子供の頃に聞かされた話で、今でも脳裏に焼き付いていて、多くの行動基準の基礎となっている言葉がいくつかある。 明治32年生まれ、帝国海軍下士官として遠洋航海と称する、世界の国々を自分の目で確かめてきた父親が、あれこれ自らの体験や独断と偏見をも構わず、言ってきかせくれたのを時々思い出す。
その中の一つにトラとライオンの話がある。
トラの、黄色または黄褐色の全身に黒い横縞のある艶姿、大きな丸い顔、大きな牙…誰が見ても、百獣の王にふさわしい風格と気品を備えている。 であるのに、王様にはなれない。百獣の王はライオンということになっているがそれは何故か。
ライオンは、お腹が減っていない時は、目の前を格好の餌食となる動物が横切っても見向きもしない。しかし、ひとたび空腹になって狩りをするときは、用意周到に自分より図体の大きな動物を襲う。よほどの狩りの不調で生きるか死ぬかの状態でないと、小さな動物は襲わない。と言う。
一方、トラは、空腹だろうが満腹だろうが、目に入る獲物があれば、大小構わず襲いかかる。狩りの方法も、あのかっこいい風格とはかけ離れて、品がない。だからトラは百獣の王にはなれない。 そんな話を幾度も聞かされた。本当かどうかは定かではないが、このように、食に卑しさを見せることは慎め。「武士は食わねど高楊枝」で泰然と構えなさい…と言いたかったのだろう。
一方で、勝負の世界で情けは無用。ここ一番勝たなければならない局面に立ったら、何が何でも勝ちに行け、その時は、たとえルールに反することがあったとしても、勝ったら評価される。負けたらそこでおしまい。だから勝て…と。
さすが、世界を震撼させた帝国海軍の一員らしい発想ではある。そんな遺志を受け継がなかったのは親不孝だったのかも知れない。そうは言いながらも、何かの重大局面に出くわしたときの判断基準に、この時の父親の言葉を思い出す。
品格という言葉の原点を教えようとしていたのではないか……と。
その中の一つにトラとライオンの話がある。
トラの、黄色または黄褐色の全身に黒い横縞のある艶姿、大きな丸い顔、大きな牙…誰が見ても、百獣の王にふさわしい風格と気品を備えている。 であるのに、王様にはなれない。百獣の王はライオンということになっているがそれは何故か。
ライオンは、お腹が減っていない時は、目の前を格好の餌食となる動物が横切っても見向きもしない。しかし、ひとたび空腹になって狩りをするときは、用意周到に自分より図体の大きな動物を襲う。よほどの狩りの不調で生きるか死ぬかの状態でないと、小さな動物は襲わない。と言う。
一方、トラは、空腹だろうが満腹だろうが、目に入る獲物があれば、大小構わず襲いかかる。狩りの方法も、あのかっこいい風格とはかけ離れて、品がない。だからトラは百獣の王にはなれない。 そんな話を幾度も聞かされた。本当かどうかは定かではないが、このように、食に卑しさを見せることは慎め。「武士は食わねど高楊枝」で泰然と構えなさい…と言いたかったのだろう。
一方で、勝負の世界で情けは無用。ここ一番勝たなければならない局面に立ったら、何が何でも勝ちに行け、その時は、たとえルールに反することがあったとしても、勝ったら評価される。負けたらそこでおしまい。だから勝て…と。
さすが、世界を震撼させた帝国海軍の一員らしい発想ではある。そんな遺志を受け継がなかったのは親不孝だったのかも知れない。そうは言いながらも、何かの重大局面に出くわしたときの判断基準に、この時の父親の言葉を思い出す。
品格という言葉の原点を教えようとしていたのではないか……と。