カテゴリーがどどっと増えたでしょ?
かなりジャンルごとに読みやすくなったのでは・・と思います
さて・・・今年、新宿コマにウイーン版の「エリザベート」がやってきます。
ヅカファンじゃなくても名前くらいは知っているでしょうミュージカル
「エリザベート」は元々ウイーンが初演なんですね
(もう今から10年以上も前のお話になります)
宝塚歌劇団の演出家、小池修一郎氏が退団する一路真輝の為に
探し出してきたのがこの「エリザベート」でした。
始まる前は「一路に死神の役なんてひどいわっ」とか
「タイトルロールが娘役じゃないのっ」と非難ごうごうだったらしいですが、
幕が開いたら、これぞまさしく「ベルばらをしのぐ大ヒット」になったわけです。
このミュージカルが宝塚歌劇として成功したのは・・・
ウイーン版では影の役割のトートを宝塚風に主役に押し上げ、それが
自然に行われたこと。
トートの造形を「宝塚の典型的な男役像」にすることによって成功した。
よりエリザベートとトートの恋愛感情を前面に出して、宝塚風にアレンジ
したこと。
ウイーン版のエピソードから宝塚にふさわしくない生々しい部分を
そぎおとしたこと
でしょうか・・・・
宝塚の成功によって「エリザベート」はどんどん進化し、ウイーンのみならず
オランダ・ハンガリー・ドイツなどでも上演されるようになりました。
新曲も増えています
今回、初演から随分経っていますが、ウイーン版を見ることによって、改めて
「エリザベートという作品はどういう意味を持っているのか」と再確認できそうな
感じがします
日本で一路真輝主演でずっと上演されてきたものとの比較をするのも
面白いでしょう。
なんせ日本では大人気のエリザベート皇后ですが、本場オーストリアでは
ちょっと見方が違うようですから
そして、このいわゆる「元祖エリザベート」上演と同じ頃に、宝塚でも
「エリザベート」の上演が検討されているようです
これが果たして事実なのかどうなのか、実際に配役が発表されてみないと
わからないのですが・・・・
実際に上演されたら、結局は見に行くことになるでしょうけど、個人的には
初演当時の感動を得る事は絶対にないだろうと思うし、個々の配役にしても
難癖をつける事はあっても絶賛する事はないだろうと思います
今の人達がどんなに頑張っても、初演の雪組と星組をしのぐ作品が出てくるとは
到底思えません。
日本で最初の初演でしかもかなり難易度の高いミュージカルに挑んだ雪組。
雪の大ヒットを受けて、これまたプレッシャーづくしだった星組こちらは
雪とは全く別な色を出そうと必死でした。
そういういつもの公演とはちょっと違う「心のあり方」にファンも共感し、共に
感動を分かち合ったのだと思います。
ここまで書いてきて・・・・
「これって多分初演の「ベルばら」月組と続演の花組もそうだったのでは?」
と考えてしまうわけです。
少女マンガの舞台化という大変なプレッシャーをはねのけての上演だった
月組・・・そして月のヒットにより花組での新たな「ベルばら」の全国的大ヒット。
どちらのファンにとっても、「永遠にあの頃の感動を閉じ込めておきたい」と
思ったはずです。
その「パンドラの箱」が開けられたのは1989年
以後、何度も上演され、今年はついにペガサスに乗ったオスカル様が空を
飛ぶ・・・なんて事もあり、劇団的に言えば「進化するベルばら」と言えるでしょう。
けれど・・初演の頃の感動は得られようもないし、年々レベルが低下しているのも
事実
往年のヅカファンから見れば、突っ込みと批判の対象に成り下がってしまったのが
現在の「ベルサイユのばら」です
それでもなぜ上演するのかといえば、確かにチケットが売れるからで
(そこにもきっと裏事情があるんでしょうけど)
ファンの誰もが「いい加減ベルばらは止めて欲しい」と思っている筈なんです。
そして・・かの「エリザベート」も1999年の3度目の再演をきっかけに、
その後花組、月組と上演を重ねて来ました
元々の脚本がしっかりしているし、曲も素晴らしいので「ベルばら」程
破綻するという事はありませんが、それでもやはり「何でこの人がトート?」
という事は出てきたし、何よりも腹が立つのは「脚本の読み違え」をしている
主役コンビが多くて・・・という部分です
「エリザベート」はエリザベートとトートのすれ違いストーリーですが、根っこの
部分で繋がっているので、ラストのラブシーンに違和感がないのです。
それなのに、近年よく言われるのは「あんなに憎みあってたトートとエリザベート
が最後に一緒に昇天するのは変じゃない?」という事。
これはまさしく「演じ間違い」から来るものと思いますが・・・
つまり、年月を経るに従って、初演当時の思想が変わってきたという事ですね。
「ベルばら」における価値観が(男性に抑圧されている女性の象徴)
変わらないのに対し、「エリザベート」における主役コンビの関係性は変わって
行ってるという事です。
このまま「エリザベート」を宝塚の伝家の宝刀として上演し続ける事に
ある種の危惧を覚えるのは私だけでしょうか?
「ベルばら」はしょうがないとしても「エリザベート」だけは、永遠の名作として
心に残しておきたいと思うのは私だけでしょうか?
そのうち「エリザベートはもう飽きたわ」と言われるような事になったら・・・と
思うと、ちょっと心配です。