ご日程
両陛下
12月17日・・・両陛下 → 財務大臣表彰の国税庁税務職員及び総務大臣表彰の地方公共団体税務職員に会う
文部科学大臣表彰の教育者表彰被表彰者に会う
元明天皇について進講を受ける
天皇陛下 → 通常業務
12月20日・・・天皇陛下 → 通常業務
12月21日・・・天皇陛下 → 通常業務
両陛下 → 厚生労働大臣表彰の保健文化賞受賞者に会う
12月22日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式
離任ガーナ大使に会う
12月23日・・・上皇誕生日につき祝賀
皇嗣家
12月17日・・・両殿下 → 赴任クウェート大使夫妻に会う
12月20日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける
12月23日・・・殿下 → 上皇誕生日につき祝賀
両殿下 → 元明天皇について進講を受ける
天皇と上皇とどちらが立場が上か・・・といえば、本来は天皇です。
しかし、院政が行われていたころ、天皇の上に上皇が、その上に法王がいました。
2重権力、3重権力で、天皇なんて自分の意志を通す事すら難しい状態でした。
そういう事はしないように・・・ということで近代では「退位」を禁じたのです。
近代の知識人たちが懸命に考えた皇室のあり方、決りをあっさりと覆したのが平成の天皇で、自ら位を降りて「上皇」となりました。しかも配偶者である上皇后まで引き連れて。
上皇は江戸時代では出家して仙洞御所で静かな生活をするイメージ、というかそういう生き方を求められて来たのですが、上皇夫妻は高輪の仙洞御所では狭くていやだ、何が何でも赤坂の元東宮御所へ入ると勝手に決定。回りは反論する余地なく、言いなりになっています。
今回の当たり前のように天皇皇后。秋篠宮殿下が仙洞御所を訪問。仙洞御所の方が格上に見えますね。こういう事は政府が進んで「それは違うでしょ」と怒って説教しにいかなければならない案件ですが、今の有識者会議にしても政府にしても、皇室とは何か、序列とは何かが全然わかってない。
かつて、大正天皇が亡くなった時、貞明皇后に拝謁した摂政宮夫妻はすぐに践祚する必要があり、でも母君を上に置こうとする天皇に貞明皇后は自ら位をおりて、さっさと大宮御所に引っ越したというエピソードがあります。
序列がわからないから、愛子天皇なんてファンタジーが現実になると思っているのです。
愛子内親王が25日の大正天皇例祭及び、新年祝賀の儀に出席と大々的に報道されました。学業優先なのに素晴らしいの声多数ですが、祭祀に出るのは当たり前の事で、「体調の波」に隠れて出てこない皇后がおかしいのです。
今や「語学堪能・リーダーシップにあふれ、国民の事を優先して考え、成績ご優秀」ともうこれ以上はないよというくらい持ち上げられた内親王。現実とのギャップも国民には見えない様にするんでしょうね。
私から見ると、ここまで母の言いなりになってる娘さんは見たことがなく、むしろ扱いやすくていいなあと羨ましくなります。
自我を持ち、批判されても自分の道を進んだ眞子様は、アンチから見ても親から見ても扱いにくい、何で言うこと聞かないんだよ~~と気が付けばこちらが怒ってばかり。
でも、母が選らんだドレス、母が借りたティアラ、母のいう通りに行動する娘。満足でしょうがないよね。
上皇陛下 88歳に
午前 両陛下 祝賀 上皇侍従長始め上皇職職員 仙洞仮御所広間
午前 両陛下 祝賀 皇宮警察本部長,上皇護衛課側衛官 仙洞仮御所広間
午前 両陛下 祝賀 長官,次長(職員総代),参与 仙洞仮御所広間
午前 両陛下 祝賀 天皇皇后両陛下,皇嗣殿下 仙洞仮御所広間
午後 両陛下 祝賀 元皇族(代表),御親族(代表) 仙洞仮御所広間
午後 上皇陛下 祝賀 内閣総理大臣,衆・参両院議長,最高裁判所長官 仙洞仮御所広間
午後 上皇陛下 祝賀 堂上会総代(3名) 仙洞仮御所広間
午後 両陛下 祝賀 元長官,元次長,元式部官長及び元侍従長始め元側近奉仕者代表 仙洞仮御所広間
午後 両陛下 お祝御膳 仙洞仮御所
これだけの行事をこなせるなら退位する必要があったのでしょうか?
平安時代、もし、上皇のもとにこれだけの人が集まったら「ああ、天皇は力がない」とか「上皇様は何を考えているのだろう。別の〇〇親王をたてるおつもりではないか」と疑われたでしょうね。
記憶の曖昧な所が出て・・それは年齢的に仕方ない。
ゆえに、ここは摂政を立てるべきだったと私は思います。
12月25日 大正天皇例祭
皇居に入る秋篠宮殿下と佳子様
皇后は「体調に考慮して」欠席
愛子内親王は出席。白のコートと白い帽子で出席したそうです。
え?まるっきり佳子様と同じ格好か?
例祭だからって白のコートを着なくちゃいけない理由はないし、帽子も同じ。グレーだって黒だって、紫に近いグレーとか、紺とか・・・沢山色はあるのにね。
皇后雅子さまの体調を考慮し欠席(笑)
まさに
「一病息災」ですね。
出たい時だけ治る「体調」
一枚くらい職員で良いから写してくれたら良いのにってすると、雅子さまの姿もないのがバッチリ解るからかな?
新年は又愛子様違うドレスでお出ましかしら?
なんて底意地の悪い一家なのでしょう。
色が被って非難されるのは、結局は佳子さまなのに…。
移動距離が短いのですから、衣裳を着るだけの状態に準備しておけば、先方が車で向かわれてからでも何色にするかは間に合いますものね。
ふぶき様のおっしゃる通り、ドレスコードがないのであれば、いくらでも他の色はあると思います。
でも、佳子さまと同じ色をお召しになるのは得策ではありませんよね。逆に相手を引き立ててしまいますから…。
> しかし、院政が行われていたころ、天皇の上に上皇后が、その上に法王がいました。
ここなんですが、「上皇后」ではなく「皇太后」ですよね?
皇太后と名乗られるのを今の上皇后さまがお嫌でひねりだしたような記憶があります。
歴史的に天皇の母(産みの母でなく役割・格付けとしての母です)が名乗られてきた称号を感情で嫌がられて、不思議なお名前を作り出してしまったことが私は怖いです。
「皇太子」又は「皇太弟」で良いのに「皇嗣」という称号をひねりだしたことも同じです。
実際の子ではなくて、役割を引き継ぐということなのだから「皇太子」で良いし、実際にはご兄弟だから子というのはちょっとというのであれば「皇太弟」で良いはず。
この調子で内親王方に不思議な役割とそれに合わせた珍妙な名前をつけたしそうで…いやなことです。
参拝時の服装は陵墓であればグレイッシュな参拝服にコートは黒(喪装兼用と思われる)、神域であれば淡色の参拝服にコートは白を合わせている画像・映像ばかりですから。
賢所御神楽欠席をネットで指摘されている事へのアンサーとしての大本営発表みたいですが、既に誕生日から3週間以上経つのに四陵(多摩陵、多摩東陵、武蔵野陵、武蔵野東陵)参拝が無い事の方が気になりますね。
眞子内親王は10月23日誕生日で11月22日に四陵参拝、24日に伊勢神宮、25日に神武天皇陵を参拝しており、
佳子内親王は12月29日誕生日で翌年1月15日に四陵参拝、3月6日に伊勢神宮、7日に神武天皇陵を参拝しています。
全てメディア取材の記録が残っています。
祭祀をするのが当たり前なのに愛子様上げはヤフコメではもう定番になりました。祭祀をやる前から天皇に相応しい、祭祀をやるとなおやっぱりこの人しかいないみたいな。今まで、秋篠宮家が祭祀を支えていると言っても過言ではない貢献ぶりを発揮してますが、ヤフコメ民は見ようとしませんね。昨日の祭祀も佳子様にアドバイスをいまただいたのではないかと勝手に想像しています。いつか大祓の儀も愛子様がやることになると思います。祭祀をやって当たり前。雅子様は祭祀すら出ない。雅子様の悪影響を少しでも排除してほしいものです。祭祀すらできない雅子様、誕生日で自殺に触れたら数日後に女優が自殺。単なる偶然なんですけどね。負のオーラはあるような気はします。
その次は悠仁親王殿下です
道筋がはっきりして良いことと思いました
皇太后は天皇陛下崩御後の皇后でありましょう
その称号はちょっとはばかられると感じるのですが、いかがでしょうか
横からすみません。
前後の文脈から察するに、変換ミスではないかな?と。
おそらく、ふぶきさんが書きたかったのは「上皇」だと思われます。
すべてがここからです。
陛下ご自身のご英断のはずはありません。
ご異論は承知して書かせていただきますと、小泉信三氏が苦悩された天皇制、皇室のあり方、皇太子個人の存在。膨大な時間と労力をかけ無私の心で。多くの人が不眠不休で日本の為に考えたのです。
平成天皇は簡単に反故にしたのです。
>「皇太后」の称号は皇室典範に記されている。歴史的には「天皇の母」として用いられたこともあり、退位後の皇后さまの称号としても検討された。ただ、現代では寡婦のイメージが強いとして、別の候補を模索。有識者会議の専門家ヒアリングでも「ご夫婦としての単位を重視されるのであれば、(いまの皇室典範が定める皇太后とは)お立場が異なる」(本郷恵子・東大史料編纂(へんさん)所教授)
ということらしいです。
単にイメージで皇太后を避けたようですね。
私見ですが、この本郷恵子さんは美智子さんに近い人という印象をもっています。
また、
>制度上、世俗に在る上皇と、仏門に在る法皇の間に、身位の違いはなく(太上法皇のwikiより)
らしいです。解釈のひとつでしょうけれど、ご参考までに。