「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「百獣の王」

2009年01月30日 | 思い出話
子供の頃に聞かされた話で、今でも脳裏に焼き付いていて、多くの行動基準の基礎となっている言葉がいくつかある。 明治32年生まれ、帝国海軍下士官として遠洋航海と称する、世界の国々を自分の目で確かめてきた父親が、あれこれ自らの体験や独断と偏見をも構わず、言ってきかせくれたのを時々思い出す。

その中の一つにトラとライオンの話がある。
トラの、黄色または黄褐色の全身に黒い横縞のある艶姿、大きな丸い顔、大きな牙…誰が見ても、百獣の王にふさわしい風格と気品を備えている。 であるのに、王様にはなれない。百獣の王はライオンということになっているがそれは何故か。

ライオンは、お腹が減っていない時は、目の前を格好の餌食となる動物が横切っても見向きもしない。しかし、ひとたび空腹になって狩りをするときは、用意周到に自分より図体の大きな動物を襲う。よほどの狩りの不調で生きるか死ぬかの状態でないと、小さな動物は襲わない。と言う。

一方、トラは、空腹だろうが満腹だろうが、目に入る獲物があれば、大小構わず襲いかかる。狩りの方法も、あのかっこいい風格とはかけ離れて、品がない。だからトラは百獣の王にはなれない。 そんな話を幾度も聞かされた。本当かどうかは定かではないが、このように、食に卑しさを見せることは慎め。「武士は食わねど高楊枝」で泰然と構えなさい…と言いたかったのだろう。

一方で、勝負の世界で情けは無用。ここ一番勝たなければならない局面に立ったら、何が何でも勝ちに行け、その時は、たとえルールに反することがあったとしても、勝ったら評価される。負けたらそこでおしまい。だから勝て…と。

さすが、世界を震撼させた帝国海軍の一員らしい発想ではある。そんな遺志を受け継がなかったのは親不孝だったのかも知れない。そうは言いながらも、何かの重大局面に出くわしたときの判断基準に、この時の父親の言葉を思い出す。
品格という言葉の原点を教えようとしていたのではないか……と。
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「品格ある強さ」

2009年01月29日 | スポーツ・観戦
大相撲初場所が終わって4日。今日になって、復活優勝を遂げた横綱朝青龍に対して、日本相撲協会理事長から「厳重注意処分」が出された。朝青龍を指導監督する立場の親方にも同様の処分があった。

同じ横綱白鳳との相星で、優勝決定戦の末賜杯を抱くことになった本人が、優勝決定の瞬間、喜びのあまり、両手を大きく広げてガッツポーズをしたのが、横綱として品格を欠いた行為だということらしい。

三場所連続休場、進退をかけた今場所で幕内最高の成績、しかも優勝決定戦を制した喜び、どん底から頂点を極めた感激は計り知れない。その感情のほとばしりを「品格を欠いた…」と、厳重注意。 断っておくが、私個人的には最も好きになれない力士が朝青龍である。

相撲協会のお偉い方々の視点に物申したい。ガッツポーズ以前に、横綱としての品格を欠く行為を何故咎めないのか。完全に土俵から出て勝負あった相手の顔を張って土俵下に落とす。相手が倒れて、完全に勝負が付いていても大きく左手を振り回して空振りをする行為。自分の顔を若手が張りに行ったら、翌日呼びつけて「覚えておけ…」と威嚇する行為。などなど。長い長い相撲ファンの一人としてはそっぽを向きたくなる。

それでも、悪役人気が高く、営業成績を好転させてくれると、視点をねじ曲げてでも、一応注意して帳尻を合わせ幕を引こうとしているように見える。
このような品格のなさ、目を覆いたくなる大人の見識の欠如が、国会中継に頻繁に見られる。相手を罵倒することで、我が意のみを主張している議員さん。大相撲は興行成績・議員さんは近付く選挙の得票成績に左右されて、本質を見失いつつある現状で、何処で・誰が・誰に・どのように「品格」を求めて行くのだろう。

本当の強さには、品格は自然に付いて行く。品格が備わっているから、強さがホンモノに見えてくる。そんなものだと思うけどなー…。

        ( 写真: 品格を欠いて厳重注意処分となったガッツポーズ )
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「プレゼント」

2009年01月29日 | 宴会・会食
昨日のハグタイムに刺激されたわけでもないが、今夜は二人で駅前の小洒落たお店へ食事に出かけた。
一年に何度もない、クルマを使わないお出かけ。二人でささやかに乾杯した。小生67回目の誕生祝いのおしるしに……。 人生終盤の一里塚という実感が、ビールのほろ苦さと重なって、少し切なかったような……。でも、食事もビールも後味の良さは格別であったような…。ちょっとだけ複雑な心境を味わった。

家に帰ると、テーブルの上に、大好物の活きたサザエ・ナマコが置かれている。もちろん、「誕生日おめでとう」の文字が刻まれたバースデーケーキも添えられている。

今夜は出かけることを告げていなかった娘夫婦が、誕生祝いに持ってきてくれたプレゼントであった。
今年に限らず、毎年お祝いをしてくれているのだから、出かけなきゃ良さそうなものを…。こういうのを“魔が差した”と言うのかも知れない。

ま、いいか。明日の晩、誕生祝いのアンコールで、サザエの壺焼きとナマコ和えに舌鼓を打ちながらワインでも飲むとしよう。お酒の量では、到底太刀打ちの出来ない底なしの娘婿を呼んでやろう。

さて、向こう一年の目標をどうする??
いつまで生きるかは知るよしもないが、せめて生きている限りは元気でいたい。そのたに何をするべきか、何が出来るのか。 先ず明日からの目標は最低でも6000歩を確保ということにしよう。
何故6000歩なのか……。今夜はお酒が少し頭に残っていて、根拠ある数値の説明が覚束ない。しばらく実行した上で、その効果のほども合わせて報告することにしよう。

娘達は、大の好物をプレゼントしてくれた。その子供達、すなわち孫達は、大きな元気と笑いをプレゼントしてくれている。お返しをしないまま歳なんて取ってられないよねー。 

          ( 写真:プレゼントの品々 )
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「ハグタイム」

2009年01月27日 | つれづれ噺
世の中には色んな記念日が設定されている。1月31日は“アイサイ”の日だそうである。
1月の1をアイと読み、31日をサイと読む。合わせてアイサイの日、つまり「愛妻の日」なのだそうな。

ここでも、一つ気に入らないのは、愛妻の日があって何故、愛夫の日というのがないのか。そう言えば、古今東西「愛 夫」などという言葉さえないんだものねー。どこまで行っても、男はつらく出来ているようだ。それでちょうど男と女のバランスが取れるというなら、それはそれで致し方ないね。

日本愛妻家協会なるものが、2006年に1月31日を愛妻の日と定めてから、徐々に広がりを見せている様子。 それにちなんで今度は、「ハグタイム計画」を打ち出したのだそうな。愛妻の日を更に具体的に、言葉だけではなく態度で示そう…という計画らしい。

ハグ…聞き慣れない言葉だが、英語で「抱擁」と言う意味だそうだ。温暖化の進む地球に住みながら、段々寒冷化をたどる倦怠夫婦に、ハグタイムを通して地球同様夫婦温暖化に方向転換し、仲睦まじき夫婦像を取り戻そうという運動である。

主旨やよし! 狙いよし! されど態度で示せといわれてもねー…、今更ねー…。
とは言え、明日でまた一つ年を重ねる。四捨五入すれば古稀かー…。気持ちを改めるに不足な歳でもないよなー。でもねー態度ではねー……。相手も嫌がるだろうし、「お父さん、大丈夫??」などと、額に手でも当てられたら立つ瀬がないよなー。

ヨーッシ!玄関ハグやお茶の間ハグは、もうちょっと若手に任せて、言葉ハグを考えよう。 これなら幾つか思い当たる。 「オッ ご苦労さん」「ウン、こりゃー美味しい」「少しは休めよ…」 付け焼き刃を見破られぬよう練習が必要だ。 でも、身も心も冷えかかった夫婦には、言葉だけでの温暖化は期待薄かもね…。
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「寒い朝」

2009年01月26日 | 家族・孫話
“♪ 北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる~~♪ ”
と、歌にはうたわれているが、現実はそうも行かないようだ。いくらがんばっても、気持ちを確かに持っても、寒いのにはあまり変わりはない。

夕方になって急にお泊まりに来る孫のカー君。大寒以来最も冷え込みの厳しい夜だけに、風邪でも引かせては一大事…と神経を使う。
翌朝、起きてみれば案の定一面の雪景色。とはいっても3㎝も積もったろうか。

ばあちゃんが所用で、朝からじいちゃんと二人きり。着替えも朝ご飯もそこそこに外に飛び出す。先ず畑の雪にちっちゃな足跡をいっぱい付けてご機嫌。次いで、石臼に薄く張った氷を砕く。
一つだけ、今までと異なるのは、カメラを手から離さないこと。

カメラと言っても、使った後の「取りっきりカメラ」。実際には役に立たない。それでもお母さんが持たせたらしく、「雪の結晶を写す……」言うことは立派。拡大鏡を取りに行って観察させる。半分くらい納得の様子。
その後が大変。寒風吹きすさぶ海の公園へ散歩に行こうという。完全防寒装備、お手々つないで15分。

人っ子一人いない公園で、真っ白い雪景色の中でターザンロープを繰り返す。
ここでも、写りもしないカメラを、あっちに向けこっちに向けファインダーを覗く。果てはじいちゃんのデジカメを手にして、シャッターを切るわ切るわ。何に触発されたのか、何を思ってカメラなのかよく分からないが、3・4日前から執着がカメラに移っている。

陽差しに少しは助けられたが、寒さに耐える重装備、体は硬直。肩が凝る思いの2時間半。ようやく帰って早速パソコン処理してみたら、数枚は使えそうな風景写真を撮っていた。
刻々と興味の対象が動く6歳児。出来るだけ、思いに沿ってやりたい。
カメラに執着を見せるのは、ひょっとしたら、東京タワーを写真に撮りたい暗示なのだろうか。

       ( 写真: 寒い朝、カメラ片手に石臼の氷を砕く、カー君 )
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「同人誌」

2009年01月24日 | 趣味・・エッセイ
今や、ライフワークの一つとして手放せなくなった、ブログ投稿とエッセイ執筆。
完全なる自己満足の域を出ない、一人よがりの思い付きエッセイと笑われる内容かも知れない。
それでも、テーマを見つけ、ヨシッこれを書こう!と決めてからまとめ上げるまでの時間は、それはそれは充実した、ある意味陶酔の時間でもあるように思う。
問題は、それほどの思い入れの割には、出来上がった結果が、大したことないなー…と、自らの陶酔から現実に引き戻される空しさである。

「ガマ」が己の姿が鏡に映ったのを見て、あまりの醜さにタラリ・タラリと脂汗を流す、それが「ガマのアブラ」だというが、我々からは薬になるアブラも出ない。その代わり、たとえ醜くても・稚拙であろうとも、決してあきらめることなく書き続ける根性を持ち合わせているということであろう。 オット……我々ではなく、私に限って、と注釈をつけておこう。

精一杯の知恵を絞り、感性を集中したつもりの作品が出来上がったとき、そのチェックをお願いする格好のターゲットが新聞投稿ということである。 テーマ・内容・起承転結・意外性・同調性・独創性などなどを、記事を書くプロ集団の各新聞社に投稿。採用されるかボツになるか、それが自作の評価となる。決して甘くない。

その新聞投稿で採用、掲載された、我々同人のエッセイ作品、昨年1年分をまとめ上げたのが「花水木」という同人誌である。
今回が第3号。我々同人仲間の「岩国エッセイサロン」も過去3年間の活躍実績を残すに至った。
特筆すべきは、そのリーダーの熱意たるや、半端ではない。時間の多くを運営と実績作り当てられている。その上、自作エッセイ集もすでに3巻を発行され、売れ行きも好調と聞いている。

私自身は実績2年目という駆け出しではあるが、兎に角、リーダーはじめ仲間の皆さんと励まし合いながら、出来るだけ、一日一編を心がけ、感性のアンテナを錆びさせないよう続けていけたらいいと思っている。
楽しきかな、エッセイのある生活…。

       ( 写真:花水木、3年間の実績 )
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「角寿司」

2009年01月23日 | つれづれ噺
最近では、グルメとか呼ばれる食道楽がはびこって、地方のひなびた食材によるローカル色豊かな食べ物が一気に脚光を浴びて、メジャーの仲間入りを果たしたりする。それが、町おこし・村おこし・観光資源などになれば、これはこれで大いに結構なことである。

観光地、錦帯橋周辺の割烹や料亭でも、細々と続けられていた岩国寿司が、マスコミに流されるにいたって今や、あっちもこっちも岩国寿司があふれている。 元々「角寿司」と呼ばれて、お百姓さんなどお米を豊富に扱えるお金持ちが、お祭りやお祝い事、盆・正月など、大勢の人が集まるときのご飯代わりにふるまっていたように記憶している。

幸い我が家には、おふくろという玄人はだしの寿司上手がいた。隣近所から頼まれ、2升漬けとか3升漬けという、大きな長方形の寿司桶に5段仕込み・6段仕込みで夕方から夜中までかかって漬け込んでいたのを覚えている。8月下旬ころの蓮根の葉っぱが最盛期に取り込んで、丁寧に陰干し、角寿司の下敷きや中敷きに使用するという、農家の知恵も目の当たりにしてきた。

今回は、私が所属するグループの今年初会合に向けて、角寿司の我が家の味とテクニックを、おふくろから引き継いだカミサンが作ってくれるというので、こればかりは手も口も出さず、ひたすら眺めていた。
そこそこに出来上がった。会合で皆さんに賞味して頂いた。まんざらでもないようで、カミサンともどもホンのちょっと小さな声で、エッヘン!のご相伴にあずかった。

何故、角寿司なのか。寿司にも色々ある。にぎり寿司・いなり寿司・魚寿司・押し寿司・バラ寿司などなど。これらはいずれも1個ずつこしらえる。それに対して、大きな寿司桶で数十人分を一挙に漬け込む。桶と呼ばれるのに何故か四角い。ここらあたりから「角寿司」として長年親しまれてきたのだろう。

       ( 写真: 少人数用の7合漬け寿司桶で角寿司を漬け込んでいる、今回は4段 )


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「舵取り」

2009年01月22日 | ニュース・世相
たまには、硬く…ということで、柄にもないと思いつつ、今日の新聞に大々的に報じられた、アメリカ・オバマ大統領就任での感想を、ほんの少し述べてみたい。独断と偏見をお許しあれ。

就任式が行われたワシントン中心部には、200万人前後が集結し、史上最多を記録したという。
支持率は8割を超す勢いだという。就任したばかりの政権の支持率というのも、なんかしら当てにはならないご祝儀相場のような気がしないでもない。しかし、それほど大きく期待され、歓迎されている新大統領である。

“CHANG” “YES WE CAN” この言葉には大いに期待したい。
前略・・・「我々の成功は、勤勉・誠実・勇気・フェアプレー・寛容・好奇心・忠誠心・そして愛国心といった価値観にかかっている。これらは古くからあるものだが、真理である。これらの価値観は歴史を通じて、進歩をもたらす静かな力であり続けてきた。必要なのは、こうした真理に立ち返ることだ。今われわれに求められているのは、新たな責任の時代だ。すなわち、米国民一人一人が、自分自身や我々の国家、世界に対して責務を負っていることを認識することだ。自分のすべてを困難な課題に注ぎ込むことほど充足感が得られ、われわれを特徴づけるものはないとの信念を持ち、いやいや受け入れるのでなく、むしろ喜んで受け入れる責務なのである。」・・・後略

膨大な演説全文の中から、後段の、特に目を惹かれた部分を短く切り取った、書き写しである。

先ずはアメリカ全体に横たわる、人種問題の前進に期待したい。次いで、強いアメリカ・強いが故に優しいアメリか・世界をリードするアメリカ……大いに期待したい。そして、追随の日米同盟ではない、対等な国家対国家の友好関係が保たれることを、日本の首脳にもアメリカの首脳にも期待したい。

やはり、新しく誕生するものには、何かと大きな期待を掛けるのが人情というものなのだろうか。
期待が大きいだけに、舵取りも難しいだろうなと、同情もしたくなるねー。


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「ハードディスク」

2009年01月21日 | つれづれ噺
前から欲しい欲しいと思っていた、外付けハードディスクをやっと手に入れた。
ポータブル形式250GB。「耐衝撃」「データ流失防止」「ケーブル巻き付け収納機能」など色んな能書きがある。

あまり深くは知識がないゆえ、付いている機能の10分の1くらいしか使いこなせないのだろうが、問題は、パソコンが壊れたり、ご機嫌斜めになったときの、機能回復・保存データの回復、この二つさえ出来れば、その他は多くを要求しない。

それに、別個に250GBという容量の記憶装置に投資したのだから、しっかりデータを貯め込んでくれれば有り難い。 手にした機器の名前はハードディスクなら、自分の頭はハードヘッドorハードトップ。硬くなる一方。そこで、人間の頭と違って、融通性はないが、操作さえ間違わなければ、愚直なまでにデータを蓄え込んでくれる、このような機器は頼りになる。

つたないブログはもとより、ブログアップに使用する以外の膨大な写真。また今朝未明に行われた、アメリカ新大統領バラク・オバマ氏の就任式など歴史的瞬間の、一コマ一コマを確実に記憶に残す役割を、このハードディスクに託したい。

癪な話ではあるが、記憶という点では間違いなく退化して行っていることを自覚せざるを得ない。その上で、記憶を装置に頼り、何でもかんでも入れてしまう。そのうち、何処に入れたか・何時入れたか・何の目的で何を入れたのか……あいまいになる。 やがては入れたかどうかさえ定かでなくなるのかなー…。
頼むよ…ハードディスクちゃん! チャン・チャン。

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「楽しきかな、人生」

2009年01月19日 | 思い出話
丑年にあやかって、“牛に引かれて善光寺参り…”ではないが、“孫に引かれておのぼりさん”の東京タワー見学まで後2週間。 今となっては、言い出しっぺの孫よりも、じいちゃんが一番その気になって、あれもこれも…とスケジュールを欲張っている。

そんな折り、思いも掛けぬ嬉しいプレゼントを頂いた。
「……ささやかですが、気持ちです……」メッセージに添えて東京タワー展望券「OBSERVATION TICKET」3名分が送られてきた。もちろん丁重なお手紙に、タワーパンフ・周辺地図なども。

感動に胸が熱くなった。 内容や理由は、6歳には理解しがたいだろうから今は言わない。が、もう少し大きくなったらちゃんと話して、人と人とのつながりの大切さ・有り難さ・嬉しさ…全てを含めて、人生のいい教材として話して聞かせたい。

思い起こせば、14年前に初めての出会いがあった。
会社の命令で本社勤務を命じられ、単身赴任。住まいは、有楽町から45分くらいのベッドタウン。会社が準備した借り上げマンション。その管理をされていたご夫妻である。 そこで7ヶ月間お世話になった。
その後世田谷区の単身赴任寮に引っ越したから、実質のお付き合いは、14年前のわずか7ヶ月である。

それはそれは気の置けない素晴らしいご夫婦で、おっかなびっくりのお上りさんをものの見事に都会生活に馴染ませて頂いた。それだけで終生忘れ得ぬ出会いとなった。その後ももちろん音信は途絶えず、定年退職2ヶ月後には退職の挨拶に訪問した。

一昨年、錦帯橋・宮島を旅行されるチャンスに恵まれ、ホンの少し案内して差し上げた。
長い生涯の中でのたったの7ヶ月間のお付き合いが、今このような形で感動させて頂けるとは、人生って素晴らしいなー……と、つくづく思う。

こんな感動で始まる14年ぶりの東京見物、やっぱり、孫に引かれて…などではない。 
じいちゃんに引かれて、孫が後からついてくる旅になりそうだ。 楽しんでくるぞー……。

        ( 写真: 送られてきた展望券・パンフなどなど )
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