うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

初夏、真昼の公園の憂鬱

2010年06月14日 06時37分05秒 | ランドスケープデザイン
今は初夏。この間は、公園にいた。展示会を見るのが早めに終わり、次の行き先である川崎市内のマンションまで時間があり、持参のおにぎりを食べようと場所を探しだして池の淵の東屋のベンチに座った。
 都内の造園会社に在社時代、わたしは技術営業、現場管理業務として図面や資料をもって、ゼネコンや建築設計事務所の設計積算担当部署であったり、現場事務所に打ち合わせや現場確認に行ったものだ。そこで足をのばして、必ず、東京近辺のおもな公園、植物園、資料館(美術館)、その時代の注目されていた建築や造園作品を見て回った。資料をもとめて、東京駅八重洲口のブックセンター、専門図書のあさりにも行った。その頃は仕事の必要と現物に直接ものにあたる性格のせいか、単独行動が多く、植物や造園の知見をもとめてのものである。その経費は大体自腹であったが、ひと通り、わたしとしては現地の踏査や、資料渉猟をおこなったものである。
 しかし当時、そのさまは精力的でなにかに追いかけられているように見受けたかもしれない。

     淡いピンクの熱帯睡蓮と、増えすぎて問題になっているみどり亀。
     
     
     落羽松の気根もあちらこちらにある。
     

 今は休日のお昼前。
 リタイヤした年配者はカメラと三脚を抱えて動き回り、一心不乱にキャンバスに向かって水彩画を仕上げている中高年の男女もいる。団体ではリハビリ中の者や身障者の一群、花を目ざとく探し出し嬌声をあげるおばさんの集団。だが、公園利用者に社会的に働き盛りの男性や若い人がいない。こんなことはありきたりの光景だが、わたしには不思議に感じる。

 その当時もそうであったが、なんだって、平日はむろんのこと、働き盛りの30、 40代のひとが少ないのだろう。この造園業界でさえも、コンサルや造園工事の関係者も専門教育を学校で学べば良しとするこの世界の風潮や雰囲気に納得がいかないでいる。現地にも行かず、現地での確認を真剣におこなわないのだ。もちろん、竣工後現場には行かない方が多い。しこうして、その結果、わたしには知識や実務のみで時間の流れや感覚上の修練がないようにおもわれるのだ。そうすると、概念的観念的な成果品や、予算と技術にしばられた工事作品しか残さないことになる。
 日常生活の視線から仕事を見る目が必要だ。

 公園利用についても、わたしには、世間的に他の業界でも同じであり、他人と違ったことをしてはいけないという性質と側面にしばられているのではと感じる。そこに、わたしは偏った一面的に過ぎる仕事観や人生観にいびつなものを感じる。大げさになるが、おおかたの日本人の褒められるべきではない特徴のように思われる。

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