毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

最高のpresent

2015年11月18日 00時04分16秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「腑に落ちる」 って すごい言葉だと思います。

「腑」 とは、調べてみると 「はらわた。内臓。転じて 心、心の底。心根。」 とあります。

「腑に落ちる」 とは、頭や心に留まっていた知識や情報が、からだ全体に すとーんと落とし込まれること。

理屈をすっ飛ばして 得心がいくこと。

外からの知識や情報が、消化され切って 自分の智恵や力に変わる瞬間。

昔の人の言葉の感覚って、ほんと鋭い、と感服させられます。




最近腑に落ちた、「どんな自分でもいい」 。

素直にそう受け入れられるようになったといっても、それで負の感情が きれいさっぱりなくなるわけではないようです。

過去の記憶や思考パターンは そのまま残っているわけだしね☆

肯定的なイメージが 勝手にどんどん湧いてくるからといって、空想を先走らせて 浮かれ過ぎると、反動で沈み込む瞬間が あとから必ずやってきます (^_^;)

ただ、そういった心の動きすべてが 二極世界ではごく自然な現象であるとわかっていれば、それ以上騒ぐ必要もなく、ただ静かに感じて味わっていればいいだけのこと。

いずれは離れてゆくものとわかっていれば、恐れたり嫌ったりする必要もないわけですね。




「二極を越える」 というあり方に氣づいたからといって、このからだを持ち 二極世界に生きている以上、対立する二極間の行き来がなくなるわけではない。

でも、それに振り回されることがないとわかっていれば、むしろ そのギャップを積極的に利用して 楽しむことだってできるわけです。

荘子の 「胡蝶の夢」 というお話は、「夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話 (Wikipediaの解説より) 」 。

で、荘子は思うわけですね、「どっちだっていい」 と。

自分が蝶だと思えば 蝶である自分を味わい、人だと思えば 人である自分を味わえばいい。

外側がどう変わろうと、内から感じる自分に変わりはないのだから。




浮いたり沈んだり、高鳴ったり落ち込んだり、という二極世界ならではの体験がしたくて この世界にやってきた私たち、そしてそれを味わっている現在 (present) こそ 最高の贈り物 (present) 。

渦の真っ只中でもがいているときは 「そんなこと言われても~」 ですが、ちょっと引いたところから眺めれば、もがくという体験さえ、ああ これがしたくてこの世にやってきたんだなぁ、と なんだかいとおしいものに思えてくるのです (^^)