「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「むつまじく」

2013年08月31日 | 思い出話

             

先日、少し場違いなところで、思いがけない出会いがあり、思わずお互いが手を握り合った。
近くにある介護施設で、毎年の恒例行事となっている夏祭りが行われた。
主催者から、是非顔を出してと誘われ、断るすべもなくお義理の見物とあいなった。

場所が場所だけに高齢者が主役。それに付き添いの保護者がたくさん。その中には同級生や後輩もいて、母親が世話になっているとか、親父がね・・・と、少し声をひそめて話す。

そんな中のお一人 が、かつてPTA活動華やかりしころの小学校の校長先生である。
「学校とPTA、また校長と会長はクルマの両輪」と、なかばおだてられながら、華々しいお付き合いとご指導を仰いだ方である。
もともと頭髪は白が基調でオールバック。かっこいいんだこれが。今も若さにあふれている。先ずは固い握手。
そんなお方がなんで介護施設の夏祭りに??と。ここからが長い立話になる。

「自分はまだまだこの通り元気なのだが、家内の状態が思わしくなくて施設に入れてもらうことになった。今日はその付き添い。」ということだった。かくしゃくたる姿勢も笑顔も、勢いも、やんちゃだったあのころと大きく変わらないのに驚く。
御年は確かひと回りくらい先輩だったと分かってはいたが、改めておそるおそる訊いてみた。
間もなく84歳になるとのこと。市内の某製作所で専務取締役という現役バリバリだとおっしゃる。

確かな教育論をお持ちの校長先生で、生半可な保護者では太刀打ちできない情熱家であった。
小生も若い時にこういった方と巡り合えたことを幸運に思っていた。
「昔の仲間が集まっていつか思い出話をしましょう」ということでその場は終わったが、ひょっとしたら20数年ぶりのPTA同窓会が持ち上がるかもしれない。

いくら頑張っても13年先に、元校長先生ほどの元気は維持できないだろうと思うが、これもやってみなきゃ分からない。
おふくろは100歳を超えた。叔母は目下100歳で足こそ弱っているものの、文庫本の愛読者である。
何かを胸に秘めて、何か続けてやれることを持っていれば、案外不可能ではないかも・・・などと思い始めている。
歳をとる・・・ 当たり前のことだが、自らの気持ちの中では年寄りにならない心構えで過ごしたいと思う夏の終わりである。

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「夏休みあとわずか」

2013年08月29日 | 季節の移ろい・出来事

         
             出来上がった宿題の一つ。 ちょっと神妙なカー君。

暑い暑いと嘆いた夏も、ここにきて雨による水冷効果でひと息付いたと思ったら、残暑再び。
早い秋の訪れを待ちたいと思ったら、今度は台風接近のニュース。なかなかうまいこと行かないものである。

孫君達の夏休みもいよいよ残すところわずか。自称「じいちゃん学校校長」としては、宿題が気にかかる。
我が家で出来る「夏スキル」や「漢字・算数ドリル」などは、まずまず提出できる程度に終わらせた。
もちろん、日々の記録を残す「一行日記」も、課題の通り、五七五調で書きあげていった。

問題は工作である。といっても、決して不器用な仲間に入る我輩ではないが、なかなかテーマが見つからないでいた。
夏休みに入って間もなくの頃、母親が看護師として働く介護施設に、我が教え子のカー君が遊びに行った。
その日、80歳近いデーサービス通所者のおじいちゃんが、それはそれは見事なスカイツリーの模型を作って、施設に持ってきていたのだそうな。

それを目にしたカー君は、得意の社交術でそのおじいちゃんと一気に仲良しになったという。
「ボクもスカイツリーを作りたい」とか言ったのに違いない。そのおじいちゃんも本気になって「教えてやろう」ということに。
竹を細く削り、接着剤を用意し、原材料全てを調達して、週1回来所するたびにマンツーマンで教えてくれたのだと言う。
まるで自分の孫に作らせるように、優しく、懇切丁寧な指導であったようだ。じいちゃん校長より優しかったのかも。

カー君の出来上がりは、高さ42cm。縮尺1500分の1。
おじいちゃんの作品は1000分の1で、もう一回り大きいのだが、「学校に持って行くのに大き過ぎる」という、怖気を知らないカー君の申し入れに応じて、この寸法になったとのこと。ちゃんと計算済みの縮尺でうまく出来上がっている。

ちょっと口惜しいが仕方がない。世の中には得意な分野を持つ人は色々いるものだ。
工作の宿題は、その器用なおじいちゃんといち早く仲良しになったカー君の手柄であり、週一ではあっても一生懸命努力した成果が形となって現れたことになる。

兎に角、あと数日でじいちゃん学校も閉鎖される。ホッと一息?いや、しばらくは9月の風を寂しく感じるのかな。

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「敵ながら天晴!」

2013年08月27日 | ニュース・世相

                      

一人のプロ野球選手が引退を表明した。
「好きで始めた野球が、プロになった瞬間仕事に変わった。一度も楽しんだことはない。仕事として19年間やってきたことが誇り」
と語るのは、ヤクルト一筋に精進し続けて、このたび引退を表明した宮本慎也選手。

プロ野球は親父の代から広島カープ一筋のファンとしては、ヤクルトの選手を話題にするのは本意ではない。
が、どういうわけか、敵ながら気にかかる選手であった。
早い話が好きになれない選手なのである。ならば嫌いか、そうとも言い切れない。

もし宮本選手がカープにいてくれたら、これほど力強い味方はないと絶賛したであろう。
つまり、ヤクルトと言う敵方にいるから好きになれなかっただけである。
試合のウイークポイントで彼が出てくると、何かをやらかしそうで実に嫌らしい、しかも怖い存在であったように思う。
何度も痛い目に合わされた。

そして、なんかしら人を束ね、徒党を組んで相手にぶつかる魔術師みたいな雰囲気を持っているように思って見て来た。
19年の現役。体力的な限界を感じて、自らの申し入れで引退という道を選んだ。
プロ野球からまた一人、参考になる人物が消えて行く。
ただ彼の場合は、間違いなく指導者として球界に復帰するであろうことは目に見えている。

そんな彼をして「・・・ ・・・最近は楽しむと言う選手もいるが、一度も楽しんだことはない。仕事として19年間やってきたことが誇り」と言わしめるあたり、勝負の世界に生きる者の哀感と、ユニフォームを脱ぐ安堵感がにじみ出ている。
現役として、それが仕事として野球をやっている以上、楽しんでばかりいられようか。まさに本音であろう。

WBC優勝チームのキャプテンも勤めた信頼のある男が、指導者となって返ってきたとき、プロ野球がもっと面白くなるのかな。

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「待望の雨が・・・」

2013年08月24日 | 季節の移ろい・出来事

            
                  雨上がりの瀬戸の海。ベタ凪ぎの向こう、雲海に霞む島々

今日は降ってくれるか、明日は降ってくれるか・・・期待しながら雨を待った。
なかなか降らない、いつまで待ってもポツリとも来ない。その上連日の蒸し暑さ。なんとかしてよ、ひと雨欲しいよという気持ちも無理からぬ本音である。そこへようやく降った。降り方に問題があるほどではあったが兎に角降った。

こんなことを言うと、不謹慎ではないかと、大雨被災地の方に叱られそうである。確かにその通りである。しかしちょっと待ってね。
いつも水不足で全国ネットのニュースに流れる、四国の水がめ「早明浦ダム」は、枯渇寸前。何としても雨を欲しがっていた。
我が住む町も、大きな川もダムも抱えてはいるものの、雨が降らなければやはり物みな枯れる。人間も枯れる。
そういった意味から、かれこれ1カ月ぶりの雨を待つのも、あながち罪なことではないと思いたい。

いくら嘆いても単なる愚痴でしかないと分かっていても、ここ数年の異常気象や荒れ狂う天変地異はいったいどこまで続くのか。
そんな恨み節を天にぶつけてみたくなる。

未明からの大雨は、先日の萩市須佐地区や島根県津和野に続いて、今回は島根県江津地方を襲った。かつて、江津工場から大挙岩国工場に転勤を余儀なくされ、長年同じ釜の飯を食った仲間が、今は生まれ故郷にたくさん帰っておられる。
その中のお一人に、お見舞い電話を入れてみた。すこぶる元気で「雨もお陰で大きな被害はないよ」との返事が返った。
「江津工場の煙突から、勢いよく煙も立ち昇っているよ」と、如何にも彼らしい現況報告も頂いた。ホッとひといき。

つい先ごろまではそれほど心配にならなかった日常の生活が、頻繁に発生する天変地異という異常現象によって、日本全国至る所に住んでいる知人友人の動向や安否が気にかかって仕方がない。
あの人は?この人は?。遠くで心配しても仕方のない事かも知れないと思いつつも、兎に角何事もないように祈りたくなる。

防ぐ手立てもない自然災害。ならば、防ぐ手立てのある健康管理は、せめて自らの努力で徹底したいと思うのだが・・・。

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「夏休みノルマを一つ」

2013年08月22日 | 家族・孫話

 
         4歳の豆太公望が、エイッ! 思い切り竿を振って。カッコウはいいがなかなか釣れない。

夏休みも残り少なくなった。いつまでも涼しくならないこの夏。ようやく重い腰を上げ、孫二人と川遊びに出かけた。
ジジとババに与えられた夏休みの宿題というか、一つの果たさなければならないノルマみたいなもの。
昨年までは、兄ちゃんとカー君が主役だったのに、中学生になった兄ちゃんはクラブ活動一筋。
兄弟やジジババとの川遊びなどに付き合っていられようか、といった塩梅。あれほど執念を見せていたハヤ(鮠 ハエともいう)釣りにも興味を示さない。全く付き合うそぶりも見せない。まあ仕方がない、これも成長の証なら。

そのぶんを三男坊が引き継いで「じいちゃん、魚釣りの用意をしておいてね」と前の晩から電話してくる。
結局カー君と悠雅君二人は、前夜遅くにやってきて二人でお泊まりして翌日に備える。
テンション上がりっぱなしの悠雅君。川に着くまではおとなしかったカー君。
二人とも川に着くやエンジン全開。相変わらずカー君は泳ぎ専門。大きな流木を遊び相手に浮いたり沈んだり。

 

悠雅君は豆太公望を絵に描いたように、竿を振りまわしてハヤを狙う。そう簡単に釣られてはくれない。
「じいちゃん、持って・・・」竿を一緒に持って、浮きを見ながら合わせて釣りあげる動作を一緒にやろうと言う。
1時間2時間平気で川の中に突っ立っている。この執念にはこちらが根負け。なんとか20匹ばかりを釣らせた。

  
        髪が長いと女の子に間違われる悠雅君。髪を切ったらまぎれもなく男の子でした。

あとはカー君と泳いだり、石投げの競争をしたり・・・。
浅い川とは言え流れはある。川床の石はコケが貼りつき足を取られる。いつ転ぶやら・・・全く目は離せない。
やれやれ疲れる一日。監視をサボってホンの一瞬ゴロンと寝っ転がって空を見れば抜けるような青空に真っ白い雲。
帰り路では、この夏これほど見事な入道雲は見たことがない、と言う景色に出会った。
この一日で夏休み子守りを願い下げたいのに、まだ残り10日近く。少し手抜きも考えないと身がもたんよね~。

        
         真っ青い海の上に、モクモクと力強い入道雲、そして碧い空。疲れも吹っ飛ぶ景色

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「けさの秋」

2013年08月19日 | 季節の移ろい・出来事

                  

物みな枯れそうなこの夏。全く雨が降らない。お盆を過ぎてもなおまだ暑い。
そんな水不足で厳しい残暑の中でも、白く清楚なテッポウユリが、華奢な身体をすっくと伸ばしながらも、何故か花はうつむき加減に咲いている。我が家の至る所に、そして隣りの空地にも、目立つ白さで存在を誇っているかのようだ。

三軒先のお隣には、8月が最盛期といわれるサルスベリが、こちらも暑さなどものともせず可憐に咲いている。
こちらは、濃いめのピンクで、青空を背景にひと際あでやかに人目を引く。

   “ 土近く 朝顔咲くや 今朝の秋 ”        虚子

本来ならこの時季、ホーっとひと息つけるような涼風が頬なでるころである。
朝顔も、下の方に付けたつぼみが、夜露をふくんでひっそりと咲いている。そんな秋近しを思わせるあさを「今朝の秋」というのだそうな。それにしては未だ虫の声も聞こえないね~

そんな秋の訪れを待つかたわらで、高校球児の夏甲子園が熱い。
いよいよ4チームにしぼられた。泣いても笑ってもあと二つを勝ち抜いた者が、頂点を極め栄冠を手にする。
明日一日の休養で英気を養い、暑さも汗も無縁な気持ちの高まりであさってに懸ける。

選手はもとより、観客席で声援を贈る高校野球ファン、審判や大会関係者、グラウンドキーパーなどなど、多くの人のご苦労に熱いエールを送りながら楽しませてもらっているひとりである。
熱中症に犯されないよう細心の注意を払って、いい条件のもと全力プレーに集中してもらいたいものだ。
そうして、優勝旗が贈られ、大会旗が降納されるころには、本当の秋が訪れるのを期待しよう。

夜空には、旧暦7月の十三夜のお月様が冴えている。

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「送り盆」

2013年08月16日 | 季節の移ろい・出来事

             
               実りを待つ蓮田の向こう、「送り盆」のきれいな夕日が

両親初めご先祖様の眠るお墓を磨きあげ、雑草を取り除き、ねんごろに線香を手向けてお盆を待つ「迎え盆」。
改めて、お花やお供えを持ってお墓参り。こういった一連のお盆行事が無事に終わった。
今日は「送り盆」盂蘭盆(うらぼん)の終わりの日、精霊を送る日である。

千年の古都京都では、大文字焼きと呼ばれる五山の送り火が焚かれる今宵。その呼び名の通り、東山如意ケ嶽の「大文字」がもっともよく知られているが、そのほかに「左大文字」、「妙法」、「船形」そして「鳥居形」、とそれぞれのお山で、見事な送り火が夜空を焦がしていることだろう。

こちら田舎では、連日の照りつける太陽を肥やしに、しっかり根を張って成長著しい蓮根(レンコン)が、大きな葉っぱを風になびかせ、来るべき収穫のときを待っている。
そのはるか向こう西の空には、五山の送り火には遠く及ばないまでも、見事な夕焼けが、昼間のうだるような暑さを忘れさせるかのように、静かに、色鮮やかに横たわっている。

一方で、今年は真昼の空に盛り上がる入道雲を見かけない気がしてならない。
単に私の注意不足で見逃しているだけかもしれないが、このぎらぎら暑さの割りには、色んな形を想像させる積乱雲のカタマリが見えない。毎年瀬戸内海水平線の彼方にはモクモクと盛り上がる造形美を、今年はまだ見ていない気がする。
ひょっとすると、これも異常気象の一つで、なにかしら地球上に災いを起こす前触れではなかろうか・・・と。
縁起でもない想像はよそう。

お盆が終わるとまた夏休み後半のもろもろに追われる毎日が待っている。
じいちゃん学校もいよいよ後半。宿題仕上げや、彼らと遊び足りなかった分を取り戻す日々になりそう。
三兄弟揃っての海もまだ、川遊びもまだ。お城山も登っていない。 まだまだ暑い夏は続く。

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「父を偲ぶ日」

2013年08月14日 | 家族・孫話

                     

お盆の8月14日は、父の41回目祥月命日。
今年は、何故かゆっくりと父を偲ぶ気持ちが湧いてくる。直系の内孫が誕生したせいなのだろうか。
それとも、段々と父の逝った年齢に近づいてきたからだろうか。

「8月、鎮魂歌」  

若い頃、田舎相撲で大関を張ったこともある元気印。健康に対して自信過剰の上医者嫌い。
そんな父が「夏風邪を引いたようだ」と珍しく弱音を吐いた。
半分けんか腰で病院行きを勧めたが、頑として聞かない。
食欲は落ちる一方。サイコロ状のスイカを口に押し込んで水分補給させる容体に、鳥肌の立つ危機感を覚えた。
翌朝緊急入院の手はずを整えたその夜、我が意を貫いたまま74歳の生涯を閉じた。
発症から7日目、悔いの残る見送りとなった。
あれから40年を経た今も8月が来ると、息子としての責任を果たし得たのか、複雑な思いが胸に迫る。
                                   
                                       (毎日新聞、はがき随筆掲載) 
                      
ちょうど40年前、1973年の夏も暑かった。
今ほど気象予報が詳細でない時代だったので、実際に温度がどのくらいまで上がったのか確かな記憶はないが、ジリジリと妬け付く暑さだったことを憶えている。
当時は「熱中症」という病名はなく、一般家庭が救急車を呼ぶことさえはばかられた。
今思えば間違いなく熱中症の症状だった。その時医師の診断は「急性脱水症」であった。

あっけない見送りに、同居家族の不手際という自責にさいなまれた。全て後の祭りであった。
40年前の8月14日、「お盆のお迎えとは、よほどいい生き方をされたのでしょう」などと囁かれる中見送った。

“ 人間の禍福は あざなえる 縄のごとし ”  有頂天になるな、悲観しすぎるな、と教えてくれた父に、 合掌

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「青春のかけらが・・・」

2013年08月13日 | 思い出話

                                 
                                 次から次に建設される高層マンション

半世紀以上前に、地元岩国にも百貨店という大型店舗が、市の中心部近くに出現した。
記憶が正しければ「寿屋百貨店」と言う名前だったと思う。地上5階建てエレベーター付き。最新鋭高層店舗。
昭和33年ごろの戦後復興の形が目に見え始めたころにやってきた。若い女性にとって玉の輿にも似た就職先であった。

同級生の中で一番の美人と評判だった彼女が、厳しい就職戦線の先陣を切って、誰よりも早く就職内定を得たのがその百貨店であった。彼女は2年生のころから美人だ美人だと言われていた。
ただ個人的には「そうなん?」「ああいうのが美人なの?」という程度の思いだったし、別に意識もせず男友達と同じ感覚でワイワイ騒ぐ仲間だった。
卒業してしばらくして会って見ると「きれいな人じゃ」と思えるほど変わっていた。百貨店と言う職場で磨かれたのであろう。みんなが言っていた通り、同級生の中で最も美人だと思うようになった。ただそれだけのことだった。

その当時としては鳴り物入りで岩国進出を果たした百貨店ではあったが、所詮田舎の小さな町。
購買力も低い上に、世の中の流行やセンスに付いていきにくい部分もあったようで、開店から20数年で幕を下ろしたと記憶する。
一つには、急速に進んだクルマ社会への対応が遅れたことである。駐車場の整備されていない店舗など、いくら頑張っても集客力は知れたもの。
街中から遠く離れた郊外でも、広大な駐車場を有する大型商業施設が成り立っているのをみても分かる。

経営者も変わり、商売内容も変えて再開したものの、結局は長続きしなかった。
そんな紆余曲折を経て、華々しかったかつての百貨店は今、建物からして完全に消えた。
重機が音を立てて取り壊し、更地にもどした。
線路を挟んで立っている真新しい高層マンションに対抗して、新たなマンションに生まれ変わろうとしている。

映画館も消えた。若き日の面影を残していた建物が今また消えた。
私の青春のかけらが、一つひとつつぶされていくような街の変わりように、付いていきにくい。
古い町から近代都市に生まれ変わろうとしている流れに合わせ、こちらの気持ちを切り替えなければいけないのかな~

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「涼を求めて、その極めつき」

2013年08月11日 | 旅行・レジャー

             
                      幻想の洞窟、巨大な口を開いた入口

正確には、山口県美祢市秋芳町秋吉にあるカルスト台地秋吉台の地下100m、その南側の麓に入口を持つ、日本屈指の大鍾乳洞「秋芳洞(あきよしどう)」。入口近くの入場券売り場あたりまで行くと、この炎天下でさえ、ひんやりと肌をさす冷気が漂う。
ぽっかり大きな口を開けた秋芳洞の入口。洞内から音を立てて流れ出る水は三段の滝となり、霧状となって、まさしく天然の水冷式クーラーを想い起す。その水の色は、空と森の色を吸収してコバルトブルー。

洞内の観光コースは約1km(総延長8.9km)、温度は四季を通じて17℃で一定し、夏涼しく冬は温かいのだという。
涼を求めて色々試したこの夏の数日。まさにこれ以上ない極上の「極めつきの涼」に出会えた。
しかも、時間が止まったような自然の造形の数々は変化に富み、世の中の不思議はまだまだ多くが身近なところにあるものだ、と大きな感動を呼び起こさせてくれる。

    
沢山の並んだ皿に水をたたえた「百枚皿」              鍾乳石で盛り上げられた「洞内富士」   
    天井から滴る鍾乳石が床まで届いた「大黒柱」         巨大なかぼちゃを思わせる「南瓜岩」
        
   洞内最大の呼び物「黄金柱」その高さは40mに及ぶ  ひと回りした出口から、外の景色を望む

片道140kmの行程を、高速道路と普通道路を乗り分けておよそ2時間。秋芳洞に着いた。さて何年振りのことだろう。
連日連夜のこの暑さ。「なんとかスカッとした気分に浸りたい」そんな思いに駆られた、無計画レジャー。

最初に訪れて、その壮大な自然の威力に圧倒されたのが60年前の小学校修学旅行である。
それ以来何度か訪れた。何度だろう、指を折って見る。
修学旅行以外の秋芳洞は、何かしらその時その時のいわく因縁があったような記憶がある。定かではないが・・・。

22歳の時は確か・・・ まあいいか、あいまいな記憶でいいかっこしても仕方ない。
ただ言えるのは、あのヒンヤリした幻想的な空気と、暗くて足元もおぼつかない石段やでこぼこ道を散策するドキドキ感は、実際に秋芳洞を訪れて、その肌で、その感性で存分に味わって頂きたいものである。

そんな華やかな思い出の陰で、なんとも淋しい思いが胸に迫ったのも確かである。
駐車場から洞の入口までおよそ700mある商店街、つまり土産物店の活気のなさが、洞内観光の感動を一気にしぼませる。
華々しく並べてあるおみやげ品の数々。それはどこにもある風景と同じ。
問題はその店番をする人達の平均年齢が70代後半とみた。椅子に座りこんで「いらっしゃい」もなければ「これはどうですか」もない。品物を手にとっても「どうせ冷やかしでしょ」といった冷ややかな目つき、言葉のキャッチボールがない。

長年の観光客減少が、若い販売員さんの流出を余儀なくして、残ったのは世の中を達観したような人生の達人が主流。
ただ一軒、ソフトクリーム屋さんだけが若いお姉さんを揃え、黄色い声で勧誘してくる。
観光客誘致を旨とする山口県。ここ秋芳洞も含めた県内観光ルートマップ再編が望まれるようだ。

そんな理屈はまあ置いとくことにしよう。この身は極めつきの涼をさずかったいい一日になったのだから。

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