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奈良県宇陀市の山郷へ
宇陀市の榛原萩原の棚田 ~ 榛原山辺の山部赤人の墓あたりをウロウロしてきました。

玉立橋東詰の棚田
ここはかなり名の知れた場所のようだ
玉立橋の下を潜って坂道を西へ、山の中へ進む

玉立橋の下から西方面

少し行くと立派な灯篭、すぐ近くに青龍寺
その昔には、山越えのメイン街道だったのだろうか? 現在東海自然歩道になっている

寺の前の道標

青龍寺
前身が「墨坂神社々記」にある篇照山香酔寺(飛鳥~平安時代)ではないかと推察されているらしい
かなり由緒ある寺のようだ

山の斜面の擁壁に 「東海自然歩道」の道標
この自然歩道を上って行けば 「長谷寺・鳥見山方面」だ、やっぱり山越えのメイン街道だったのだろう

さらに上って行けば美しい棚田、田植えが終わったばかりの早苗田である
そして ポツンと一軒家

さらに上って行けば見捨てられた田んぼ、山道はまだずっと続く、こから上はすべて耕作放棄地のようだ
ここで引き返して、山部赤人墓へ向かう

少し走れば道沿いに赤人墓が現れる

山部赤人の万葉歌碑
あしひきの 山谷越えて 野づかさに
今は鳴くらむ 鶯の声
( 万葉集 巻17・3915 )

杉林の中 苔むした石塔が寂し気に建っている、これが山部赤人の墓だ

車を停めて近辺を歩く

青々と茂る杉林 & 耕作放棄されて草ボーボーの棚田

後方は戒場山か?
車で戒長寺方面へ向かう

途中で棚田が現れる、山また山景色の中に数枚の棚田
もう少し進むと、耕作放棄の田んぼが見えた

9年前の写真と同じ場所です
周りは草が生い茂り昔の面影は全くない
9年前は ☟ 下の写真 のように美しかった

先日 ≪ 思い出の風景・アジサイ≫ として載せた 「 9年前の写真 」
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じて 花にも涙を濺ぎ ・・・
時の経過は非情なものです、どうしようも無いけど寂しいものですね ・・・
奈良県宇陀市の山郷へ
宇陀市の榛原萩原の棚田 ~ 榛原山辺の山部赤人の墓あたりをウロウロしてきました。

玉立橋東詰の棚田
ここはかなり名の知れた場所のようだ
玉立橋の下を潜って坂道を西へ、山の中へ進む

玉立橋の下から西方面

少し行くと立派な灯篭、すぐ近くに青龍寺
その昔には、山越えのメイン街道だったのだろうか? 現在東海自然歩道になっている

寺の前の道標

青龍寺
前身が「墨坂神社々記」にある篇照山香酔寺(飛鳥~平安時代)ではないかと推察されているらしい
かなり由緒ある寺のようだ

山の斜面の擁壁に 「東海自然歩道」の道標
この自然歩道を上って行けば 「長谷寺・鳥見山方面」だ、やっぱり山越えのメイン街道だったのだろう

さらに上って行けば美しい棚田、田植えが終わったばかりの早苗田である
そして ポツンと一軒家

さらに上って行けば見捨てられた田んぼ、山道はまだずっと続く、こから上はすべて耕作放棄地のようだ
ここで引き返して、山部赤人墓へ向かう

少し走れば道沿いに赤人墓が現れる

山部赤人の万葉歌碑
あしひきの 山谷越えて 野づかさに
今は鳴くらむ 鶯の声
( 万葉集 巻17・3915 )

杉林の中 苔むした石塔が寂し気に建っている、これが山部赤人の墓だ

車を停めて近辺を歩く

青々と茂る杉林 & 耕作放棄されて草ボーボーの棚田

後方は戒場山か?
車で戒長寺方面へ向かう

途中で棚田が現れる、山また山景色の中に数枚の棚田
もう少し進むと、耕作放棄の田んぼが見えた

9年前の写真と同じ場所です
周りは草が生い茂り昔の面影は全くない
9年前は ☟ 下の写真 のように美しかった

先日 ≪ 思い出の風景・アジサイ≫ として載せた 「 9年前の写真 」
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じて 花にも涙を濺ぎ ・・・
時の経過は非情なものです、どうしようも無いけど寂しいものですね ・・・
少子化の影響が山里を荒廃させるのでしょうか?。 寂しい限りですね。
少子高齢化で農業を継ぐ人が居ないのでしようね。
農業を継ぐにも、トラクターや稲刈機等々高価な機械を購入するには相当な金額が必要でしょう。
それに農業だけで食べてゆくには、大規模にしなければならい等々で耕作放棄になってしまうのでしょうね。
どこの山郷でも同じような状態になってるのでしょうね。