高倉・恵母地蔵 2010-02-07 | 藤沢 大山道標を見て、県道22号線に沿って南へ進むと、右側の歩道に恵母地蔵がありました。 明和4年頃(1767)の飢饉で江戸を逃れてきた乳飲み子を連れた母親がここで凍死したようです。 泣いている子どもを見つけた村人が、母親を埋葬し子どもを育て嫁に出したと伝わっています。 村の講中が母親の供養に建てた地蔵が200年以上過ぎた現在も大切にされています。