OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

つばめのようにはエレキ歌謡か?

2012-07-11 15:40:20 | Pops

つばめのように / Gigliola Cinquetti (Seven Seas / キングレコード)

ふっと気がつくと、もう何年も燕という鳥を見ていないような……。

そうですよ、子供の頃の春から初夏は家の軒先、寺社仏閣の境内等々には燕の巣が珍しくなく、地面スレスレに飛行する姿は颯爽として、潔い風物詩でしたねぇ~♪

ですからプロ野球チームにも燕=スワローズがありますし、「つばめ」を曲タイトルにした歌も多数あって、本日ご紹介もそのものズバリ!

昭和45(1970)年秋~初冬にかけて、それこそ爆発的に流行った洋楽ポップスのひとつとして、今も忘れられていないと思います。

しかし後に知ったところでは、この「つばめのように / Volano Le Rondini」がシングルヒットしたのは日本だけのようで、歌っているジリオラ・チンクェッティはイタリアのアイドルシンガーなんですが、その実力は侮れません。

なにしろ16歳のデビュー時には、あのサンレモ音楽祭とユーロヴィジョンコンテストでダブル優勝ですからねぇ~~♪ 忽ち世界的なスタア歌手の仲間入りというわけですが、殊更我国では彼女の可愛らしいルックスと確かな歌声のアンバランスなバランス感覚がウケたのでしょうか、件のデビュー曲「夢みる想い / Non Ho Leta」等々の日本語バージョンも作られていたほどです。

そして我国の洋楽ヒットパレードでは常連となり、またポップス系女性歌手の多くが、彼女の演目をカパーしていたのも懐かしい思い出です。

ちなみに「つばめのように / Volano Le Rondini」の楽曲そのものは、厳かなのにチープなオルガンと共犯関係になっているエレキギターのイントロが、如何にも昭和歌謡曲的なメロデイを彩っていくという、まさに当時の日本人の琴線に触れまくるキメが心地良く、これはGSエレキ歌謡のイタリア語バージョン?

なぁ~んて、逆もまた真なり!?

みたいな、本気で快感のパラドックスに魅了されるんですよ♪♪~♪

もちろんジリオラ・チンクェッティの可憐なイメージが、それを増幅させている事は言わずもがな、ちょっぴり哀切感の滲むボーカル表現が素晴らしいばかりで、ジャケット裏に掲載されているイタリア語の歌詞と翻訳を読んでみても、なにやら意味深なムードが……!?

う~ん、だからこんな良いメロディの歌が、本国ではシングルカットされないのか?

と思ってしまうわけですが、それほど流行歌の世界は奥が深いんでしょうねぇ。

最後になりましたが、ジリオラ・チンクェッティは他にも素敵な歌をどっさり残していて、我国独自のアルバムもリアルタイムで発売されていたほどです。

なにやら世の中、生臭い話が横行していますが、そんな世相にこそ、彼女の歌が似合うような気がしています。

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不貞腐れの自己責任

2012-07-10 13:45:22 | 歌謡曲

梶芽衣子のふて節 (テイチク)

自分がそうでない所為か、どうにもサイケおやじは所謂「おぼっちゃん」の思考や行動についていけず、時として愕然とさせられることも……。

例えば昨日も仕事の重要会議に関係先の副社長が出席せず、先方に理由を尋ねたところ、なんとっ!? 前週、サイケおやじと意見が対立した揚げ句、不貞腐れているってっ!?

バッキヤロ~~~~!

と、思わず叫びたくなりましたですよ、これには……!?

だって、言いたくはありませんが、今回のプロジェクトには大袈裟ではなく、あんたの会社の浮き沈みが左右されるかもしれんのですぜっ!

その現場責任者が、創業者一族のおぼっちゃん育ちとはいえ、職場放棄とは何を考えているのか、もう、呆れ果ましたよ……。

しかし、まあ、その場は番頭格で実質的な仕切り役が参加していてくれたので、なんとか仕事の進展はありましたが、全く先が思いやられる一幕だった事はまちがいありません。

もちろん、人生には不貞腐れも、肯定される時があるでしょう。

ただし、それに対しての責任ってものも、確かにあるんじゃ~ないですかねぇ?

さて、そこで思い出されたのが、本日ご紹介のシングル曲で、タイトルがそのものズバリの「ふて節」ながら、その前に「梶芽衣子の」としっかり公言されているのが凄いところでしょう。

つまり不貞腐れにも自己責任があるって事なんですよねぇ~、穿った思い込みとしては。

えっ、それは梶芽衣子だから、出来るんだよ、という声もはっきり聞こえたりしますが、そう言われると返答に困っちまうなぁ……。

なにしろこれが出た昭和48(1973)年は既に「野良猫ロック」や「女囚さそり」等々の強烈なイメージから、「地震、かみなり、梶芽衣子」とまで決めつけられていた怖い美しさが絶頂でしたからねぇ~~♪

ちなみに楽曲はご推察のとおり、彼女が十八番の怨歌節で、作詞は保科幸男に作曲が曾根幸明、そして編曲を小谷充が担当するという、まさに凝り過ぎない良い仕事の典型が、ここにありますよ♪♪~♪

そして全く今日までも揺るぎない、梶芽衣子のクールビューティな真骨頂が、ひとつの確定形として記録され、しかも幾分未完成なところさえも滲む歌いっぷりが、なかなかリアルだと思います。

また当然、梶芽衣子ならではの高音域の伸びた節回し、ちょいと細い声質の妙も素晴らしく、それこそがファンを魅了するのでしょう。

さらにジャケットに登場する彼女のイメージ!

そのファッション感覚と痛烈な佇まいは、誰もが真似出来るものではありません!

まさに自己責任型の孤高のスタア性が、眩しいばかり♪♪~♪

しかし現実を見つめてみれば、与党内には今日の混乱に至った元凶とも言える「おぼっちゃん」の我儘が、筋を通しているようでも、結果的にアホボン丸出しで、情けないですねぇ……。

また同様に、そんなもんに振り回され、処分もテキトーに変えてしまう上層部も、これまたボンクラの顔見世状態!

ふんっ、サイケおやじは絶対にそうはならないぞっ!

件の「おぼっちゃん」副社長に対しても、容赦無く仕事を進め、毅然と筋は通させていただきますよ。

そう自分に言い聞かせる意味もあって、本日はあえて「梶芽衣子のふて節」を鑑賞し、これを書いているのでした。

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ワイルド・ワンズも、これでいいのだっ!

2012-07-09 16:19:23 | 歌謡曲

いいのかな / ザ・ワイルド・ワンズ (東芝)

全てにおいてドン詰まりの時、意表を突く事も大切だとは思いますが、それがあまりにもトンデモ系の場合は所謂ネタにしかならないのは、言うまでもないでしょう。

例えば本日ご紹介のシングル盤A面曲「いいのかな」は、湘南サウンドを標榜して人気を集めたGSのワイルド・ワンズが昭和45(1970)年夏に出した、ジャケットどおりのコミックソング!

もちろんすっかり煮詰まっていたグループとしての方向性、そして落目のGSブームからの新展開を模索したひとつの試みであったわけですが……。

やっぱり、このジャケ写のメンバーの表情は如何にコミックソングでも、それまでのバンドイメージからは大きくズレ過ぎでしょう。

ちなみに気になる歌の中身なんですが、モテない青春期を送っている男子学生、たぶん高校生と思われますが、ある朝突然に絶対的な二枚目に変身したことで、学校でも街中でも、とにかくモテモテな日常に困惑するという、曲タイトルどおりに、いいのかなぁ~~♪

と軽~~く、悩んでしまう心情吐露!?

しかも曲調が往年のパラダイスキングあたりがやりそうな、ホワイトドゥーワップ風のオールディズ仕立なんですから、ワイルド・ワンズのメンバー各々が担当する短いソロパートも含めて、和製ポップスのリバイバルも視野に入れた好企画???

まあ、そういう楽しみ方もOKでしょう。

もしかしたら、大瀧詠一ファンが泣いて喜びそうな気さえします。

でもねぇ………。

これはやっぱりキワモノであって、それでもラジオの深夜放送では局地的に小ヒットはしていましたが、ここまでやる必要が果たしてワイルド・ワンズにあったのか???

というほど、本日の拙稿には「?」を記する他は無い気持が、リアルタイムからサイケおやじの胸中に蟠っているのです。

ところが、それでもこのシングル盤をゲットさせられてしまったのは、そのキワモノ性の憎めなさであって、実は中古で発見した時には捨値の10枚五百円みたいなエサ箱であった事から、員数合わせで欲しくも無いブツも買わされたほどです。

ちなみにその時になって、ようやく曲のクレジットを確認してみると、作詞がフォークル出身の北山修、作曲が加瀬邦彦という、これはなかなか当時最先端のソングライターコンビであった事が、リアルタイムを経験された皆様にはご理解願えるかと思います。

結局、ワイルド・ワンズは常に新しかったのかもしれませんねぇ。

ということで、本日は相当に失礼な事も書いてしまいましたが、表層的な事象の奥底にある進歩性が時代に受け入れなくとも、「やってしまった……」と一概には決めつけられない!?

そんな風に思うばかりです。

現在の混迷する社会状況の中にあっては、この「いいのかなぁ~~♪」というオトボケでキャッチーなコーラスメロディは、案外と相応しいですよ♪♪~♪

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市地洋子のファジーな魅力

2012-07-08 14:54:52 | 歌謡曲

髪を染めたの c/w 花を召しませ / 市地洋子 (日本コロムビア)

若い頃から保守的と自覚しているサイケおやじは、ですから近年女子の「茶髪」とか「ルーズソックス」や「ヘソピアス」、若者全般の「ら抜き言葉」等々にど~しても馴染んでいきません。

まあ、それでも最近は「ルーズソックス」が流行らなくなったんで、それは良かったんですが、しかし典型的な東アジア人顔が髪の毛を金色や薄い茶色に染めたって、何か違和感を払拭出来んわけですよ……。

正直、よっぽどスタイルが良くなければ、自らの重心の低い体型を強調する結果という現実に、気がつかないのかなぁ~~。

しかし、そんな感じを抱き続けているサイケおやじにしても、女性がヘアスタイルを変えたり、イヤミなく髪を染めた姿には、なかなか惹きつけられたりするんですから、あぁ、この自己矛盾!?

そこで本日の1枚はズバリッ! 昭和ピート歌謡の人気曲「髪を染めたの」を出してしまいます。

歌ってる市地洋子は昭和40~50年代の我国芸能界においては、なかなかに気の利いた存在で、その活動は歌手でもあり、また女優でもあり、テレビ中心のバラエティタレントとしても強い印象を残しているわけですが、もちろんそこには彼女がナベプロの養成機関だったスクールメイツ出身というルーツを否定出来ません。

つまり、これはあくまでも個人的な思いなんですが、市地洋子の魅力は、その器用さと裏腹の不器用さ、そのバランスの妙じゃ~ないかと思うのです。

例えば演技面ではズベ公や正体不明のオトボケ美女、あるいはかなり暴力的な扱いを受ける役柄が十八番でありながら、テレビドラマでは正義の特別機関員のひとりとして、特に「ミラーマン」では所謂特撮ヒロインを務めています。

一方、歌の世界では歌謡フォーク調のシンミリ系から昭和グルーヴ物まで、しっかりこなせる実力があるんですから、何故か局地的な人気しかないのは???

で、この「髪を染めたの」は昭和45(1970)年に発売された市地洋子の歌手デビュー盤A面曲で、作詞:なかにし礼、作編曲:鈴木邦彦によるビート感の強い歌謡ポップスの要所で堪能出来る甘えたような節回しや音程のズレは、意図的なのか? 

と、思わせられる微妙なメロディフェイクは、案外とプロの技術なんでしょうねぇ~♪

サイケおやじは、そうした「ある種の媚び」こそが、市地洋子の魅力のひとつと思っています。

そして一方、B面に収録された「花を召しませ」は典型的な当時の歌謡フォークで、幾分のぶりっ子ムードが逆に良い感じ♪♪~♪ こちらもまたA面と同じ作家コンビの手腕が冴えまくりですよ。

ところが掲載ジャケ写は一目瞭然というか、両曲共にイメージに合致しない市地洋子の二次元画像は、これ如何に!?

う~ん、確かに彼女は美人だし、個性が際立つルックスもスタアの条件を満たしていると思いますが、どうにもやっている事にピントが合っていなかったのかもしれません。

そして案の定、このレコードはヒットせず、以降も何枚出したかは知る由もありませんが、リアルタイムでは歌の世界での成功はありません。

しかしそれでも市地洋子は何か忘れ難い存在のタレントでしょう、少なくともサイケおやじの世代にとっては……。

言い換えれば、ファジーな存在感!?

そんな魅力が彼女には、確かにあると思っています。 

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大都会part-2、今日は軽めのご報告まで

2012-07-07 16:22:19 | Movie

え~、なんか不具合が発生して画像がアップ出来ませんので……。

本日の1枚の休載、ご理解下さいませ。

ところで復刻DVDとして、石原プロで製作した「大都会part-2」のボックスセットを中古でゲット♪

もちろん日活ニューアクションの系譜に連なる傑作なんですが、サイケおやじ的にはゲスト出演の女優さんが、当然ながらロマンポルノとの共通ラインにある点に、喜びを感じています。

例えば片桐夕子、桂たまき、結城マミ等々、決して脱いでいるわけではないんですが、それゆえに素晴らしい演技が堪能出来ます。

またレギュラーとして白川望美(しらかわゆみ)の芸名で活動していた志麻いづみ♪♪~♪

大好きな彼女を観られるのも、たまりませんねぇ~♪

さあ、これから連夜の鑑賞になりそうです。

そして内容についての感想は、追々書きたいと思います。

あぁ、こういう復刻は本当に嬉しいです。

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これもジミヘンの幻…

2012-07-06 15:49:20 | Jimi Hendrix

Loods Ends / Jimi Hendrix (Polydor)

さて、アーカイヴ商法と言えば、常に物議のあれこれを提供してくれるのがジミヘンの音源でしょう。

もちろんそれは故人の天才性に由来することは言わずもがな、急逝直前まで頻繁にやっていたスタジオレコーディングのソースが完璧な整理保存では無くとも、それなりに纏まっている事が逆に諸問題の根源かと思います。

また膨大に残れさているライプ音源の数々も、それが公式であれ、私的レコーディングであれ、全てに絶大な価値があるのですから、権利関係の煩雑さも含めて、今日ではどれがオフィシャルか、あるいはブートなのか、そういう区別が曖昧になっているものがどっさり!?

そこには裁判沙汰もあるらしいのですが、しかしファンにとっては、とにかく出てくるブツは片っ端から聴きたくなるのが偽りの無い心情ですから、例えそこに詐術や欺瞞があろうとも、お金を払ってしまう行為に罪はありませんよねぇ……。

さて、そこで本日のご紹介はジミヘンの死後、1974年春に編纂発売されたLPで、結論から言えば玉石混合!?

 A-1 Coming Down Hard On Me Baby (1970年7月14日録音)
 A-2 Blue Suede Shoes (1970年1月23日録音)
 A-3 Jam 292 (1969年5月14日録音)
 A-4 The Stars That Play With Laughing Sam's Dice
                                                               / 賭博師サムのサイコロ (1967年7月18日録音)
 A-5 The Drifter's Escape (1970年5月14日録音)
 B-1 Burning Desire (1969年12月15日録音)
 B-2 I'm Your Hoochie Coochie Man (1969年12月18日録音)
 B-3 Have You Ever Been To Electric Ladyland (1967年10月25日録音)

まず、一応は未発表曲集をウリにしていながら、実は「賭博師サムのサイコロ / The Stars That Play With Laughing Sam's Dice」がシングル盤B面ながらも、既に世に出ていた隠れ人気曲という事で、アルバムの中では最高の完成度を示しているのは当然でしょう。まあ、ここまでLP未収録であった事に加え、それなりにリミックスが施されていますから、苦しい中にも大儀名文は成立しているのでしょう。

ですから、それを知ったファンにとってのお目当ては必然的に他のトラックに集中し、中でもジミ・ヘンドリクス(vo,g)、ビリー・コックス(b)、バディ・マイルス(ds,vo) が組んだバンド・オブ・ジプシーズによる1969年末から1970年録音の歌と演奏に対し、大いなる期待を抱いたのはサイケおやじばかりではないはずです。

そして完全に以前のエクスペリエンスとは異なる味わいを表出する「I'm Your Hoochie Coochie Man」のブルース&ソウルなジャムセッションは、明らかにジミヘンが次に狙っていたものの一端が感じられるんですねぇ~♪

あぁ、この重力過多な雰囲気は黒人ロックのひとつの典型でしょうか!?

特有の「淀んだ構成力」を聴かせる「Burning Desire」も、なかなか良いですねぇ~♪

しかしちょいと楽しみにしていた「Blue Suede Shoes」がスタジオ内のお喋りが半分というのは、大減点!?

ここにアルバム全体の散漫な印象、手抜きリサーチ等々が強く感じられ、ジミヘンの諸作中では低評価の要因があると思うほどです。

それは初っ端の「Coming Down Hard On Me Baby」にも強くあって、ここでのメンバーはジミヘン以下、ビリー・コックス(b) とミッチ・ミッチェル(ds) という、なかなか相互理解も進んでいるトリオのはずが、やはり未完成の誹りは免れないところ……。

ちなみに皆様ご存じのとおり、このトラックは後に全然関係のないスタジオミュージシャンによるオーバーダビングセッションで作り出された、最高のフェイクアルバム「クラッシュ・ランディング」に収録され、見事に復活するわけですから、素材としてはそれなりに凄いものがあるのです。

結局、このアルバムの弱点は、企画制作段階においてのスタッフの迷い(?)があったのかもしれず、一説によれば当時のジミヘンのマネージャーだったマイク・ジェフリーの離脱≒急死が要因という内情も……???

ですから、せっかく一番の目玉になるはずだった「Have You Ever Been To Electric Ladyland」の最初期バージョンが、実は全くの断片という強烈な肩すかしに許せないものを感じたとしても、それは天国のジミヘンには責任の無い話だと思います。

当然ながら、売れ行きも芳しくなったようで、リアルタイムではアメリカ盤が出なかったという実情も納得されるでしょう。

ところが、このアルバムには「Jam 292」と「The Drifter's Escape」いう、なかなか素敵なお宝が入っていて、まず前者はジミヘン十八番のワウワウを使ったアドリブプレイが強い印象を残しますし、後者はこれまたジミヘンが好んで歌うボブ・ディランの曲ということで、冷静に接すれば不相応なファンクギターが喧しい気もする後で、実は繰り返し聴きたくなる魔力があるんですねぇ~♪

演奏メンバー的にも、ジャケットにクレジットされていない面々、例えばダラス・テイラー(ds) とかスティーブン・スティルス(g,key) あたりの名前が取り沙汰される真相も含んでいるようですし、「Jam 292」に至っては後に発売される「ブルース」というオムニバスCDに収録された時、またまた凝ったミックスや編集が施されるのですから、たまりませんねぇ~~♪

ということで、所謂蔵出し企画の良し悪しが凝縮された感も強いアルバムです。

しかし主役がジミヘンである以上、リスナーの我儘はバチアタリであり、またそれに甘えたかのような発売元の遣り口は、両方ともジミヘン本人が決して望んでいなかった事は明らかです。

その意味で、一時は遺族の手によって体系的な復刻作業が進んでいながら、またまた最近の縺れ具合は様々な点において不明な発売元から多種多様な音源がダブったように登場するという、これは如何様に理由を捻り出したとしても、ファンにとっては有難迷惑でしょう。

少なくともサイケおやじの現在の立場は、そうです。

したがって、そういう未発表音源集を楽しまんと欲すれば、まずはリアルタイムで接していたアナログ盤LPを取り出すことに躊躇はありません。

残念ながら、この「ルーズ・エンド」はかなり以前にCD化されたっきり、今は廃盤状態という事もあり、皆様にはぜひともアナログ盤を探索鑑賞されん事をオススメ致します。

 

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蘇れっ! このライブ!

2012-07-05 15:33:09 | Rock

Live Yardbirds! Featuring Jimmy Page (Epic)

前にも書きましたが、近年のミュージシャン側主導によるアーカイヴ商法は、まさにファンの夢を叶えてくれる好企画とはいえ、それゆえに未だ叶わぬ夢への期待と絶望も激しく交錯しています。

例えば本日ご紹介のアルバムは、ブリティッシュ三大ギタリスト、つまりエリック・クラプトン、ジェフ・ペック、そしてジミー・ペイジを輩出したヤードバーズが1968年春に敢行したアメリカ巡業のステージから作られた公式ライプ盤なんですが、結果的に当時のバンドを仕切っていたジミー・ペイジのクレームによって発売後に回収されたという、今や幻の人気LP!

というのも、これがちゃんとしたレコード会社から世に出たのは1971年秋!?! 既に録音から3年半以上が経過した時期だったんですが、その目論見はジミー・ペイジがヤードバーズの発展的解散後に再編結成したレッド・ツェッペリンの大成功に肖った事は言うまでもないでしょう。

ですから、これを元ネタに、今日まで夥しいブートが流通してきたのは、それだけファンの要望が強く、当然ながらその中身には、ルーツ・オブ・ゼップ! という以上の聴きどころやハードロックの本質的興奮がびっしり詰まっているのです。

 A-1 The Train Kept A Rolling
 A-2 You're A Better Man Than I
 A-3 I'm Confused
 A-4 My Baby
 B-1 Over Under Sideways Down
 B-2 Drinking Muddy Water
 B-3 Shapes Of Things
 B-4 White Summer
 B-5 I'm Man

まず、何と言ってもA面ド頭の「The Train Kept A Rolling」が強烈で、今となってはエアロスミスの十八番と思われているかもしれませんが、それは明らかにヤードバーズの、このライプバージョンを基にしている事は暗黙の了解!

そしてヤードバーズがお手本にしたと思われるのが1956年頃に世に出たジョニー・バーネット&ザ・ロックンロール・トリオによる痛快なロカビリー演奏と言われているとおり、実は原曲が1950年代の黒人R&Bなんですから、やはりサイケデリック路線に踏み込んでいたヤードバーズにしても、デビュー当時からの基本は忘れていなかったという事でしょう。

ここでもアップテンポで突進するエネルギーは満タン状態!

ちなみに当時のメンバーはキース・レルフ(vo,hca)、ジミー・ペイジ(g)、クレス・ドレア(b)、ジム・マッカーティ(ds) という末期4人組ということで、荒っぽい中にもそれなりの纏まりがありますから、個人的には思わず熱くなって聴いてしまいます。

特にクライマックスで飛び出すジミー・ペイジの上昇系ギターソロに呼応するクリス・ドレアのドライヴするエレキベース、さらに全篇ヤケッパチ気味なジム・マッカーティのドラミングは、まさにハードロックの醍醐味!

なんだかんだと後々まで言われるキース・レルフのボーカルとハーモニカにしても、ここでは熱演だと思います。

あぁ~~、何度聴いても興奮しますねぇ~~~♪

またジェフ・ペック時代の演目にも煮詰められた熱気が感じられ、「You're A Better Man Than I」におけるジミー・ペイジのギターソロとキース・レルフのボーカルが醸し出す幻覚性が一転、ジャケットにクレジットは無いものの、中盤から「Heartfull Of Soul」が演じられる大サービスは嬉しいところ♪♪~♪

しかし最高に興奮させれるのは、そのまんまの流れで入っていく「I'm Confused」で、これは明らかに後のレッド・ツェッペリンで披露される「Dazed And Confused」の原型バージョン! というよりも、基本的なアイディアや演奏パータン、そのスタイルの主な部分は完成に近いところまで出来上がっていた証拠物件であり、本当に興味津々、楽しく聴けますよ♪♪~♪

ただし、それゆえにキース・レルフとロバート・プラントの比較は避けられない問題であって、前者のボーカルの弱さが露呈するのは……。

ですから続く「My Baby」のフォークロック風演奏が尚更に面白く聴けてしまうのは、後追い鑑賞ならではの徳用オマケという事かもしれません。

気になるジミー・ペイジのギターワークには、例のバイオリンの弓を使ったり、ワウワウや特殊に考案された(?)エフェクターを用いたサウンド作り等々、如何にも頭脳派らしいキメ技が随所にあって、もちろんこれはアルバムのウリのひとつだと思います。

こうしてレコードをひっくり返し、B面に針を落してみれば、そこは当時のヤードバーズが期待されていたとおりのヒットパレード大会で、「Over Under Sideways Down」や「Shapes Of Things」という人気曲は言わずもがな、シカゴブルースの定番リフを使った「Drinking Muddy Water」のハードロックな雰囲気も含めて、なかなかの熱演が続きますが、またまたこうしたジェフ・ペック時代の演目をやっても、ジミー・ペイジのギターが遜色のないトリッキーさを発揮するのは流石!

う~ん、MCで「マジック・フィンガー」と紹介されるのもムペなるかな!

ですから、ここにジミー・ペイジのギターをメインに演じられる「White Summer」が収録されたのも必然性があったと思います。

しかし、それでもジミー・ペイジがこのアルバムに不満を抱き、発売を前提に録音されていながら、しばらく世に出なかったのは、音質的な問題やミックスの不備があったと思われます。

なにしろ一説によれば、客席からの歓声がその場の音声ではなく、レコード会社に用意してあった既成のSEを被せたという疑惑も強くありますし、各楽器の定位も幾分不確かなパートが散見されますからねぇ……。

ただしレコードを一気に聴いて楽しめば、オーラスの「I'm Man」は見事な大団円であって、基本の黒人R&Bをハード&サイケデリックロックに再構築するヤードバーズのヤル気は決して侮れません!

十八番のインド系モードによる早弾きフレーズや、例によってバイオリンの弓を使った独創的(?)なジミー・ペイジのギター、意外な小技を用いるジム・マッカーティのドラミング、その場の状況に流されないクリス・ドレアのペースによる演奏パートのロック性感度の高さは、そんなに過小評価されるものでは無いでしょう。

後年問題視されるキース・レルフの存在にしても、この曲だけでなく、アルバム全体の奮闘は、もっと素直に楽しまれても当然と思うばかりです。

ということで、結局は現在でも公式には幻のアルバムになっている1枚なんですが、ブートはしょっちゅう出回っているので、案外と容易に聴く事が可能だと思います。

ちなみに掲載した私有盤は、1980年代初頭のある日、某輸入盤屋に何故か中古(!?)で大量入荷した時にゲットしたんですが、果たしてこれが本物なのか!?

もしかしたら精巧に作られた複製ブートかもしれないぞっ!?

なぁ~んていう疑惑が当時からありましたですねぇ。

何故ならば既に述べたとおり、1971年に公式発売され、それがジミー・ペイジのクレームによって回収された時、マスターテープもジャンクされたという噂が定説になっているからです。

しかし、相手はジミー・ペイジですよ!

そんなに簡単には物事を捨てられないはずという推察は容易でしょう。

とすれば、何時の日か、これがリミックス&リマスターされて世に出ないとは絶対に断言出来ないはずで、もちろんサイケおやじは万難を排する覚悟は出来ているつもりです。

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小柳ルミ子の歌と巨乳と演技力

2012-07-04 15:31:07 | 歌謡曲

京のにわか雨 / 小柳ルミ子 (ワーナーパイオニア)

年々歳々、時は流れ、人は齢を重ねるのが諸行無常のこの世の理……。

それを哀しいと思いつめるか、あるいは人生の味わいと感じるかは、それこそ十人十色でしょう。

そして例えばそれを自己検証する時、長いキャリアの歌手とか女優とか、とにかく自分のこれまでを重ね合わせる対象として、憧れのスタアを思い起こす事も珍しくないと思います。

平たく言えば、ふっと懐かしい歌が流れてきた時、あぁ、あの頃の自分は……云々と感慨に耽るのも良し、思い出したくも無い! と耳を塞ぐのも悪い事ではありません。そういう行為そのものが、やっぱり人生に深みをもたらしてくれるような気がしています。

さて、そこで本日のご紹介は、本年めでたく還暦を迎えられたという小柳ルミ子が人気上昇中だった昭和47(1972)年に出した大ヒット「京のにわか雨」で、所謂流行歌では定番のご当地ソング♪♪~♪

そして皆様既にご推察のとおり、これは京都の観光バスガイドさんが当時は必ず歌わなければならなかったという、必須の持ちネタになっていましたから、必然的に練習も要求されていたのでしょう。

実は学生時代、ある事情から京都周辺で働くバスガイドの養成講座みたいなプロジェクトを手伝った時、当時のバンド仲間とこの歌を含む数曲で練習の伴奏をやらされた思い出が、サイケおやじには強く残っています。

まあ、その頃はカラオケなんていう文明の利器はしっかり普及していませんでしたからねぇ~、そういうバイトもあったわけですが、所詮は歌謡曲の伴奏ですし、それが練習の場であったことから、同じ事を何度もやらされた揚げ句、こっちが下手だから歌が上手くいかないとか、散々文句を言われ、さらにそんなバイトに誘ったバンド仲間からも顰蹙の嵐……。

有ったとは決して言えない人望をさらに失うというテイタラクでした。

ただし楽曲そのものは小柳ルミ子の中では最高に好きな歌で、流石は作詞:なかにし礼、作曲:平尾昌晃のヒットメーカーコンビが、如何にも当時の洋楽歌謡保守本流のピート感を大切にした作風は、今も見事に輝いていますねぇ~♪

しかもイントロがシタールのようでもあり、琴の音色でもあるような絶妙の響きで奏でられ、また隙間の無いストリングスやハードドライヴなリズム隊の存在は、なにか当時流行のベンチャーズ歌謡を強く意識していたのでしょうか?

告白すれば前述した伴奏をやっていた時も、この「京のにわか雨」が一番楽しく出来ましたですよ、個人的には♪♪~♪

ちなみに歌っている小柳ルミ子については説明不要だとは思いますが、昭和46(1971)年に「わたしの城下町」のデビューメガヒットから忽ち歌謡界のスタアとなって、同時期に活躍した南沙織や天地真理と新・三人娘と称されたアイドルでもありましたが、その芸能的な実力は決して歌だけでは無く、ダンスや女優としての演技力も秀逸でしたねぇ~♪

中でも昭和58(1983)年に公開された「白蛇抄」でのヌードも披露する演技は圧巻で、日本アカデミー賞も獲得していますが、この頃から小柳ルミ子=巨乳という実態がますますの人気を呼ぶ事になったと記憶しています。

なにしろ同年末に発売された写真集が、乳首モロ出しのカットも含め、巨乳とバランスの良い肢体の魅力を存分に見せてくれたんですから、これまた大いに評判となりましたですねぇ~♪

もちろん歌手としても、その頃は絶好調で、「お久ぶりね」や「今さらジロー」の連発大ヒットは、現在でもカラオケの定番でしょう。

今となっては、その後の諸事情もあり、ちょいと第一線から離れている感が無きにしもあらずなんですが、まだまだ幾らでも花を咲かせる魅力と実力を持っているのが、小柳ルミ子という存在です。

願わくば、最近はあまり歌うことも少ないと思われる「京のにわか雨」の生歌を聴かせて欲しいですねぇ~。

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ウディ・ショウのモダンジャズ残侠伝

2012-07-03 15:55:48 | Jazz

Stepping Stones / Woody Shaw (Columbia)

連日の民主党ゴタゴタ騒動は、ついに昨日、至極当然ながら、思いっきり間延びした結末を迎え、国民を呆れさせましたねぇ。

まあ、民主党及び小沢グループ所属議員の支持者がどのように感じているのかは知る由もありませんが、一応は外側から見られるサイケおやじにとっては、もう、うんざりですよ。

特に一度は離党届を親分に提出しながら、土壇場でそれを取り戻しに行った恥さらしが二人も出たというんですから、いやはやなんとも……。

日頃から節操の無い自らを省みる事さえ忘れさせられる、そういう大義名分が与えられたポイントにおいては、まあ、失笑で済ませられるかもしれませんが、そんなわけですから、本日ご紹介の一途なガッツ溢れるモダンジャズ盤を聴いてしまうのも、頭よりは心、そして肉体そのものの欲求でしょう。

なにしろ演じているバンマスのウディ・ショウは、1960年代中頃から頭角を現した、所謂新主流派バリバリの看板トランペッターで、モード手法やフリージャズといった時代最先端の波に乗りながらも、ハードバップというモダンジャズが一番に「らしく」輝く味わいを大切にしていましたから、特に1970年代前半までの我国ジャズ喫茶全盛期はもちろんの事、クロスオーバーやフュージョンが人気を集めていた頃でさえ、発売される新譜には常に絶大な期待が寄せられる実力者でした。

そして本日ご紹介のアルバムは、1978年に勇躍登場したライプ盤!

録音は1978年8月5&6日のニューヨークは名門クラブのヴィレッジ・ヴァンガードのステージから、、メンバーはウディ・ショウ(tp) 以下、カーター・ジェファーソン(ts,ss)、アラン・ガムス(p)、クリント・ヒューストン(b)、ビクター・ルイス(ds) という、全員が頑固なまでにモダンジャズ保守本流に拘り抜いていた名手ばかりとあって、まさにガチンコの熱演が堪能出来ますよっ!

A-1 Stepping Stone
 如何にも新主流派が丸出しのモード系ハードバップの真髄がギュ~ッと凝縮された演奏で、アップテンポながら幾分不穏な空気を醸し出すテーマからメッチャ、カッコ良すぎるウディ・ショウのアドリブに突入していくトランペットのワンフレーズだけで、シビれが頂点に達するでしょう。
 しかも尚更に早いテンポで繰り広げられるアドリブパートの前半が、ウディ・ショウとカーター・ジェファーソンの掛け合いという展開で、たまりませんねぇ~~~♪ 当時のジャズ喫茶では、これが流れてくると店内のムードがグッと本物のジャズ喫茶らしくなるという、なんとも不思議な感覚に満たされたんですから、今になっても瞬時に熱くさせられてしまうサイケおやじの心情を御察し下さいませ。
 またリズム隊のハードなスイング感も素晴らしく、特に親分の盟友だったアラン・ガムスのピアノは変幻自在の伴奏からメリハリの効いたタッチでバリバリに弾きまくるアドリブは爽快ですし、手数の多いクリント・ヒューストンのペースにしても、決してピートの芯は蔑にしていません。
 さらにビクター・ルイスのドラミングが、これまた当時の学生バンドブレイヤーにも人気があったとおり、なかなか熱いエモーションを煽りたてるような真摯な敲きっぷりで、好感が持てますよ♪♪~♪
 もう、この初っ端だけで、アルバム全体の出来は保証されたというものです。

A-2 In A Capricornian Way
 演奏が始まる前に、おそらくはウディ・ショウ本人と思われるMCが入るんですが、これがなかなか落ち着いた話っぷりで、如何にも一途な人柄が偲ばれます。
 と書いたのも、実はご存じのとおり、ウディ・ショウは決して経済的に恵まれていたわけではなく、しかも晩年は視力の極度な低下も含む難病に犯され、非業の最期……、という現実を我々が知っているからに他なりません。
 実際、このバンドを率いていた頃でさえ、大手のコロムビアと契約していたのですから、流行のフュージョン系作品を作っても、それなりに素晴らしい成果を残せたと思えるのですが、そこへは走らず、常に己の信ずる4ビートがメインのモダンジャズしか演奏しなかった姿勢こそが、ファンを感銘させるひとつの要因になっていたわけで、これは決してサイケおやじの独断と偏見ではないはずです。
 で、あればこそ、本物と感じられるのが、このアルバムに入っている観客の熱の入った拍手歓声でしょう。
 そしてこの演奏にしても、前曲と同じくウディ・ショウの真っ当なジャズオリジナルという、些か堅苦しい雰囲気のモード手法が展開されていますが、ミディアムテンポの流れの中で、メンバー各人の個人技が鮮やかにキマッていくのは快感♪♪~♪
 もちろんウディ・ショウの早いフレーズ回しやハイノートの使い方には安心印のスリルが満点ですし、カーター・ジェファーソンのテナーサックスにしても、当然ながらコルトレーンのスタイルから大きな影響があるとはいえ、それに身を任せて聴き入ってしまうのは、やはりジャズ者が基本的に求めるものが、そこにあるからでしょう。
 その意味でアラン・ガムスは本当に上手くて、ちょいと慣れた耳にもハッとさせられる音の選び方は流石! 今日までの過小評価が惜しまれますねぇ……。
 それと個人的には当時から大好きだったクリント・ヒューストンの手数の多いベースソロも用意されていますが、こういう遣り口が忙しないとか、ちょいと無視されているのも、何か勿体無い感じです。

B-1 It All Comes Back To You
 アラン・ガムスが書いた、ボサロック系のモード曲で、こういうアフリカ色も滲む演奏は、例えばリアルタイムの渡辺貞夫あたりもやっていた、ひとつの流行りものでした。
 しかし、流石はウディ・ショウ組のやる事はブレないというか、カーター・ジェファーソンのソプラノにしても、またウディ・ショウのフリューゲルホーンにしても、自分だけの文法に沿った歌心は大切され、そこに妥協は一切無いと思われます。
 ちなみに、こういう雰囲気になると、ウディ・ショウとフレディ・ハバードの比較検証もあれこれあって、そんな論争をやっていた事も今は懐かしい思い出になっています。
 もちろんアラン・ガムスを含むリズム隊の良い雰囲気は、ジャズを聴く楽しみに他なりません♪♪~♪

B-2 Seventh Avenue
 ビクター・ルイスが書いた、これはなかなか硬派なモード曲で、流石はドラマーの作だけに、テンションの高いリズム的興奮が煽られますよ♪♪~♪ もちろんテーマアンサンブルにおける熱気が、そのまんまウディ・ショウのアドリブに引き継がれるのは言わずもがな、こういうバンド全体のグルーヴィなノリこそが、ジャズ永遠の魅力じゃ~ないでしょうか。
 思わず、それを痛感させられてしまいますねぇ~~~!
 またカーター・ジェファーソンのソプラノサックスが、これまたモードジャズ中毒患者には絶対的な快楽を提供してくれますし、ちょいと独得の浮遊感は侮れません。
 そして再び激ヤバなのが何時までも終りが見えないようなリズム隊の演奏で、極めて正統派をやっているアラン・ガムスを、ほとんどジャコ・パストリアスみたいな動きで翻弄するクリント・ヒューストンの対抗処置は、何かバラバラになりそうな気もするんですが、こういう暗黙の了解をビシッと纏めるのがビクター・ルイスのドラミングで、大技小技の駆使しながら、グイグイとバンドをノセていくのは、作者としての責任感以上の存在だと思います。

B-3 Theme For Maxine
 これは短い、僅か1分ほどの演奏で、おそらくはバンドチェンジのテーマなんでしょうが、タイトルからしてヴィレッジ・ヴァンガードの当時のオーナーだったマックス・ゴードンに捧げられた??
 そんな素朴な疑問も含めて、素晴らしいアルバムを締め括るアクセントになっています。

ということで、こんな痛快至極なライプ盤がフュージョン全盛期だった1978年に作られていた事実は重大!

つまり本物のジャズは決して死んでおらず、もちろんフュージョンが偽物ジャズとは申しませんが、少なくともリアルタイムの我国ではジャズ喫茶でも両者同列の扱いで、鳴らされている頻度ではフュージョンが多かった店もあった現実の前では、こういう真っ当な演奏こそが新しかったのです。

もちろんそれが後の所謂新伝承派という、4ビート再発見運動に繋がるんですが、その時になってもウディ・ショウは恵まれていたとは言えず、既に述べたとおりの窮状……。

なんか、真面目にやってバカを見たような受け取られ方さえあったのは、本当に哀しいばかりです。

しかし、だからこそ、ウディ・ショウは決して忘れられないし、過去を探索する新しいジャズファンの心を鷲掴みにする魅力に溢れた存在!

なによりもフラフラした真似をしない、美学とは一概に言えないかもしれませんが、確かな矜持は不滅だと思います。

そして、例えジャズが出来たとしても、今の永田町のボンクラどもには、こういう任侠精神の演奏は絶対に出来無い!!

そう、確信しております。

最後になりましたが、このアナログ盤にはちょいとしたミステリがありまして、まず「In A Capricornian Way」の項で述べた、演奏開始前のMCの「有る」「無し」の問題が!??

おそらくはプレス時期、あるいはマトリックス関連の諸々に起因していると思われますが、とりあえず現行CDには入っているという噂で、確認出来ずに申し訳ございません。

そしてもうひとつ、このLPのアメリカプレスのプロモ盤には、別テイクか別編集バージョンが入っているという噂もありましたが、これについてはサイケおやじの私有盤では確認出来ていません。

ただし現在では、この時のセッションのアウトテイクが海外盤CDに収められている実情から、やはりそれは「有り」だったのかもしれませんねぇ。

なかなか音楽を聴く喜びは尽きません。

コメント (4)
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この一言がハードボイルドな救い

2012-07-02 15:41:49 | 歌謡曲

君を許す / ザ・タイガース (ポリドール)

この世で一番にハードボイルドなのは、相手を許す事かもしれません。

少なくとも器量の狭いサイケおやじは、これがなかなか出来ませんし、それに対して、何かと大義名分や言い訳を捻り出す作業が、どうにも上手くありません。

しかも当事者以外から、それがどういう風に見えているのか?

そんな部分にも配慮して、さらに周囲に気を配る……。

いや、居直ってしまえば楽なのは分かっているんですが、それでは相手と意志の疎通が足りず、後腐れを根に持たれてしまうのがオチでしょう。

さて、そんな事を思ってしまうのは皆様ご推察のとおり、ここ最近の民主党造反騒動を目の当たりにさせられたからで、おまけにマスコミの勝手な解説や憶測があまりにも主導的ですからねぇ。

第一、誰もが本音を発言せず、表面的には冷静を装いながら、所謂面従腹背!

ですから情けない醜態を晒し続ける総理大臣以下、国民よりも自ら保身にばかり力が入り、揚げ句の果てが組織に反逆した者を速やかに厳格処分出来ないテイタラクでは、とてもリーダーに相応しいとは思えませんよ。

現実的に自分達が主張してきた事がほとんど出来ず、今頃になって不可能問題に直面した時、変節するにはそれなりの態度を示さなければならないのが、この世の理でしょう。

どんな思惑があるにせよ、消費増税に反対票を入れた民主党員は、それなりにスジを通した点において、出来の悪い任侠映画程度の評価はされるべきだし、それに対して厳しい処分が下せない内部事情があるならば、潔く国民の前で造反者に一言――

 君を許す!

そう言ってはいかがなもんでしょうかねぇ。

ど~せ、国民の大半は現内閣政府を見限っているでしょう。

ならば、良し悪しは別にして、スパッとした決断を見せるのも大切かと思うばかりです。

そこでマスコミにお願いしたのは、一連のゴタゴタを報じる映像のバックに、本日ご紹介のシングル曲を流して欲しいって事です。

う~ん、思わずベタベタの昭和歌謡フィーリングに麻痺させられるほど、ここでの沢田研二は見事にジュリーを演じきっていますからねぇ~♪

ご存じのとおり、これが発売された昭和44(1969)年末は既にGSブームが峠を越え、高い人気があったグループほど、其々に新しい路線を模索していた時期ということで、このシングル盤はタイガースというよりも、実質的には沢田研二のソロ扱い!

実際、同じ頃に出た沢田研二のソロデビューアルバム「ジュリー」にも、ほとんど同じテイクが収録されていたほどで、その仕上がりは賛否両論があろうとも、流石に素晴らしいとサイケおやじは思っています。

それは作詞:安井かずみ、作曲:村井邦彦、そして編曲:東海林修という都会派コンポーザーのお洒落感覚を如何にも下世話に解釈した沢田研二の歌唱が、制作者側が本来狙っていたロックではない、ニッポンの歌謡曲にジャストミートしているからじゃないかなぁ~~♪

つまりGSが大ブームになったのは、日本の歌謡界がイマイチ持ち得なかった本格的なロック指向に真っ向から挑んだ成果であり、それでも一般的な人気を得る為には演歌フィーリングをも滲ませた保守本流の歌謡曲を歌わざるをえなかった現実からの、ひとつの居直りだったように思うのです。

もちろん、それが好きか? 嫌いか? は別問題でしょう。

今となっては、こういう本格的な歌謡曲路線のジュリーは全く評価されていないに等しく、現実的にもソロシンガーとして活動を開始したジュリーは極めて洋楽的なスタイルで大ヒットを連発した歴史は揺るぎもしません。

しかし、それでも真・歌謡曲を歌う沢田研二が存在していたという事実だって、やっぱり不滅です。

 君のねむりの中に
 見知らぬ愛をうつして
 僕を傷つけながら
 君だけの夢をみてる

 こんなに君を愛しているのに
 わかってもらえない苦しさに
 わがままな 愛の幻に
 僕をひきつけてゆく
 
 やっと捜した 白い指より
 その心がほしいのに
 愛がほしいのに

 いつでも君を 許しているのに
 ほんとの愛を 気づかないの

あぁ、現在のゴタゴタを演じている面々には、この歌が相応しいんじゃないですかねぇ~。

粘りつくようなストリングのアレンジも秀逸な曲メロの魅力を存分に活かしていると思いますし、全体の纏まりの良さは、例えなんであろうとも、美しい結果を残すのでしょう。

さて、そこで再び国民そっちのけのゴタゴタの話ですが、やっている事がもはや見苦しいばかりで、何ら先に希望を与えてくれそうもなく、しかも、この期におよんで親分子分の絆さえグラグラしているので、情けない……。

 君を許す!

この一言が、今は必要なんじゃ~ないですかっ!?

尤も大方の国民は、そんなことすら無関心かもしれませんが……。

コメント (7)
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