「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「はじける笑顔」

2009年10月31日 | おせっかい
はじける笑顔… 最高の笑顔… 飛び交う昔の名前……手を握り合い、肩を抱き合う……。
胸につけたネームプレートをわざわざ手にとって「オーッ! やっぱりお前か…」
「エーッ? ホントにあなたなの…」「よく来たねー、初めてじゃないか…」

受付を済ませたとたんに話の輪の中へ…。
会場前のフロアーに笑い声がはじける。定刻、予定人数が揃う。全員の記念撮影。
整然と並んでもらうはずの幹事打合せはどこへやら…、ワイワイガヤガヤ…これがまた楽しい瞬間。

オープニングセレモニー。前回同期会から3年半の間に6人の仲間が逝った。黙祷を捧げる。
続いて歓迎の挨拶。同期会にはふさわしくない静寂が流れる。それもホンの一瞬、ざわつきと失笑を取り戻す。後は立て板に水の如く…などといくわけがない。が、なんとか丁重なる歓迎の言葉でいよいよ乾杯。後は推して知るべし。

82才の男先生、元気の良さに驚く。艶のある声で“なにくそーっという気概を持て生きろ…”というハッパは当時そのまま。幾つになっても教師が生徒に向かって気合いを入れる姿に、時の流れを忘れる。

遠方から初めて参加頂いた女先生。お元気でかくしゃくたる気概に驚く。周りにいる同年配の方とはどこかが違う。教え子の前に弱みは…などという気負いも感じない。色んな意味で、先生と生徒の関係は永遠に風化しない、昔のままに生き続ける温かみと厳しさを感じさせる。

あっちのテーブルではじける笑い声、こっちのテーブルで盛り上がる人だかり…。おおむね成功か…秘かにほくそ笑む。

責任上、ほとんど呑まず食わずでカメラを片手に走り回る写真担当幹事を、片隅のテーブルに呼んで二人で最後の軽い食事をする。やっと人心地。また走り回る。

一次会二次会合わせて5時間の時間設定がまだ物足りない様子。マイクを通して声張り上げて「以上でおひらきで~す」ようやく会場を後に三々五々。

今朝は遠来の先生と仲間の観光案内。ちょっとした歴史をひもときながらの錦帯橋・岩国城などのゆっくり散策。昨夜と違った気持ちがゆるみっぱなしのゆったり時間が流れる。

先生の柔らかな手を握りしめ3年先の再会を約して駅のホームで手を振った。

さて、幹事の仲間にどうやって感謝の気持ちを表そうか。やっぱり飲み直しをやろう、日を改めて…。

 ( 写真: はじける笑顔が重なり合っている。肖像権を尊重して見えにくく加工 )
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「ちょっと抑えて…」

2009年10月29日 | おせっかい
いよいよだ! 賽は振られた! 結果は運を天に任せることにしよう。

3年半年振りの中学校同期会。
前日の準備に走り、「趣味のコーナー」の完成を見た。 ウーン、上出来。

遠来の恩師との連絡もバッチリ…。やることはやった。

後は、どうしても肩に力が入るのを、どうやって抑えるか…。
今は、いくら抑えようと思っても力が入る。抑えようがない。ならば抑えず、高ぶるままに明日の朝を迎えよう。
目覚めると同時に、今一度準備万端をチェックしよう。
それらに遺漏がなければ、敢えて言い聞かせなくても気持ちが落ち着く。

ついさっき言ってきた、ホテル、ドタキャンの申し入れも、飲み込んだ。
そしてホテルに対して、丁重なるキャンセルのお願い…。

これも幹事の役目の一つだ。トホホ…

こんなアクシデントがそれど多く続くものではない、これが最後だろう…と信じたい。

ノリ過ぎず、はしゃぎ過ぎず、ちょっと抑えて…明日一日を楽しもう。
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「夢を託して…」

2009年10月28日 | おせっかい
半年前に幹事団を結成、準備に入った中学校同期会。
幹事団の顔ぶれもほぼ定着。いずれ劣らぬベテラン揃い、ツーカーの仲ながらもその時々の思いをぶつけ合う幹事会を重ねること数回。いよいよ本番が近づいた。

当日、参加者全員に手渡すレジメ・参加者名簿などの資料作成も、尻に火が点いて最後の仕上げに追われる。
特に、卒業アルバムのクラス別集合写真から、一人ひとりの顔を抜き出して作成する「写真入りネームプレート」は、たかだか60数人ながら結構骨が折れる。

旧姓を前面に、現在姓をカッコに閉じ、卒業当時の写真入りネームで、いち早く52年前にタイムスリップしてもらえると嬉しいな…などと夢をふくらませてしまう。

趣味のコーナーでは、絵画・書・陶芸・ちりめん細工・編み物…等々、仲間が趣味として取り組んだ作品を披露して、時間の過ごし方の参考にしてもらう。
そのためには集荷・展示などは前日の作業となる。

当日は、開始2時間前に幹事団集合。受付設定・当日の諸々チェック。
遠来の先生・仲間の送迎。そして肝心なのは、各テーブルに配置した幹事が、浮き上がった仲間はいないか…楽しめていない仲間はいないか…、この目配り気配りが、同期会成否の鍵を握ると信じている。
ついつい幹事団に無理な注文も出してしまう。

さらに翌日は、久しぶりにふるさとの土を踏む人の観光案内が組まれる。
前日・当日・翌日…3日間、同期会一色に染まる。

そして1週間もすれば、集合写真を含めたスナップなどのアルバム作りに全員集合、そして発送。
やっと一段落。幹事の一人一人と固い握手を交わし頭を下げる。無罪放免。

「…よかったよ…」などの葉書でも届くと、気だるさなんか吹っ飛んで気持ちに生気がよみがえる。この感動を分かち合いたくて・この感動に夢を託して、幹事のみんなに無理を言ったし、自らの尻も叩いたのだろうな~~

      ( 写真: ほぼ出来上がったネームプレート・レジメなど )
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「もうひとつの黄金色」

2009年10月27日 | つれづれ噺
秋の「黄金色」といえば、“実るほど 頭を垂れる 稲穂かな” 豊かに実った「稲穂」を言う場合が多い。
ほとんどの田で取り入れが終わり、収穫の秋も終わりを告げる頃、もうひとつの黄金色に出会う。その名はツワブキ。それはそれは見事に輝く黄金色。石蕗と書く。

葉は蕗(ふき)に似ている。その葉っぱには“つや”があることから“つやぶき”と呼ばれるようになり、それが変化して「つわぶき」といわれている。10月下旬から11月の終わり頃まで咲く秋の花である。
        「石蕗(つわぶき)の 日陰は寒し 猫の鼻」  (酒井抱一)

似たような感じの名前に“山吹の花”がある。こちらも金色といわれるほどの鮮やかな黄色で、山吹色ともいわれている。             
時代劇などで “山吹色の…” と言えば、悪代官に捧げる賄賂の小判が詰まった菓子箱の代名詞となって、不名誉をこうむっている。

山吹には一重と八重がある。 “七重八重 花は咲けども 山吹の……”と詠われた太田道灌にまつわる話はご存じの通り。 一重には実がなるが、八重には実がならない。 これは春に咲く花であり、山吹は春の季語ともなっている。(余談)

                
              山吹の花         ツワブキの花

いつ頃だったか、どこからだったか定かでないが、ツワブキを引っこ抜いて我が家の庭の片隅に植えたのは覚えている。
毎年この時期になるとホンのひとかたまりではあるが見事に咲いて、楽しませてくれる。折り重なるように咲くとこの黄色も間違いなく山吹色に負けず、大判小判を思い出す。 
そして場所を選ばずどこにでも咲く逞しさが好ましい。

「謙譲」「困難に傷つけられない」…こんな花言葉を添えて、どなたかに贈りたくなる。

      ( 写真: 庭の片隅に逞しく咲く“ツワブキの花” )



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「一周忌」

2009年10月26日 | 家族・孫話
もう一年たったの…? 早いというべきか。
まだ一年しか過ぎていないの…? 月日の流れはゆるやかだと思うべきか…。
母を見送って一年。はっきりどちらとも言えない気持ちで過ごしてきた。

日々のお鉢様を上げるとき、お供えのお菓子を交換するとき、お花を差し替えるとき、遠出をして無事帰ったとき、それぞれにお焼香し手を合わせてきた仏壇を守る身にとっては、その都度が母と軽く言葉を交わすときであり、遠ざかっていたという実感はない。それから考えると、本当に一年たったの…という思いはある。

今更言うまでもなく、一周忌とは、亡くなった年の翌年に営まれる、はじめての祥月命日の法要で、特に重要な年忌法要とされている。実際には祥月命日より早めに行われている。
亡き人の冥福を祈り僧侶による「読経」や「おときの会」など善事を行う追善供養の法要が年忌法要と呼ばれる。

姉弟や近い親戚が集まってどうかすると、楽しい方の宴会になる。
不謹慎だとはおもうが、100才7ヶ月を生きた母の法要である。ついつい湿っぽさを忘れがちになる。
しかも、法要の出席者の中に、母の妹98才が元気ににこやかに鎮座まします。
認知症もほとんどなく、独り暮らしを楽しんでいる叔母が、湿っぽさを吹き飛ばす役割を果たしている。それがまた、姿形が母と瓜二つ。いまだに母に声をかけているような錯覚を起こさせる。

何はともあれ、一周忌法要を無事執り行った。一年先には3回忌がやってくる。
はてさて、何回忌までこの手で営んでいけるのだろうか。
一回でも多く年忌法要を営めるよう、お浄土から優しく見守っていてもらいたいものである。
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「全山紅葉間近」

2009年10月24日 | 季節の移ろい・出来事
昨日は「霜降」。この頃から霜が降り始め、紅葉が一段と色濃さを増し見頃を迎えると言われる。 白露・秋分・寒露・「霜降」・立冬・小雪……と続く二十四節季の一つ。

所用の帰り道、色づき始めた紅葉を求めてちょっと遠回り。
源流は岩国市由宇町にあり、23もの支流を集めながら「玖珂盆地・周南市熊毛地域・光市」を通り、周防灘にそそぐ島田川。その中腹に位置する中山川ダムを覗いてみた。

今、大規模なダム建設工事をめぐって、中止か継続か…日本列島を二分するような議論沸騰に刺激されたわけでもないが、一年に何度かは必ず貯水量の確認に出かける定番ドライブコースの一つでもある中山湖。水量は充分、安心した。

それこそ夏場以外は訪れる人も少ないこの湖。
静かな湖水をめぐる散策は、秘かなお気に入りの場所のひとつである。
湖面に映る対岸の小高い山の風景は、紅葉には少し早いが、心癒される空間として、遠方より来たる友をいざなってみたくなる。

夏場になると、この中山湖は細長い湖で見とおしが良いことから、水上スポーツに利用され、カヌー教室やウエークボード大会等が行われている。その時期だけは若干の賑わいを見せる。
1996年3月の完成だから、この近辺にある4つのダムの中では最も新しく、スケールはやや小振り。

それでもこのダムは、柳井市・光市・熊毛町など多くの住民の水瓶となって、大活躍している。決して“ムダ”な“ダム”ではないし、yattaro-の隠れ財産の一つでもある。
全山の紅葉が待たれる。

        ( 写真: 周南側から周東側を望む、中山湖に映る山影 )
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「恒例の…」

2009年10月22日 | 晴耕雨読
何かとスケジュールに追われる今年の10月。
早く芋掘りをして、タマネギやグリンピース用の畑を作らなければ…と思いつつ。
気持ちとは裏腹に、なかなか重い腰が上がらない。

「ジイちゃん、芋掘りしよう…」という孫兄弟に尻を押されてどっこいしょ。
坂田金時という見るからに美味しそうな赤いサツマイモ。
一年に、こんなにサツマイモを買って食べるだろうか…と言うほどの金額で買った苗。

梅雨空をにらんで植え付けてから5ヶ月。そこそこに実っているようだ。
ただ、一昨年・昨年は大はしゃぎで湧き上がった孫達の歓声が今年はあまり上がらない。
毎年この時期にやってきた芋掘り。魅力という点では少し薄らいできたのかな。

そうはいっても、畑で土と戯れる気持ちの豊かさを養う…。土の中から作物が顔を出す現場に立ち会わせて、自然の恵みへの感謝の気持ちを持たせる…。そんなジジのセンチメンタルなど理解できるわけがない。ただ芋づるを引っこ抜くだけ。

             

執拗に襲いかかるヤブ蚊対策に、蚊取り線香を3本も焚きながら、「じっとしとったら蚊に刺されるぞ…」と脅しながら、引っこ抜いた跡を追ってジイちゃんが鍬でゆっくり土を起こす。顔を出す赤い芋を二人が競争で奪い合う。

1年前の写真と比べると、間違いなく確かな成長の跡を見せる。さ~て来年はどうするか…。兄ちゃんは芋掘りを卒業したとしても次が待っているんだった。まだまだ芋植は当分続くのだ。 せいぜいがんばってみるか…。
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「0.5才…」

2009年10月21日 | 家族・孫話
「ほーらね、寝返りだって打てるんだよ~…」ってしゃべりそう。
床に転がせてあやすと、ゴロンゴロンと寝返りしながら大はしゃぎ。
まん丸お顔にまん丸お目々。一人前に顔を正面に向けて存在をアピールする。

この世に生を受けてちょうど半年。満0.5才。3人目の孫、悠雅君!

覗き込むこちらの気持ちが、どんなにささくれだっていようと、虫の居所が悪かろうと、そんなものは一瞬にして吹き飛ばすような、値千金の笑顔を見せてくれる。
一も二もなく平常心にもどる。頬はゆるむ・目尻は下がる…。

抱き抱えると、腕の中でピョンコピョンコ跳ねるように、何かの動きを催促する。

でもまだ、玄関から廊下、居間くらいはようやく慣れた程度。二階のジイちゃん書斎に連れて行くと、天井から壁、調度品などキョロキョロ落ち着きなく眺め回す。それでも納得いかなくてやがて半ベソ。慌てて下に降りる。

どこだろうが誰の部屋だろうが、引き出しは全て開けてみる、触れる物は全て触らなければ治まらない二人のお兄ちゃんとは、今のところ大きく様子が違う。
このおとなしさ、いつまで続くのやら…。

3年生のお兄ちゃんは既にお友達との遊びに夢中。ジジ・ババでは物足りなくなった。せめてカー君が「あれを作って…」「これはなーに?…」と家の中を引っかき回す。それでも口数は随分減った。この手から巣立つのは間もなくだろう。

せいぜい悠雅君を手なずけて、しばらく遊び相手になってもらおう。 

       ( 写真: 丸6ヶ月、食べてしまいたくなるような悠雅君 )
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「窓辺の……」

2009年10月20日 | 季節の移ろい・出来事
草花に宿る夜露をきらきら輝かせる陽差し。
窓ガラス越し、斜めに差し込む陽差しは、深み行く秋を部屋の奥深くまで忍び込ませる。

出窓に飾られた一輪のキンモクセイ。わずかな一輪が家中を秋の香りで満たす。
「一輪挿し」日本人の好む、花の風情を引き立たせるお華の道の一つである。
色濃く伸びる影はなんとはなしに、物の哀れを感じさせる。

          白露に 風の吹きしく 秋の野は
          
                       つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける  

                 (文屋朝康、ぶんやのあさやす)

朝、草の上に水晶の玉のような白露がおりている秋の野。その秋の野に、風がしきりに吹き寄せるたびに、糸にとおしてつなぎとめてない水晶の玉が、きらめきながら散りこぼれていることよ。 秋はなんとなくもの悲しいものよのー…。

という心境を唄ったものと思し召せ。

先日、カミサンが出かけた「天橋立」で買い求めたという一輪挿し。季節の移ろいにまかせて、色んな花を一輪窓辺で楽しませて欲しいものだ。

アンタがやれば…とは言わないんだよねーこれが……。
                                   
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「カモメの晩餐」

2009年10月18日 | つれづれ噺
  ♪♪ いつも群れ飛ぶ かもめさえ とうに忘れた 恋なのに…… ♪

全く何の脈略もないのに、夕焼け空のカモメの乱舞を見ていたら、つい口をつく演歌節。困ったもんだ。

瀬戸の海の浅瀬、海岸近くに湧き上がるように群れる小イワシ。
太刀魚はもとより、カモメにとっても大切な夕餉のメインディッシュなのだろう。

何10羽という集団が海面から20~30㍍の高さで乱舞する。あの狭い範囲で交錯しなくても空は無限なのに…と飽きずに眺める。上手に飛び交う。誰かが交通整理でもしなければぶつかりそうなものを…とカモメの心理が読めない人間の浅はかさをあざけるように、縦横無尽に、まさしく乱舞。

そして時折、海面目がけて急降下。あの鋭い足の爪で小イワシを掴み上げる。くちばしで突っ込むことはないようだ。2羽3羽続いて数10羽が一斉に舞い降りる。一瞬のうちに上空へ舞い上がる。見事な早業、見事な手練手管である。
                 

気の毒なのは小イワシだ。水の中ではあの獰猛なくちばしを持つ太刀魚に追われ、やっと逃れて海面近くに群れをなせば、今度は空からカモメの爪だ。それもこれも逃れてやっと大きく育ったら、今度は人間様の網にかかって煮られたり焼かれたり…。

それが持って生まれた宿命とはいえ、哀れではある。
金子みすずならずともイワシに同情したくなる。

見方を変えれば、人間もこれと似たような生涯なのかも知れない。
生きている間に、如何に多くの楽しみや満足出来るものをを自分で見つけ、人より少しでも多く笑える生き方をしなければ損だな…などと、カモメの晩餐を横目にくしゃみをひとつ…。

        ( 写真: 狭い空中で乱舞するカモメ )
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