昨夜遅く、同級生の奥さんから訃報が入った。彼は朝方、息を引き取ったと言う事です。
これは、もう一人の友人と三人連れで、東北一周貧乏旅行をしたときの一枚の写真。
高校二年から三年になる間の春休み、17歳の春の事でした。
真ん中が若き日のスベルべで左が亡くなってしまった友人。
鈍行列車乗り継ぎの三泊、いや四泊だったかの旅はスリルに満ちたものだった。
今では考えられない事だけれども、平泉の毛越寺がユースホステルを兼ねていて泊まったっけ。
そうだ、最初の宿泊地会津若松では、彼の出稼ぎ中の友人が仕事先の酒蔵の酒を持って会いに来た。
17歳で酒盛りだったから、結構悪だったかな。車中でウィスキーも呑んだなー。
眼鏡で秀才型に見える彼も実際は中々のつわもので、共学とは言えほぼ男子校の態の高校で、
応援団の副団長と言う、難しい仕事もこなす度胸の良さが売り物でも有ったなー。
これは、彼が写っていないから彼の手に拠る一枚で有ろう。
男子ばかりの修学旅行で、彼が四国高松の夜でいわゆる「ナンパ」してきた女性との記念。
四国の高松が最初の夜だったような気がする。
その後、ほぼ同じルートを回る彼女たちとは、コースのポイントポイントで合流。
走り寄っては互いに歓声を上げ、一緒に行動したものだった。50年、半世紀前の思い出だ。
三年前かなー、胃ガンを患ったと痩せた姿で顔を見せてくれた。
「知らなくて悪かったな」と声を掛け、見舞いに「マムシ焼酎」なんて進呈したっけ。
身体のためと思ったのだろう、嬉しそうに貰ってくれた笑顔も忘れられない。
昨年は二回、同級生たちに連れられて農天市場を訪問してくれた。
でも、二回目は友達に気遣って無理をしたのか、友人たちの肩を借りて自動車を降りて来たのだった。
そして、農天市場の営業を終え仕事が一段落した時に病院に彼を見舞いに訪れた。
しかし、かれはもうほぼ昏睡状態で、握った手を握り返す意思も、力も無くなっていた。
それからほぼ二カ月、彼は精一杯に生きたのだろう。
奥さんの声も、無事に看った気持ちからか落ち着いて居られ、救われた気持ちで眠りに入った。
お悔みに行き、別れを告げて来ようと思う。
君は永遠に私の中で生き続けて光るだろう。
快男子、剛毅、豪胆の君よさようなら、面白くてそして充実した青春の思い出を有り難う。