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江戸時代から明治時代にかけて 「 お伊勢参り 」 は庶民の憧れだった。一生に一度はお参りしたい、と多くの人々が伊勢神宮へ向かったらしい。
関西方面からは、東海道も多くの人々が歩いたが、奈良県桜井市から ~ 榛原 ~ 室生 ~ 三重県の名張 ~ 伊賀 を経て伊勢神宮へと向かうルートも多く利用されたらしい。 この道が 「初瀬街道 」 で、現在の国道165号線とほぼ重なるのです。
桜井市吉隠、民家の庭と思われる場所に道標がある

道標の正面には 「 右 いせ 」 の文字
左上にも何か書かれてるようだが判読不能

側面には 「 奉納大峯山上五十六度供羪塔 平国土安全 當村若連中 ・・・・ 」
もっといろいろ書いてますが、私の読解能力不足でよく解かりません
この道標は、ここの家の誰かが大峰山参拝の記念に奉納したのでしょうか?
とにかく、お伊勢参りの人々の為に造られた道標でしょう

写真手前の黒っぽいのがこの道標です
この建物には、住む人も無く屋根は折れかけて庭は草ボーボー

道標は奥の家の前にあります
この道は、昔の初瀬街道だったのでしょうか?
写真の建物の右側=北側が現在の国道165号線です
こちらは宇陀市榛原角柄
国道165号線沿い、上の道標から500mほど東の位置にあります



祠の屋根は比較的新しいようだが、大きな石標と真ん中の小さな石仏様はかなり古いようです。
石標の文字は全く読めません、
長年の歴史を感じさせるものです、これもお伊勢参りに初瀬街道を歩く人々の安全を願って造られたものでしょうか?

お伊勢参りとは何の関係もありませんが、わが家の玄関の間? に菊一枝を生けてみました
菊一枝 外はシトシト 梅雨の雨
江戸時代から明治時代にかけて 「 お伊勢参り 」 は庶民の憧れだった。一生に一度はお参りしたい、と多くの人々が伊勢神宮へ向かったらしい。
関西方面からは、東海道も多くの人々が歩いたが、奈良県桜井市から ~ 榛原 ~ 室生 ~ 三重県の名張 ~ 伊賀 を経て伊勢神宮へと向かうルートも多く利用されたらしい。 この道が 「初瀬街道 」 で、現在の国道165号線とほぼ重なるのです。
桜井市吉隠、民家の庭と思われる場所に道標がある

道標の正面には 「 右 いせ 」 の文字
左上にも何か書かれてるようだが判読不能

側面には 「 奉納大峯山上五十六度供羪塔 平国土安全 當村若連中 ・・・・ 」
もっといろいろ書いてますが、私の読解能力不足でよく解かりません
この道標は、ここの家の誰かが大峰山参拝の記念に奉納したのでしょうか?
とにかく、お伊勢参りの人々の為に造られた道標でしょう

写真手前の黒っぽいのがこの道標です
この建物には、住む人も無く屋根は折れかけて庭は草ボーボー

道標は奥の家の前にあります
この道は、昔の初瀬街道だったのでしょうか?
写真の建物の右側=北側が現在の国道165号線です
こちらは宇陀市榛原角柄
国道165号線沿い、上の道標から500mほど東の位置にあります



祠の屋根は比較的新しいようだが、大きな石標と真ん中の小さな石仏様はかなり古いようです。
石標の文字は全く読めません、
長年の歴史を感じさせるものです、これもお伊勢参りに初瀬街道を歩く人々の安全を願って造られたものでしょうか?

お伊勢参りとは何の関係もありませんが、わが家の玄関の間? に菊一枝を生けてみました
菊一枝 外はシトシト 梅雨の雨