予算屋(その1)
通称「予算屋」と呼ばれた、予算関係の仕事を三年間担当した。
駅などの直接的にお金を稼ぎだす営業職場とは一線を画し、
施設を保守する職場は、線路設備関係の保守にお金、予算を使う職場だ。
(もっとも、会社の体制が変わったら、集客や団体旅行の添乗員などもしたが)
そして、所属した保線職場でもっとも予算をつぎ込まなければならないのが、
線路の保守関係予算。
あらかじめ作った修繕計画に基づいて、割り振られた予算を仕事ごとにバランス良く配分し、管理するのが主な仕事。
ま、家庭に例えたらやりくり上手な主婦的な存在の仕事でもある。
そして、保線職場ではもっとも大切で、誰もが出来るという仕事でも無かったのである。
そんな仕事を昭和50年代の半ば、あの「56豪雪」とも呼ばれる歴史的な大雪の冬を挟んで担当していたのだ。
除雪経費は災害対応に近く、配分計画などは無いが、決算処理はしなければならない。その大雪の年は数億円の予算を管理したように記憶している。
(続く)