ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

名乗るほどの者ではない

2008年03月22日 | 千伝。

どうも意気が上がりません。

海岸沿いに車を留めて、海を眺めていました。

海は、いいなぁ!

海辺

はてさて、気分転換です。

目先の仕事という使命を懸命に果たすことにより、役目がこなせる天職となる。
不可能も可能になり、失ったものも戻って来る。
またそれ以上のものが手に入る。
今まで見えなかったものが見えて来るようになる。
何が大切か否かの判断がはっきりするようになる。
自分が変わっていくのが分かるようになる。

風になり、波になり、雲になって、我ら寿命のある生き物に、恵みの雨を降らす。

・・時代劇の世界は、粋です。

時代劇では、通りがかりじょう、困った人を助けたりして、「どこのどなたでしょうか」と尋ねられた折の答えが、必ず「名乗るほどの者ではない」でありました。

つまり、一期一会、足長おじさん文化が、武家社会に教育として生きていたのであって、その場の事は、その場で処理し、終わらせ、後を引かない潔さが、何時死んでもよい武士としての心構えだったに違いありません。

現在はどうかというと、すぐに損得や効果を期待して、何かにつけて名刺なり自己証明を明かしてしまう。浅薄な限りである。

恩を着るのも恩を着せるのも、世の計らいであって自己が想定したものでない限り、ただ役目を果たした役者のごとく芝居が終わればお仕舞いです。

短い人生の内に、願った役が廻ってくるかどうかが問題であって、我々受け手としての人間としては、役が廻って来た際に、その役がこなせるような、最低限の努力はせねばいけません。

ひたすら自分の役割を念じる事により天職が降りてくる寸法でしょう。

松の木