OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

カプリコーンの儚い爽やかさ

2012-07-21 16:36:33 | Pops

恋のフィーリング / Capricorn (Epic / CBSソニー)

往年の洋楽ポップスには日本だけのヒット曲というジャンルが後に成立したほど、何故か本国よりも日本で売れまくった歌手やグループが少なくありません。

例えば本日ご紹介のカプリコーンは、1960年代末頃からロンドン周辺の様々な店で歌っていた男女3人組で、メンバーはコーリン・トラバース(g,vo)、エリック・フランシス(g,b,vo)、そして紅一点のスー・アボリー(vo) がレコードデビュー時の顔ぶれでしたが、皆様ご推察のとおり、このグループの魅力はスー・アボリーの爽やかに澄み切った歌声にありました。

それは1971年に出した最初のシングル曲「ハロー・リバプール / Liverpool Hello」の大ヒットによって見事に証明されたわけですが、逆に言えば彼女の歌声があったからこそ、この歌が流行ったというのが真相かもしれません。

ちなみに「ハロー・リバプール / Liverpool Hello」は本来、イギリスのBBC放送で制作されたミュージカルの主題歌だったそうで、レコード化する予定も無かったところが、テレビ視聴者からの要望が殺到して!?

という経緯から、これを歌うグループとして抜擢されたのが、カプリコーンだった!? と件の日本盤シングルに付けられたピクチャースリーヴ裏解説には記してあります。

で、ここで要注意なのが、これまでにも拙プログで度々書いているように、当時のイギリスの音楽業界で作られたポップス系ヒットレコードの多くは、先に楽曲があって、それを録音する時にはセッションミュージシャンのボーカリストや楽器プレイヤーが招集されるという、言わば「産業」でしたから、いよいよ売れてしまってからの巡業ライプやテレビ出演等々には、それ専用の歌手やバンドを作り出すのが常なのに、カプリコーンは最初っからグループが実在していたという珍しさ(?)でしょう。

もちろん前述した3人が公式レコードデビュー前からグループとしてやっていたか? という裏付けはありませんが、少なくとも一座のスタアであるスー・アボリーが所謂ハコバンで歌っているところをBBCの関係者に発見された事は間違いないと言われています。

ところが既に述べたように、この「ハロー・リバプール / Liverpool Hello」が大当たりしたのは、過言ではなく日本だけなんですねぇ~~!?

しかも勢いで出した次のシングル曲「明日にこんにちは」が我国でも、ほとんどヒットせず……。

まさにドメスティックな一発屋とは、カプリコーンを指しての言葉!?

と思われた頃の1972年秋、突如(?)としてヤマハ主催による世界歌謡祭出演のために来日したんですから、なんとかは忘れた頃にやって来るじゃ~なくて、その「なんとか」をポップスフリークは如何様にも解釈出来ますよねぇ~♪

そして本日掲載のシングル盤A面収録「恋のフィーリング / Feeling」こそ、ジャケットにも大きく特記してあるとおり、堂々のグランプリ受賞曲♪♪~♪ 全てのリスナーを魅了するスー・アボリーの天使の歌声が堪能出来るのは言わずもがな、軽快なピートとアコースティックなサウンドに彩られた胸キュンメロデイの印象は、絶妙のストリングスアレンジや爽やかコーラスも抜群ですから、何時聴いても、たまりません♪♪~♪

しかも、掲載した私有のシングル盤ジャケ写に登場しているスー・アボリーの衣装が、これまた魅惑の脚線美というか、ムチムチした太股がミニスカから惜しげもなく披露されているのですから、このローアングルの美味しさを狙ったカメラマンが羨ましいぃぃぃ~~~!

これは何もサイケおやじだけの気持ではないでしょう。

また、これは付け足しかもしれませんが、この時のカプリコーンはスー・アボリー(vo)、コーリン・トラバース(g,vo)、スティーヴ・プライヤー(b,vo)、アンウィン・ブラウン(ds) という4人組になっていて、この「恋のフィーリング / Feeling」以降に出したレコードを聴いてみると、これが相当にロックっぽいハードな音作りにもチャレンジしているんですから、なんだかなぁ……。

と書いたのは、ご存じのとおり、カプリコーンは再び「恋のフィーリング / Feeling」だけのヒットで埋没したからで、しかもまたまた日本だけでの注目で終わってしまったんですから、失礼ながら勘違いだったと思います。

そして個人的にはカプリコーンの二大ヒット曲「ハロー・リバプール / Liverpool Hello」と「恋のフィーリング / Feeling」に共通する魅力として、スー・アボリーのボーカルに効かせられた不思議系エコー!?

う~ん、これ無くしては、カプリコーンとは言えない!?

そんなふうに思うばかりです。

ということで、本日も爽やか系ポップスでゴキゲンな気分を求めてしまいました。

まあ、現実はそれとは逆に、ちょいと厳しい仕事の状況が予想されているんですが、こんな爽やかな歌を聞かせてくれたカプリコーンだって、実際は苦節の連続だったと思いますから、負けてはいられせん!

このジャケットを眺めつつ、スー・アボリーの歌声に慰められれば、それはそれで終りなき日常も乗り切れるのかもしれません。

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空飛ぶが如き爽快ポップス

2012-07-20 15:35:07 | Pops

Sky High / Jigsaw (Splash / テイチク)

覚悟はしていたものの、やっぱり今年の夏も暑いですねぇ~~。

いや、そんな分かりきった事を述べてしまうことそのものが、既に暑苦しいわけですが、そんな時こそ爽快な音楽を聴きたくなるのが人の世の常でしょうか。

で、そういう時、サイケおやじには、あえて耳タコ曲を選んでしまうという悪癖(!?)がありまして、例えば本日ご紹介の「Sky High」はB級洋画の主題歌でもあり、我国では華麗なる覆面のプロレスラーとして絶大な人気を集めたミル・マスカラスの入場テーマ曲として、昭和という時代に青春期を過ごされた皆様には耳に馴染みきったメロデイかと思います。

しかし、それを演じているジクゾーというグループについては、今もってほとんど知られていないというか、局地的には根強い人気もあるらしいのですが、極言すれば一発屋!?

そんな扱いが当然になっているのも、この「Sky High」があまりにも有名ヒットになってしまった所為かもしません。

実は例によって告白すると、サイケおやじは決してリアルタイムでは「Sky High」やジグゾーというグループを意識していたわけではなく、既に社会人となっていた昭和50年代中頃に友人が決死の覚悟で買ったマイカーのドライブに誘われる度に、ご自慢のカーステレオの定番カセットがジクゾーであり、そこで強制的に聴かされて目覚めたのが本当のところです。

あぁ~、ジクゾーって、これがなかなか気持の良いソフトロックばっかりやってくれるんですよっ!

まさに先入観をブッ飛ばされる、目からウロコとは、この事でした。

当然、チマチマとジグゾーのレコードを集め始めたのは言うまでもなく、グループの歴史もそれなりに知り得ていったというわけですが、これがイギリスのバンドであったという事実にも、驚かされましたねぇ~~。

なんとっ! 結成されたのが1967年だったということは、日本でブレイクした前述「Sky High」のヒットが1976年でしたから、そこまで既に10年以上のキャリアがあったということです。

メンバーはトニー・キャンベル(g)、クライヴ・スコット(vo,key)、バリー・バーナード(b)、デス・ダイヤー(vo,ds) という4人組とはいえ、グループの中心はデス・ダイヤーとクライヴ・スコットらしく、主要演目を作っているのは、このコンビですし、スタジオレコーディングにはセッションミュージシャンが動員されている事も、当時のイギリス産ポップスでは殊更不思議ではありません。

ですから音楽性もデビュー当時の幾分ワイルドなポップロック、つまり後にパワーポップと呼ばれるスタイルから、アルバムを出せるようになった1970年頃にはソフトロック&プログレ路線に踏み込み、そこから流行のグラムロックやMORポップスのエッセンスを抽出したかのような、実にキャッチーな歌と演奏を全面に出すグループへと転進を続けたのも当然の成り行きだったのでしょう。

そしてグループとしても小さなヒットを出しつつ、デス・ダイヤーとクライヴ・スコットが職業作家的な居場所を見つけたのは無理からん話だと思います。

1974年には本国イギリスや欧州各国でそれなりの人気を集め、さらにはアメリカ音楽界への進出がすんなり(?)決定し、我国でもレコードが発売されるようになった背景には、そういう基本的な実力に裏打ちされた魅力があっての事と思います。

なにしろジグゾーの日本盤レコードは、前述した「Sky High」による大ブレイク以降に続々発売されたとサイケおやじは思い込んでいたんですが、実はそれ以前の昭和49(1974)年から、シングル盤をメインに堂々と出回っていたんですねぇ~。同時にラジオの洋楽チャート番組でも、しぶといヒットを放っていた実績を後追いながら知ってみると、全く自らの不明を自覚するばかり……。

そういう流れもあって、件の「Sky High」が映画の主題歌としてジグゾーに依頼があったのも、クライマックスで高層ビルからハングライダーで飛行するというイメージに合致した、きっちりキャッチーな楽曲を作ってくれるという信頼があったのでしょう。

サイケおやじは唯一度だけ、テレビで放映された映画本篇を観ていますが、確かにハングライダー飛行の場面には、ジグゾーの「Sky High」が流れていた記憶があり、なかなか鮮やかなイメージだったように思います。

う~ん、さすれば飛び技をフィニッシュに多用する仮面貴族のミル・マスカラスには、これほどジャストミートなテーマ曲もありませんねぇ~♪ どういう経緯かは知る由もありませんが、少なくとも当時のプロレス関係者もグッドセンスでした♪♪~♪

一方、映画そのものは香港制作によるオーストラリアを舞台にした刑事アクション物で、主演はカンフースタアとして「片腕ドラゴン」や「片腕カンフー対空とぶギロチン」、「ドラゴン武芸帖」等々を我国でも大ヒットさせたジミー・ウォン! 悪役には「女王陛下の007」にしか出ていない「007役者」のジョージ・レーゼンビーという豪華(?)な顔合わせが反動的な面白さですから、ネタとして鑑賞しておくのも悪くはないでしょう。

そしてジグゾーがオーストラリアのグループと勘違いされてしまうのも、なにか納得されると言っては失礼でしょうか?

個人的には後年大ブレイクを果たすエア・サプライとか、そういう爽やか系AORへの影響も、ジクゾーには感じるんですが。

ということで、「Sky High」のような素直に気持良い歌が出るんで、1970年代ポップスも侮れないというわけです。

ご存じのとおり、この頃のリアルタイムでは、それ以前に使われていた「バブルガム」なぁ~んていうポップス用語は過去形になっていましたし、時代的にもカーペンターズに代表されるような、世代を越えて愛される素敵なメロディの歌が求められていましたから、ジグゾーの大ブレイクも必然性があったわけですねぇ~♪

そんな部分から楽しむ洋楽も悪くないと思います。

もちろん時節的には爽やかモードを希求しているのでした。

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昭和歌謡は水着も魅力

2012-07-19 15:11:09 | 歌謡曲

太陽に走る女 / 辺見マリ (ワーナーパイオニア)

国内ほとんどで梅雨も一気に明けたというのに、政治状況も社会情勢も鬱陶しいばかりで、またそれを報じるマスコミの暑苦しさは言うに及びません。

ですから、そんな時にこそ、パァ~~ッと明るく、例えば本日ご紹介のシングル盤ジャケ写の如く、「太陽に走る女」が世の中に希望を与えると確信しているのがサイケおやじの本性です。

もちろんそこにビキニ姿でグッと魅了される肢体を披露しているのは、昭和44(1969)年からの実質2年間に圧倒的な人気を集めたセクシーアイドルの辺見マリ♪♪~♪

と書いたのも、人気絶頂時の昭和46(1971)年、既に交際が噂の領域を越えていた西郷輝彦との結婚により彼女が引退されたからで、まあ、その後に芸能界復帰は果たしておりますが、それゆえにアイドル時代の輝きは別格! と思うのが、偽りの無い男どもの本音だと思います。

さて、肝心の楽曲「太陽に走る女」は、昭和46(1971)年4月に発売された通算5枚目のシングル盤A面に収録された、これが目論見どおりに「夏」を意識したセクシー歌謡の決定版!

それは当時流行のブラスロックを程好く取り入れたアレンジの中のマリンバの響きが絶妙の隠し味♪♪~♪ しかもドライヴしまくったエレキベースと力強いドラムスが提供するピート感は、これがまさに昭和歌謡ポップスのひとつの典型なんですから、たまりません。

ちなみに作詞は辺見マリがデビュー以来の安井かずみ、しかし作曲は村井邦彦から交代した鈴木邦彦ということで、制作側の意図はちょいと変化を狙ったフシもありますが、そこは流石にプロの仕事というか、あくまでも「プログラム方式」に沿った部分は貫かれたということなのでしょう。おなじ「邦彦」繋がりという勘繰りは別にしても、きっちり「辺見マリの味わい」を大切にした曲作りは、アレンジを担当した川口真の手腕も流石に冴えていますから、そのマンネリ感が、なかなか心地良いんですねぇ~♪

あぁ、やっぱり昭和歌謡曲は最高~~~♪

と、思わず再認識させられるわけですが、もうひとつ、当時は夏になるとテレビの歌番組ではプールサイドにステージが特設され、女性歌手は水着姿で歌うのが必須でありました♪♪~♪

もちろんその布面積が小さければ小さいほど、人気も集中するわけですが、スタア歌手としての自覚が、立ち振る舞いや着こなしにも表れていたのが昭和の芸能界なのです。

ところが何時しか平成の芸能界は、なにやら女性アイドルを甘やかしているんじゃ~ないかっ!?

そんなふうに思わざるをえない風潮がありますよねぇ……。

冷静の考察すれば、ロリ趣味の無いサイケおやじがAKBあたりの水着姿に積極性を示すはずもありませんが、それでも韓国からの出稼ぎ組の例えばKARAであれば、キワドイ水着姿のサービスは大いに推奨したいところです。

またその観点からすれば、アイドル分業化に伴って立派なジャンルになった所謂グラビアアイドルの存在も否定出来ませんから、えぇ~い! どっかのテレビ局が率先して芸能界水泳大会を作ってくれませんかねぇ~~。

もちろん水上騎馬戦でのポロリは美しい「お約束」であり、美味しいアングルを狙うカメラアングルの妙味や意識的に注目を集めようと奮戦する新人タレントの芸人魂は、必ずや共感を呼ぶでしょう。

正直、つまんないバラエティで出演者自ら笑っているような企画よりも、高視聴率は絶対ですよ。

等々、すっかり話もズレてしまったわけですが、それというのも鬱陶しい世相に辟易しているからでして、こんな願いがテレビ局に届いたらいいのになぁ~♪

叶わぬまでも夢だけは書く自由があるのは幸いです。

最後になりましたが、掲載画像はイカレ気味の私物スキャナーで撮ったものなんで、粒子が荒れ放題……。せっかくの辺見マリが勿体ないばかりの失態、ご容赦下さいませ。

新品、買おうかなぁ。

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ジョン・ロードが深紫だった世界

2012-07-18 15:30:48 | Rock

The Book Of Taliesyn / Deep Purple (Tetragrammaton)

ジョン・ロードが、逝った……。

そう、ディープ・パープルの核心を司っていたキーボード奏者であり、今に至るハードロックの礎を確固たるものにした偉人が、ジョン・ロードでした。

残念ながら、ここ数年は第一線から遠ざかっていましたが、それも病気ゆえのことであり、ですから享年70歳とは、あまりにも早世と思わざるをえませんが、同時に傍目から見れば、その充実した音楽人生は真に天寿を全うしていたのではないか……。

不謹慎かもしれませんが、サイケおやじは本音でそのように思っています。

そして本日は朝から追悼鑑賞として、掲載のアルバムに針を落した次第です。

今となっては初期のディープ・パープルは歴史の中の通過点としてしか評価されない向きもありますが、個人的には非常に好きなのが、所謂第一期!

このLPは公式には通算2作目のアルバムとして、1968年末にアメリカ優先で発売されたものですが、それというのもディープ・パープルが契約していたレコード会社「テトラグラマトン」はアメリカ西海岸のインディーズであり、グループはこの時点でシングル曲「Hush」をアメリカで大ヒットさせていた実績が本国イギリスでは裏目というか、なんとっ! アメリカのバンドと思い込まれていたというのですから、いやはやなんとも……。

しかし、内容は現在でも全く色褪せることのない充実度が圧巻で、それはサイケデリックポップとハードロックの融合に留まらず、結果的に後年プログレと称されるロックジャズやクラシック趣味に染まったサウンドまでも包括した素晴らしい仕上がりになっていますよ♪♪~♪

 A-1 Listen, Learn, Read On
 A-2 Hard Road (= Wring That Neck)
 A-3 Kentucky Woman
 A-4 (a) Exposition  (b) We Can Work It Out / 恋を抱きしめよう
 B-1 The Shied
 B-2 Anthem
 B-3 River Deep, Mountain High

ちなみに説明不要とは思いますが、第一期のメンバーはロッド・エバンス(vo)、リッチー・ブラックモア(g)、ジョン・ロード(org,vo)、ニック・シンパー(b,vo)、イアン・ペイス(ds) という、今となってはリードボーカリストが弱点とされる……、云々がハードロック愛好者の間では定説の顔ぶれながら、このアルバムには、この5人でなければ成しえなかった構成、そして醸し出せなかった味わいが確かにあって、サイケおやじはディープ・パープルの数ある名盤の中でも特に愛聴している1枚です。

もちろんリッチー・ブラックモアのギターに耳が奪われてしまう部分は否めません。

しかし同時に素晴らしいのがメンバー相互間のバランスの良さであり、一般的に言われるジョン・ロードのクラシック趣味とリッチー・ブラックモアのイケイケロック指向が対立と融和を試みている部分に他の3人が見事な自己主張を展開!?

サイケおやじは、そのように聴いているんですが、いかがなもんでしょう。

例えば最初のシングルカット曲になった「Kentucky Woman」のスピード感と立体的な構成は、第二期の代表作にして永遠に忘れじのヒットになった「Highway Satr」の明らかな先駆ですよねぇ~~♪ ちょいとエルヴィス・プレスリーっぽいロッド・エバンスのボーカルスタイルも、この曲が同系歌手のニール・ダイアモンドが自作自演のヒット曲カパーであった事を鑑みれば、決して的外れとは言えないと思いますし、意想外のハンドクラッピングも良い感じ♪♪~♪

なによりもイントロのヘヴィなギターリフからタイトなドラムスや突進するベース、オルガンのキメの彩りが本当にカッコ良く、おまけにサイケデリックポップなコーラスが付いているんですから、ロッド・エバンスの歌いっぷりはスワンプロックと形容されてもOKなはずなんですがねぇ~~♪

そして当然熱くさせられるのがリッチー・ブラックモアのギターソロ同様に十八番が完成されているジョン・ロードのオルガンソロでしょう。

あぁ、何度聴いても興奮させられますよ♪♪~♪

実は毎度おなじみの告白になりますが、サイケおやじが学生時代に入れてもらっていたバンドでは、当時の常としてディープ・パープルをやらざるをえない立場でありながら、定番の「Highway Satr」よりは、こっちの「Kentucky Woman」を選んでいたという天の邪鬼でしたから、お笑い下さいませ。

皆様ご推察のとおり、それはサイケおやじが「Highway Satr」の間奏ギターソロに挫折していた所為に他なりません。

閑話休題。

しかし当時のディープ・パープルは決して中途半端ではなく、ハードエッジなロックピートと幻想的なボーカル&コーラスが対立する「Listen, Learn, Read On」ではベースとドラムスの暴れも流石であり、それがギターとオルガンの対立を呼び覚ます結果として、続く「Hard Road」、つまり後年は「Wring That Neck」と曲名が変更になった人気インストの熱い展開に発展するのですから、シビれますねぇ~~♪

う~ん、ハードロックなジャズオルガン!

まさにジョン・ロード自立性の発芽がそこにあって、いよいよ本領発揮となるのがメドレー形式で演奏される「A-4」の最初のパートである「Exposition」の劇的構成です。

あぁ~~、まさにこれはジョン・ロードでしかありえない、そのパロックロック的なオルガンソロはキース・エマーソンとは似て非なる世界であって、もちろん第二期の圧倒的なスタイルに比べれば未完成な点は否めませんが、その違和感があってこそ、続くパートのビートルズカバー「恋を抱きしめよう / We Can Work It Out」が尚更に面白く楽しめるんですから、そのなかなかのプロ意識は侮れません。

実はこの「恋を抱きしめよう / We Can Work It Out」の主要アレンジも、サイケおやじが学生時代から頂戴している大切なものでして、リッチー・ブラックモアのオカズフレーズはコピーしていても楽しいですよ♪♪~♪

こうしてレコードをB面にひっくり返せば、そこにはますます強くなっているジョン・ロードの世界が多彩な広がりを提示していて、それゆえにリッチー・ブラックモア以下のメンバーが尚更に奮戦するという、これぞっ! 妥協しないロック魂の真価が発揮されています。

なにしろ「The Shied」からして、デビュー前のサンタナの如き疑似ラテンロックのサイケデリック的な展開であり、「Anthem」はまさに異色作として異論も出ないであろう、ストリングスも導入されたクラシック趣味丸出しの演奏なんですからぇ~~♪ 両曲ともにジョン・ロードのピアノやオルガンが土台を作り出し、他のメンバーが自己主張に走る流れは否定出来ないものの、「Anthem」での様式美はプログレでもあり、幾分大仰なロッド・エバンスのボーカルがジャストミートの大名演でしょう。

後になって、これをナイス、あるいはELPと勘違いしたファンが続出していたというのも、今となっては笑うことが出来ないほどの目論見達成感であったに違いなく、とすれば、これまたリッチー・ブラックモアの中世音楽趣味にも合致した点は、そのギターソロの構成や音選びにも顕著だと思います。

そしてオーラスの「River Deep, Mountain High」はフィル・スペクターの代名詞的な傑作曲であり、同時期にアイク&ティナ・ターナがヒットさせていた興味津々のファン心理を逆手に活かしたとしか思えない、凝り過ぎの見事な失敗作!?

だって大袈裟にキーボード主体で作られたイントロには、シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が堂々と引用されているんですから、おそらく狙ったであろうはずの目論見が最初っからリスナーに見透かされている感じが???

しかしそれでもサイケおやじは、この大団円は決して嫌いではなく、これがあるからこそB面に針を落すことも度々なんですよっ!

一説によれば、これの所為でロッド・エバンスがグループ内で浮くことになったとか、ジョン・ロードがリッチー・ブラックモアに主導権を奪われとか、様々な論争(?)の火種らしいのですが、その意味で言えば、前述した「Hard Road」がアメリカ西海岸で活動していたイッツ・ア・ビューティフルデイから盗作(!?)として名指しされた事件もあったんですから、この頃からディープ・パープルのアレンジ過多症候群は収まりがつかなくなっていたのかもしれませんねぇ~。

つまり本格的なハードロック路線に踏み出す名盤アルバム「イン・ロック」とシングル曲「Black Night」への転換的布石が、本人達の意思であろうが、なかろうが、とにかくこのLPにはびっしり詰まっているんじゃ~ないでしょうか。

ちなみに日本盤のアルバムタイトル「詩人タリエシンの世界」が示すとおり、タリエシンという吟遊詩人がアーサー王の美しい宮廷で音楽を奏でるという中世の物語をベースにした構成をLP全体で表現したというバンド側の説明(?)らしきものが当時からあったとされていますが、サイケおやじにしてみれば、若気の至りは別にしても、そんなの関係ねぇ~~~!

少なくとも昭和40年代の日本で生活していた青少年にとって、ディープ・パープルがやってくれる「ヘヴィなアートロック」は「ハードなロケンロール」であり、一発必中の憂さ晴らしだったんですよっ!

そのあたりをあの世へ旅立ったジョン・ロードがどのように企図していたのかは知る由もありませんが、例えば日本盤シングル「Emmaretta」や「Hallelujah」のジャケ写に使われたフォトセッションとか、時折にオチャメな事をやらかしていた故人の事ですから、案外と分かってくれていたのかもしれません。

ということで、本日は追悼ジョン・ロードで合掌。

そして後は大音量でディープ・パーブルを聴きませうね。

なにがあったとしても、ジョン・ロードのオルガンが鳴り響くかぎり、それはディープ・パープルに他ならないのですから。

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たっぷり流行った雨の訪問者

2012-07-17 15:24:23 | Pops

雨の訪問者 / Francis Lai (日本コロムピア)

梅雨明けの噂もあり、また先日の災害が未復旧のこんな時期に雨の曲というのも、ちっとは気が引けましたが、とりあえずのご容赦を願うことにして、本日は、これっ!

サイケおやじと同世代の皆様ならば、往年の洋楽ヒットパレードにおける映画音楽の割合の高さはご存じのとおりと思います。

そして中でもヨーロッパで作られた映画のロマンチックで優雅な映像美学を彩った名曲の数々は、当時は未だ貧乏ったらしかった日本人の生活様式には憧れと癒しの相乗効果を与えてくれるものとして、今も忘れられていないでしょう。

特に本日ご紹介の「雨の訪問者 / Le Passager de la pluie」は昭和45(1970)年に我国で公開されたチャールズ・ブロンソン主演のフランス制作によるミステリ映画のテーマ曲として、映画本篇よりも大ヒットした永遠のメロディ♪♪~♪

その哀切のフィーリングと微妙な湿っぽさ、また不吉な予感と重苦しい雰囲気が滲む曲展開は、その美メロ主義を貫くフランシス・レイの十八番として、堂々の代表作と思いますし、実際に当時の洋楽ラジオ番組のチャートでは長期間上位に居座り続けた実績は侮れません。

極言すれば、些か日本人には馴染み難い物語展開よりは、フランシス・レイの音楽の方が遥かに琴線に触れてしまった結果と思いますし、逆に言えば、この「雨の訪問者」のメロディが好きになって映画本篇を観た後の意味不明感……。

それは今も語り草になっているんじゃ~ないですかねぇ。

実はサイケおやじも全くそのとおりの体験をしていて、ストーリーの前半はほとんど理解出来ず、またチャールズ・ブロンソンの男の美学にしても、当時は中学生だった若気の至りがあったにしろ、???

それでも主演女優のマルレーヌ・ジョベールの怯えた美貌の素晴らしさには、心底ゾクゾクさせられてしまい、それは自分の性癖をあらためて自覚するところなんですが……。

まあ、それはそれとして、曲を書いたフランシス・レイは「男と女」「パリのめぐり逢い」「個人授業」「白い恋人たち」、そして「ある愛の詩」等々の大ヒットにして不滅のメロディを連発していた時期だけに、この「雨の訪問者」も尚更に強い印象を提供してくれますよ。

そして例によってサイケおやじはカーステレオの常備カセットとして、フランシス・レイのお好み集を自分で作り、ほとんど映画の中の登場人物の気分に浸るという、周囲からは呆れられて当然の行為を今もやっているんですから、お笑い下さいませ。

当然ながら、現在はフランシス・レイのCDベスト盤まで入手しています。

ということで、映画も好きですが、映画音楽も好きなのがサイケおやじの本性! 最近は、またジワジワとそういうムシが出てきたんでしょうかねぇ。いや、決して「悪い」とは思っていませんので、よろしくお願い致します。

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シーモンの涙は歌謡フォークかポップスか?

2012-07-16 14:38:15 | Pops

シーモンの涙 / Ingland Dan and John Ford Coley (A&M / キングレコード)

和みの名曲と言えば、これが日本だけでヒットしたという歌も少なくありません。

例えば本日ご紹介の「シーモンの涙 / Simone」は昭和47(1972)年の夏の終わりから初冬にかけて、それこそラジオの洋楽ヒットパレードではロングセラーでした。

しかも当時の我国は空前の歌謡フォークブームであり、ですから歌っているイングランド・ダンとジョン・フォード・コリーという男性デュオは当然ながら、そのジャンルでは最高峰を極めたサイモンとガーファンクルの系統に属するフォークロックとハリウッドポップスの折衷スタイルを前面に出しつつも、やはり素敵なメロディ中心主義が日本人の琴線に触れたという事でしょう。

とにかくイヤミのないストリングと隠し味のピアノを使ったアレンジがミディアムテンポでソフトな曲メロにはジャストミート♪♪~♪

ですからハイトーンも聞かせる二人のコーラス&ハーモニーが、そこはかとない胸キュン感を滲ませながら、ジワジワと心に染み込んでいくのもムペなるかな、分かり易い英語の歌詞もヒットの要因でしょう。

 シーモン どうして泣くの
 涙は何時かは乾くものなんだよ
 心の中の淋しさなんか忘れるんだ
 やってごらんよ

 シーモン、どうして泣くの
 キミにはまだ 人生があるじゃないか
 みんな無駄にしゃうなんて…… ダメ!
 さあ、シーモン
 さあ……
 さあ、シーモン、やってこらん

 ボクが死んだからって……
 ボクが死んだからって……

というような歌の内容は、相当にせつなくて厳しい現実ではありますが、それを如何にもロマンチックなメロデイに乗せてしまうというベタな演出は、これがヒット曲の重要ポイントであって、軽んじられるものではありません。

それはご存じのとおり、当時のブームで流行った歌謡フォークやポップス歌謡等々の若者向けの歌はもちろん、保守本流の歌謡曲や演歌だって同じ手法を基本にしているわけですからねぇ。

実は告白すると、サイケおやじはちょうどリアルタイムの今頃、ピカピカの新曲としてラジオから流れてきた「シーモンの涙 / Simone」を一発で気に入り、しかし周囲からは軟弱の誹りを受ける事も覚悟していましたから、高校の夏休みという人目を避けられる好機(♪)を利用して、このシングル盤を買ったのです。

そして同年秋の文化祭、バンド組の演奏発表会というライプの場で、これをやろうっ!

と提案し、ちょうど学校側からもロックよりは歌謡フォークみたいな演奏を強いられていた事もあり、見事に採用決定となったんですが……。

実際に自分達流儀のアレンジで何とかやってみても、イングランド・ダンとジョン・フォード・コリーが軽く聞かせるハイトーンのコーラスワークは出来るはずもなく、結局はフォーク組に頭を下げて(?)助っ人を頼み、どうにか急場を繕ったはずが!?

なんとメインでボーカル&コーラスをやってくれるフォーク組の二人が歌ったのは、陳腐なジコマンの訳詞による日本語変換!?

うへぇ~~~、これには提案者のサイケおやじも仰天して辟易でしたよ……。

しかし既に学校側には演目を届け、校内ライプ開催の了承を得ていたとあっては、文字通り「後の祭り」なんですから、ど~しようもありません。

ですから、今でもサイケおやじは「シーモンの涙 / Simone」を聴くと、和みと甘酸っぱい悔恨で胸がいっぱいになるんですねぇ。

まあ、それも青春の思い出と言ってしまえば、それまでなんですが、肝心のイングランド・ダンとジョン・フォード・コリーは、この歌を出した時点でも本国アメリカでは泣かず飛ばずの無名時代だったそうですし、後に知ったところではデビューから2枚目のアルバムに収録されていた自作自演の「シーモンの涙 / Simone」が日本だけでもヒットした事により、元祖AOR的な音楽性で本格的なブレイクを果たした1970年代中頃までのレコードも出せなかった暗黒時代を乗り切れたというのですから、サイケおやじとしては、まんざらでもありません。

確か同時期に行われたスリー・ドッグ・ナイトの来日公演では前座としての出演もあったはずですし、1970年代に作ったレコードには、今も通用するソフトでお洒落な名曲がどっさりある事を鑑みれば、本人達の意識する部分とは別に、どこか日本向きのコンビだったのかもしれません。

ということで、本日も和みの歌に事よせて、高校時代の思い出を綴ってしまいました。

ちなみに件のライプの場でサイケおやじが入れてもらっていたバンド組の他の演目は、サンタナとかグランドファンクとか、CCRまでも勝手にやってしまった憂さ晴らし!?

ところが学校側からは何の文句も言われず、結局は届けた演目の中身なんか、ちぃ~っとも分かっていなかったんですよねぇ、大人の先生達には。

ふん、やったもんが、勝ちだなぁ~♪

と、またひとつ、世渡りを覚えた頃でもありました。

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これは和みのソウルミュージック♪

2012-07-15 16:33:10 | Soul

Gimme Little Sign / Brenton Wood (Double / 東芝)

とにかく歌の中身がなんであれ、聴いていて気持良い曲というのは確かにあって、例えば本日ご紹介のプレントン・ウッドが歌う「Gimme Little Sign」も、そのひとつ♪♪~♪

ジャケットからもご推察のとおり、プレントン・ウッドは黒人歌手ですから、それはR&B~ソウルミュージックに分類されて間違いの無いところではありますが、この「Gimme Little Sign」にはソフトロック風味も隠せないフィーリングが最高なんですねぇ~♪

まあ、そのあたりは黒人音楽特有のメローな感覚の表れなんでしょうが、これが日本で流行った昭和43(1968)年には、そうしたポイントが如何にもお洒落であり、忽ち我国歌謡曲のポップス部門にも少なからず影響を及ぼしたように思いますし、GSにもかなりカバーされていたように記憶しています。

肝心の歌っているプレントン・ウッドについては、ほとんどこれが我国では一発ヒット的なシンガーではありますが、実はソングライターとしても有能らしく、多くの職業作家のゴーストをやっていたとか、このあたりは如何にも活動の拠点にしていたハリウッド芸能界でブレイクしただけの事情が窺えると思います。

ちなみに掲載した日本盤のスリーヴに「ブレントン・ウッズ」と名前の記載があるのは、まあ、いいか……。

肝心のボーカリストとしての個性という点では、あきらかにサム・クック系のソフトな歌い回しとジャズっぽいノリが特徴的でしょうか。それは「Gimme Little Sign」に関する限り、今も人気が衰えていない要素のひとつかもしれません。

さて、実はこういうレコードを聴きたくなったのも、最近続発する自然災害や心の痛む陰惨な事件が報道され続けているからでして、つまりは和みが欲しいんですよねぇ。

もちろん政治状況の悪さは言うまでもありませんし、こんな世相の中で国会の場を軽んじ、フラガールの前でニヤついている総理大臣のアホな姿、あるいは身勝手な親分気取りの領袖達が嘘の上塗りをやっている現実からの逃避と指摘されれば反論も出来ないわけですが……。

まあ、一般庶民のささやかな抵抗のひとつとして、ソフトなソウルミュージックに浸るのもOKじゃ~なかろうか?

とサイケおやじは今日も言い訳を弄しているというわけです。

失礼致しました。

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如何にもナザレスの真髄

2012-07-14 16:20:55 | Rock

Love Hurts / Nazareth (Mooncrest / 日本フォノグラム)

ロックと言えば、ブリティッシュ!!

それがひとつの真実であったのが、1970年代であり、その中で「如何にも」という存在が、本日の主役たるナザレスという中堅バンドでしょう。

なにしろ黄金期ディープ・パープルの弟分的な紹介があり、デビューした頃から堂々の前座を務め、発売レコードのブロデュースはロジャー・グローヴァーに担当してもらえるという現実は、まさに「運も実力のうち」という言葉が相応しいと思うばかりですし、やっている事がハードなロケンロールと泣きのパラードの二本立てという分かり易さは良かったですねぇ~~♪

メンバーはダン・マッカファーティー(vo)、マニー・チャールトン(g)、ピート・アグニュー(b)、ダレル・スウィート(ds) の4人組である事も、実はリアルタイムのアマチュアバンドにはコピーし易い対象としての人気があって、学生時代のサイケおやじも、それに勤しんでいたひとりです。

中でも掲載したシングル盤A面曲「Love Hurts」はグッと胸に迫る歌謡パラードのハードロック的展開とでも申しましょうか、1974年の発表から忽ちロングセラーの定番演目であり、実はオリジナルはエヴァリー・ブラザースが1961年に出していた所謂オールディズカパーなんですが、それは知る人ぞ知るの人気曲だったんですから、ナザレスの明確な立ち位置は潔いという他はありません。

ですから、そういう部分は後に多くのバンドに受け継がれ、もしかしたらトリビュートアルバムが出ている可能性さえあるんですが、本人達はそれを知ってか知らずか、今日までマイペースな活動を続け、夥しいレコーディングを残していのはる流石だと思います。

う~ん、中堅のしぶとさ!?

というか、こういうB級テイストのバンドがいるからこそ、1970年代ロックは何時までも人気があるんじゃ~ないでしょうか?

ちなみにナザレスの人気曲としては初期に「Bad Bad Boy」という、実に分かり易いハードロックがあって、極言すればグラムロックとサザンロックの幸せな結婚みたいな歌と演奏なんですが、そういうものが簡単に作り出せるかと言えば、それは否!

つまり確固たる実力と信念を持ち併せ、同時に裏を見せないシンプルさがあってこそ、ロケンロールの本質が貫けるのかもしれません。

ナザレスは、そういうところを強く感じさせてくれる、素晴らしいバンドですから、サイケおやじは今も多くのレコードを愛聴しています。

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マーク・ボランの退廃ロッカバラード

2012-07-13 16:01:33 | Rock

Teenage Dream c/w Satisfaction Pony / Marc Bolan & T.Rex (EMI / 東芝)

急激なブームが去っていく時の非常な速さは、殊更芸能界では顕著ですが、しかしミュージシャンの場合は人気が下り坂の時期ほど、印象的な歌や演奏を残すことが稀ではありません。

例えば本日ご紹介のシングル盤は1970年代前半、爆発的に盛り上がったグラムロックの象徴的な存在だったマーク・ボラン率いるT.レックスが1974年春に出した1枚なんですが、トップテンに入るようなヒットにはならず、加えてバンド内のゴタゴタやメンバーチェンジ、さらには制作スタッフの離反等々が重なっていた時期とあって、極言すれば落目の証左とも言うべき扱いが一般的な評価かもしれません。

しかしサイケおやじにとっては、これがなかなか心地良い愛聴盤♪♪~♪

特にA面「Teenage Dream」はオールディズ調の所謂甘美なロッカパラードで、しかもバックの女性コーラスやチープさが不思議な刹那の魅力というストリングスに彩られて歌うマーク・ボランの諦めたような表現がたまりませんし、ドタバタしたドラムスや痩せたギターサウンドも良い感じです。

ちなみに当時のT.レックスはマーク・ボラン以下、相棒のミッキー・フィン(per)、そしてスティーヴ・カーリー(b)、ビル・リジェンドから交代したデイヴ・ラットン(ds) が主力メンバーであり、他にサポートでジャック・グリーン(g)、また女性コーラス隊として、後にマーク・ボランの子供を産んでしまうグロリア・ジョーンズ等々が参加しはじめた時期だったんですが、プロデュースとストリングスアレンジを担当していたトニー・ヴィスコンティとは、これが最後の仕事だったと思われます。

う~ん、尚更に退廃的なムードが強いのは、その所為?

と感じざるをえないほど、この「Teenage Dream」の醸し出すムードは良いですねぇ~~♪

一方、B面の「Satisfaction Pony」はハードロック系のギターリフを基調にした十八番のブギと新機軸のラップ系黒人音楽をゴッタ煮としたような、摩訶不思議なサイケデリックポップスで、個人的には意想外に跳ねまわるベースやヘタウマなギターがお気に入りなんですよ。

あぁ、こういう事をやってくれる臆面の無さこそが、マーク・ボランの魅力じゃ~ないでしょうか♪♪~♪

しかし結果的に、このシングル盤あたりを境にT.レックスは急速な人気の凋落が止まらず、アメリカに拠点を移すような行動から前述したトニー・ヴィスコンティとの決別、さらにはティラノ時代からの名コンビだったミッキー・フィンのグループ脱退と続く流れは、マーク・ボランという稀代のスタアが落目の反面教師的な立場に見られたんですから、本当に哀しいところ……。

ところが音楽的な部分で言えば、そういう現実の退廃があってこそ、実は真に輝いていくマーク・ボランの本質が浮き出していて、今となってはグロリア・ジョーンズを悪者にする事も吝かではない雰囲気が、個人的にプラスになっていたと思います。

そして皆様ご存じのとおり、マーク・ボランは1977年9月、グロリア・ジョーンズの運転する車の事故により他界……。

全てがそこへ収斂してしまった事により、なにか星屑伝説ばかりが強調されるのはツライですねぇ。

ということで、実はサイケおやじが一番好きなT.レックスは、一般的な人気が落ちていった時期なのです。もちろん直前まで続いていた全盛期も好きではありますが、後期のちょいと崩れた感じは唯一無二で、黒人ソウルミュージックの感染と恋煩いの如き音楽性は、誰のものでもありません。

繰り返しますが、一般的な人気が薄れたとはいえ、皆様にはノスタルジックなムードも強い、この「Teenage Dream」あたりからマーク・ボラン&T.レックスの後期再評価をお願い申し上げます。

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ELPのあの日にかえりたい

2012-07-12 15:30:38 | Rock Jazz

Trilogy / Emersom Lake & Palmer (Island)

現在では当然の如く開催されている外タレのコンサートも、昭和50年頃までは非日常的な大イベントであって、それはもちろん人気ミュージシャンの来日そのもが極めて稀という現実の表れでした。

しかし一方、昭和45(1970)年頃からは国内でのコンサート企画そのものが大規模になっていた流れもあり、外タレ公演が野球場や野外といった大観衆の前で行われる事も、尚更に非日常感を盛り上げていたように思います。

例えが昭和47(1972)年7月に敢行された後楽園球場におけるエマーソン・レイク&パーマー=ELPの初来日公演は、当時高校生だったサイケおやじが最初に実体験した巨大イベントライプであり、しかも前座が、これまた同時期の人気バンドだったフリーなんですから、たまりません!

過言ではなく、その熱い興奮は、全く今も冷めやらぬまま、強烈な印象になっています。

もちろん、その中には会場の雰囲気に酔わされたという部分が少なからずあって、実はこの時のライプは入れてもらっていた同好会のバンド組メンバー全員で出かけたという思い出も相互作用しています。

それはチケットの手配や、そもそもこのライプに行こうっ!

と発議したのが、その頃にキーボードを担当していた上級生の女子であり、キース・エマーソンに夢中になっていた彼女とすれば、当然の行動だったのですが……。

ちょいとサイケおやじの視点から独断と偏見の状況を記しておけば、彼女は本当に日頃は無口であって、一応は2年間、同じバンド組に所属していながら、彼女が自ら喋った現場にサイケおやじが遭遇したのは、この時を含めても5回まではなかったと思うほどですよ。

なにしろ最初に練習に参加させてもらった時、いろんな段取りの打ち合わせでも全く寡黙で、この人は、いったい……???

と強く思ったんですが、リーダーだった上級生から、「ちゃんと、わかっているから」とアドバイスされ、半信半疑の納得を強いられたぐらいです。

ところが、このELPのコンサートライブに関しては実に積極的で、こうして現場会場に集い、いよいよオープニングになった時には既に半狂乱というか、日頃の地味~なムードは何処へやら!? 失礼ながら、こんなに乱れる正体って、女の性……!?

なぁ~んて、興味本位と怖さとヘンテコリンなスケベ心で、肝心な演奏がスタートする前から舞い上がってしまったですよ。

しかし、この時、初めて接したELPのライプは本当に凄くて、洋楽雑誌のレポートで読んだとおりにキーボードと格闘し、ミニムーグを弾きながら走り回るキース・エマーソン、大車輪ドラミングのカール・パーマー、そして緩急自在の力んだ歌声と強靭なベースワークや繊細なギターを披露したグレッグ・レイクが、まさに三位一体の熱演ばかり!

ちなみにジョイントとはいえ、実質的には前座であったフリーは、ポール・コゾフとアンディ・フレイザーが抜けていた事もあり、個人的には悪くなかったと思いたいのですが、最初から何か空虚な雰囲気は否定出来ませんでしたから、いよいよELPが登場し、当時の最新曲だった「Hoedown」がド頭から鳴り響いた瞬間、大袈裟ではなく、全身の血液が沸騰逆流する感じでしたねぇ~~♪

さて、そこでようやく本日の1枚は、まさにそのリアルタイムで発表されたELPの力作アルバムです。

 A-1 The Endless Enigma Part One / 永遠の謎 パート1
 A-2 Fugue
 A-3 The Endless Enigma Part Two / 永遠の謎 パート2
 A-4 From The Beginning
 A-5 The Sheriff
 A-6 Hoedown
 B-1 Triogy
 B-2 Living Sin
 B-3 Abadown's Bolero / 奈落のボレロ

まず特筆すべきは、ELPのような人気バンドが、この結成以来4枚目のLPで、初めてジャケットにメンバーの肖像が使われた事です。

まあ、正直、ルックスをウリにするようなグループではありませんが、当時のプログレはレコード全体である意味での抽象的なイメージ戦略が当たり前であって、それはキングクリムゾンやイエスの場合を鑑みても明らかでしょう。

ですから、あえて表ジャケットにメンバーが登場する事は、文字通り、なかなか自信に溢れていた表れだったのかもしれません。

そして実際、内容密度と完成度の高さは素晴らしく、A面冒頭から3トラック横断で演じられる「永遠の謎」は、フリージャズや欧州教会音楽、さらにはロックジャズの醍醐味に溢れた見事な構成と確かな演奏力が堪能出来ますよ。

またアコースティックな美メロ曲「From The Beginning」は当時、シングルカットもされていたほどのキャッチーさが、これまた如何にもELP!

つまり怖いほどの深淵な企みと親しみ易さのバランス感覚が絶妙であり、それは「The Sheriff」や「Hoedown」にも受け継がれながら、B面の重厚な世界で再び刹那の花を咲かせるのですから、一部には無用の大作主義と揶揄されつつも、聴いていて難しい……? なぁ~んいう心配は御無用です。

それはアルバムタイトル曲「Triogy」が、そのまんま三部作であり、また偏執的な「奈落のボレロ」にしても、ストレートな熱気中心の作風はプログレ=頭でっかち!? という一般認識を覆すものじゃないでしょうか。

ですから、ライプの現場の狂熱の中では、このアルバムから「Hoedown」「The Sheriff」「奈落のボレロ」が長らく定番演目になっていますし、「From The Beginning」にしてもグレッグ・レイクのソロ曲という側面は強いものの、これが後のアルバム「四部作」シリーズに繋がるわけですから、侮れませんねぇ~♪

結局、今となっては次なるアルバム「恐怖の頭脳改革」があまりにも強烈無比な大傑作である事を我々は知っているだけに、この作品が単なる過渡期の1枚と評価される意味も理解は出来ますが、リアルタイムじゃ~、これこそ無敵のELP!

告白すれば真剣にシビれきっていたサイケおやじにしても、お金が無くて当時は買えず、それでもシングルカットされていた「From The Beginning」だけは入手するという苦し紛れをやっていたんですが、しかし友人から借りてアルバムを鑑賞するという正義(?)は遂行しています。

ということで、どうにも毎年7月になると、ELPの後楽園球場ライプが青春の思い出として蘇ってまいります。

ちなみに件の上級生女子はライプの現場で演じた狂態はどこへやら、以降も相変わらず寡黙にエーストーンのキーボードを弾いていましたが、もしかしたら何かのきっかけで暴れのアクションをやってしまうんじゃ~ないか?

なぁ~んて、失礼な妄想を抱き続けたのは、サイケおやじの本質的なスケベ心の発露です。もちろん恋愛感情なんてものは微塵もありませんが、女という生き物はセックスの時には野獣になる事も!? 等々のエロ本記事に感化されていたサイケおやじとしては……、という苦しい言い訳は弄しておきます。

しかし、例えなんであろうとも、「タルカス」や「展覧会の絵」等々を力いっぱい演じてくれたあの日のELPは絶対神話になっています。

そして叶うならば、あの日の帰りたい!

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