10月23日 秋篠宮両殿下はブループラネット授賞式にご出席。
もう恒例ですね。紀子様のお着物の帯がすばらしくわびさびで素晴らしい。
もっと全体を見たいなと思わせる着物です。
さて、10月23日といえば眞子様のお誕生日。33歳になられました。
文春には、例の詐欺事件にひっかけて「小室圭・眞子夫妻トラブル」と大きな記事になってましたけど、どうでもいい記事だったけど、救いだったのは、現在の眞子様は、ニューヨーク郊外でボランティア活動に精を出しているという所。
ご近所お付き合いもしているとか、人当たりのいい方で回りからも評判がよい。
博士課程後期まで行ったのに、ボランティアをする「奥様」になっているなんてもったいないけど、今の眞子様には必要なリハビリなのかもしれません。
眞子様には佳子様にないムードがあります。
そては「威厳」ですね。ゆえに佳子様の明るさが引き立つというか。
この姉妹は本当に凹凸の関係だったなと思います。
生後3ヶ月の時、ブッシュ大統領夫人から「ストロングベビー」と呼ばれた頃。
生まれた頃。まだ一人っ子。
「犬さーん」ドシーン!「怖い~~~」
「お友だちになりたかったのね」の頃。
お姉さまになりました。
タイ訪問では、きりっとした内親王。
2006年、式年遷宮行事に参加。
眞子様の本当に楽しそうな笑顔が嬉しかった。
2008年、初の単独公務。17歳の頃。この頃はもうある意味ポーカーフェイスですね。
2011年 成年式 誰よりも極上の生地で作られたロブ・デコルテに、手を繋いでいるようなデザインのティアラ。
2015年 初の単独海外公務 ホンジュラス 24歳。
2016年 「かいめい」の甲板で鐘を鳴らし音に驚いて思わず微笑む。
この手の上品なこと。
2016年 パラグアイ
2017年 ブータン
2018年 ブラジル
同年、トキの放鳥
どこか優しく、だけどちょっと寂しげな感じがする眞子様
2019年 ペルー
即位の礼
2020年。
今の皇室にはあまりにも穢れなきお姿でした。
一人で闘って来たんですよね。
怒りも悲しみも全部飲みこんで、全てを捨てて、皇室を去って行かれた。
その潔さが今はあだとなったと思っています。
年齢を重ねるに従って、恐らく眞子様は多少の融通性を持ち、考え方も変わって来るかもしれません。
すごいと思うのは、あの小室圭をずっと陰で支え続け夢を叶えさせたこと。
そしてあれ程母親べったりだった彼をきっぱりと切り離し、一度目の就職先ではすぐに退職してしまったのに、今はちゃんと働いているというか、働かせていること。
退路を断ち、前に進ませたのは眞子様の力が大きい。
そしてわりと目立ちたがりの彼をひっそりとさせている事です。
それでも、私はアメリカが眞子様の最後の国とは思いません。
神様お願いです。大切な姫を日本に戻して頂きたい。
伊勢にこそ必要な姫なのですから。
しかし眞子さんの独特な荘厳さは今も忘れられません。
あの頃はいつか伊勢の斎王になられると思っていました。
愛子さまの温かで素直そうで無垢な雰囲気、佳子さまの強くしなやか溌剌とした雰囲気、悠仁さまの思慮深そうな雰囲気。私はいずれもおこがましい考えですが甲乙つけがたく、それぞれに向いた役割が神から与えられていると思います。
ただ、伊勢の斎王だけは、やはり眞子さんしか思い浮かばないです。
私はたぶんあと40年は生きられる年齢なので、ある程度、皇室の先を見ることになると思っています。その頃、よい塩梅に続いていてほしいです。
タイのご訪問時だと思うのですが、現地では蚊などの虫が飛び交っていたのに、両殿下だけでなく幼い内親王お二人も居住まいを乱すことなくじっと座っていらしたという話を読んだことがあります。
私でも難しいかもしれないのに、幼いながらも皇族たる姿勢をお見せになっていたのかと思うと、尊敬しかありません。
今はボランティアをなさっているのですね。
眞子さんの溶け込む努力もさることながら、現地の雰囲気も良いのでしょう。安心しました。
戻られて伊勢に。そうですね。そうなることを願いたいです。
佳子様も素晴らしいですけど、所作の点では、眞子さんには敵わないと思います。「威厳」本当にそうです。
ボランティアをされているのですか。それはよかったです。沢山の方と触れ合って溶け込んでいるのですね。他人を助けることにより、心を癒されてほしいです。
今でも小室氏や母親の生き方を好きになれません。でも、国民全員といっていい程、眞子さんと小室氏を非難し続けました。どれだけ眞子さんは、トラウマになる程、傷つかれたでしょう。申し訳なく思います。
国民の思いが収まった時に、御家族とまた再会してほしいです。眞子さんは、もう帰国する気持ちはないのでしょうか?
(一般の方になられたので、眞子さんと書いています)
佳子様が同じ衣装をペルーでお召しだった
わからない話だけど伊勢はないのではないかな、勿論憶測だけど
類例の無い結婚、ここまで父君に言わせてしまった、これは眞子様のお強さを示すとともに皇室とは縁を切ると、自分の意思を押し通すことが先々秋篠宮家に汚点を残すこととわかった上での行動でしょう
だからこそ眞子様の使命はまだ終わっていない、しかしそれは皇室の外でのことではないかと思う理由です
せめて皇祖神にきちんと挨拶してほしかった、今更ながら感じます
幼い頃から利発で頭の良い方というイメージです。
なので精神的に大変な事も見事に隠して皇室を去られた。
私は眞子さまの可愛らしいお声が忘れられません。
大好きでした。
皇女様は幼いころから優れた方々に囲まれておいででした。
選りすぐりの皇宮警察の方々の鍛えぬかれた容貌や姿勢にも守られ、なじんでおいででした。
外交や社交の場でも高い教養やふるまいを目にしておられました。
よりによってなんであんなチャラ。
安っぽいドラマ設定ですか。仕掛けた側のアタマの程度が推し量られました。
あんなチャラ、会話がつづきませんよ、底が浅くて。誰かサンたちと一緒。
秋篠宮家はお相手に心地よく、感激されるほどの会話のおもてなしをなさいます。
ご誕生からずっとご両親から学ばれておいででした。そして周囲の方々からも。
無理強いの「お見合い」の証は、あの前のめりの「裁可」です。変でした。どうみても。
女帝のごり押し、あからさまでした。
カメラの前で小柄なチャラより背が低いまこさま。おばさんくさいし、車の中では「ムクゲ」の花を帽子の飾りにしていました。あれは暗号?
犬作の孫という噂さえチャラにはあり、東宮家のワゴンを使用できました。タクシー代せびった話も。
チャラはその後差し替えられたと見ています。鼻梁が違いました。身長は知りません。最初のデータしか出回りませんでしたが、小柄なのは間違いないようです。
今上が「裁可」の取り消しをしなかった、私も絶望しました。今上を冷酷な愚鈍と思いました。
鬼のスパルタで弁護士に致されたと思うと爽快です。理詰めで追い込まれたのでしょうか。あきらかに最上の頭脳と根性をお持ちですから。
眞子様、お誕生日おめでとうございました。一日も早く日本でのびやかにお暮しになられるよう、祈っております。
>眞子様のアレは二人の内廷妃が仕組んだ「お見合い」だったと思っています。... への返信
完全に同意です。
小柄なKKに合わせて低身長・猪首・大顔になってしまった眞子さんの不思議。高身長で小顔、首が長い貴族体形の眞子さまをどう整形したら、会見以降のおばさん眞子さんに? 本来の眞子さまは、信頼出来る方の広大な敷地内邸宅の奥深くに匿われていらっしゃるとしか、思えないんですけど。そうであってほしいですし。その眞子さまが留学・大学院進学なさった方で、眞子さんは一般教養止まりだったからNYの有名博物館への就職関連で馬脚を現し、恥を掻いたのでは? 今の生活がつま先立ちせずに済み安泰であるなら、成りすましの苦しい生活から解放されたということでしょうから、良かったです。
「陰謀論だ」と、批判非難爆笑されるでしょうけれど………。
あの時の長い失望は苦しかったですね。
「陰謀論」というラベリングは、深堀されたくないからこそのあざけりと思うようになりました。
はっはぁーん、触れられたくない事実があるのねと苦笑するようになりました。
目くらましのデマとするには巧妙な頭脳とともに物量戦が必要なのですが。
いかんせん、雑でおそまつな仕込み役がいるもので、ほころびが多く、今に至ります。
眞子様は願わくば、膨大な文献を読みふけり精緻な解読をたのしんでいただきたいなと思います。
兄夫婦が流失させた数々の文物の真贋をみきわめるくらいのお力を発揮いただけるような。
それゆえに「標的」にされたのだと思います。
優秀すぎる皇女様は危険人物だったのでしょう。あれらにとって。
夢想ですが、十重二十重の厳重な庇護のもとで、かび臭い文献などを読み解く静かな日々をお過ごしだと嬉しいです。
TVのお宝鑑定に大笑いなされてくださると思いたいです。
ひそやかな願いではありますが。
声高な「陰謀論」こそ、ミスリードさせたい側がなんとしてもごまかしたいという「あせり」では。
>夢想ですが、十重二十重の厳重な庇護のもとで、かび臭い文献などを読み解く静かな日々をお過ごしだと嬉しいです。... への返信
皇室に関心無かった頃、TVに大写しの小学生くらいの少女が「皇室には貴重な財産が沢山あるが管理されておらず、気になって居る。正倉院のような大きな収蔵庫を建造して、そこの監理者になりたい」と言っているのを聞き「この子は、誰?すごいこと言ってる」と、驚きました。
後年、眞子さまの進学や留学のニュースで、それを思い出し「あの子は、眞子さまだったのか」と、気づきました。子ども時代からの大願の達成のために一心に学ぶ眞子さまと、強力に支援なさる文仁殿下と紀子さまに、魂が奪われました(古今の一級の美を観て育った眞子さまの審美眼を信じないゲスな大勢の人々に、寂しさしか感じません)。皇統の危機が話題になった初期の頃、明仁氏は「眞子が居るでは無いか」と、鷹揚でした。眞子さまの「皇室財産を護らねば」という強い意思は、天皇になるかもしれないご自分の責務と思われたからかも、と今気づきました。
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■■小室眞子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9C%9E%E5%AD%90
==年譜より==
・2014年(平成26年)3月、国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科卒業。
・2016年(平成28年)1月、英国レスター大学大学院博物館学研究科修了。
・2016年(平成28年)4月、東京大学総合研究博物館の特任研究員に就任。
・2016年(平成28年)6月15日、日本工芸会総裁就任。
・2016年(平成28年)9月、国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程入学。
・2017年9月3日午前、祖父にあたる当時の天皇明仁の[裁可]を得て婚約が内定
・2021年(令和3年)8月、東京大学総合研究博物館の特任研究員を退職。
・2021年(令和3年)8月、国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程を退学。
・2021年(令和3年)10月26日、結婚。