ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

心尽くし

2011年07月19日 | 百伝。
最近、故郷の百島が、特別に上品な場所に思えるのである。

若い頃は、とてもとても・・百島が、上品な場所だとは思えなかった。

漁港や船乗りの多いような場所は、一般的に、言葉遣いが悪い。

それは、海に携わる仕事上、丁寧な言葉遣いでは、物事の進捗が遅くなる。

だが、安全を思えば、言葉の安心が足りない。

だから、街の言葉が、安心という上品な世界に映った。

若い頃、目指したくなるのは、鯉のぼりの如く上流でもある上品な場所である。

人が集まる場所が、安心する場所だと映る。

ところが、歳を重ねれば「安心は幻覚」であることに気がつく。

最近は、大きな街ほど・・上品よりも下品な感覚が席巻蔓延してゆく。

例えば、「貧乏は嫌だ!」という声が、街の中にこだまする。

そうなると、ものの言い方が悪くなる。

ものの言い方が悪いと、人柄が悪くなる。

人柄が悪いと・・ガラが悪くなる。

姥捨ての時代は去れども・・人間、老人になってもイジメの世界が残る。

優しい人が集まる場所が、響く安心というパラダイスとなるのであろう。

最近、百島のお年寄りの言葉は、優しく温かい言葉で心に響く。

故郷は、空き家が多くなれど・・

想いは、特上品の心尽くしである。