『勧酒』
勧君金屈酒
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガセテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人世ダ
干武陵の詩です。
井伏鱒二の「厄除け詩集」にある漢詩の井伏流の訳です。
今の私の気持ちでも有ります。
一昨日の朝に逝った友は左で頭を櫛で梳いている。
真ん中の友も、随分早くに逝ってしまった。右が18歳の私だ。
この三人に共通な事は、工業高校に入学し機械関係を学ぶ身に有ったにも関わらず、
文章、文芸が好きだった事。
実業系の学校での国語、英語なんて頭に実用なんて名前が付く、程度の低い内容のもの。
そう、「実用国語」「実用英語」なんて、名前の進学なんて考えない中学校の焼き直し程度のものなのでした。
そんな中で、漢詩、古文、日本文化に親しみ、漢詩をそらんじ、啄木をそらんじ、
そして、谷崎、川端どちらがノーベル文学賞に相応しいかなんて論争していた。
今日は彼の奥さん宛てに弔電の文を考えながら涙が出て困った。
明日が葬式と言うけれど、別れを告げには行かない。
少し経ったらひっそりとお悔みに行く事にする。
そんな私の姿、そんな方法でのお悔みが彼との別れには相応しいのだ。
およそ50年前の母校の姿。
今は、周りに水田が有ったなんて、誰も信用しないほどの街並になった。
一番左の新校舎と呼ばれた出来たばかりの木造教室で共に学んだ。
この教室での授業中に「新潟地震」に遭遇したのだった。
彼に「オイ、スベルべ豚カツ食べに行くか」なんて誘われた事が有った。
就いていくと、一軒の洋食屋で頼んだ昼食は長岡名物でもある、「洋カツ」『洋風カツドン』。
なんと、大きな皿に大きな豚カツ。そして脇には皿のご飯。
ナプキンに置かれた、ナイフとフォークに度肝を抜かされた。
田舎の純朴な少年スベルべは、ナイフとフォークなんて家にも無い道具だったのです。
どうやって食べたのか、どんな味がしたのかも思い出せないほどの経験だった。
家に帰って、母親に早速フォークとナイフのセットをせがんだっけなー。
度胸の良い彼は、大きな買い物をする際に、絶対に必要な存在。
高校生にも似会わない、交渉上手で必ず、店員を説き伏せ割引させてくれたのです。
割り引いた金額は、食事代に化けたけれども、先の「洋カツ」もそんな流れからだったかもしれない。
早熟で度胸の良い彼は、男子ばかりの我がクラスと同じ市内の女子高のクラスとの、
集団、合同ハイキングを目論見、実現することに成功した。
勿論、担任の先生も同行した、それは清らかなお付き合いでは有りましたけれどもね。
(残念ながら、なんの関係で行けなかったのか、その楽しいハイキングに同行できなかったのだか。)
もう、彼との間には尽きせぬ思い出が有る。いや有り過ぎる。
居酒屋で、二人で鍋を囲んで酒を酌み交わし、話に夢中になって鍋の中身が燃え、
火災報知機が広い店内に響き渡り、大騒動になったっけなー。
彼が体調不良を訴えてからは忙しさを理由にあまり訪ねて上げられなかったなー。
もっと、もっと一緒に昔話で酌み交わしたかったなー。
いや、何年先になるか分からないけれど、きっとあっちの世界でも会おうぜ。
「誰だっけ?」なんて冗談にも言わせないから、覚悟して待っていてくれよな。