鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

南藤沢散歩④バス停「日ノ出町」

2011-09-15 | 藤沢


庶民スーパーの前を過ぎて進むと、バス停「日ノ出町」があります。
現在の地図を眺めても、「日ノ出町」はありません。
家人が子供のころ、日ノ出町の銭湯に通った記憶があるというので、
資料を探しましたが見つかりませんでした。


バス停「日ノ出町」から少し進むと、右手に自動車整備工場があります。
この辺りから町工場のような建屋も増えてきます。


整備工場から右折して、ゆるい坂を下ると、明細地図の会社があります。
インターネットで簡単に地図検索が出来る時代ですが、
その昔はこうした明細地図がないと仕事にならない人が大勢いました。
私も古い明細地図を手に入れるためにここを訪ねたことがあります。

南藤沢散歩③Everyday Low Price

2011-09-14 | 藤沢


南銀座一番街の通りは、間もなく高座(たかくら)橋を渡ります。
橋の下を県道467号線の切通しが抜けて行きます。


高座橋を渡った右側の橋の袂に、県道467号線に下りる階段があります。
一見非常階段風ですが、歩行者専用通路です。


高座橋を渡った左側には、庶民の見方「Everyday Low Price」で有名なスーパーがあります。
店前に自転車が一杯並んでいて、場所を確保するのが大変なようです。




窓からダイヤモンド富士

2011-09-13 | 藤沢


家の窓からダイヤモンド富士を撮ることに成功しました。
毎年挑戦していましたが、やっと気象条件と太陽の位置が整いました。
(2011年9月11日17時40分)


太陽が完全に富士山頂に沈んだ瞬間です。
(2011年9月11日17時44分)


写真の機材を片付けて、東側の窓を覗くと、14夜の月が上っていました。
(2011年9月11日18時16分)

南藤沢散歩②南銀座一番街

2011-09-12 | 藤沢


藤沢駅南口ロータリーの東側、ダイヤモンドビルの三菱UFJ銀行を左に見て通りを進みます。
駅から近く飲食店が多いので、人の流れも多い通りですが、平日の昼間は比較的静かです。


客足も少ないので、カーネルサンダースさんも静かに通りを眺めていました。
飲食店の食材を運んできた車が通りの向こう側に並んでいました。


もう少し通りを進むと、ゲームセンターなどの遊興の店なども並んでいます。
ここから先は道幅が狭くなるので、車も歩行者も油断の出来ない道です。
年配の歩行者はひたすら日陰の道を歩いて前方を目指していました。

南藤沢散歩①藤沢駅前

2011-09-11 | 藤沢


JR藤沢駅の南口ロータリーです。
ここを起点に南藤沢地区をぶらぶら歩くことにしました。


最近設置でされた藤沢駅出口にある新しい案内板の地図で「南藤沢」の区域を確認しました。
この地図は南が上になるように表現されています。
この地図で、ロータリーの周辺のブロックは、すべて南藤沢であることを確認しました。


南藤沢はロータリー周辺以外は主に東側に伸びているので、今回の散歩はそこを目的地にしました。
先ず、南銀座一番街と呼ばれる通りを歩くことにしました。



閉館後のオデオン座の様子

2011-09-10 | 藤沢

2007年に閉館した映画館オデオン座のその後の様子を見に行きました。
北口に2館、南口に2館あった藤沢の名門映画館のオデオン座です。
特に南口のその後が気になったので、周囲を一巡しました。


建物の様子は閉館当時とほとんど変わっていません。
左手の入り口に案内表示があったので近づいて読みました。


オデオン座と併設されていたパチンコとスロットの店は、つい最近まで営業続けていましたが、
今年の5月で閉店したという挨拶文でした。
これで、建物全体が閉館となったようです。


もう一度正面から建物全体を眺めました。


裏側に回って、こちらからも建物全体を眺めました。
この建物が今後どのようになるのか気になりますが、映画館が復活する可能性はなさそうです。

線路際の風景・昔と今

2011-09-09 | 藤沢


昭和41年(1966)の藤沢駅南口の西側の線路沿いの風景です。
枕木を転用した柵の間から幼児が電車が来るのを待ってます。
目の前のレールは小田急江ノ島線です。
よく見ると、道路はまだ未舗装で砂地のままです。


平成23年(2011)現在の同じ場所です。
コンクリートの柵に変わっていますが、それも大分くたびれています。
駅よりの場所では、新しい金網が採用されていました。
草花が植えられているので幼児が電車を見るのはちょっと難しそうです。
道路を自動車が通るのでそれも心配です。

一輪のムクゲ

2011-09-08 | 藤沢


新林公園には良く育ったムクゲの木立が何本かあります。
花期は7月から10月とされていますが、いつもシャッターチャンスを逃していました。
たまたま一輪だけ目立つムクゲの花を見つけ、初めて撮った1枚です。
よく見るとなかなか良い花です。これからも観察を続けます。


メタセコイアの並木

2011-09-07 | 藤沢


藤沢駅南口のロータリーから東へ出て、南藤沢交差点を越えて県道32号線に向かう道です。
道の両側に良く手入れされた「メタセコイア」の並木が茂っています。
メタセコイアは1939年に日本で化石が発見され、1945年に中国四川省に現存することが確認された針葉樹です。
その結果、「生きている化石」と呼ばれるので貴重な樹木と思い込んでいたのですが、
現在では1945年に中国から挿し木と種を譲り受けたものが広く全国に普及しているようです。

ネコジャラシの本名

2011-09-06 | 藤沢


散歩の途中で、車止めを囲んでにぎやかな「ネコジャラシ」に出会いました。
「ネコジャラシ」が本名かどうか気になったので、ネット情報で調べました。
本名は「エノコログサ」(狗尾草・イネ科エノコログサ属の1年生草本)で、
花の穂が犬の尾に似ているので「犬っころ草」と呼ばれ、転じて「エノコログサ」になったようです。
「猫じゃらし」が「犬っころ草」とは愉快です。

片瀬・馬喰橋

2011-09-05 | 藤沢


「馬喰橋」は片瀬山を下る片瀬川が境川に合流する地点に架かる橋です。
日頃境川左岸の道を通る人でも、あまり意識していないと思います。
橋を実感するため、境川右岸から眺めた「馬喰橋」です。
窓のようなところが「片瀬川」でその上が「馬喰橋」です。


橋の左手にある掲示です。
片瀬山を下る片瀬川は、その昔は相当な暴れ川で水害が多発したようです。
同時にこの辺りは、水運の拠点でもあったので、こうした大げさな名前が付けられたのでしょう。


橋の右手は新しい住宅地に開発され、川の土手も片側はコンクリートになるなど変化しましたが、
橋桁には「馬喰橋」の名前が残っています。


川の中をのぞくと、小川のような流れが見えました。
もう「馬を喰う力」はないと思います。

これはカタヒバ(片檜葉)らしい

2011-09-04 | 小さな庭

かなり以前から、小さな庭の片隅にシダらしいものが生えていました。
秋には紅葉もするのですが、あまり気にとめていませんでした。
昨年の暮れ、場所が悪かったので、空いていた鉢に根っこから掘り起こして移しました。


台風接近に備えて庭を片付けていて、鉢に植えたシダが美しく茂っていて驚きました。
もう少し置き場所を考えようと思いました。


正式な名称が分からないので、ネット情報でいろいろ調べました。
どうやらこれはカタヒバのようです。
湘南のシダとも言われていますが、この地域でも目にするのは難しいシダのようです。
意外に貴重なシダが目の前にあったのです。

古い手ぬぐい発見

2011-09-03 | 藤沢

物置の片隅から古い手ぬぐいの束が出て来ました。
かなり古いもので、まだ手ぬぐいが広告媒体として利用されていた時代のものです。
面白いので、記念の写真を撮りました。


「日本相互銀行」の手ぬぐいです。多分行員が一軒一軒訪問して配ったものでしょう。


「日新加工」の記憶はありませんが、「マーガリン」が有力商品だったようです。「チョコリー」とは何でしょう。


これは懐かしい「三ッ輪練炭」です。子供のころ火鉢に練炭をセットするのが私の朝の仕事でした。


これは町内のお祭りなどで用意した手ぬぐいのようです。なかなか洒落ています。

江の島裏街道⑥大源太公園

2011-09-02 | 藤沢


研磨工場の地点に戻り左折して進みます。
この道は藤沢駅から南下して来た「江の島街道」に突き当ります。


「江の島街道」と合流して右手に向かいます。
この辺りの道は複雑な分岐をするため迷いやすいところです。


右に進む道は江ノ電の線路に近づき、道なりに進むと柳小路駅があります。


柳小路に向かう道と分かれて間もなく、大源太公園に着きます。
ここが今回の終点です。この公園の手前までは鵠沼ですが公園は片瀬地区にあります。
境川がこの辺りを西に大きく迂回していた頃は、この辺りが川岸で、渡し船で向こう岸に渡ったようです。
「大源太」は境川左岸の地名でしたが、今は公園の名前に残っています。


念のため、公園の前の道を東に進むと、467号線に突き当り、交差点の先に境川の山本橋があります。
上山本橋を渡って右に進めば、片瀬を通る「江の島街道」です。

江の島裏街道⑤石上地蔵尊

2011-09-01 | 藤沢


江ノ電の線路に沿って右折して進みます。
石上駅の踏切から先は歩道もなく、車は一方通行の道になります。


すぐに不思議な踏切に出会います。
「危険」という標識が道をふさいでいますが、立入が出来るようにはなっています。
歴史のある「裏街道」がここを通っていたためだと思われます。


立ち入り禁止の踏切を抜けて先に進みます。
左手の旧家の玉石垣の上には大きなタブの木がありますが、大幅な剪定を行ったので、道が明るくなっています。
T字路を右に曲がります。


前方に町工場らしい研磨工業所が見えます。自動車部品等の裾野を支える工場です。
「裏街道」はここを左折ですが、寄り道のため右折します。


右折した右手の民家の庭の一角に「石上地蔵尊」が祀ってあります。
これから向かう石上渡船場の近くにあった地蔵をここに移して祀ったようです。
ネット情報によると鵠沼の石造物では最も古く承応4年(1655)の造立と伝わっています。