毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

一生の宝物

2015年11月05日 23時08分28秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


       《 従容 (しょうよう) の祈り 》


         神さま         

         変えられないことを受け入れる心のゆとりと

         変えられることを変える勇氣と

         その違いを見分ける智恵を与えてください




自分を変えようとする試みで、自力で変えられるものと そうでないものを見分けるのは、困難なことでした。

ある時期以降、私の導き手は そのほとんどが 本やメルマガなどに書かれた文章で、どれほど助けられ 重要な情報を授かったかわからないのですが、ただ それを消化して 自分の身につけるのは、あくまでも私自身の仕事。

外側ではなく 自分の内から変えてゆくことだ というのは 納得できたのですが、では 自分の何をどう変えればいいのか、というのが よくわからない。

こういう性格や ものの考え方では 幸せになれませんよ、と言われると、確かにそうだなとは思うのですが、じゃあ考え方を変えましょう、で ほいっと変われるものでもなく、ここが大きな壁だった氣がします。




いくら前向きに 肯定的にと心がけても、はっと氣がつくと ネガティブな自分に戻っている。

やり方がまずいのか、意志の力や集中力が足りないのか、それとももしかすると 本音の部分では 変わりたいとは思っていないのか。

結果が出ないまま 時間ばかりが過ぎていき、自信がなくなって ますます否定的な考えに拍車がかかります。

さんざん悩みながら、とにかく思いつく限りのことに挑戦しました。

その結果、あるとき 「感情より先に からだの反応がある」 という情報を得て、ぴんときて 試し始め、それが功を奏して ここまで来ることができました。




思いや感情の いちばん根っこのところは、たびたびお話しているように、脳が未発達で、やってくる情報を みな無条件に受け入れてしまう年ごろに植えつけられます。

これは 言葉の及ばない領域に入ってしまうので、後年 言葉での書き換えを図っても、なかなか思いどおりになりません。

自分のものでありながら、思いを変えるというのは 一筋縄ではいかないのです。

変えるのではなく 見つめること、見つめれば ほんとうでないものは消えてゆく。。。。これを実践するようになって 初めて、自分が変わってゆく手応えを感じることができました。




時間はそれなりにかかりますが、自分の心の動きを 体感を通して観察し続けると、否定的な考え方や怒り、恨みがましさなどは 少しずつ力を失っていきます。

そのあとに、あれほど起こそうと思っても起きなかった 前向きで肯定的な思いが、向こうからおのずと起こってきます。

「従容の祈り」 でいう 「違いを見分ける智恵」 を、私はこうやって授かることができました。




情報や手がかりはもらうことができるけれど、智恵は 自分で身につけるほかない。

ひとりひとり 過去の体験も 発想や思考回路も違うのだから、私が引っかかったところも、人によっては まず意図的に行動パターンを変える (考えず 直感のみで動く) ことで、思いが後から変わってゆく、という形のほうが うまくいく場合もあるのかもしれません。

これは、私はうまくいかなかったけれど、「神との対話」 にも 「思考 ー 言葉 ー 行動 というパラダイムを逆転させる」 という話で出てきます。




心や魂の成長に関する学びは、学校の勉強などとは違い、人からそっくり答えをもらうというわけにはいきません。

受身で教わることに慣れてしまっている私たちには、自分で見つけるというのが難しく思えることもあるでしょう。

でも、たとえ失敗の連続でも あきらめなければ 必ず道は開けるし、努力から結果を出せた喜びや自信は 一生の宝物になります。