うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

横尾忠則氏の『曖昧礼賛ドンマイ』の連載記事

2023年08月21日 05時09分49秒 | 老いの流儀
わたしたちの世代だと横尾忠則と言えば、世間では、イラスト・ポスターや絵画の世界で活躍した人物である。その場面は商業デザイン、商業芸術とでもいう分野か。わたしの印象では、そのもじゃもじゃの髪と小声の愛すべき温和で風変わりなキャラクターととも忘れずにいる。ところで、横尾氏は、まだまだご存命でいらっしゃる。横尾氏は、御年1936年生まれだから昭和11年で今年で満87歳である。
          
 この春に、横尾氏の連載記事が「週刊朝日」自体が突然終刊になり、わたしの愛読する「週刊新潮」に引っ越してきた。記事では、昔からの大人離れをしたその少年のような感覚を持ち続ける生き方、その来し方への感慨や、年来の有名人との交友関係とかをおもに綴っているようだ。
 満87歳と言えば老境だろう。わたしのこのカテゴリー(老いの流儀)でも触れたが高齢化に伴いその心境を吐く人は少ない。その意味でわたしは貴重な表現だと思う。私はこう生きた、と必然的に振り返るがなかなかその心情を隠し立てもせずに他言することはむずかしい。老境に至ると、普通は必然的に一人になっていくにつれ内なる自己に正直になる。しかし、実は人間は一人になっても見栄を張るし誇張もする。もっと難しいのは、表現的に外部に文字化することだ。一番、公になるケースは文学系の執筆者だろう、表現に手慣れている。政治家は毀誉褒貶にまみれても信念次第か。職業的には、文系を含む大学教授や技術者は期待するまでもない、もともと、一般社会への接点と視野が少ないから表現への動機もうまれないだろう。サラリーマンだったら、手記や自分史作成により自分の人生を振り返るかもしれない、しかし公表の機会が少ない。
 もっとも、白川静さんのような、終生、使命感で生きる漢字学者はどんな場合でも別格だ。

 ところで、ところで、閑話休題。
 ここでは、その”23.8.10の記事、《難聴で五感も全滅、頼りは特技の第六感》に触れる。以下にその内容を箇条書きでまとめてみた。わたしには割と重要なことに思える。
・突然性難聴に襲われる⇒今までの耳鳴りが聞こえなくなる⇒ますます難聴がひどくなる
・補聴器の装着・補聴器を常時使用しないと難聴が進行すると医者に言われる。難聴が認知症リスクを高めると言われる。
・補聴器がなければ耳が終日、ツーンとまるで水中に潜っているような感じになる⇒聞こえないから人との会話が成立しない、喋らないことになる。音楽もテレビも雑音に聞こえる。五感が朦朧とした状態。
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