大和郡山市稗田にある賣太(めた)神社へ
賣太神社には稗田阿礼(ひえだのあれ)が祀ってある、阿礼と言えば日本最古の歴史書である「古事記」が有名だ。
今年は古事記が書かれてから1300年になるのである
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稗田阿礼は天武天皇の舎人で、この稗田町付近に居住していた猿女君一族の末裔であり、すぐれた記憶力で天皇の系譜や伝承を暗誦し、阿礼が読み習わした内容を太安万侶が記録をとり、西暦712年に日本最古の歴史文学書である古事記が誕生しました。
******* 現地説明板より抜粋
西名阪道路の郡山ICで降りて~国道24号を北上~「美濃庄町西」交差点を左折して西へ行けば、「 奉祝 古事記撰上千三百年、賣太神社 」 の赤いのぼりが風にはためいていた


左にはお札がたくさん架かっている
稗田阿礼の記憶力にあやかって合格祈願のお参りにもたくさんの人が訪れるようだ

かたりべの碑です
拝殿です
奥の方に本殿らしき小さな祠があった
拝殿前には大木がある
しめ縄がつけてあるので神木なのでしょう
また、この地は大和の環濠の典型例として有名だそうです。
東西260m、南北260mの規模
きれいに整備されているが、基本的な形は室町時代からほとんど変わっていないとのこと。
川ではありません、環濠です
生い茂った木々は賣太神社の社叢です
ず~っと向こうの山並みの麓には「山の辺の道」 が通っている
賣太神社には稗田阿礼(ひえだのあれ)が祀ってある、阿礼と言えば日本最古の歴史書である「古事記」が有名だ。
今年は古事記が書かれてから1300年になるのである
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稗田阿礼は天武天皇の舎人で、この稗田町付近に居住していた猿女君一族の末裔であり、すぐれた記憶力で天皇の系譜や伝承を暗誦し、阿礼が読み習わした内容を太安万侶が記録をとり、西暦712年に日本最古の歴史文学書である古事記が誕生しました。
******* 現地説明板より抜粋
西名阪道路の郡山ICで降りて~国道24号を北上~「美濃庄町西」交差点を左折して西へ行けば、「 奉祝 古事記撰上千三百年、賣太神社 」 の赤いのぼりが風にはためいていた


左にはお札がたくさん架かっている
稗田阿礼の記憶力にあやかって合格祈願のお参りにもたくさんの人が訪れるようだ

かたりべの碑です

奥の方に本殿らしき小さな祠があった

拝殿前には大木がある
しめ縄がつけてあるので神木なのでしょう
また、この地は大和の環濠の典型例として有名だそうです。
東西260m、南北260mの規模
きれいに整備されているが、基本的な形は室町時代からほとんど変わっていないとのこと。

生い茂った木々は賣太神社の社叢です
