日曜だったからいいのかな。とはいってもね。
7月21日 愛子内親王はお忍びで学習院へ
OB管弦楽団の演奏を友人と2時間程楽しんだ
そうです。
今更チェロをやってた頃の画像を持ってきても、22歳のご本人はワゴン車で移送されているような感じで。
正直、なぜお忍びなのかわかりません。
堂々とおしゃれして見に行けばいいじゃないの?って思いません?
思わせぶりに「お忍びで」の意味がわかりません。
そうかと思えばデイリー新潮がまたおかしな記事を。
「愛子内親王は政治に翻弄されている」宮内庁OBが憂う理由・・だそうで。
愛子様はかつての和宮と同じような立場だ。
和宮は婚約者がいたのに政治に翻弄されて徳川家に嫁いだ悲劇の内親王
愛子内親王は「女帝に」なる筈だったのに、悠仁親王が生まれ、事なかれ主義の政治家は「女帝」議論をやめた
皇室は女性皇族が減ったら人手不足で大変なことに。愛子内親王には皇室に残って欲しい
エリザベス女王の葬儀へ行く両陛下を見送る愛子内親王に宮内庁は「立派になられて」と感慨しきり。
へえ、この写真を見て「ご立派になられて」ですか。
どっちが葬式いくのかわからないといわれた写真ですけど。
結局「お見送り」はこれっきり、飛行場にも行けない。
社会人になってから・・・ほとんど公務せず。
正直、いてもいなくてもどっちでもいいって感じですけど。
こんなんで褒められるという事は、暗に「お辞儀すら出来なかった」と言っているようなものですね。
5歳も年下の悠仁親王は、すでに公務もいくつか経験されているし気まぐれもないし。
和宮を「悲劇」というのはどうかと思います。
確かに最初は「武蔵野の露ときえとも」って歌ってるくらいに関東へ来るのは嫌がっていたけど、徳川家茂と結婚して彼女は初めて恋をして幸せだったのでは。
しかも、嫁ぎ先を救うという大立ち回りもやってのけ、ゆえに後世まで語り継がれ、棺の中には家茂の写真を持って眠っていたというくらいだから、結局は幸せだったと思います。
有栖川家に嫁いでも、結果的に子宝に恵まれず絶家になる運命だったわけですしね。
本当の悲劇というのは鷹司和子さんですよ。
お互いに好きどうして結婚したのに、死産になるわ、夫に浮気されるわ、愛人宅で死ぬわ、自宅に包丁を持った男に襲われるわ、昭和天皇が不憫がって赤坂御用地に住まわれたのもわかるくらい。
それこそ元の秋篠宮邸だったのです。
結婚というのはしてみなくちゃ結果はわからないのです。
皇后は、実際の所皇太子と結婚なんかしたくなかったろうし、妊娠する気もさらさらなく、ひたすら海外旅行出来るものだと思い込んでいた。
38歳でやっと愛子内親王を産んだけど早々に第二子を断念。
彼女的には「愛子を天皇にすればいい」とでも思っていたのかもしれませんけど。
そこに悠仁親王という正当な男系男子が生まれたんだから、翻弄されるも何も、愛子内親王は「内親王」のままです。
未だに先がわからないと喧伝すけれど、先は決まっている。
一生独身でパラサイトするか、誰とでもいいから結婚して降嫁するか。
選択肢は2つに1つで、それ以外はありません。
いい加減、ありのままの娘をお認めなさいませ。
天皇と皇后の一人娘は女三宮程度でしかない。
わけもわからないうちに、不祥事が起こる前に目を光らせておかないと。