うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

おすすめする園芸書⇒ 「めが先生の手抜き園芸」

2010年06月06日 00時35分26秒 | ガーデニング・庭づくり

 この間、調べ物をしていたら、以前に購入しちゃんと読まずにいた押し入れから園芸書が出てきた。妻鹿加年雄氏の 「めが先生の手抜き園芸」----家の光協会、である。この世界の本としてはこれは信頼できるし、よくできている。
 通常、園芸書の著者はもっぱら、学校の先生で会ったり、農業試験場をリタイアしたばかりとか、園芸会社につとめていたり趣味中心の園芸家であることが多い。妻鹿加年雄氏の場合は、その執筆するスタンスに社会性も一般教養も豊かな下地があるように思う。
 実はこういう分野では実作者イコール著者であり、おうおうにして文章や絵の表現力がつたなかったり、未消化の専門用語をつかったり、という場合が多いのだ。しかし、ガーデニング関係だと、それほど経験していないのに実務書に似せたイメージ主体の本が多い。本来のあるべき詩的感情もないくせに、プレゼンテーション紛いやコピーライターの字句を並べたりする。「ムック」という書籍の形態なら許せるが、売らんかなという姿勢のみで、植え付けや繁殖もしたことがないのに、ただ単にイメージ主体の受け売りの内容やカラフル本の体裁をのみ整えている場合が多い。
 
 現代はウェブサイトと同じように出版された書籍をもとに、園芸好きは独りよがりに栽培の知識やコツ、ノウハウを得たと納得していることが多いようにおもう。そうすると、必然的に目だけが肥えたり、やたら頭でっかちだけになるものである。実は、園芸というものは自然を相手に楽しみながら手足をいとわず動かし、植物の経過を観察し育む気持ちが大事であるのに、だ。
 これは、言わば、今はやりの園芸情報ビジネス上のバーチャル化と商業化により浅薄なものになった結果である。本来、園芸の楽しみはどこそこで購入したという消費行動ではなくて、育てることにある。わたしに言わせれば、こんな薄っぺらな業務は愚にもつかないことだ。
 
 植物という生き物を扱う場合には、それぞれの育てる環境や条件が違うのだから、それゆえに具体的に表現すべきであって通り一遍の説明ではおかしなことになる。そんなことも含めて、実際は成功よりも失敗体験をいやいやながらも積み重ねていかないとわからない。園芸書はその体験談を的確に分かりやすく叙述するのが著者の望ましい態度だろう。
 わたし自身は、ちょっと前までは、NHKや一部の定期刊行雑誌、妻鹿加年雄氏や西 良祐、能勢健吉の各氏の園芸書は信頼できる本としていた。

 花壇や庭・植物のご相談に際して、連絡方法は下段のコメント(0)をクリックするか、少々面倒ですがこちらのホームページから入りお問い合わせくださいませ、ませ。
       
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