新緑のイチョウを眺めながら、鵠沼神明の万福寺の境内を散策し、
本堂の左手から裏側の道に抜けました。
そこに、鵠沼墓地管理委員会の石碑を発見しました。
太平洋戦争が激化する時代、日本精工の増産体制のため、周辺の土地が工場になり、そこにあった墓地が強制的に移動させられたようです。
そこにある墓地は、万福寺の墓地ではなく、鵠沼墓地管理委員会の墓地でした。
当時移動させられた墓地は、鵠沼神明の旧家だったので、ここにある墓地はそれぞれ歴史を感じさせる大型の墓地ばかりでした。
鵠沼にはこんな歴史もあったのです。
画面左手奥に見える建物は、日本精工の社員寮です。