考古学はちょっと苦手だけど書いちゃおう。
継体天皇というのは第26代天皇です。
応神天皇の5世孫で、パパは応神天皇の玄孫で彦主人王。
ママは垂仁天皇の7世孫で両親共に皇族であったと言う事です。
継体天皇は近江で生まれたけど、パパが早く亡くなったのでママが越前という自分の故郷に連れ帰って育てられました。
5世孫?じゃあ皇族じゃないじゃん・・・と思う人もいるかもしれないけど、当時は永世皇族制です。自ら臣籍降下とかいう概念がない。「王」は「王」です。
では皇族と豪族を分けたものは何かというと「父が天皇の血筋」という所です。
24代仁賢天皇には25代武烈天皇というめちゃくちゃ怖くて横暴な息子、天皇がいたのですが、皇嗣を決めずに亡くなったので「誰を天皇にしたらいい?」って慌てたのです。
当時の豪族は大連である大伴金村、物部麁鹿火、巨勢氏などが見つけて来たのが、仲哀天皇の5世孫だったけど、武烈天皇の恐ろしさに怯えて隠れちゃったので、さらに探して「越前にオホド王という方がいる。すごく慈愛があると評判なので天皇になって頂こう」という事で越前に向かいました。
勿論、彼は断りましたよ。陥れられたら怖いし誹謗中傷されても嫌だし、反対派も多いし。でも3度の説得により58歳で即位。
仁賢天皇の娘で武烈天皇の姉である手白香皇女を后にしてここからが本当の天皇家の歴史と言われています。
継体天皇は年齢の割には沢山子供を残し、磐井の乱も平定するなどとても精力的に働いた天皇でした。
天皇の2つ目の宮、弟国宮跡ではないか?と言われていた場所で
京都府長岡京市の遺跡から、建物跡が出土し、ますますここは弟国宮の可能性が強くなってきました。
これは大変喜ばしい事ですし、今後の皇室を語る上でも重要な事です。
今、有識者会議ではしつこく女性天皇だの女系天皇、女性宮家が論議されていますが、
武烈天皇から、遠縁でも男系の継体天皇に位が移ったと言う事は明確にその当時の日本は「男系継承」を確立させたと言う事です。
愛子天皇派は「手白香皇女こそ天皇だった」とか言いますけど、そうではありません。
継体天皇は父をたどれば天皇に行きつく男系男子。そして手白香皇女は男系女子。
この二人が結びつき、皇位継承は男系男子と決まっているのです。
しかし、有識者会議は「愛子様や佳子様が結婚しても皇室に残って欲しい」といい、じゃあ配偶者や子供はどうなる?などと馬鹿な理論を言っていますが、それこそイギリスのように「王女は永遠に王女、その配偶者は平民」でいいのでは?
アン王女の夫や子供は王族ではない。けれどエリザベス女王やチャールズ国王からは大事な親戚として扱われています。
日本の皇室にはそういう「大切な親戚」という意識が上皇の時代から消えてしまいました。自分達のからの中に閉じこもる「カプセル家族」になったのです。
有識者会議は仮に内親王が皇族の身分で配偶者が平民だと不公平が生じると考えていますが、元々皇族と平民では身分が違うし扱いが違うのは当然。公務の義務は平民にはありません。保険証も使えるし別に問題ないでしょう。
それでも彼らはアン王女の子や孫を差別しているのかしら?
とはいえ、日本には悠仁親王という健康でご立派な親王殿下がいらっしゃる。
こういう方に限って子沢山だったりするんですよ。
産児制限なんかなくて、お子様好きなご夫婦であればどんな形でもお子様をもうけると思います。旧宮家の復帰が急がれるというのは、第二の継体天皇をキープしておくためです。
そんな事も有識者会議はわからないのかな?
天皇の系図に女性が登場する理由を調べれば、
日本人の平均的な方々は男系であると理解できるはずなんですが、現実には男子がすくない。そこが愛子天皇派の策略につかれてるわけです。
どちらにしても皇族減少のいま、結婚されても公務をなさり天皇を支える方が必要ですが、さてお相手が見つかるかが難問ですね。いまは決まっている行事は淡々とすませ、それぞれに結婚出来ればよいのですが、まさに難問です。有識者にふぶき様が講議できたらと焦れったい思いです。
本当に皇室の存続を願い、皇統を繋げようとすらなら、シンプルに男系に限るのが当然でしょう。そのためには旧宮家の皇籍復帰を実現すべきです。多分、みなさん多少のお覚悟を持って代を繋いでいらしたと思います。
皇族数の減少を理由に女系を皇族に残し続けるような制度を求めるのは、女子しかいない宮家の我が子可愛さや保身でしかないと思います。
男系男子にその地位をあけ渡し、皇族の入れ替えをしてもいいと思います。とにかく男系の皇位継承候補者を複数確保しておくことが大事です。
目の前に宝塚の舞台ならこんなふうに描かれたりしてと画像を浮かべてしまいました、門外漢ですが。
きれいで威厳があって茶目な一面で魅了する継体天皇を拝見したいです。
越前という渦中から離れておいでだったのもよかったし、58歳という熟した年齢も周囲からありがたかったと思います。
「継体」という御名が正直なのですね。
簒奪にはしらず、あくまで皇統の方を探されて説得に務められた意味、すごく知りたいです。
真摯におのが役目をまっとうされてこその臣下。
加冠の儀は天皇陛下のご臨席があれば良いのではないでしょうか。
平安さながらの皇族衣装をまとえない方々のために日程が未定なのは本末転倒です。
いまだにごたついているのは、着れない・着たくないが理由な気がしてきました。
税金をはむ、そのお立場をわかっておられない。
継体天皇の手白香皇女以前の妻の皇子も、確か即位していますよね。
それは男系男子だからに外ならず、手白香皇女に重きを置いたわけでも無いということです。
おwdの血筋擁護派は秋篠宮家に対して「傍系がー」と言いますが、そもそも今の皇統は継体天皇からの傍系ですし、近代の皇統で言うならば傍系の男系男子皇族は今や存在しません。
文仁さまも悠仁さまも「親王」としてお生れになったのですから。
傍系というのは「王」の系譜を言うのではないですか?
旧宮家に男系男子はいらっしゃいますが、現時点では皇族ではなく民間人なので「王」ですらありません。この方々が皇室に入ったとしても、次代の男子を「王」とするかどうか、だと思いますけどね。