・・・って書いたのは今週発売の「女性自身」
どういう意味かわかりませんが、「期待が大きくプレッシャーで書けませんでした」
なのか「マスコミが騒いだせいで書けませんでした」というのか。
何と言っても小和田雅子氏は英語にロシア語にフランス語に・・・5か国語話せる設定じゃなかったっけ?
そんな事言ったら私も韓国語と中国語話せるよ。って事になっちゃう。
オックスフォードであっちのマスコミに「どうですか」と聞かれ「いい学校でした」と答えた皇后陛下。
何でも紋切り型に言う癖があり、それは婚約記者会見の時からそうでしたよね。
「今も昔も変わらず・・・」とかそういう修飾語を使えない質で、
「どうですか」→「いい」
「同じ時期に?」→「いえ、5年」
こんな風にお答えになるわけで、これのどこがそんなにご優秀?と思うのですが。
彼女が、いわゆるオックスフォードで留学時代を送ったり、東大に入ったり、様々な「お勉強」をしながら北米二課に配属されたわけですが、彼女が回りからどう思われていたか、わかる映像があります。
マスコミと一緒ですから、とにかく気持ちはハイテンションで、意味もなく「へっ」と笑う。こういう風に笑う人は、心のどこかで落ち着きがなく場違いだと本当は思っている感じです。
北米二課ではお祝いムードというより、しら~~と空気が流れ、本人も気づいてはいるんでしょう。一生懸命に笑ってごまかそうとしています。
「寄せ書き」に驚き受け取りますが、何だか偏った寄せが着ですよね。
回りはあまり笑ってません。
「おめでとうございます」とは言っててもお祝いムードがないのです。
記念写真を撮りたいマスコミ、同僚になんか話しかけられて一瞬目が怖くなったのですが、こういう人だからやっぱり嫌われていたのかなと。
親子で渡辺美智雄氏の所に。
椅子をすすめられて、どっちから行ったらいいのかわからずうろうろ。
渡辺氏に「こっちからきたら」と言われて「はい」とか何とか。
態度の一つ一つが偉そうで、みっちーもさぞかしいやだったろうな。
小和田「長い間と言いたいところですがそうでもありません」
渡辺「10年か?10年?6年?」
小和田「留学とかありましたから実質3年です」
渡辺「3年か。夜が遅いのでお父さんと一緒に心配していたよ」
外務省に父がいると大臣が心配してくれるのか・・・いかに特別扱いかわかりますよね。なんせこの時、カローラで通っていて「新人」はダメなのに特別扱いとマスコミに暴露されて、いきなりやめた程ですしね。
大臣に何を言われても笑ってるだけで。
マスコミに促されて握手したけど、本当はしたくなかったみたいな?
「私の方からは今までのお礼などを申し上げまして、皆さまからはこれから頑張って下さいっていうような励ましの言葉を頂きました」
「先月の19日の皇室会議の記者会見で申し上げた通りでございますけれども、そのあと、両陛下や皇太子殿下に大変に温かい心遣いを頂きまして、あの、とてもありがたく存じております」
これもセリフになってますよね。
それにしても、いくら父親が同じ職場といえども、父同伴で「娘」になりきって黙って笑ってるだけって、こんな風に父は娘を支配してきたんだなという事がよくわかります。
外務省を出る時は、さすがに拍手と声がかかっていたけど、そっちを向くでもなくずっと隣の人と喋ってる。
三つ子の魂百までだなあと感じました。
とにかく、これから嫁にいく人の顔じゃなくて、絶対的な地位を手にした得意満面な顔に見える。だからあの時も、嫌な感じをしたんだなと思います。
記者会見の生中継の時も、皇太子には学友が何人もテレビ出演してて、だけど雅子さんには一人だけ。
礼宮と紀子さんの時は両方とも学習院で同じサークルで・・だから和気あいあい、女性も男性も好き勝手な事言ってましたけど、こっちの方は皇太子の学友は楽しい思い出があったようですが、雅子さんの友人は話題がない。ただ「おわ」って呼ばれていたという事のみ。
ハーバードでも、東大でもオックスフォードでも外務省でも友人が出来なかった理由は、小和田恒という後ろ盾を傘にしてわがままだったからじゃないのか?
相手の気持ちを慮る事が出来なかったから、次第に離れていってしまったのかも。
それが「将来を嘱望されたがゆえに修士論文を書き上げることが出来なかった」皇后の現実です。
国益にもならず、論文一つ書き上げる事無く、せっかく行ったイギリスでも遅刻とひきこもりを続けた60歳の女性に「名誉博士号」を贈るとは。
大学に法則発動しないように祈るだけですね。