ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

宿題

2011年07月03日 | 百伝。
大きな桜の樹の下に、お不動さんや観音さんが居られると言う。

もう20年近く昔、小生が30歳を過ぎた頃に「百島に橋を架ける運動」を思いついて実行に移すことを考えたことがある。

いちばん信頼の篤い同窓生や同級生に根回しを始めた。

そして、時の運輸大臣は、地元選出の亀井静香氏。

初めに、運輸大臣に直談判、相談を仕掛けたうえでの展開をすること。

絶好のタイミングだと思ったが、だが結局は、小生が旗を振ることによって、百島に混乱と迷惑を生じる等々の理由で、家族から大反対を受けて頓挫した。

以後、個人的な小生の百島の未来は、離島そのままのイメージとなった。

お不動さんや観音さんが居れば・・訊いてみたい。

このまま、橋の架かからない不便なままの島でいいのかなぁ?・・と。

「百」という名前を頭にした「百島」の名前は、とても素晴らしい・・と、お不動さんも観音さんも答えるのに違いないはず・・。

だが、その先を答えて聞かせて欲しい。

宿題の答えが出せない・・否、宿題をしたくないと言ったほうが簡単な事である。

最近の・・お不動さんも観音さんも無口である。

百島には、橋も無い、何も無いのが一番の美徳であるという「物足りる教え」を示してゆけるのだろうか?

「故郷は、物語の始まりである。物語を作るのが、君達の人生の宿題である」・・○○先生から贈られた言葉である。

ソフトクリーム

2011年07月03日 | 百伝。
百島小学校五年生、六年生の時の担任は、○○先生という方であった。

学習塾も無かった故郷の教育環境だったせいか、毎日毎日ものすごい宿題の量を与えてくれた。

今で言う「百ます計算」のやり方と似ている。

例えば、国語の宿題は、その授業時間に児童が読んだ教科書のページに書かれてある全部の漢字を、5回つづけてノートに書き写してこいという宿題であった。

そんな地獄のような宿題が、くる日もくる日も続いたのである。

それから、○○先生から運動場での「帚の掃き方」という珍妙な事も教えられた。

正しい帚の使い方と柄の持ち方は、立ったまま綱引きで引っ張るように自分に方にゴミを寄せて集めていくのである。

この○○先生、色も白く、顔の彫りも深く、白人と見間違うぐらいだった。

百島小学校へ赴任された時には、すでに40歳前後だったと思うが、子供心に、映画スターが学校に来たと思ったぐらいに二枚目だった。

宿題と躾が非常に厳しかった○○先生は、給食時間も黙々と食べる。

そのうちに、先生の食べ方が非常に不自然に思えたことがある。

今思えば不思議でも何でもないが、当時としては、とても不思議な食べ方をしていた。

残ったパンで、お皿を舐めるようにきれいにする。

そして、最後のパン一片を口に運ぶのである。

子供からみてお行儀のよい上品な食事マナーとは思えなかった。

○○先生の教育方針が、何だったのかも判らない。

離島の児童に、どれぐらいの愛情を持って教育してくださったのかも・・推し量ることもできない。

それから十数年後、ぼくは、海外で暮す機会を得た。

そして知己の人も増えて、いろんな方の家にも招待されるようになった。

ある週末、林檎園のあるマナーハウスに泊りがけで出かけていた。

林檎狩りを楽しんだ後、広い庭でのティータイムの時間であった。

庭の端で、手入れをしていた庭師の方がいた。

ふと、○○先生の記憶が思い浮かんだ。

即ち、英国人の帚の使い方、パンの食べ方が、先生の「教育=やりかた」と全く同じ・・そのものだった。

今思うと、欧米流の教育方針であったかもしれない。

今日は、ソフトクリームの日。

とろけて手がベタベタになりながらもソフトクリームを食べる息子に「行儀が悪い」と嗜めた。

だが、美味しいのであれば、それはそれで正しいのだと思う。

○○先生の残した宿題だったのだろうか?・・(笑)