ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

「女性」というものは自認で決まるものではない

2024-07-12 07:00:00 | 政治

行きすぎたジェンダー思想の結果、何が何だかわからなくなりました。

 西日本在住、戸籍上男性、「私は50歳未満の女性です」

 トランスジェンダー要件として「生殖器をなくすこと」

 性が変わるからといって、手術を強要するのは憲法違反だ

 手術なしで性転換をゆるす

と言う事になったわけです。

これが始まりなのか、本当の「特例」なのかわかりませんが、この判断は間違いであると、絶対に間違いであると私は断言します。

以前にも書きましたが「性」というのは、生まれつき備わったもので自分の意志で決めるものではない。

今までも「女性」自認の男性は多々いたと思いますが、服装や仕草等で何となくわかるし、それを否定する国でもなかった筈なんです。

しかし、戸籍上までも変えたいというのは一体何でなんでしょう。

そうしたからといって、子供を産めるわけではないし、仮に普通の男性と結婚して養子縁組出来ますか?って話ですよ。

何のために戸籍上まで性を変え、さらに「痛い思いはしたくない」というわがまま勝手が許されるのか。

清朝や沖縄に生まれていたら即宦官になればよかった・・・というか、前世は宦官なのか?

 

どうせ裁判所で判決を決めるのは男だし、だんだんしつこくて面倒になって「いいよ。手術なしでも女って認めてやるよ」くらいな気持ちだったのかな?と。

(そんな事はないけど、日本には決定的に法律が追いついてないから権利を主張されたらダメといいづらいものがあるんでしょう)

 

しかし、本物の全女性に私はいいたい。

この決定は、世界の全女性に対する「差別」であると。

性自認の「男」よりも「女」の方がはるかに軽い措置で性を変えることが出来ると私は思います。

世の中の「男」というものは、1万年経っても「女性」というものをわかっていないし、敬意を表した事すらないのではないか?

とさえ思えるからです。

女性というのは

 10代から50代にかけて「月経」を背負う

 妊娠・出産を背負う

 腕力では男性には叶わない

女性と言うのは生まれてから「血」にまみれている存在です。

それは将来的に子孫をこの世に残さないといけない、それを請け負う側の「性(さが)」なんだと思うからこそ、辛い月経に耐え妊娠の辛さに耐え出産の痛みに耐えて来たのではないか。

そんな「母」から子供が生まれて世代が変わっていく。

この女性としての「毎月の月経」を経ずして単純に「私は女」と言い切る自称・女のどこに価値があるのか。

彼は何をもって「女」と証明するんですか?気持ちですか?心ですか?

花柄が好き?スカートが好き?人形遊びが好き?男性が好き?

そんなもので「本当の女」になった気になるなと私は言いたいです。

 

女性というものに対するリスペクトもなく、安易に「私は女」なんて言わないで。

こんなのが女性トイレとか女性風呂に入って来たらハラスメントですよ。

2キロの羽根しょって男になりきっている人達ですら避けて通れないものを、経験もでずに言いはるなんて、子供だと思います。

本人は勝った気でいるかもしれませんけど、代償は払えよと。それまで他人のせいにするなと言いたいです。

 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする