまでもなく三十日のこと。つまり月の30番目の日で、月末を言い表す。もう一つの呼び方でつごもりは、月の光が隠れて見えなくなる頃のことをいう。陰暦の月の終わりごろ、と説明されている。
そして明日は12月31日で大晦日であり、大つごもりとなる。

手製のしめ縄に、自前で調達したウラジロやユズリハ、御幣(紙垂かみしで)などの飾りつけをして玄関に掛けた。来年の年神様が早めにご降臨になって、人の住む家々に入り込み「神の棲む領域として、災難や穢れを家に中に入れないよう守って下さる」という、古来の風習や伝統の謂れを護った。仏教徒の神道信仰である。さほど深い意味を考えているわけではない。早い話が、苦しい時の神頼みである。

そんな理屈はともかく、正月松の内くらい、玄関を出入りするたびにホンの少し気持ちを新たにするのもいいものだ、といった程度のお飾りということ。それに、地元の小学生相手に「しめ飾り教室」をする立場としては、やはり自らの手で作って飾るのが筋というものだろう。

色々あった一年も、過ぎてみるとあっと言う間であったような、それでいてもう少しやれることがあったような・・・。どうしても積み残しがあった感は否めない。もっとも、過ぎ去ってから振り返る今となっては、何もかも過去であり、手の届きようもない遠くへ飛んで行ってしまっている。それでも、もう一歩踏み込めない何かがあったような心残りはある。

何年生きても何回お年の瀬を迎えても、やはり考えることに大きな違いはない。同じようなことを繰り返し、同じようなことで後悔したり、一人合点でほくそ笑んだり。
そんなことの繰り返しでまた、今年もさら~~っと一年を振り返ってみるが、年相応に進歩しているかというと、そうではない。むしろ年相応に物忘れが激しくなったのか、恥ずかしい部分が記憶から抜け落ちている部分もあるような。

それもこれもひっくるめて、76歳の1年間を無事に過ごしたということか。
『元気に生きてるだけで大儲け』という人生もあるよね~。いよいよ今年も明日一日を残すのみ。

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「プロ野球選手の手ほどき」

2018年12月29日 | 家族・孫話

   
      清水優心選手とツーショットのはずがスリーショットに!

今年もいよいよ暮れの押し詰まった今日。プロ野球日本ハムの清水優心(しみずゆうし)選手が、孫の悠雅君が練習するソフトボールのグラウンドに姿を見せた。約1時間ばかり、キャッチボールや軽いノックなどを子どもたちと楽しんでくれた。現在22歳の彼が、10年前にはこの「灘オールスターズ」というチームのキャッチャーで活躍していたご縁で、帰省方々遊びに立ち寄ってくれたのだという。

清水選手は、1996年5月22日生まれの22 歳。 身長 185cm、体重88kg、右投げ右打ち。 出身地は 山口県周防大島町。九州国際大付高から2015年ドラフト2位で北海道日本ハムに入団。今年は活躍が認められて、1000万円のアップで年俸2000万円選手の仲間入り。地元大島には、両親と二人の弟がいるという。

「小学5年の時の彼は、すでに仲間より頭一つ背が高く、肩がめっぽう強いキャッチャーであった。どうかすると座ったままで、ファーストへノーバウンドスローが出来ていた」と話してくれるのは、清水選手も育てた監督歴20数年を誇る、現在の監督である。かつてはこのジジも「壮年ソフトボール同好会」でこの監督と同じチームの仲間であったのだ。若いころを知る彼とは、互いに思い出話を語る中。孫の悠雅君がそこそこに活躍してくれるのでジジの鼻も少し高め。監督の目に留まっているようだ。

そんなプロ野球の売り出し中の現役バリバリのキャッチャーが球を受けてくれる。投げる方は力が入りすぎる。軽いノックをされても、いいところを見せようと張り切りすぎてポロポロこぼしながらも、彼らの仲間からプロ野球の選手が出たということは、誇りであり、夢のような話であることに違いない。監督はじめ、コーチも選手らも、生涯の思い出に残る1日となったようだ。

    
     後列左端デッカイ男が清水選手。前列右から4人目悠雅君。

記念の集合撮影にはもちろん、選手一人一人の家族とともに写真もOK。
今は、彼の腰くらいまでしか身長のない悠雅君。それでも応援団の希さんは、ちゃっかり悠雅君に寄り添って、清水選手とスリーショット。やはりこの子らの将来に期待してみたくなる。

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「仕事納め」

2018年12月28日 | 季節の移ろい・出来事

           

人並みに、1年を締めくくる「仕事納め」を、今日無事に果たしてきた。
などと言っても、他人から見れば、個人的な趣味の延長と言える程度のことかもしれない。しかし、ホンの僅かではあっても、確定申告に記載の義務を負う報酬を得ているからには、やはり仕事と言っても問題ないだろう。

今日からしばらくは、仕事という面では完全休養である。やはり何かしら解放された気分に浸れる思いはある。
正月明けたらまた、新年を寿ぐ行事などの現場に趣き、そこで活動する人、世話をする人たちの笑顔や悩みに寄り添い、今後の希望や展望を訊き、その思いを多くの皆さんに知らしめる役割に精を出すのである。

仕事納めといえば、かつて本社勤務をした折、東京近郊の有名印刷所や出版社に年末の挨拶回りを丸々2日かけてして来たのを懐かしく思い出す。行く先々で、先方の営業部長さんや人事担当者の応対を受け、型通りではあるが慇懃な挨拶を交わす。席上この1年間の市況の動向や業績などの世間話に、時として我が社の製品の品質動向に話が及んだりして、顧客である先方の本音が聞かれ、思わぬ収穫を得ることもあった。たとえ社交辞令的な年末挨拶とは言え、先方は大切な大口ユーザーである。意向をいち早く正確に工場にフィードバックするのが役目の人間にとって、何一つおろそかにできない緊張感のある年末挨拶巡りであった、と記憶している。

そんな硬い話はともかく、あれこれあった1年の仕事を収め、餅を搗き、正月飾りに精を出した。ゆったり気分で、間もなく終わる今年を見送ろう。
そして来る年に向かって、ささやかではあるが新たな目標を立て、少しだけ気合を入れて挑戦である。
一にも二にも健康あってこその話である。「あんたは元気じゃね~」と言われる喜寿を楽しみたい。

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「蝋梅香りて」

2018年12月26日 | 季節の移ろい・出来事

   

       蝋梅の 香り和菓子の 味がして      辻村 拓夫

       蝋梅の 挟みの音に こぼれ落ち      岸 洋子

一昨日訪れた、長年の付き合いの友人宅から、咲き誇る蝋梅の枝をもらって来た。
気のいい奥さんが、「好きなだけ持って帰って」と、のこぎりと剪定ばさみを差し出してくれた。
確かに大きく枝葉を張って、それはそれは見事な枝ぶり。花の量も半端ではなく、その芳香は思いっきり鼻孔をくすぐる。

花ビラがまるで職人芸の蝋細工みたいな質感があり、形状が梅に似た花が咲くところから、蝋梅と名付けられているが、実は梅の一種ではないことを、この歳にして初めて心得た。
植物図鑑の話ではないのでどっちでもいいようなものだが、蝋梅はクスノキ科ロウバイ属の広葉の落葉低木の一種と分類されている。

お正月を目前にして寒さが募り、花の少ないこの季節に、寒空に向かって凛と咲き、放つ芳香はその存在感をアピールしている。そんな価値を秘めているのに、花は控えめでややうつむき加減に咲くところがまた良しとされているようである。
ちなみに花言葉は「慈愛」「優しい心」「先見」「先導」などというのだそうな。

玄関の一輪挿しに挿せば、それなりの存在感を示す。大きな枝を大きな花瓶に活ければ、それはまたそれなりの華やかさと、得も言えぬ香りが見る人を包み込む。
このように考えてみると、我が人生の師匠と言おうか、理想的な生き方にも似た花であり、花ことばである。

だんだん鈍りがちな感性は、時として飽きられて来ていることを知らないわけではない。
小学生の作文に毛が生えたような、独りよがりにならないよう気を付けたい。そして今さら無理かもしれないが、歓声を浴びるに値する感性を呼び戻し、ハイレベルな仲間の一人になってみたい。愚にもつかない蝋梅考である。

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「傾聴ボランティア」

2018年12月24日 | つれづれ噺

       

世の中には様々なボランティア活動がある。
ここで「ボランティア活動」という言葉の意味をちょっと復習してみると、次のように書かれている。「
単なる無報酬の奉仕活動という意味ではなく、自己の自発的・主体的な意思によって社会問題の解決や必要とされている活動を理解・共感し、勤労とは別に労働力、技術、知識を提供すること」とある。

額面通りに受け止めると、ボランティアと一口に言ってもなかなか複雑で、うかつには手が出しにくくなる。
そこで、あまり深刻には考えず、ちょっと困った顔をしている人の話を聞いてあげることで、ご当人の気持ちを和らげ、ほんの少しストレス解消の手助けになればという、ちっちゃなちっちゃな傾聴ボランティアのお話しである。

お互い独身の頃からの長い付き合いの友人がいる。40数年に及ぶマージャン友達でもありライバルでもあった。そんな彼が数年前、脳梗塞に倒れた。幸い命に別状なく、後遺症も致命的なものではなく、私の顔も名前も、丁々発止で遊んだことも、多少おぼろげな部分もあるが、先ず先ず記憶している。
そんな状態だから、間をおいて彼の家を訪ねると、相好を崩して迎えてくれる。

但し、今日は電話もせずこちらの都合だけで、カミさんを伴いいきなり訪ねてみた。残念、週2回の介護施設リハビリの日で会えなかった。ところが、気のいい彼の奥さんは「まあ久しぶりね、上がって」としきりに誘う。こちらも幸い一人ではなかったので、遠慮なく上がり込み、コーヒーをご馳走になった。

本人がいる時よりも長い時間のおしゃべりとなった。その間、こちらは相槌を打つ時間が長いほど、奥さんはしゃべり続けた。時々合いの手を入れながらひたすら聴いた。おおよそこれまでにも聞いたことがある話であり、新鮮さには欠けるがしっかり聴く人になってあげた。「まあ、私がしゃべるばかりでごめんなさい。ところでお孫さんは」ということでわずかに我が家の孫の話をして引き上げた。帰りの車の中で改めて同情することしきり。

「亭主元気で留守がいい」とはよく聞くが、これは世の奥方の一方的な我がままなのである。ひとたび元気が損なわれ、家に居座ることになれば、これほどのカタマリのようなストレスを抱え込むのだ奥さんは。
気を付けようにも、何をどうすればいいのかよくわからないが、脳梗塞など起こしては大変なことになる。と同じように、カミサンが先に倒れたら、お父さんにはもっともっと大きなストレスと哀れさが降りかかるのであろう。

そんな時こそ、もっともっと大きな耳を持った傾聴ボランティアの出現をお願いしたいものである。

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「着々と準備を」

2018年12月23日 | 季節の移ろい・出来事

           

昼間の時間が最も短いといわれる冬至も過ぎた。風邪を引かないおまじないにカボチャ料理は間違いなく口にした。しかし、ユズを湯船に浮かべて香りを楽しむところまでは至らなかった。
平成の天皇陛下として最後の誕生日を迎えられた天皇誕生日の今日も、朝一番に国旗を掲げた。毎年この日を年末の貴重な祝日として大切にしてきたように思う。

というのも、その1年のやるべきことをこの日までに出来るだけ多くを済ませて、残りの1週間は少しゆったり過ごしたいという、節目の日に設定して来た節がある。恐れ多いことかもしれないが、単なる自分勝手な思いをめぐらしてきたようだ。今年は特に時雨る回数は多かったものの、意外に温かい日が多くてなんとなくやる気をおこさせたと言えるようである。

そんな中で、NPO非営利活動法人の「子どもを対象にしたミニ門松づくり」に立ち会うチャンスを得た。講師を務める担当者が門松の故事来歴、伝承話などを画像で示し、上手に語りかけた。そうして子どもたちは高さ約40㎝のミニ門松を1時間で作り上げた。その後の話が面白かった。「やれハロウィンだのクリスマスだのと騒いで、日本の年末がだんだん粗末にされている」という嘆き節である。まさに同感。

今やグローバル社会が叫ばれる時代だから、仮想してバカ騒ぎをするハロウィンも、サンタクロースもクリスマスももちろん受け入れる。その代わり、日本人としての古来の風習を守り、神様を祀ることも忘れて欲しくないと願う一人でもある。門松にはどういった謂れや奥ゆかしい伝承が秘められているのか。しめ飾りは何のために玄関に飾るのか。それはいつ飾って、いつ取り除くのがよいのか。そういった、日本人として最低限の雑学をインプットしておくくらいの常識を持てる大人であって欲しいな・・・・・・と。

そうしないと金曜日の午後8時NHKに登場する、永遠の5歳児「チコちゃん」に『ボーっと生きてんじゃねーよ』と、頭から湯気を出して怒られますよ。ご同輩。

 

 

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「恒例のしめ飾り教室」

2018年12月20日 | 地域活動

この季節になると、というかこの季節ならではの地域活動がある。
我々の地区にある二つの小学校で、恒例のしめ飾り教室を開いた。一校は5年生53人。もう一校は、4・5年生56人を対象に行う。今回は、これまでに説明をして来なかった「わらそぐり」のひと手間を、実演を交えて説明してからしめ飾りづくりに入った。  

      
     実際のわらそぐり作業        袴や芥を取り除き、きれいなわらを10本ずつ数えて。

いくら年を取ってはいても、田舎暮らしではあっても、誰もがしめ飾りを自分で作ってきたわけではない。どうかすると素人集団である。長年、自分で作り続けてきた人が師匠になり、その手ほどきを受ける。しかも神宿る領域を示すしめ飾りの縄は「左綯い」つまり左縄である。これがなかなか難しい。テクニックを要する。そこへいくと小生の場合しめ飾りづくりはお手の物である。それにはわけがある。

かつて親父さんがまだまだ若くて元気があったころ、大量のしめ飾りを手作りして、繁華な街角で直接販売する売り子係を体験している。バブル崩壊以前の景気盛んな頃で、それはそれは飛ぶように売れた。手作り直販なので値段もまずまず。年末にはホクホク気分を味あわさせてもらった。そんな見様見真似の中で、左綯いも身についていた。そんな特技?がこの歳になって役立つとは。 

      
              手慣れた人の実演を見ながら覚える       綯い始める子どもたちを見守る

「オイ、あのおじさんに習ったらこんなにきれいに出来たよ」という子ども声が上がったかどうか定かではないが、一緒にしゃがみ込んで、膝の構え方から体勢づくりを先ず教える。その体勢から手を出すと、何をやっても力が加わりやすくて仕上がりがきれいになる。理屈ではないそういった基本動作を理解して欲しいという欲望はある。

      
     校長先生も担任の先生も真剣にわらと向き合う  出来た縄に、飾りを付けて出来上がり。  

 しめ飾りの由来や、それぞれ部材の故事来歴などを簡単に説明してから実際に手を出す。左綯いとか右綯いと言っても、児童にはあまり関係ないしピンと来ない様子。何故なら、彼らは右綯いも全く経験なし。つまりわらで縄を綯うこと自体が初体験。だから左綯いもすぐに慣れて結構様になる。習うより慣れろということか。

そして、何故今回から「わらそぐり」の説明を加えたか。ここが問題である。
子どもたちが手にするわらは、しっかり打ってほぐして、袴や枝、芥など不要な部分は完全に取り除いた後の、きれいな芯の部分を扱うだけである。その上数まで揃えた、言うなれば至れり尽くせり
のわらで縄を綯う。

農家からもらってきたわらが、そぐりをすることで半分以下になるほどの手間をかけていることを彼らは知らない。知らないで済むことかとも思うが、お手伝いの大人が完璧に準備したものを使って、ハイどうぞと遊んでもらう。それが本当に教育の一環なのか、という疑問にさいなまれる一人としては、そこに至る目に見えない縁の下の力が働いていることを、少しでも理解させることこそが我々地域の教育力と言うものではないか、とつい思ってしまう。
なにも、恩に着せようとか、感謝を求めるのではない。物事の本質を理解して欲しいと願う年寄りである。

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「電動式昇降移動階段」

2018年12月19日 | ニュース・世相

              
              電動式昇降移動階段? エスカレーター 

普段は物静かに振る舞うお坊さんでさえ、年の瀬が迫って来ると気忙しく走り出すというたとえから、1年を締めくくる12月を「師走」と呼ぶという話は、耳タコで今さら言うほどのことでもない。
ところが、日本人の多くは年がら年中、年の瀬の如く気忙しく慌ただしく、人より一歩先を歩こうとする習癖が体に沁み込んでいるのではないかと思わせる節がある。

エスカレーターの使用マナーを順守させようという運動が広がっているという。普通に立てば大人が二人ゆったり並べるはずのエスカレーターが、左側一列にびっしり立っていても右半分は空けてあるという、大都市の駅などの不思議な光景は何度も目にしてきたとことと思う。かつて本社勤務を命ぜられたとき、同僚から最初に注意されたのが、東京駅でのエスカレーター乗り方であった。

初めての大都会生活で色々聞きたいことがあって、同僚と並んでエスカレーターの右側に立つと「カッペかでくの坊と思われるからこっちへ」と言って左側に寄せられた。一段上と下では話ずらいなーと思った経験がある。
カッペ。そりゃ初めての都会生活だから「いなかっぺ」は受け入れるが、でくの坊などと言われる筋合いはない、と色めき立ったことを思い出している。

急ぐ人がエスカレーターの階段を走ったり歩いたりするために、右側は空けておくのだという。何とバカげたことを言うものではある。それほどまでに急ぐのなら、エスカレーター横の階段を駆け上がればいいじゃないか。なんでゆっくり移動するエスカレーターに乗るのか、叱ってやりたくなる。エスカレーターに乗る時の音声注意は「お子様連れのお客様は必ずお子様の手をとって安全にお乗りください」というではないか。左右にちゃんと並んでこそお手手つないで子どもの安全が確保されるのだ。

などと吼えるのは野暮の骨頂と笑われるのが落ちであろうが、こんな風潮は一時も早くなくしたいなー。
その昔、ウサギ小屋に住むエコノミックアニマル、などと働き者の日本人を小ばかにした言い草があったが、今度は「エスカレーターを駆け上がるご多忙アニマル」と笑われそうである。

「エスカレーターは二列に並んでゆったり使用」という社会現象をエスカレートさせ、ゆったり移動を定着させたいものだ。
いつまでに?2020年、オリンピックイヤー前半がタイムリミットであろう。ガンバローニッポン!!

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「西郷どん、完結」

2018年12月16日 | 季節の移ろい・出来事

                              

毎週欠かさずといっていいほど観て来た、NHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」がついに完結。
武家の政権から王政復古という一大歴史の転換期。幕末から明治維新を生きた、日本を代表する男たちの舞台を描いた、壮絶な人間ドラマであり、歴史ドラマであった。個人的には大いに見応えを感じてきた。

幕末から明治維新を語る上では、誰よりも坂本龍馬を推薦する龍馬ファンである小生にとっては、西郷も大久保も一大英雄であることに異論はないが、日本国の未来像、世界の中の日本、といった世界観から言うなら、やはり龍馬の存在は大きかったな、と思ってしまう。龍馬暗殺がなければ、西郷・大久保・岩倉具視などの生き方考え方も、少し違ったものになってはいなかったろうか。などと勝手なことを思っている。

あれほど盟友で、日本の将来を考えるという共通の目標の西郷と大久保の中で、なんであのような結末に至ったのか。男の生きざまとは難しいものである、とつくづく思う。たら・ればの話ではあるが、西郷と大久保の中間に、坂本龍馬という飄々とした世界観の持ち主が介在していたら、西郷のあの非業な最後も、大久保の暗殺も避けられるほどの、穏やかな日本の夜明けがあったのではなかろうか、などと思いをめぐらす。

男という者、志・心意気・メンツのためなら死もいとわないという頑固さは、美学ではあっても時に愚行に変わる危険もある、もろ刃の剣みたいなものか。
そんなこんなを考えながら、テレビのボリュームを上げて、ひんしゅくを買いながらも観続けた今年の大河ドラマが完結した。ということは、紛れもなく年の瀬も押し詰まっているということだ。

この季節にやらなきゃならんこともそれなりにある。
気持ちも身の回りも整理して、佳き新年を迎える準備開始のシグナルを、大河ドラマ完結が投げかけてくれる。

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