ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

祖国愛

2011年08月09日 | 千伝。
今日は、ナガサキの原爆忌。

長崎市長の平和宣言「ノーモア・ヒバクシャを訴える被爆国・日本が、どうして放射線の恐怖に脅えるようになったのか?」

暑い八月は、さまざまな事を思い起こす。

ただ、愛国心やら祖国愛とは、どうも違う。

万が一、日本が再び戦争状態に陥っても、大部分の日本人が徴兵を拒否するであろうと思う。

英国では、移民系の多い街で暴動が起こっているとか・・でも、英国は戦争状態になれば、大部分の白人系英国人は、戦いに出向くと思う。

・・百島中学校の英語の先生から、欧米人は、たとえ自分が100%過失があって交通事故を起こしたにせよ、自分から「すみません」とは決して言わない・・と教えて貰った。

何かあると、とかく「すみません」という謙譲精神のある日本人の美意識感覚からすると、欧米人の感覚に違和感を抱いたのは、昭和60年(1985年)ぐらいまでかな?

かいじん21面相のグリコ森永事件、日航ジャンボ機の墜落事件・・そして日本経済のバブル期への突入の時代・・「もっと休もう!ニッポン」の掛け声があがった頃からである。

・・そして、日本人も自ら進んで「すみません」と言わなくなった。

保身というよりも、何かあれば訴える、訴えられるという・・第三者の介在を必要とする国・社会となったのである。

国、社会がある程度豊かになればなるほど、守るべきものが増えて仕事も増える。

例えば、安全保障の警備、訴訟のための弁護士等々を備える。

・・それを先進国と呼ぶのかもしれない。

先進国社会は、祖国愛的社会義務よりも個人の権利が優先される。