泣くな詩!次がある!
・・マスコミの常なんだけど、盛り上げる為に過大な期待を背負わせてないですか?
優勝候補とか勝つのが当たり前みたいな感じ。
そのプレッシャーを受けての、今回の敗退もあるんじゃないかと思います。
柔道に関しては審判に疑惑が生じた事から、素直な気持ちで見る事が出来なくなったけど、それでも「金メダル」ばっかり言うのはどうかと。昔のメダルを振り返る番組を2つくらい見たけど、過去の栄光は過去でしかないあわけで。
現役はそっとしてあげられないかな。
パリ五輪の開会式。楽しみにしてて録画してたんですよ。
まさか4時間もかかるものだとは思っていなかったので。
そしたら最初はよかったんだけど、だんだん、それが美しく見えなくなって・・・
世界中で批判される事になりました。
その理由とは一体なんでしょうか。
右派と左派 言葉の由来はフランス革命
フランス革命は1789年7月14日のバスティーユ攻撃から始まりました。
その後、革命派はロベスピエール率いるジャコバン党とジロンド党に分かれたのですが、向かって右がジロンド派、つまり国王を処刑する必要はないと考える王統派、そして左側がジャコバン派。全ての革命は邪魔になるものは排除し、独裁政権へ持って行くと言う考え方です。
最初は「自由・平等・友愛」の精神で始まった筈の革命思想が、独裁と密告のせいで信じられない程、人々を死へといざなう事になりました。
「ひかりふる路」を見ればわかります。
この作品を見たあとでは革命に涙するオスカルが気の毒というか「後を知らずによかったね」と思うしかありません。
今回のパリ五輪はまるで、革命当時を思い出せ!自由・平等・友愛とは、誰が誰を愛してもいい、どんな格好も許される。神ですらこの思想の前には排除すべきという考えが前面に出たものでした。
ゆえに、段々と違和感が出てきて、「美しくてファッショナブルなパリ」のイメージがすっかり「エログロナンセンス」になってしまったと言う事です。
3色のスモークから「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」
分かる人にはわかる「オペラ座の怪人」から始まったショーが、レミゼの舞台の中に溶け込んでいく・・それは本当にいいなと思ったんです。
しかしながら、実は二つのミュージカルはフレンチではありません。
自国の文化を誇るのであれば、「1789」とか「ロミジュリ」とかを入れるべきだったんじゃないの?って。
たまたまフランスを舞台にした作品をイギリスやアメリカで作られ、それをさも自国のもののように表現していいのかなと。
図書館での3人
最初、「ママが好きそうな図書館」って姫が言ったので、あ、本当だ。こんな本だらけの所にすみたい。私の理想は「マイ・フェア・レディ」の図書室に住むこと。
しかし、登場した3人が持っている本は「愛について」のもので、女性、黒人男子、白人男子、彼らが性別に囚われず3人で愛し合うというシーンが・・・・寸前でドアがばん!としまったけど、その後が想像できるものでした。
なぜこんなシーンを盛り込まないといけないのか。
パリのレビューにフレンチカンカン
まず、ガガ様登場で「はて?」と思いました。
ガガ様はアメリカ人でしょ?何でパリでレビューやってんの?って。
しかも、少々太目のダルマ姿に入れ墨・・さらに下に付きすぎた羽根。いや、これはちょっとレベル低くない?
と思ったら、ムーランルージュによるフレンチカンカン。すごく期待してたのに、足は揃わないわ、ばらばらだわ・・・え?宝塚の方がすごい。
色々考えさせられました。
「たゆたえども沈まず」からコンシェルジュリでのアントワネットの首
これが「たゆたえども沈まずの船ですが、後ろはコンシェルジュリで、革命家オランプのような女性が・・・・
で、これですよ。首が歌ってるの。コンシェルジュリはアントワンッとが最後にいた場所で、ここから処刑場に行ったのですが、あまりにも残酷すぎるし、革命賛美?
ヘビメタは「ゴジラ」というバンド。
もうね・・・フランス革命再来を喜んでいる?って感じで。
左派の好きな言葉は「革命」ですから、この演出は当然なんですけど、祭典でやる事か?と思わずにいられませんでした。
ミニオンとモナリザ
ミニオンは勿論フランスのキャラじゃないし、ルーブル美術館から絵が消えて水に浮かぶ。そこを選手達が船で渡っていきます。でもモナリザはミニオンと一緒で、最後は水面に浮かぶのです。名画に対するこの扱いってなんだろうと違和感。
LGBT賛美は「自由・平等・友愛」なの?
ダンスの中でこんな風に男同士で愛し合うのが当然的なシーンが繰り広げられ、
橋の上でのランウェイは不可思議な衣装が列をなし、もうフランスのファッションってなんだ?って感じ。
これ、キリストなんですよ。胸があるキリストが床を這うとかありえないでしょ。
ドレス着てるのは男性なんですけど。
早い話「多様性」というのは男性がひげをつけたまま女装する事なのか?と。
アヤ・ナカムラ
この人は移民ですね。で、黒人なんです。
反対側には白人のおじさん達が演奏する鼓笛隊がいて、結果的にアヤ・ナカムラの「ジャジャ」に取り込まれていくような演出なんです。
多様性・・・白人も黒人も差別なしを訴えたかったんだと思いますが、白々しいな。
最後の晩餐
はい。ここにもイエス様がいるわ~~何ともおぞましい光景ですが。でもまあ、最初はダンスなどで盛り上がっていたんですけど。さすがにこれは
え?なに?レインボーのお皿に・・・全裸を表現する男がいて歌っている。
思わず、下を見るな~~~と。子供に見せてはいけないシーンです。
何でこんなセンスない演出をしたんでしょうか。「多様性」を表現する為だったらしいけど、これでは「変態を擁護する。変態を増やそう。気持ち悪い事を気持ち悪いといってはいけない演出」ですよね。
結果的に謝罪する羽目になったけど、作り手は憤慨しているだろうと思います。
燃えるピアノ
これは「イマジン」のシーンなんですけど、どういうわけかピアノが燃えている・・ように見えるんです。なぜ燃えるのか、これは愛とか夢を燃やしているのか?それとも絶望の炎なのか全然わかりません。
今回、雨が降って楽器にとっては本当に最悪の環境だったと思います。
雨が降りしきる中のグランドピアノ、鼓笛隊、そして炎が間近に迫るピアノ。楽器のケアをどうするのかと・・何という酷い事をしたかなと。
青白い馬にこめた思いは
まあ、川の上を走っていく馬はかっこいいと思ったんですけど、理由を知って驚きました。
この「青白い馬」は聖書の黙示録の最後で、人々を災いと死に導いていく死神を表現しているんだそうで。
え・・・・これって「災いを~~~」と詠った皇后陛下よりひどいじゃん。
何で祭典、これから始まるぞって時にこんな不吉な演出をしたのか。
ゆえに五輪旗もさかさまだったのね。と、思いました。
大雨が降りしきる中、選手達は勿論、聖火を持った人、セリーヌ・ディオンもびしょぬれになってしまいました。
マクロン大統領は濡れなかったんですよ。
セーヌ川を使いたいという意思はよいけど、雨天の時どうするかという点への配慮がなされていない所が問題でした。
パリは24度くらいで、夜になればもっと気温が下がるし、雨にぬれたら風邪もひく。
誰が責任をとるんだろうと。
「ナショナリズムの祭典」といいながら、ほとんどは「フランス国歌」を冒涜するものでした。
これが左派が支配する「自由・平等・友愛」のフランスなんですね。