総合指令室に居たころ(その1)
長い国鉄からJRへの勤務の中ではいろいろな経験もさせてもらえた。
現場がほとんどではあったが、短い期間とはいえ、総合指令室に勤務したことも鮮烈な記憶だ。
転勤した当初は、総合指令室は新潟駅の隣にある指令センターは工事中だった。
指令の中でもプライドが高く、指令と言えば俺たちだと、肩で風切る勢いは輸送指令だった。
(少し前までは『列車指令』と呼ばれた)「私たちは支社長に代わって仕事をしている」と言う輩さえいましたから。
転勤し、配属され施設指令の当直長として勤務に入ったころに、技量を試されるかのような事件が発生した。
大切な列車無線機が盗難にあい、その無線機ではなかったかも知れないのだが、
列車無線と同じ周波数帯の電波が発信され、新潟市近辺の列車はすべて停止してしまった。
線路への妨害が無いかとの想定で、現場に連絡し施設、保線では線路の安全確認をすることになった。
もちろん、上司の保線課長に報告するのだが、運悪くその日は本社からの来客があり、
保線関係の上司たちはすべて宴会後であり捉まえることができなかったのだ。
(続く)