ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

御盆傍楽

2011年08月13日 | 千伝。
今日は、お盆の日。

傍楽(はたらく)良い仕事の話。

随分前の昔、ラジオを聞いていたら、藤本浄彦さんという仏教大學の副学長で、文学部人文学科の教授が、浄土宗の法然上人の話をしていた。

この藤本さん、山口県柳井の沖にある周防大島の寺の生まれとの事。

何でも、法然上人は、80歳頃の晩年期、南無阿弥陀仏の念仏を一日六万遍も唱えていたという。

南無阿弥陀仏を、早く言うとナンマイダとなる。

仏教大學の藤本さんは、過疎化する周防大島の実家の寺でも檀家に講和し、一時間ほど念仏をあげるそうである。

島の一人暮らしの老人も、暇さえあれば念仏をあげると阿弥陀さんと一緒になれるのでちっとも寂しくないとの事。

以前から、「仏法の中において、精進するが故に、所得弘多なり」の言葉は知っていたが、その深い意味は、あのラジオ番組で理解できたような気がする。

「南無阿弥陀仏」や「南無釈迦牟尼仏」や「南無法蓮華経」は、法然や親鸞、道元、日蓮が命をかけて唱えた念仏である。

その後、何百年も日本人の精神世界を支えてきた言葉である。

よき仕事をする場合、よき仕事を得ようとする場合、この念仏で呼びかければ、仏様は答えてくださるとの事。

人を待つ時も念仏。

料理をつくる時も念仏。

皿を洗うときも念仏。

風呂の中でも念仏。

トイレは流れるので、トイレ以外は念仏。

兎に角、人がいない時は、念仏をブツブツ唱えれば、仏様がパワーを返してくれるとの事。

正直、仏教語りの仏教知らずで、念仏は無駄と思っていて、そんな暇があれば、仕事のことを算段したほうが時間の有効だと考えていたのが・・浅はかだった。

誰だって、良い仕事に就いて、よい待遇であれば頑張れる。

なのに、よい仕事が回ってこず、頑張ろうにも、どのように頑張ったらよいか分からない人、いわゆる迷っている人、もがいている人からすると、暖簾に手押し状態になる。

その閉塞感、逼迫間、疎外感を打破するのが、伝統あるお念仏だと・・藤本さんの法話でした。

今日一日、御盆傍楽の時間を過ごしました。