鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

片瀬・常立寺の枝垂れ梅①

2010-02-13 | 藤沢


枝垂れ梅を撮ろうと思い片瀬の常立寺を訪ねました。
参道から入ろうとすると、カメラを持った先客が見えました。
この季節、思いは同じです。


山門から境内をのぞくと、三脚を構えた人の姿も見えました。
良い場所では、少し待たねばならないようでした。


本堂左手の白の枝垂れ梅は丁度花盛りでした。
境内をうろうろしながら、撮影ポイントを探しました。


山門のすぐ右手で本堂に向って座っている仏像がありました。
日蓮宗の寺ですから、多分お釈迦様だろうと思いながら、頭を下げました。
注)その後いろいろ調べてみましたが、これは典型的な地蔵菩薩の像のようです。
  仏像の区別はなかなか難しいものです。



マルタの鷹

2010-02-12 | ペーパーバックス


まとめ買いで積んであった「マルタの鷹」をやっと読みました。
ダシール・ハメットの1930年の探偵小説でハードボイルドの古典として有名です。
1941年のハンフリーボガード主演の映画も有名です。
筋書きは別として、今回最も感心したのは、人物描写です。
1930年と言えば昭和5年です。今日のように画像が氾濫する時代ではありません。
ハメットは1人の人物描写のために10行近く使って詳細に説明しています。
紙巻タバコを用意して火を付けるまでにも5行は使っています。
心の中は見せずに、人物を丁寧に描写するところがハメットの特色だと知りました。

高倉・岸田家長屋門

2010-02-11 | 藤沢


七ッ木神社の鳥居を右に見ながら坂道を上ると、右手に高倉中学校があります。
中学校を過ぎて右に曲がると、岸田家の長屋門があります。
約250年前、江戸時代後期のもので、幕府の役人などを迎える時に開かれたようです。


長屋門の右手に通用門があるので、現在この門が開かれることは少ないと思われます。


長屋門の白壁とそこに開いた窓です。
白壁の下の腰板の木目を見ていると、使われた木の木目がしっかりわかります。
時間の木目のようです。

高倉・七ッ木神社(元鯖明神社)

2010-02-10 | サバ神社

境川流域周辺のサバ神社探訪第1号は高倉の七ッ木神社です。
建立は700年以前で、祭神は源義朝公とされています。
昔は鯖明神社と称しましたが、旧村名を採って七ッ木神社と改称されたようです。


七ッ木神社の鳥居は「両部型」という珍しいもので、
平安時代に発達した真言密教の「神仏習合思想」に基づいて考案された形式だそうです。


境内は広く、社殿の左手には大きな神楽殿らしき建物があります。
10月の第1土曜日の収穫祭では「高倉ばやし」が演奏されるそうです。


社殿は木立に囲まれ、普段はしっかりとしたガードシャッターで内部が守られています。


社殿の梁には、割とモダンな字体で社名が掲げられていました。


帰り際に鳥居の左手の斜面に変わった石碑を見つけました。
字が読めないので、家に戻っていろいろ調べた結果、これは「蚕」の古い字だと推定しました。
昔はこの辺りでも養蚕が行なわれていたのでしょう。
始めは「サバ」と思ったのですが、考えすぎでした。


高倉・お滝ばあさん

2010-02-09 | 藤沢


高倉中学校の東側は段丘の崖になっています。
その崖下に通称「お滝ばあさん」と呼ばれる「せき神様」が祀られています。


昔はこの崖から清水が湧き出していて、この水を飲むと咳き・眼病に効くと言われたようです。
花が供えられている様子から、まだ現役の「せき神様」のようです。 

高倉・社殿のない稲荷

2010-02-08 | 藤沢


高倉・上河内地区の道を右に段丘、左に水田を見ながら行くと、
稲荷社の鳥居と旗を見かけました。
旗には昭和58年奉納の文字がありました。


磨り減った石段の右手に真新しい双対道祖神が建っていました。
子どものような顔立ちの可愛らしい道祖神です。、


急な石段をゆっくり上ると、そこには社殿がなく、古い石碑が点々とあるだけでした。
氏子達が少しずつ整備をしているようですが、まだ社殿の再建までは手がつかないといった様子です。

高倉・恵母地蔵

2010-02-07 | 藤沢


大山道標を見て、県道22号線に沿って南へ進むと、右側の歩道に恵母地蔵がありました。
明和4年頃(1767)の飢饉で江戸を逃れてきた乳飲み子を連れた母親がここで凍死したようです。
泣いている子どもを見つけた村人が、母親を埋葬し子どもを育て嫁に出したと伝わっています。
村の講中が母親の供養に建てた地蔵が200年以上過ぎた現在も大切にされています。

高倉・大山道標

2010-02-06 | 藤沢


諏訪神社から左手に田んぼを見ながらしばらく南に歩き、
諏訪の下地区の民家の生垣の角にある大山道標を見つけました。
小首をかしげた如意輪観音像で延宝3年(1675)建立です。


よく読めないのですが、教育委員会の資料によると、
台座に「ちつ、なつ、ちゃう」等15名の名前が刻まれているようです。
女性の念仏講がこの道標のスポンサーということになります。

高倉・諏訪神社

2010-02-05 | 藤沢


長後北歩行者専用道路の途中から東へ向い、高倉の諏訪神社を目指しました。
見事に道に迷い、滝の上公園で子どもと遊んでいたお母さんに道を尋ねました。
たどたどしい日本語で教えてもらい、国際化を実感しました。
どうにか諏訪神社に着きました。


諏訪神社は江戸時代初期に千束村の平和と豊作を祈念して建立したという伝えがありますがが、
創立は元文3年(1738)となっています。上高倉地区の境川沿いの森にある鎮守様です。


帰り際に狛犬の後ろに平成21年9月吉日建之の文字が目に入りました。
氏子がいろいろと整備しているようです。

長後北歩行者専用道路

2010-02-04 | 藤沢


先日長後南歩行者専用道路を歩きましたが、
長後北歩行者専用道路もあることを知り、早速訪ねてみました。
長後小学校の北側正門前から道路はスタートしていました。
ここも以前は灌漑用水路があり、児童が水路に落ちないよう注した場所だと聞きました。


長後南と同じようにこの道路もしっかりした植栽で歩行者に優しい道になっていました。


しばらく歩くと、左側には梨畑が見えるようになりました。


野菜畑も見えるようになり、途中に野菜の即売場もありました。


もう少し進むと、左側に大きな建物がありました。
表示も少なく、何の建物か分かりませんでしたが、よく見ているうちに分かりました。
パチンコなどのゲームセンターでした。


まだ道が続くので歩いて行くと、突然「大和歩行者専用道」と言う標識が出てきました。
藤沢市と大和市の境界を越えたようなので、ここで戻ることにしました。

長後駅東口・庚申堂

2010-02-03 | 藤沢


長後駅東口近くのY字路にある庚申堂です。
庚申堂の左側の道が大山道で、旅人はお堂の正面の道をたどって大山を目指した訳です。


掲示によると、庚申供養塔の建立は享保年間(1716-36)で、お堂が作られたのは大正11年のようです。
すぐ近くを国道467号線が走っていますが、ここだけは古い空間が残っています。

「日と水」だけで咲く

2010-02-02 | 小さな庭


湘南地方の1月下旬は比較的暖かい日が続きました。
おかげで「日と水」だけで育てているシンビジウムが順調に咲き始めました。
これが一番咲きです。全部で7鉢ありますが、それぞれ開花準備中です。


これは昨年買ったシクラメンの鉢ですが、
何もしなかったのですが、自力で育ち花が咲き始めました。
小さな庭の基本は「自助努力」、そして「日と水」です。

ミレニアム3部作読了

2010-02-01 | ペーパーバックス


昨年から読み続けてきたミレニアム3部作、やっと読み終えました。
1巻:龍の刺青の女 644頁
2巻:火遊びをする女 649頁
3巻:スズメバチの巣を蹴とばした女 602頁(大判)
3巻のペーパーバックが出版されないうちに和訳の文庫本が出版されたので、
ペーパーバックの大判を間違えて入手、重い本に苦労しながら読み終えました。
スエーデンの本の英訳版ですが、人物と地名がややこしく覚えにくかったです。
作者はこの作品が出版されて人気を得るのを知らずに急逝したようです。
筋を要約するのが難しい本ですが、ネット社会の怖さも織り込まれています。