「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「獅子ゆず」

2012年11月30日 | つれづれ噺

        

              
          “ この日和 女名前の 小春かな ”      川崎 展宏

春爛漫というにはまだ少し間があるが、震える寒さからはようやく逃れた・・・・。
そんな春先を思わせる今朝の暖かな陽射し。まるで絵に描いたよう小春日和。
そんな心地よさに誘われて布団を抜ける。いつまでも鼻を詰まらせて寝ているわけにも行くまい。明日からの3日間は、大事な大事な集大成。出遅れてはならぬ。

そのためにも、というばかりでもないが、咳と喉の痛みに耐えかねて、かかりつけ医に処方してもらった風邪薬5日分が、ちょうど5日目となる今夜でなくなった。
ということは、三度三度きっちり服用したということだ。これは珍しいこと。
自慢じゃないが、何日分と処方されていても、最後まで完全に飲み終えるなど考えられないことだ。途中でほったらかして「完全に治ったんかね?」とひんしゅくを買うのが常。

今回ばかりは時間に制限がある。勝手な振る舞いが許されない事情がある。
昨日などは、あの愉快な三歳児と遊ぶのも控えたくらい風邪という敵と闘った。
やりゃぁ何とかなるものだ。今朝の目覚めはすこぶる快調。

陽射しの中を歩くと、何軒か先のフェンスの外側に真っ黄色に熟れた異様なものがぶら下がっている。わざわざカメラを取りに帰ってパチリパチリ。「これは獅子ゆずというかんきつ類の一種で、中身は小さく皮がとっても厚いんです」と教えてもらった。
まっことよーく見たら、あの表面ゴツゴツのゆずをそのままデッカクしたような、見事な面構え。名は体を表すとはこのことか、はたまた体が名前になったのか。
直径15~20センチにもなるという。あの小さな木に10個もぶら下がっていたという。
香りがゆずほどではないが、お風呂に入れるにはちょうどいいと。

こんな狭い団地なのに普段は見逃している。ゆっくり歩いてみると意外な発見が。
小春日和の中で、珍しい獅子ゆずに出会った。そんな束の間の呑気な空気を最後に、霜月、11月が終わろうとしている。夜空には十七夜の月が独り、ちょっと寒そう。

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引き出し」

2012年11月29日 | つれづれ噺

        

最近、「引き出し」という言葉をよく耳にするようになった。
元々「抽出し」とか「抽斗」と書いていた。分りにくい字だな~と思うことが何度かあった。
後ろめたさをおぼえながらも「引き出し」という、分りやすい字を使っていた。いまやそれも市民権を得て、堂々と使えるようになっている。

引き出しを多く持ちなさいとか、あの人は多くの引き出しを持っているとか言われる。
机やタンスを多く持っていて、引き出しの数が多いということとは全く意を異にする。
積み重ねた多くの知識を蓄えていること。幅広く対応できる柔軟な知識があること。簡単に言えば「博識」ということなのだろうと思っている。

そこへいくと、我が家にも幾つかの引き出しはあるが、ご覧の通り、ガラクタや過去に必要とした書類や「これも取っておこう、あれも捨てがたい」と、いつの間にか蓄積された、半分はごみ箱行きの雑多である。これだから、いざ取りだして活躍させよう、と思う時にはどこに仕舞い込んだか、上から下への大騒ぎとなるのが落ちである。

引き出し・・・本来の意味のように使いたい。色んなジャンルの知識や参考ネタを頭に叩き込みたい。といつも思ってきた。今でもそう思う。
それがなかなか思うに任せないで、古稀を迎えるに至った。
机の引き出しは、時にはひっくり返して大掃除をすれば、必要と不必要の区別がつき、どうかするとネズミのフンも処分できる。

しかしねー、本来の引き出しはというと、ガラクタや使い古された、手あかのついた言葉や知識がほとんどで、しかも隙間がないほど詰まっている。
新しい風を吹き込み、新しいものを取り込む余地がなくなっているというのが本音である。これじゃいけん、と思うのだが、新しいものが、引き出しに収まりきらず、いつの間にか勝手に宇宙遊泳してしまことも少なくない。

それを年のせいにするほど、自分を甘やかしてはいないつもりであるが、やっぱり引き出しが増えるという実感に乏しい。
そうだ、引き出しの使い方には「友達という引き出し」もあったようだ。小生の引き出しには、いい友がたくさんいてくれることを誇りにしよう。所詮他力本願だねー。

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「カウントダウン」

2012年11月28日 | 岩国検定


    今を盛りの白いサザンカ
                   
                         間もなく咲き始める紅サザンカ

11月もあと2日。今日を入れて5日後には12月第1日曜日を迎える。
第2回岩国検定試験実施の日、12月2日(日)。目下受験申込者76人。
受験者はテキストと首っ引き、高得点目指して最後の追い込みに余念がないことだろう。
いよいよカウントダウン。我々受け入れ側も、お迎えの態勢づくりに邁進!!

第2回目というからには、第1回目の受験者が、リベンジや再挑戦という形で相当数受験するであろうことを期待した。いわゆるリピーター受験を大きく目論んでいた。
ところが、ふたを開けてみると、このリピーターの少ないことに先ず驚いた。24人しか申し込みがなかった。つまり、前回の25%に過ぎないということ。
「前回受験して自分の実力のほどは分った。2回も試験を受けることはない・・・」という、試験アレルギーが頭をもたげたかもしれない。分るような気もする。

ということは、同じ岩国市民でも、前回受験者と今回受験者は大幅に入れ代わっているということ。そこ辺の理由づけをどう考えるか、これからの課題でもある。
次いで、市外・県外の受験者も10数人に及ぶ。 

あれこれ気をもんだものの、最終的には76人もの応募があったということ。
これは前回より20%減に持ち応えたということで、これをどう評価するか。これもこれからの課題であり、岩国検定の存在価値を占う判断材料にはなるのだろう。                       

庭の白いサザンカは今を盛りと咲き誇り、散る花びらは、そこだけに雪を降らせたように木の根っこを白くする。小生の背丈を越えた紅のサザンカはつぼみが未だ固い。
紅サザンカが咲き始めるのも秒読みが、オット、カウントダウンが始まる。
花開くころには、岩国検定の今後の方向性が語られるのだろうか。

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「カンパ~イ!」

2012年11月27日 | つれづれ噺

          

10月の終わりに定期健康診断に行った。
一通りの検査では、異常らしきところは見られず「問題なしです」と主治医。
とたんに顔もほころぶ。気持ちの中ではヨッシャー!まだまだいける!と張り切る。
目の前にある主治医の顔が、ほほ笑んでくれているかの如くいい人に見えてくる。

友人が「あんたは首から下は大丈夫」と指摘するように、褒められたのか小馬鹿にされたのか、よう分らんまま「事実健康なのだからそれでいいや!」と思っていた。
血液検査の数値も、みんなに見せびらかしたいほどの成績優秀。「X線検査も問題なしです」と言われた2週間後。市の保健センターから一通の封書が。

「肺がん検診の結果、精密検査を要します」というではないか。ベテランの主治医に再び相談。「全く異常はないが、念のため受けてみなさい、結果は同じですよ」と言われて大病院のCT検査を受けた。主治医があれほど「問題ない」と言ってくれたし、こちらも何一つ自覚症状らしきものもない。「おかしいわけがない」と・・・。思っていても、「要精密検査」などと言われると、自信らしきものは影をひそめ、気持ちのどこかでは「ひょっとして・・・」と悪い方に考えが傾く。

ええい、ままよ、なるようにしかならんわい・・・と思いながら、CT検査結果を持って三たび主治医の元へ。にっこり「何にもありません、大丈夫。完全無罪放免です」と太鼓判!!
やったね!ほらね、やっぱりね!!などと根拠のない自信がまた芽を出す。

「うちの子に限って・・・」とは、子を思う母親の言い訳と弁解の代表的表現であるが、今度ばかりは「自分に限って肺がんなどに・・・」と反論する自分と「もしかしたら」と弱気な自分のはざまで気持ちが揺れた。落ち込むほどではないが、不安がよぎった。

ことなきを得て、気持ちよく「カンパ~イ」。少し風邪気味で傷んだ喉を心地よく潤す。
健康一番!健康ばんざ~い!!これからもゆめゆめ油断なきように・・・。

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「無粋な雨が・・・」

2012年11月25日 | 趣味・・エッセイ

       
                西風に煽られ、荒れる瀬戸の海

   ♪♪ 十三港は~ 西風強くて~
                  夢もしばれる~ 吹雪の夜更け~・・・ ♪

吉幾三が歌う「津軽平野」という、小生のカラオケ十八番の中に入っている一曲。
津軽も岩国も、冬を目の前にした西風が吹けば、身の引き締まる寒さに思わずブルッ!
そして、あの穏やかな瀬戸の海さえ牙を剥く。

太平洋や日本海の荒波と比べれば「こんなのは荒れるとは言わない」と言われそうであるが、普段から鏡のような海に慣れている者にとっては、人を寄せ付けない荒れようだ、と思えてくる。そんな怒涛の白波が押し寄せると、間違いなく厳しい寒さを連れてくるし、あまり欲しくない時雨も一緒にやってくる。

喉から手が出るほど欲しかった8月9月にほとんど降らなかった雨が、行楽やスポーツ真っ盛りの今頃になって、無情の雨が数々の予定を邪魔している。
逆らうことのできない相手だけに、ただ恨めしく天を仰ぐ。

先日の孫兄ちゃん小学校最後の相撲大会は、テントが飛ばされるのではないかというほどの大風・大雨に気が気ではない思いで見守った。
昨日は、地元で開かれた恒例もみじ茶会の、美味しいはずのお抹茶でさえ味が薄れたという声が。それもそのはず、時おり降る雨に水を差されたのだからむべなるかな。
そして今日一日を置いて明日はまたかなりひどく降る予報が。

気まぐれ雨に悩まされる人々にとってお気の毒ではあるが、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・丈夫ナカラダと丈夫ナココロ」で目標クリアーに邁進して欲しいものである。

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「悲願!初優勝!!」

2012年11月24日 | スポーツ・観戦

       
                       優勝の喜びに沸くサンフレッチェ

サッカーJリーグ。広島サンフレッチェが、悲願の初優勝を飾った。
94年のJ1で1stステージを制し、08年のゼロックススーパー杯とJ2でも優勝している広島だが、J1(年間)、ナビスコ杯、天皇杯の3大タイトルに限れば、Jリーグ開幕後はクラブ史上初のタイトル獲得となった。(ネット拝借)

正直な話、サッカーよりは野球派の小生は、Jリーグがどっちを向いているかよくわからない。が、あれほど熱狂的なサポーターという応援団に囲まれるスポーツ。理解しないなどというのでは決してない。しかも、サンフレッチェ、つまり三本の矢といえば、あの戦国時代を駆け抜け、中国地方の覇者となった毛利元就が、三人の息子、隆元・元治・隆景に、兄弟よく協力して、家運隆盛に励めと教えた『三矢の教え』の元祖である。そちら歴史の観点からも、大いに興味あるネーミングではある。

それに、広島カープが悲願の初優勝までに27年かかった。
同じ地方都市で活躍するサンフレッチェの悲願の初優勝は20年で達成した。
どちらも異常に長い道のりではあったが、選手も応援団もあきらめずにこの日を信じて、精一杯の声援を送ってきたところに値打ちを見出すのである。
素直に、サンフレッチェサポーターにおめでとうを捧げよう。

娘も息子も小学生のころはサッカースポーツ少年団の一員で、寒さに震えながらあっちこっち応援に行ったことを決して忘れてはいない。
そのころ、「突っ込めー・ボールに絡め・前に出ろー」と声を枯らしたものだった。
ところが、張り切って走り相手コートでボールを受け止め、さあ攻撃に移ろうとすると「オフサイド」という旗が上がり、試合は中断する。
ここんところがどうも納得いかないスポーツである。足の速さと機敏さで勝負するのなら、早く相手ゴールの前に行ってパスを待つのが何故ダメなのか。それはお互い様だから、オフサイドなどなくして、20対21で勝負が決するというのも面白いのではないかなどと。

やはりこんな話は「ここだけのないしょの話」ということにしよう。
純粋なサッカー愛好者、あの熱狂的なサポーターに踏みつぶされそうである。

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「バスに揺られて九年庵」

2012年11月23日 | 旅行・レジャー

 
 
 明治時代の大実業家の別荘として造られた、葦葺き屋根も壮大な九年庵  仁比神社

久しぶりに日帰りバス旅行を申し込んだ。あまり聞き慣れない場所を選んで。
九州自動車道鳥栖インターから長崎自動車道に乗り換えて、先ずは武雄温泉へ。
温泉には入らず、周辺の観光を楽しむコースを選択。紅葉の名所と評判のある、廣福寺参拝、名残の紅葉を愛で、由緒ある建物や仏像の見学という定番コース。

いよいよ本命の「九年庵」(くねんあん)へ。佐賀県神埼市にある、明治時代の大実業家伊丹弥太郎が別荘として造らせた庵と、その周辺一帯の庭園。
隣接の山一帯を整備し、9年かけて作り上げた紅葉の一大名所としての価値ある庭園。ゆえに九年庵と呼ぶ。国の名勝に指定されている。
しかも年間たったの9日間、紅葉のこの時季だけ拝観が許されるという。いうなれば、そんな希少価値を狙ってはるばる佐賀県までお出かけになったという次第。

重厚な葦葺き屋根の入母屋づくりは、庵というには余りにも大きく、当時の大邸宅を偲ばせる広さを持っている。苔むした庭の趣、真っ赤に染まるモミジの数々。
いささか遠くではあるが、一見の余地あり。但し、拝観が許される9日間に、うかつに訪れると大渋滞に巻き込まれる上に、拝観の順番を待つだけで2・3時間はかかるという。
そこは普段の行いの差か、我々一行は渋滞・待ち時間など、一切のロスタイムもなく、極めて順調に予定通り。さて誰の行いがよかったのだろう。そりゃもう言わずと知れた・・・。

話は元に戻るが、武雄温泉の入り口には竜宮城を思わせる豪奢な楼門がそびえる。
武雄は長崎街道の宿場町として栄え、歴史上名高い宮本武蔵や シーボルト、伊達政宗や伊能忠敬などが入浴した記録も残されているという。温泉の入口に立つ朱塗りの楼門は、鮮やかな色彩と形で、天平式楼門と 呼ばれ釘一本も使用していない建築物とある。平成15年3月に復原された武雄温泉新館 と楼門は東京駅を設計した辰野金吾博士の設計で、大正4年に建てられ、平成17年 に国の重要文化財に指定されている。

楼門が竜宮城を思わせるだけに、温泉に乙姫様でも待っていてくれか、あるいはご一緒した乗客に、乙姫様に近い方でもおられるなら、お寺の観光など止めて温泉に飛び込むところだろうが・・・。なんせ24人乗りの小型観光バスの乗客は、平均年齢75歳は下らない大昔の乙姫様ばかり。我々が若手に見える有様。
これじゃ、紅葉を求めてブラブラ観光がサマになったというものか。乙姫様失礼しました! 

 
 温泉入り口の楼門(国の重要文化財)      廣福寺参道の名残の紅葉

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「2年の歳月」

2012年11月21日 | 岩国検定

          
             2年前の、第1回岩国検定試験会場

あれから丸2年が過ぎようとしている。
おっかなびっくりな中にも、半ば開き直って度胸を据え、第1回目の岩国検定試験会場に立った。
検定実行委員会に対して、受験者がどんな反応を示すのか、どんな厳しい評価を下すのか。こちらが試験を提供する立場にもかかわらず、何故か我々の方が試されているような、妙な緊張感に脅かされつつ、気持ちの中で仲間を励まし、自分を励まして役目を果たしたのを思い出した。

第2回目検定試験実施に向けて、前日の準備・当日の作業分担・翌日の結果集計など、綿密な打ち合わせにたっぷり時間をかけ、遺漏なきよう打ち合わせを行った。
慣れというのは力強い味方になる。初めての怖さがウソのように気持ちが楽になる。
そこに大きな落とし穴があることはよく耳にする話である。

我々に限ってそのようなことはないと思う。思いたい。
2年前の、みんなが初体験の時の緊張感を忘れないよう気持ちと力を合わせたい。
受験者総数は確かに若干減ったが、市外からの受験者も多い。リピーターより初挑戦の人数の方が多い。もちろん報道陣も多くやってくる。
我々検定実行委員会の腕の見せどころであり、晴れ姿である。
「よかったね~」と言わせたい。そのための苦労は苦労とは言わない。

たかが2年、されど2年。この間色んな事が受験者の身の周りに起きたという話も耳にする。前回張り切って受けてくれた人が、思わぬ病気で入院中という人もある。
「もう試験はいいわ・・・」と言う人も少なくない。そんな中でこうして2回目が実施できることは、他ならぬ実行委員諸氏の努力のたまものであろう。
そんな実行委員の中心たる代表の功績は知る人ぞ知る。

泣いても笑っても10日後に迫った第2回検定試験。万全の態勢を整えて迎えたい。

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「小粒でも・・・」

2012年11月19日 | 季節の移ろい・出来事

        
                小粒ながら存在感のあるヒイラギの花

小粒ながらピリッと辛いと言われるのは山椒の実。
木の芽どきには色んな薬味として重宝される山椒の葉。但し山椒という木は、下手にさわると容赦なく指先に突き刺さる強烈なトゲを持っている。取り扱い注意。

季節こそ違うが、葉っぱの周囲にキリッとしたトゲを持つヒイラギ。人間の手を寄せ付けない威厳を持っており、小粒ながら真っ白い花を咲かせる。やがて佳香を放つという。
トゲトゲしい木に花が咲く。雪が舞い降りたような小さな白い花。何故か存在感がある。

日に日に寒さの増す冬に向かって木に花が咲く。木に冬という字をくっつけて「柊(ヒイラギ)」とは、どこの風流人が付けたのだろう。
スイセン、葉ボタン・シクラメンなどと並んで、冬の季語。
ちなみに花ことばは「先見の明」「歓迎」「剛直」などがある。先見の明とは、自分にないだけに、何故か憧れる言葉の一つである。

長い間ほったらかしで、ボーボーに伸びていたこのヒイラギ。「玄関先でみっともないから切ってよ」と何度か言われ、ようやく先日丸く小じんまりさせたばかり。
そうすると早速花を付け、剪定したお礼を言われているようなくすぐったさをおぼえる。

世の中には、ヒイラギや山椒のように、気を付けて付き合わなければトゲに刺されそうな人はいる。トゲはあるがその味わい、人間味は格別な人もいる。見分けが難しい。
取敢えず、馬には乗ってみよ、人には添うてみよ。おふくろがよく言っていたな~。

人のことはどっちでもいい。さて自分はいったい・・・ヒイラギの葉っぱかな~。
ヒイラギの葉は、枯れ落ちてもそのギザギザトゲは健在なのだそうな。
同じヒイラギでも葉っぱではなく花がいい。小さいながら少しの存在感があるあの花が。

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「名残の紅葉を・・・」

2012年11月18日 | 季節の移ろい・出来事

         
           名残の紅葉。観光客はひっきりなし。  11.18  14:30  
 最後の力を振り絞って、燃える黄色を。    黄落を狙ったが、光線の加減でイマイチ
 
    落ち葉を踏みしめ、こんなロマンティックな散歩道も待っている、紅葉谷公園

“ 世の中は三日見ぬ間の桜かな ” 
それほどに桜の見ごろは短いし、この桜のように世の中は目まぐるしく移り変わりが早いことを言ったものである。そこへ行くと、秋の紅葉は愛でる期間も長く、ゆったり落ち着いて観賞出来るのがいい。そのせいか、観光客は引きも切らず、まさにゾロゾロゾロという表現がピッタシ。

その割には、幾つかある広場で何かイベントでもやればいいのに・・・。全く何の催しもなされていない。しもうた!裏千家のお師匠さんに頼んで、お茶席でも設けてもらったら観光客に喜ばれたものを、と思うが後の祭り。こんな人出がある日曜日に、全く何にもしない、お茶席の一つもないなどとは思いもしないことだった。
これが、観光都市を名乗り、錦帯橋を世界遺産に推挙しようとする市の観光行政の姿である。観光協会や、観光振興課を名乗る人の顔が見たくなってくる。
などと、怒っていてはせっかくの名残の紅葉が、益々色褪せて見える。

ちなみに今年の紅葉谷紅葉見物は3回目となった。
昨日の雨に打たれ、風にゆすられ、赤や黄色の絨毯はそのピークを迎えている。
中でも、黄色く燃え上がっている感じさえする大銀杏が、今を盛りと手招きしている。
岩国で見る黄落を・・・と期待してカメラに納めたら、初冬の割には強い陽射しに邪魔されて、いい塩梅に撮れなかった。早い話が腕の問題である。

それでも、赤や黄色の落ち葉を踏みしめながら、静かに散策できるこんな自然を持つ岩国へ、一度はお越し願いたい人の一人や二人や三人はいるような、いないような・・・。

その足でお城山にウオーキング。
ひんやりとした、少し湿りッ気のある空気が美味しいし、実に心地いい。
初冬の陽射しに写し出される錦帯橋。その向こうに広がる街並み。さらに瀬戸内海の眺望は、地元の人間が何度見ても飽きない景色。やはり一度は見せたいお方が・・・。
 

いよいよ紅葉も終わり近くなった。ということは、我々の大仕事が近くなったということ。
12月2日、岩国検定試験実施に向けて一直線。さらば紅葉。これから気持ちを高揚!!

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