呟き…と言うには多すぎる言葉ですが・・・。
まとまらない想いが、常に胸の内を駆け巡っています。
やるべき事、やらなきゃいけない事、こなさなきゃいけない用事が多々あって、それらをこなす間に、自分の想いを確認しようとしています。
今、自分は本当はどうしたいのか、でも、実際はどうしなければならない立場なのか。
長い目で見るべきなのか、短期的に変えて行くべきなのか。
こちらからの歩み寄りしか無いのか。双方からの歩み寄りは無理なのか。
求めてはいけないのか。
そんな、結論の出ない想いばかりが頭の中、胸の中を占めています。
勿論、これは、介護の問題に他なりません。
介護の方法は、千差万別。十人十色。
・・・そう頭では皆判っているはずなのに、何故画一的な方法を採ろうとするんでしょう。
その方法の決定権は誰にあるんでしょう。
介護される人?
介護する人?
それとも、合議制での多数決?
実のところ、こんなに早く義父母、特に義父の認知症が進むとは思ってもみませんでした。
一旦、スタートの号砲が鳴ったら、それからは、もう全速力。
坂道を転がるように・・・という表現が、まさにぴったりと言うくらいの進み様。
去年の6月にこちらに戻った頃は、まだまだ達者に自転車に乗って、毎日出かけていたのに・・・。少々は、物忘れもあったけど、私たちと然程変わりない位でしたし。
当然、物事の判断も的確で、いたって常識的なものでした。
だから、義父母の生活は、ひとえに義父頼りというところがありました。
でも、今は、それが不可能になっています。
年齢を考えたら、当たり前のことなんですが、傍にいる者にとっては、余りの速さに、こちら側の認識が追いついて行きません。
という事は、もう、二人での生活は無理・・・という状況なのです。
ここで、私が同居する・・・と言うのが、一番手っ取り早く、そして、義父や義姉達の望む方法です。
現に、私が一人暮らしをしていると言う事を不審がる、或いは快く思わない人も、周囲には居ますし・・・。
私が、アパート暮らしを選択した理由は、”スープの冷めない距離”という事の他にも、どうしても同居が無理な理由があるのです。
まず、何と言っても<お風呂>の問題。
ただ”古い”と言うだけではなく、殆ど使ってない状況。私が、こちらに戻る前はどうしていたのか判らないのですが、私が戻ってからは、アパートのお風呂に入って貰っていますから。
その他にも、多々”同居無理”な要素があるのです。
それらを解決するには、多大な費用と時間がかかる上に、リフォーム自体が不可能なくらい家が古いときてるし・・・。
義父自身の意見も、ころころ変わってるようです。
私やアルフィーに言う事と、義姉たちに言う事と、どーもかなり違ったモノのようで・・・。
どちらも、それを真に受けてるものだから(当たり前ですよね。疑ったりしないですよね。)、お互いへの不信感、反感が芽生えてしまうんです。
私とアルフィーは、そういった感情は、全くと言って良いほど無かったんですが、義姉たちは、悶々としていたようで。
義父の思い違いと言うか、物忘れの為に、かなりの誤解をしていたと言う事が先日判りました。
要するに、しっかり者だった義父ゆえ、認知症がどの程度なのか判別できず、真顔で言われると、その言葉を信じてしまうのです。
一度持った不信感と言うものは、なかなか胸から消えないものです。
持たれた・・・という失望感も、すぐに消えるものではありません。
こういった介護の場での周囲の人たちの意識の混乱の原因の一つは、認知症を患っている本人から出る思い込みの言葉なのだと、痛感しています。
もう一つ、同居をためらう理由があります。
私の精神的、肉体的な事が原因です。
今週末から、しばらく千葉に戻ります。
それは、肉体的な健康を取り戻すためです。
何かを始めるにしても、又、考えるにしても、まずは健康な肉体を作り、体力を取り戻す事が先決ですよね。
それから始めます。
この事については、また後日記事として載せます。
隠すような事でもありませんし、同じ様な事で悩んだり、これから治療方法を考えていこうと思っている方々に、少しでも参考になるかと思って・・・。
この先、どうなるのか、どうして行けばよいのか、全くの白紙状態です。
正直なところでは、もう投げ出したい気持ちなのです。
でも、そういう訳にもいかず・・・。
しばらくは、自分の事だけに専念します。そして、その後、大いに悩む事にします。