Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

春の雪

2006-05-07 | 日本映画(は行)
★★★★ 2005年/日本 監督/行定勲
「なんで三島なんかに手を出しちゃったのさ」


清顕は、好きな女に対していじわるしかできず、いざ他の人のものになるとなったら、だだっ子のようにじたばたしているガキみたいな男、ではない。これは、三島だよ。清顕って奴は、ナルシストで、サディストで、破滅主義者。アイツはこうなること、わかっててやってたのさ。ああ、俺はもう袋小路に追い込まれたよ~ってのを楽しんでるの。だけど、そこんところ、観客に伝えるには、あまりにも映画の作りがミーハーだった。もう、これは、主演が妻夫木聡と竹内結子という人気者で、バックにフジテレビが付いていて、主題歌が宇多田ヒカルって段階で、ほとんど期待できないのは同然。なんで、三島なんてものが企画に上がったのか理解に苦しむ。純愛映画を撮ろうてことになって、ちょっと毛色の変わったものをやろう、みたいなノリだったんじゃないの?三島作品を映画にするなんて、相当覚悟がいるはず。

私は、妻夫木聡がとても好きなので、がんばっていたとは思う。でも、役者として「よくがんばったね」と思われるのは、決していいことじゃないんだ。がんばってるのが見える、というのは役になりきれてないってことだからさ。いちばん良かったのは、大楠道代。さすがの貫禄でした。ツィゴイネルワイゼン思いだしちゃった。2時間半という長尺でも見られたのは、撮影を担当したリー・ピンビンの映像の美しさ。ちょっとステレオタイプな日本の風景が気になるところもあったのは確かだけど。

清顕という男が持っている不可解性が表現しきれていないこと、そして大正という時代が放つものを観客が感受できないこと。これは、大いにひっかかりました。チェン・カイコーが三島のこの原作を撮りたいと言っていた、なんて話を聞くと、「ああ、そっちが見たかったな」とすごく思っちゃう。果たして行定監督は、今後もメジャー資本で映画を撮り続けるんだろうか