うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

たまに感じること、震災の援助活動・・・

2012年02月12日 07時02分03秒 | 東日本大震災のこと
この間、通勤の帰りに時間つぶしのために、途中の佐倉駅の改札を出て構内をうろついた。佐倉市は近隣の市町村に比べて市民の文化レベルが少し高い町、橋上駅の広いロビーのウィンドウには毎回その作品が展示されている。手製の工芸品や学生たちの絵画、クラシックコンサートの案内、時には薪能開催もある。
 そんなことで、しばらくぶりでいろいろな掲示物を見ていたのだが、そのなかで広報物「公民館だより」がありおもわず読んだ。地味でわら半紙ふうの紙面の小さな文集、その記述には、この関係者が東北の大震災に一カ月間ボランティアに行ったことが書かれている。
 わたしはハッとした。おびただしい被災内容のことに、援助活動に現地へ行った方々のことに触れている。西の方からはリタイアしていた老親子、または市の公務員や学校の先生を定年退職した人、勤め先にこの活動参加を申し出て受け入れられず退職してきた25歳の若い男性、率先してわざわざ外国から参加する人々、などなど。新聞やテレビ、また今の若い世代に多い合言葉のようにステッカーやウェブ上の言語表現に託せば良しとする浮薄な世の中にあって、その文字どおりの身を挺しての行為に心打たれる。
 現代のマスコミやIT社会の宣伝文句や商品のコピー文は真実ではない、バーチャルリアリティは真実ではない。そんなのは、共有や絆ではない。なぜなら日本人特有の 「熱しやすく冷めやすい一過性」 とともに 「人と同じでないと不安だ」 という欠点が隠されているからだ。自分自身はどうなんだい、社会の色んな場面において、近年多くなった、一見優秀とされている被害妄想面をして身勝手な主張の正当化に長けた連中の加害者たちに虫酸が走る。なぜ、みずから個人の思いや体験からこの惨事をとらえられないのだろう。しこうして、みずからのみの判断で行動することだ。
 マスコミ人の役目はこういことをもっと正確に具体的に報道することだろう。世の正義を標榜する職業に就いているならば、もちろんのこと、企業を離れて個人としても実際の行為は率先して行うべきことだろう。
 わたし自身はと言えば、今の貧しい生活や年齢的に身動きできずにいて、近頃の余裕のない境地に焦燥感に襲われる。
     
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