相変わらず秋篠宮家への誹謗中傷は止まず、心を痛める毎日です。
天皇皇后は二人とも「名誉博士」で、秋篠宮両殿下は正真正銘の博士で。
この「博士号」についてのコンプレックスが相当なものだったろうと推察はする。
なんちゃってでも何でも博士号貰って赤いガウンを着ることが出来たのだから、もう人生のピークで思い残す事もないでしょう。多くの人を不幸にして手に入れたものだしね。
驚いたのは、帰り、ホテルから出て車に乗り込む時、慌ただしく出てきた女官二人が白いマスクをしていたんですね。
え?イギリスでマスク? もしかしてこの人達、皇后の前では常にマスクしてないといけなかったの?としたら可哀想だなあ。
悠仁殿下の昆虫学会まで一ヶ月。
でも「博士ちゃん」を見ていると、今時は小学生でも中学生でも博学で研究大好きな子が多いという事がわかります。
先週、ニホンオオカミの剥製を見つけた少女なんて、その拘りっぷりがすごかった。だから悠仁殿下がトンボの研究をしても、学会で認められても全然不思議ではないのです。
「好きこそものの上手なれ」を体現されている殿下。
秋篠宮家の皆さまはみなそうです。
紀子様など学生やって妃殿下やって、でもコツコツ論文書いて手にした博士号です。ご優秀な雅子さまがなぜそれを出来なかったか。
努力が出来ない人だから 特に好きな事もなかったから 成績がいい事と「まとめ力」はまた違うと思うんですよね。
お子様に恵まれなかった8年間。何かやってたら今のていたらくはなかったでしょうと突っ込まれても仕方ない。
夫婦揃って「みかけ倒し」なんだから。
光君へ・・・を見て常に思う事があるんです。
ドラマの中の皇族や公家の方がまっとうな考えを持っていると。
実際の道長がどうだったかは別として、ドラマの中の道長はわりと常識派。
でも、何を考えているかわからない安倍晴明が、煽ってくるんですよね。
道長に有利に持って行こうとする力がそこに働いている。
安倍晴明にとってみれば道長こそ打ち出の小づちなのかなと思いますが。
で、要するに一条天皇が「伊周の乱」で廃した中宮定子を結果的に手放さず、出家したのに通いつめ、還俗させて御所の中に住まわせ、他の女性は目に入りませんという程に寵愛するわけです。
私は元々定子派、つまり清少納言と同じですが、ドラマの定子はちょっとあざとい感じがする。
本当はもっと苦しかったんじゃないか。お上の寵愛を受けつつそれがお上にとって何もならない事を知って辛かったんじゃないかと思っています。
出産は3回。そのうち、男子が二人生まれても早世、本人も出産と同時に亡くなってしまいます。こんな悲劇のヒロインはいないと思うんですね。
でも。
回りは一条天皇と定子の「恋愛」を許しません。
「帝が不道徳な事をしているから、災害が絶えない」
「傾国の女を寵愛するから流行り病が増える」
安倍晴明に至っては「これ以上帝が中宮を寵愛すればありとあらゆる天変地異が起きる。呪詛しますか?」とまで言う。
「枕草子」によれば、一条天皇と定子と伊周は本当に仲のよい3人グループで、特に定子は漢詩を得意として、それをかけ言葉にして冗談を言い合うというような才女でした。
「香炉峰の雪はどう?」という代表的なシーンもありますが、つーといえばかーの定子をいつくしんだとしても、全然おかしくないです。
「フィーリングが合う。愛嬌もある。話題が豊富」これ、礼宮の紀子さん評ですが定子もきっとそういう人だったんだと思います。
しかしながら、政治家としてはこれではいけないわけで。
ゆえに道長は一計を案じ「娘の彰子を入内させる」と言い出します。
これが彰子さんですが・・御免、ネットでは「女三宮にしか見えない」って言われてるって?私もそう思います。国籍不明の女の子で十二単が似合ってない。
むしろ「末摘花」じゃないの?このがりがり感はと思ったけど。
この少女はまだ子供だけど、道長裳着を急がせさらに、盛大に行いました。
「裳着」とは成年に達した女子が初めて「裳」を着ける儀式で女性の成年式です。
裳を結う結び親はこの時、女院様という最高の顔ぶれ。
どうしてこの「裳着」が近代皇室から消えてしまったのか私にはわからないのです。
もしかすると、明治の女官制度を改めた時点、「洋装令」が出された時点で「古い」と行われなくなったのかもしれません。
今は、成年式はローブデコルテを着て賢所参拝。両陛下に挨拶ですが、きちんとこれを行ったのは眞子様が最初と思います。
紀宮の場合は昭和天皇の喪中でした。
あまりに可哀想だからと内閣の人達を呼んで食事会をしたのです。
ローブデコルテ、ティアラ、アクセサリー一式は内親王や女王にとって必要不可欠なもの。ここで一そろいさせて、公務に当たるわけです。
しかし、愛子内親王だけはティアラもアクセサリーも借り物という不可思議な事が起きてます。ドレスだけは作ったけれど。
つまり最初から「公式の場」に出るという事を想定していなかったと思われます。
それはさておき、「傾国の女」とまで悪口を言われ、帝がそんな風に中宮に夢中になっているから政務がおろそかになり、国が乱れ天変地異が起こると考える。
これは平安時代に限らず、近代にいたるまでそういう考え方だったのです。
ゆえに一条天皇も彰子の入内を断れなかった。
そういう分別はおありだったというか、回りが無理にでも動かす力があった。
しかし、平成になってから。
「科学者」「科学を信じる」と言われた上皇は、天変地異を「己の不徳」とは考えなかったのですね。
昭和天皇は即位の時、真っ先に崇徳天皇の霊鎮めの儀を行ったと言われていますし、終戦の時は、皇族を全国の神社に派遣して「終戦」を報告させました。
そういう素朴な天皇としての「信仰」がない上皇陛下は、即位してからすぐ、奥尻島の津波、雲仙普賢岳の噴火等が起きても中々腰を上げませんでした。
小和田雅子入内後は、即、阪神大震災に地下鉄サリン事件、新潟地震に熊本地震。
極めつけは東日本大震災ですよね。
確かに上皇夫妻は率先して被災地回りをしたけれど、そこに「祈り」はあったろうかと。
もし上皇がブータンの国王陛下のように、荒ぶる海に向かって読経して下さったら、僧侶のように法話を聞かせて下さったらどんなに素晴らしかったろうと思います。
無論、仏教国だけでなくキリスト教国の王族も日本の被災地に対してかけて下さった愛情は「神への信仰」のなすわざで、地べたに坐ったとか、抱きしめたとかそういう事ではないんですよね。
確かに「光る君へ」では、醜い権力争いも描かれました。
特に花山天皇を退位に追い込むなど、あまりに非道と思われる事もありました。
しかし、当時の貴族社会では「この人は天皇にふさわしくない」と思ったら、あっさりと切る力が働いていたと考えてみてはどうでしょう。
ここまでは天皇として許される。けれど、ここから先は国の上に立つものとしてやってはいけない。区別がちゃんとついた時代だったのです。
振り返って令和はいかがですか?
誰も裸の王様夫妻に何も言えず、逆らわず、させたい放題にさせた挙句、日本という国を格下に見せてしまった。
これは天皇として絶対にやってはいけない事でした。
日本の皇室は世界一の歴史を持ち、王国より格が上なのです。
尻尾振る犬のように「イギリスへ行きたい」「思い出の地へ」「ガーター勲章」など自分から要求しているように見せてはいけませんでした。
ワイドショーの多賀さんなどは絶対に、「イギリスの方が華やかだし皇室より上」だと思い込んでますよ。いい歳して。
この責任は誰にあるか。
宮内庁も勿論ですが、有識者会議などを開きながらも実は全く皇室に興味のない政治家が最も悪いのです。
岸田総理は「天皇や皇后がイギリスで粗相しても大したことない」と思っているかもしれませんが、そういう無関心がやがて自分にも跳ね返ってくるんですよ。
なんせ「遅刻」をスナク首相は見てましたから。
「日本人は遅刻する人種」と思われても何も言えませんからね。
ああでも、一条天皇は「源氏物語」を手にした時、きっと定子を思ったでしょう。
切ない桐壺邸と桐壺の更衣の恋に。
紫式部が光源氏に最後に与えた「正妻」が女三宮だったと言う事が、その当時の後宮ではきっと大いに噂になったでしょうね。
頭中将の子、近江君は貴族の生活に慣れずに飛び出していきます。
そうなさったら?ねえ?
どうせいつかはせいぜい末摘花で、寒いのに皮衣一枚で震える結果になりましてよ。