韓国版「ベルサイユのばら」が7月16日からソウルの劇場で上演されているようですね。
「ベルサイユエチャンミ」(ベルサイユのばら)
ポスターがしゃれているなと思います。3色で白いばらにvの字が突き刺さってる。
何とはなしにフレンチミュージカル風な感じっていうんですか。
オスカル3人、アンドレ3人のトリプルキャスト。
で、物語はオスカルとアンドレ中心でアントワネットとフェルゼンはあまり出てこないらしい。ここらへん、アントワネットとフェルゼンがどのようにカットされているのか興味ありますし、宝塚版では欠かせない「今宵一夜」とかバスティーユのシーンがどうなっているのか、死んだ二人はどうなるのか等々、ちょっと見たかったなあ。
まさに女ながら軍人のオスカルって感じのビジュアルですね。
ここらへんは素直に認めないといけません。
登場人物が少なく、舞台も狭い。それでもこれだけ豪華なものを作り込んでる。
日本の場合、どうしても「植田紳爾演出」というものが足かせとなって、自由に物語を描く事が出来ないのです。
時代錯誤なセリフ、セクハラセリフのオンパレード。
しかも、現在雪組で演じられているのはフェルゼン編。
本来、「ベルサイユのばら」の主役はあくまでオスカルとアントワネットです。
しかし、「男役」を頂点とする宝塚ではアンドレやフェルゼンの名前が先に出てしまう。
セオリーとして
トップに似合うのはオスカルなのかフェルゼンなのかアンドレなのかに合わせてストーリーを変える
「今宵一夜」の歌舞伎のような仕草は長谷川一夫演出で変更不可
オスカルは男役が演じる
正直、私の中で「ベルサイユのばら」は昭和51年の花組・安奈淳と榛名由梨で終わってると思うし、フェルゼン編に関しては星組・鳳蘭と初風諄で終わってると。
なぜなら、植田紳爾セリフを流暢に話せた世代はあそこだけ。
さらに時代背景として、女性の職業は限られており、男性と対等に口をきくという事も少なかったため。今のように女性の自衛官が普通にいる時代には合わないのです。
ゆえに「女だって幸せになる権利はある」というオスカルのセリフが生きる。
では韓国版のテーマは「自分の信じた道を行く」という事だそうです。
オスカルはジャルジェ家という王党派の貴族出身。
その彼女が、平民側の衛兵隊の隊長となりバスティーユ攻撃に参加するという、真逆の行動をとる事が「信じる道を行く」事なのだと思います。
ルイ16世やアントワネットと親しい間柄だったオスカルが、ルソーの思想、ロベスピエールとの出会いを通じて「今の国家のあり方は間違っているのではないか」と思い、自分なりに精一杯の事をした・・・それが衛兵隊に入り、革命側に付く事。
そこらへんのテーマを宝塚はとっくに忘れているような気がします。
宝塚のテーマはあくまで「愛」なので、アンドレのオスカルへの愛、フェルゼンのアントワネットへの愛、どちらも無償の愛です。
ひたすらに愛を突き進む事によって悲劇へと導かれているんですよね。
韓国版ではアンドレのオスカルへの感情をどのように表現されているのか、ちょっと興味ありますけど。
そもそも平成版から「ベルばら」はおかしくなったなと感じています。
壮一帆の「ベルばら」なんか演出、頑張ってみたけど「革命物語」になっちゃったし。
実際のところ、フェルゼンってヴァレンヌ逃亡の企画は練ったけど実際には、その後スウェーデンに帰っているし、活躍のしどころがないのです。
だから無理やり、オーストリア皇帝に直訴したり、最後の牢獄に登場させたりするわけですが、今一つなぜ、アントワネットを救えなかったかという所が曖昧なんですね。
だって気になりませんか?
オーストリア皇帝はアントワネットの兄なのです。なぜ彼がかくもきっぱりとアントワネット救出を拒んだか。フランス革命の余波をヨーロッパの王室は避けていたし、オーストリアは国内的に様々な難問を抱えていました。
さらに兄・ヨーゼフ2世と次代のレオポルドの2世はアントワネットの処刑前に死去。
後を継いだフランツ1世がマリー・テレーズを救い、フェルゼンが彼女の財産相続に奔走したと言われています。
だから、あの僅かな直訴のシーンは大きい筈なんですけどね。
韓国版はいつか日本に来るかしら。それともどこかで放送されるかな。
ちょい興味あり。
無論、宝塚版もね。見たいけどなあ・・・・無理かなあ・・・
もうね、いい加減に宝塚も「ベルばら」を解放しましょうよ。
「1789」とか「ひかりふる路」などが上演されて観客の知識も増えています。
いつまでも植田演出に拘っていてもダメじゃないかな。
だけど、韓国版にしても日本にしても「なぜオスカルは男装なのか」という点は悩むと思うんですけどね。