やっぱり歳をとると、色々矛盾が見えて来て、そういうものを伝えなくちゃいけないという気持ちになる。だから年寄は嫌がられるのかなと思うけど、忘れ去られる記憶を残さないといけないという気持ちにもなります。
先週の「寅に翼」は、いわゆる「相続」に関する話でした。
寅子の友人の一人、梅子の夫が亡くなり相続問題が勃発した時、愛人が遺言書を持って現れ、「全財産を残す」と言われたと強調。
でも、それは嘘だった事がわかるのですが、今度は妻である梅子と3人の息子達の相続権について争います。
まず、「全財産を愛人に残す」という点については梅子が「遺留分」の話を三男にしてきり抜けます。
でも、ここからが問題でした。
新民法では、「妻に2分の1,子供は残りを等分」になっているのですが、長男は納得しません。
自分が全部相続する代わりに家族を養うというのです。
確かに戦前の民法では戸主が全てを相続する代わりに親兄弟、果ては父の愛人も養わなければなりませんでした。
しかし、新しい民法では一応、「均分相続」という一見非常に平等な法律が出来たのでした。
すると今度は「全員相続を放棄しろ」と長男は言い始めます。
姑は「孫嫁が気に入らないから梅子の世話になりたい」といい、もうめちゃくちゃです。
そこに、今度は三男が実は父の愛人と恋人関係だった事が発覚。
呆れ果てた梅子は「財産放棄します。そして妻も嫁も母もやめる」と言って一人で暮らす事にしたのです。
父の愛人と息子が恋人同士・・・今ではそんな事ありえないだろうなと思いますけど。昭和でもさすがにそれは・・・かなと思うけど。
問題は「新民法」にあるのではと私は考えます。
昭和の時代、私達は「均分相続」はとても男女平等な法律であると習いました。
けれど、回りをみるとこの「均分相続」にまつわる悲劇ばかりが目についたのです。
戸主制度にあった「妻」と新民法下の「妻」の立場の違い
戸主制度では「戸主」が一番偉いです。父が歳をとり息子に「家督」を譲ると家の中で最も権力を握るのは夫である「戸主」そして戸主の妻です。
舅姑は部屋を移ったり、座る位置を変えたりしてはっきりと立場の違いをしらしめ、表向きは「戸主&戸主の妻」を敬い、従わなくてはいけません。戸主は両親に対し「孝行」という形で恩恵を与えます。
「戸主の妻」は一家の台所を握っていますし、戸主がよほど横暴でない限り、「正妻」の立場は守られ、次の戸主になる息子にも大事にされます。
次の戸主は「孝行」という形でまた父母に恩恵を与え、生活を保障します。
しかし、新民法の「妻」は「世帯主の妻」です。
子供は結婚するまでは両親の戸籍に入っていますが、結婚と同時に新しい戸籍を作ります。筆頭者を決め、本籍地を決める自由があります。
世帯主の妻は世帯主が死ぬと相続は2分の1,あとは子供達が分けます。
では、世帯主の妻の生活の保障は誰がしてくれるのでしょうか?
長男ですか?次男ですか?長女ですか?
財産分与と「扶養義務」がここで分かれてしまいます。
また、子供達は結婚と同時に新戸籍を作りますので、様々な場面で「親子の証明」とか「親が生まれてから死ぬまでの戸籍」などを要求されます。
相続に関して戸籍取得だけで1万円もかかる事があるのです。
戦前から続く価値観をおかしな方向に転換した昭和後期
そうはいっても、戦後40年くらいまでは「戦前戦後、一生懸命に自分達を育ててくれた親」に対しての孝行心というものは存在し、特にそれを背負ったのは「長男の嫁」です。
また、明治生まれの老人にはかなりの年金が手に入り、結構豪華な暮らしが出来ました。ゆえに財産目当てというか、そういう意味もあって長男は「親は見る」となるケースが多かったのでしょう。
しかし、戦後50年が過ぎると今度は老人の「長生き」が問題になってきます。
平均寿命が延びて、ボケたり寝たきりになったりします。
しかし、価値観はそのまま「長男の嫁」だから舅姑の面倒を見るのは当然という回りの目がありました。
そしていざ、相続を迎えると、介護も見舞いもしなかった兄弟がやってきて「均分相続」だから金よこせとなるわけです。
「あなた達はお父さんやお母さんの面倒を見てない」
「そんなの関係ねえ」
って事ですね。
財産が株券や金券ならいいけど、家一軒しかなかった場合、それを売って得た少量の金を分配しなくてはならない状況に置かれるのです。
さらに世帯主を失った妻は、自分の子供達に面倒を見て貰う訳にいかず、ボケても一人で住んでいる・・・というケースが多々あるのです。
アメリカから押し付けられた新しい民法は昭和後期から、沢山の女性を泣かせて絶望させてきました。
少子化の中で「長幼の序」も消え、優しい人が犠牲になる世の中になりました。
正直、ドラマの梅子さんも、どうやって生活を立てていくのだろうと心配になります。
アメリカでは成人と共に家から出るのが当たり前で、州をまたいで遠くへ行く人も多いですから、それこそ何年も会わないと言う事は多々あり、だからといって誰も責めたりはしません。
親は親の人生を送る。例えば離婚したり再婚したり、趣味に没頭したり。
少なくとも「孫の世話で自分の生活がない」と言う事もないのです。
いい意味での個人主義が徹底していて、キリスト教的手助けも受けられる国と、「血縁」に拘る日本ではかなり違う。
その違いをまるっきり考えずに作られたのが今の民法だと思います。
21世紀は子供が家から離れず、親子依存しあって暮らしている状況が多い。
それこそ法律で「20歳になったら自活せよ」と言わないとダメなんじゃないか?って思うくらいですね。