もう・・宙組の千秋楽から1週間が過ぎて、正確には「新生宙組」が
誕生しているわけですが。
今更何をどういってもしょうがないというのはよくわかっているつもりですが。
今回の和央ようか・花總まりの退団セレモニーには本当にがっくりきて
しまったというか、夢をぶち壊してくれたなあーーというのが本音です。
これじゃあ、あの二人のファンは成仏できないのではないかと。
(ああ・・宝塚用語で退団を受け入れてちゃんとすっきりさよならすることを
成仏というんですよ。面白いでしょ)
昔、月組の千紘れいかが退団した時、彼女が宝塚にいながらにして
四季を受けたことが咎められ、二番手娘役だったにも関わらず、千秋楽の
退団のごあいさつをさせなかったというのがあります。
これに関して、「宝塚アカデミア」などには、
「どんな裏事情があっても、そういう部分をファンに見せる事はないじゃないか」
という意見が載っており、「まったくその通り」と思った記憶があります。
宝塚はファンに夢を見せる場所であり、スターとファンの関係は
とても密接なもの。そのスターの「退団」というのは避けられないことであり、
それゆえに、「退団」に関わる全ての儀式やコメントや作品には思いいれが
強く出てしまうものです。
ファンは、この全ての「退団」セレモニーですっきり成仏して、ここでヅカファンを
しばらく止めるか、あるいは次のスターさんを応援に回るか・・・という
道を選ぶわけです。
つまり、「退団」をすっきりというのは、継続的なファン獲得という事には
欠かせない行事なわけです。
それなのに、今回の和央・花總の退団劇は、ともに最長を誇る
在位年数や常に観客動員トップを走り続けて来たコンビにしては、
すっきりどころか、最後の最後まで心にひっかかるものだらけでした。
前作「炎にくちづけを」東京公演中の突如の退団発表。
退団しないと思われていた花總まりの突然の同時退団発表
和央ようかの怪我。それにまつわる確執
最後まで退団記者会見は行われず、東京公演の千秋楽に関しては
テレビニュースにもならない・・・(大劇場の時はあったのに)
裏で何があったのかなんて、所詮本人達しかしらない事だし、
憶測でものは言いたくないけど、異例の記者会見が行われなかった
背景として「和央の怪我に関する言及を避ける為」と言われているのは
確かで、そういわれれば「そうなのか」とも思います。
和央が怪我をして骨盤骨折という重傷を負ったのは事実だし、常識なら
それに対して、劇団側の謝罪やフォローがあってしかるべきだったのに、
「全て和央の自己責任」みたいな扱いをしてしまった事が問題でした。
さらに、さよなら公演「NEVER SAY GOODBYE」の製作発表の
時は「怪我に関する質問はしないように」とかん口令が敷かれたというし。
スケジュールを変えられない宝塚としては、和央がどんな重傷であれ
本人が出演しなくても予定通り「さよなら公演」はやらなければならないことで
(これもおかしい)それを責められるのが嫌だったのかな・・という気が。
さらに、在位12年を誇る花總まりという、キング・オブ娘役トップを
最後の作品では和央の添え物にして、衣装も並。そしてこちらも退団
記者会見なし・・・さらに「さよならショー」でも、彼女の代表作は全く出て
来ないという無視っぷり。
どんな鈍感なファンでも「これは変。これはおかしい」というのは
わかります。
それに・・・東京の千秋楽では次期トップである貴城けいへの励ましの
言葉もなかったとか・・・
和央・花總の「あいさつ」はどこまでもお互いの心の交流に限られていたようです。
「退団」イベントはスターにとってもファンにとっても神聖なものだし、
一つの時代の終わりという事で、しんみりしたり泣いたり、そして千秋楽まで
思い切り突っ走って「あの人と時代を共有した」思い出を胸に、新しいヅカファン
生活を送るわけで・・・
ファンじゃない人にとっても、いつも劇場に行けば、そこにいた人がいなくなる
事に対しての一抹の寂しさはあるし、その人が「次のトップもよろしくね」と
言ってくれたら「ああ、こうやって受け継がれていくんだなあ」と感慨もひとしお
になるはずなんです。
それなのに、今回は記者会見から一連の「心のけじめ」というものが
一切なかったような気がします。
成仏する為の「回忌」が全然なかった・・・
これでは、いつまで経ってもファンは心にしこりを残したままです。
私自身、以前大好きだった夢輝のあの退団に関して、とにかく色々な
裏事情は聞かされたし、最後の作品での扱いのひどさに非常に傷ついて
今でも彼女の最後の作品「ガラスの風景」「バビロン」は最後まで
見ることが出来ません・・・
和央・花總のファンの中にも、つらい気持ちで「NEVER SAY・・」を
見る人達がいると思うのです。
どうして劇団は、そういう・・・私たちから言えば「私的」なあれこれを
表面化してファンに見せるのでしょうか?
長い在団年数や彼女達の貢献度を思えば、何はどうあれ、最後なんだから
「すっきり一生懸命華やかに見送ってやろう」という気にはならないのでしょうか。
これでは、今後のスター達の中に
「どんなに一生懸命ファンの為に頑張っても劇団に嫌われたらおしまい」
的なムードが広がって士気に関わるのでは?
和央ようかや花總まり程、劇団に優遇されたコンビはいませんでした。
新専科制度のごたごたで、各組のトップがあっちこっちに振り回されて
いる時でも、この二人は常に北極星のように宙組の中心にあったものです。
作品的にも「ベルサイユのばら」「鳳凰伝」「ファントム」と名作にも
恵まれたし。
だからこそ、最後はどれほど惜しまれ、語りつくされて終わるだろうなあ・・と
期待していたものなのですが。
結局、二人の「本心」は見えずじまいになって終わりました。
今回の事は、両者のファンのみならず今後の「歌劇団のあり方」に
関しても大きな遺恨を残しそうな気がします。
どんなときでもスターとファンに優しかった宝塚はどこへ行ってしまったのか。
小林一三先生に蘇って頂きたい・・・と切に思う今日このごろです。