九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「鳩山政権つぶしだ」    らくせき

2010年01月16日 13時53分18秒 | Weblog
石川議員逮捕。
いろんな人がコメントしていましたが、
鈴木宗男さんのコメントが明快。
「鳩山政権つぶしだ」

さて、小澤さんは幹事長をやめるのか?

はたまた、検察は小澤さんを任意でなく
逮捕するのか?
これには石川議員たちが、これから
どんな供述をするかにかかっていますが・・・

最低でも幹事長を辞任することになれば
大成功と考えているのかな?

検察の政治的な権力行使がどこまで?

小沢さんの逮捕状が出たら、
昔の佐藤栄作さんの時と同じ様な
指揮権行使があるのだろうか?
(小沢さんの頭のなかにはあるかも。)

官僚VS政治家の天王山の戦い。
今後の展開が注目されます。

   

さて、政権交代で実現しようとしている
家計への税金投入などの政策は
これで変化をするのか?

国民はそれは許さないだろうから
自民党は、よほど腹をくくって
対抗軸を打ち出さないと、参院選も負けるでしょうね。

自民党は、国会の審議で、国民優先の法案に
さっさと賛成して、時間をタップリとって
小沢さんの金権問題の審議に臨んだら?
まず、小澤問題の追及という態度では
「あんた、昔はどうだったの?」と
言われるだけですよ。

    自民党








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「昭和くさい」に因んで  文科系

2010年01月15日 16時39分57秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 即席の日本人論と昭和人論を一つ。まず歴史的背景について分かりやすいように、歴史順に箇条書きにしてみましょう。

①織豊時代、戦国時代に、日本の経済力が凄まじく伸びた。
②その力が、徳川の安定期に入って鎖国もあったりして、ほぼ「国内消費」にだけ使われた。回船など国内流通、商業もおおいに発展して、100年もたたないうちに、大都市などでは元禄の町人文化という形で、庶民文化も先進国相当の発展に達した。日本人が1日2食から3食にかわったのも、このころだと聞く。基本的に「生産と消費の国内好循環」は徳川末期まで波はあっても続いていたのではないだろうか。この、アジア有数の力が、明治維新でいわゆる近代化が達成されていく原動力になっていったのだと思う。
③明治維新は一種の革命だったと僕は思う。下級武士により旧来身分制度(の固定化)が崩れ、できる庶民が、あの時代のアジアとしたら差別少なく登用された。こういう民主主義の一例が、例えば学校制度にある。庶民登用型学校制度という側面のことである。全国に女子と男子二つずつの高等師範学校が、西と東に設けられた。男子は広島と東京、女子は奈良と東京に。この四つは一般帝大よりはるかに難しく、それだけ教師が大切にされていたということだろう。ここには何の身分、家柄はなくとも成績がすごくよい人(今の超難関医学部ほどか?)なら、多少のお金があれば(一般帝大平均よりも貧乏な人でも)入れた。逆に金があっても、家柄がいくら良くても、成績が満たなければ入れなかった。ここを出た人々が、日本教育界の指導者としてそれぞれ東と西の全国に派遣されたから、こういう「立身出世流儀(教育)」が全国に広まっていった。明治、大正時代の世界でもずば抜けた識字率向上は日本人の民主主義的教育水準の高さを示していると思う。
④そして、敗戦である。廃墟からの再建熱と「民主主義的出世流儀」・学校制度のゆえに、60年代まで庶民の教育熱がどんどん広がっていく。この60~80年代ほど大学就学率が高まった国はこのころまでの世界ではちょっと希なのではないか。この平均的教育水準の高さという点は、英仏など過去の先進国からも驚かれている所だ。
 ただしその教育が目指すモノが、戦前とはちょっと変わった。戦前の旧制高校は「弊衣破帽」「末は博士か大臣か」に象徴されようが、戦後は「博士、大臣よりも『大企業の社長』に」というように。つまり、仕事内容よりも金が大事な社会になったのだろう。
 以上が、昭和人なのだと思う。

 以上のマイナスの負の部分、側面にも触れねばならないだろう。相当民主主義的で、世界の時代にも合った?ものだったとは言え、基本的に上からの改革であったということだ。各界の戦略、つまり長期的・全体的な方針は「上から下りてきた」ということである。組織、団体の上に上るほど戦略に絡めるが、そういうのはごく少数の人だったし、封建的身分制度の残りかすもあったりして、民主主義の全体的定着は近代化の進展に比べれば非常に弱かったということである。例えばこういうように。
 明治、大正の日本近代文学の最大テーマは、近代的自我であった。村の身分、家柄、本家分家、男女差などなどに押しつぶされる個人の苦しみを描いたものだったということだ。

よって昭和人の特徴は
①平均的に世界1と言って良い働き者で、仕事上気も利いて、働きの質も高い。
②上に従い、競争を好む。上の顔色を見ながら、組織人として多分世界でもトップクラスの有能さを示す。ただし、「専門」と「組織」以外には弱い。
③過労死、ノイローゼ・鬱病、自殺の多さなどは、以上の結果でもあるのだろう。以上の反面として、「社会性という習慣、心をも含んだ広い意味での人間関係」に極端に敏感なところがあるということではないか。非民主的な公私混同習慣なども、そうさせているのだろうが。
④趣味、文化活動は大いに必要だと思っているが、若い頃にその養いが少ないので、趣味とか、ましてや相当の知識人でも「文化」とかいうようにはなりにくい。戦前までの伝統文化が欧米文化移入によって途切れてしまった事も関係していよう。
 廃墟育ちでもあり、味覚、聴覚、視覚など五感の養いが少なかったからでもあるのだろうが、「好き」ということが弱いと思う。音、形・色、味、運動感覚など(の芸術・文化)というものは好きでなければ極めようもない。飯は掻き込むモノ、古い家は壊して新しくするのがよいという具合である。文化への尊敬、その鑑賞者は結構多いと思うが、アマチュア創造者が少ないのではないか。
⑤その教養・精神は、便宜主義で、哲学がない。あっても、また相当の知識人でも、便宜主義の哲学、生き方ノウハウ論の延長程度である事が多い。物事を突き詰めて考えず、習慣的にだけ反応し、考えてきたのだと思う。常識の範囲から出ることが少ないということだろう。③④が関係しているのではないだろうか。

以上と、後の人々、例えば平成成人組などとを比べなければ、昭和人論としてはまだ不十分だろう。
 ①の現在は、「平均的には」最も落ちてきていると思う。②は、①ほどではないがやはり平均的には落ちてきていると思う。③は一種もっと深刻になっている。④はオタクというのも含めて、大事にされるようになってきた。ここが、後の人々が昭和人と最も違う「豊か」なところではないか。お祭り好きなど、「楽しい」がすきでもあるし。⑤は相変わらず弱い。日本知識人の最も弱いところだと思う。だからこそ③が整理できず、④がオタクになってしまうのではないか。

 昭和人受け継ぎ、この国の未来に関わる結論
 少子化の成熟国の子ども、人間は、親、先輩がその成熟を作ったよい所を受け継がず、悪いところを見ていて、反省、改善はするのだが、はてまっとうに改善できるのかどうかといったところ。それで成熟国は、古今東西常に衰えてきたのではないか。その「正しい民主主義度」のエネルギー、「格差固定」の排除があるか無いかによって、現状維持継続期間の長短はありながらも。ちなみに、イギリス、フランス、ドイツなど明治日本がその民主主義で模範にした国々も、今や新たな身分固定社会になり、発展の芽はなくなっているのではないか。これだけめまぐるしい世界、社会になれば、3代目が家をつぶすと言われることが国にも当てはまってくるようだ。
 ワスプなんて習慣があったアメリカだって超大国で100年ほど続いているが、移民と東欧没落がなければとっくに没落していたと思う。明治、大正生まれを祖父とすれば、現日本の中心は丁度3代目だし、移民は毛嫌いしている人がまだまだ多そうだ。
コメント (6)
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政権交代と「憲法の力」(その3)日米関係と国際貢献 マガ9対談最終回

2010年01月15日 16時28分39秒 | Weblog
★マガ9 http://www.magazine9.jp/taidan/008/index3.php の小林VS伊藤の対談も最終回で今年の対外政策についての展望やあるべき姿語られます。ここまで長文の対談にお付き合いいただきありがとうございました。マガ9は数少ない護憲ネットです。是非愛読ください(ネット虫)

●アフガニスタン問題と国際貢献
編集部  自民党政権の時には、「国際貢献」という名のもとに、イラクの「非戦闘地域」への自衛隊の派遣や、自衛隊によるインド洋での給油活動などが行われてきました。オバマ政権のアメリカは、アフガニスタンの戦争をいかに終結させるか、という難問を抱えており、今後も日本は協力を求められるでしょう。伊藤先生は以前、「けんぽう手習い塾」の原稿のほうで、憲法というのは、国連軍、平和維持軍、ISAFを問わず、いかなる軍事的貢献、支援も憲法は許していない。自衛隊の派遣だけではなくて、武器、燃料、食糧なども認めるべきではないということを書いていらっしゃいました。とすると、現状の国際状況の中で、どんな国際貢献を日本は果たしていくべきでしょうか? 9条があるから、国際貢献ができない、という議論も自民党政権の時には、随分とありましたし、かつての小沢論文では、(9条があっても)国連決議があれば、ISAF参加は可能という考えを示していました。

伊藤  軍事的な貢献は、どんな名目だろうがしてはいけないと考えています。それは、自衛隊を前線に入れようが、後方支援だろうが、燃料の供給であろうが、戦争を遂行することに加担していること、海外での武力行使の一翼を担っていることにほかならないからです。燃料だけじゃなくて、私は、それに使う目的が「戦争」であるならば、食糧だろうが資金の援助であろうが、それは同じことだと考えています。結局、日本が拠出したものが何に使われるのか、ということだと思っています。
 私は、武力による紛争解決は不可能だと思っています。紛争を解決せずに、さらに泥沼化するようなものに日本が協力することは、この国が本来やるべき国際貢献ではないと考えています。
 ですから、時間はかかるかもしれませんけれども、そういう紛争の火種になるような部分のところのさまざまな要因、例えば貧困の解消ですとか、医療、教育などの支援をするべきでしょう。
 今、現実には、アフガニスタンなど紛争地域では、まだできないことかもしれません。けれども、少しずつできるところからそういう支援をしていく、また日本に人を呼び寄せて、そこで教育をして、母国に戻すということでもいいかもしれません。そういう可能性をもっと探るべきだろうなと思うんです。

 それからお金だけ出して人を出さないことを批判する人もいますが、お金を出せるというのはすごいことだし、それは日本ができる立派な支援で国際貢献の1つです。ただ、問題はそのお金の使い道ですよね。

編集部  お金をただぽんと出せばいいというのではなく、その使われ方までちゃんと指示しフォローしていかないと、逆効果になる場合もありますね。

伊藤  だと思いますよ。それから今の憲法のもとでは、国連決議に基づいて国連の旗の元でと言っても、日本の自衛隊がそこで活動する以上は、「国権の発動の武力行使の一端」になってしまいます。自衛隊員が、個人で勝手に義勇軍的なものに参加しますというなら話は別ですけれども、日本の税金で給料を払っている人たちが、そういうところへ行って軍事行動の状況になる以上は、国連の旗のもとであろうが、アメリカの旗のもとであろうが、それは関係ないですよね。そういうことを一切させないというのが、今の憲法9条、前文の考えですから。アフガニスタンの給油活動も含めて、憲法違反であることは明らかだと思っていますし、そういう形の「貢献」なんか全くする必要はないと思います。

小林  原点に返れば、憲法9条は、1項で戦争を一切放棄している。2項で日本が軍隊を持つことを否定している。しかし、日本が独立主権国家である以上、少なくとも、例えばAさんが暴漢に夜道で襲われたとき、黙ってやられる必要はないので、抵抗して相手を蹴り殺してもいいわけです。個人にそういう自衛、正当防衛権があるならば、同じく人間集団としての、有機体としての国家にも、この時代、この土地、この世に存在する以上、他国によって、その主体性を奪われる理由はない。即ち、国家の自然権としての自衛権はあるだろうということです。

 それから、憲法9条が制定された背景を考えたら、日本は侵略国家として断罪された、だから、二度と侵略いたしませんとなると、憲法9条のもとでも、日本は、侵略戦争はできないが、やむを得ず、襲われたときに抵抗する意味での自衛戦争は可能であろうという前提で、今の公式の解釈ができているわけですね。
 けれども、自衛の名で侵略した過去の歴史があるから、わかりやすくするために、間違っても外見的に日本の自衛隊という軍隊を海外に出さない。親善儀礼や訓練で行くのは別の話です。しかし、戦争目的を持って自衛隊は海外へは行かない。
 ところが、解釈がだんだんずれてきて、「戦争目的を持って」じゃなくて、戦場の近くまで行っても、「他国の武力行使と一体化しなければいい」とか、言い出したわけですよ。
 でも、伊藤先生がさっき指摘したように、最前線で米軍の部隊と一緒に並んでドンパチやるのは露骨な戦争参加だけど、後方で彼らが動くためのガソリンを供給したって、それだって戦争を支えているわけです。要するに「一体化」なんですよ。

 最近の政府解釈はひどい話で最前線のコンバット隊に入って引き金を引かなければいい、というところまで事実上後退してきているわけです。以前、NHKのラジオの番組に録音テープで出演したことがあります。スタジオには外交評論家の岡本行夫氏がいて、私の意見を岡本さんが聞いて、「小林さんの意見で言うと、米軍にお弁当やお水を供給してもだめなんですね」と言って番組が終了しました。もちろん、いけないんですよ、弁当とか水がなかったら戦争は遂行できないですから。弾がいけなくて弁当はいいというはありません。何であっても戦争を支えちゃいけないんです。これが憲法9条の前提です。

 そして今、アフガニスタンで何が起きているかというと、2001年の9.11を切っ掛けとして、アメリカがアフガンの旧政権に戦争を挑んで、タリバンらを国内の地域政府に追いやってしまった状態であり、それらはまだ殲滅できていません。アフガニスタンは内戦状態で、北部同盟とアメリカを中心とした連合軍がくっついて、空から爆撃をし、陸から突撃をし、海上封鎖で状況を管理しているという、陸・海・空の戦争をアメリカが正式にやっているわけです。
 それを、どこであれ支えたら日本は戦争参加、憲法9条違反になります。だから、憲法9条が現行法である以上、私は、今はアフガニスタンには全くかかわるべきではないと考えます。国際貢献としての復旧支援といっても、まだ戦争は終結していません。だからそれは、戦争が終わってからにすべきです。

 アフガニスタン政府の警察官の訓練を支援するという話もありますが、陸軍の補充部隊みたいな警官たちを日本人が訓練して何になるんですか。警官たちの給料を倍額にするために、日本が代わりに支払うという話もありますが、アフガニスタンの市民の和平のために本当に役に立つのかどうなのか・・・わからないうちは、まだこういうことをすべきじゃないと思います。

 古来、どんな戦いだって、どちらかが勝つか、両方が死に絶えるか、あるいはくたびれて、飽きてきて、必ず終わるんです。終わった後には、復興が必要でしょう。そのときに、ゆっくり第三の文明の日本が出ていって、後始末を手伝ったらいい。テーブルを用意するから、平和条約を結びなさいよと。私たち恨まれていない日本人が行って、調整役をやってあげましょう、復興支援しましょうと、これがいい選択だと思うけどね。

編集部  伊藤先生は、どう思われますか。

伊藤  私は、9条は自衛戦争も否定していると考えていますので、その解釈については小林先生と考えが異なりますが、それ以外のことについては、まったく同感ですね。
 先ほど(対談その2)も指摘しましたが、自公政権の時に自衛隊がイラクに派遣された時、野党だった民主党は、「憲法違反だ」と国会で追及していたのに、あれは非戦闘地域だったから合憲であるとか、アフガニスタンでの給油活動も憲法違反ではないとか、今になって「やはり合憲だ」と言い出しています。政権が代わったんだからはっきりと、「これが私たちの解釈です」ということを堂々とアメリカに主張することこそが、対等な日米関係の第一歩なのに、本当にもったいないと思います。

編集部  そうですね。アメリカから言われたから「国際貢献」をする、ということを続けていたのでは、あまりにも国としての主体性がなくて、国際社会においても情けないですね。

●民主党の対米交渉はどうなる
編集部  対米交渉能力という点について、自民党はまったく期待できなかったわけですが、では民主党はアメリカの「むちゃな要求」を本当に断れるのでしょうか?

小林  政権交代をした今は、アメリカと距離を置くいいチャンスなんですよ。なぜかというと、岸信介というのは、第二次世界大戦の完遂を主張していた護国同志会の中心人物であり、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンにも入っていた。公職追放されたのに、いつの間にか復帰して日本の総理大臣になって、日米安保条約を結んだ。あれはどう見たってアメリカの傀儡政権ですよ。そのひざの上で育った孫、安倍晋三は、アメリカと心中するような政策を立てたんです。戦後日本のエスタブリッシュメント、主流派は、アメリカの許しなしに、その立場にいないと思うんです。逆らって田中角栄があんな風になったのを、小沢一郎は見てきたわけだから、思うところはあるでしょう。

 しかし、これは誇りの問題だと思うけれど、日本も相当な国でありますから、全力でプライドを持って、今の日本は独立国家なのだから、「アメリカと友好国でありたいですが、属国ではありません」と主張して、今の安保条約を結び直すというやつが出てきてもいいと思うんだけど。おそらく1人、2人、身の危険にさらされる人も出てくると思うけれど・・・、でも縁あって1回得た命だから、そういう決断をする高い地位にいる男がいてもいいと思うけどな。
 平野官房長官も、野党時代には格好いいことを言って、与党になった途端にアメリカに都合のいい解釈にぱっと変わっちゃう。これは情けない。

伊藤  普天間基地の移設問題については、沖縄の民意が選挙ではっきり示されたわけです。民意で政権交代があったわけですから、アメリカが一番好きな民主主義、国民の意思でこうなんですということを堂々と突きつける、本当にいいチャンスなんですよね。

小林  誤解を招かないように言っておくけど、アメリカというのは二面性があって、要するにCIAを使って、拉致、暗殺、買収なんてことをやってきているんです。それはギリシャ、ローマの昔から、国家というものの現実です。

 もう1つは、アメリカというのは、イギリスの迫害から立ち上がった自由と民主主義の国である、という建前があります。だから、アメリカには、今、伊藤先生がおっしゃったように、事実と論理で堂々と、つまりディベートして、こっちの筋を通すことは、有効です。

 かつて自民党が約束した「日米合意」について、国家の人格は1つだから守れという論調があるけれど、それは株式会社の話です。前社長の時の契約も守ってくださいよ、というのは。でも、これは政治です。政権が代わった以上、新しい交渉に入るということは、可能ですよ。自民党政府がした約束を民主党政府が履行しなさいと、当然、アメリカは建前として言います。でも、政権が代わったんですよ、時代も変わったんですよ、だからこれは政治交渉でしょうと。

伊藤  アメリカだって、オバマ大統領になって、東ヨーロッパへのミサイル防衛計画の全面見直しを表明したりしていますよね。

小林  アメリカだって、政権交代したら態度が変わるんだ。

伊藤  これまでの自民党政治では、いわゆる利権や土建政治ですから、沖縄においても基地の建設をすることによる、地元のメリットが多分にあると思われたのでしょうが、民主党政権はそういう「箱もの行政」や「利権との癒着」から決別した政治をする、と言っているわけです。だから、そういった観点からも、今、チャンスのはずですよね。
 それから、沖縄の基地問題だけでなく、日米安保の問題においても、特に地位協定についても、改訂するべきことがあるわけです。とても独立主権国家とは思えないような不平等条約を押しつけられているわけですから。
 これらの問題の解決に向けて、民主党政権にはまだ期待していますよ。ただそこを後押しするものとしては、沖縄の人たちの民意だけじゃなくて、本土の国民の意思というものが、もっと明確に主張されることが必要だと思うんです。そういう(本土の世論がもりあがる)タイミングを鳩山さんは、待っているのかなというふうに、私は善意に解釈しているんですけどね。

●日米同盟と他国との関係
編集部  日米安保は50年たったということで、日本とアメリカを取り巻く状況が変わり、目的とするところも随分変わったと言われていますが、見直しをしましょうという声は、あまり大きくなりません。しかし日米安保そのものを、ちゃんと見直さないと、米軍再編のこと、普天間基地の移設についても、根本的なところからの交渉ができないのでは、と専門家の方がおっしゃっていました。

小林  冷戦を前提に考えた時、アメリカ側の橋頭堡(きょうとうほ)として日本列島が、いいところにあるんですよ、地形が弓形で。ロシアと中共、北朝鮮を太平洋に出さない。日本列島がばしっとここにあることによって、太平洋はアメリカのものになっているんです。
 今の世界情勢は、冷戦は終わったとしても、まずソ連がロシアに戻った。ロシアは、結局は共産主義ではない、後進資本主義国にはなったけど、やはりロシア時代の領土拡張主義、南下主義、腕力を持って太平洋をねらっているんです。
 中国も同じですよね。むしろ、国内的に支配が確立したものだから、明らかに海軍を増強して、センター・オブ・ザ・ワールドになろうとしている。そしてやっぱり太平洋をねらってるように見える。
 そういうわけで、やはりアジア大陸の反対勢力に対する橋頭堡としての、アメリカの属国としての日本、楯としての日本の意味づけは大きく変わってないと思う。
 我々が主体性を持って、この強大なアメリカ、ロシア、中国の間でどう生き抜くか。日本列島を引きずって逃げられりゃいいんだけど、場所は動かないからね。
 そういう意味でも、日米安保は常時考え直していかなきゃいけないけれど、我々が体制的に一番親近感を持てるアメリカ、自由と民主主義という観点から言ったら、ロシアも中国も北朝鮮もお呼びじゃないんですよね。やっぱりアメリカとつき合っていくしかないということですよ。

伊藤  問題はアメリカとのつき合い方ですよね。今までのつき合い方じゃなくて、もうちょっと普通のつき合い方をすることができたらいいと思います。

編集部  日米同盟が機軸、ということについては、伊藤先生もそう考えられていますか?

伊藤  機軸の1つだと思いますよ。要するにアジアとのつき合いだとか、EUとのつき合いだとか、外交はバランスだと思いますから。これまでの日本は軍事同盟としての日米安保条約があり、日米同盟の関係が突出していたと思いますが、もう少し多方面への配慮というのは必要だと思います。外交というのは、基本的には八方美人じゃなくちゃいけないし、交渉事ですからしたたかさも必要です。

編集部  安全保障において、日米同盟とまた別の選択肢は考えられるのでしょうか?

伊藤  アジアの中での集団安全保障をどう構築していくのかという問題は、これからどうしても考えざるを得ないと思います。
 北朝鮮がどうなるかわかりませんけれども、中国、韓国、台湾などとのかかわりの中で、この北東アジアの安全保障をどう実現していくのかというビジョンは、どうしてもつくっておかなければいけないと思います。

●2010年への希望と展望
編集部  では最後に、これからの希望や2010年の展望について、まとめてください。

伊藤  繰り返しになりますが、民主党への期待は、すごく大きいですが、それと同時に、民主党まかせにしちゃいけないとも思うんです。沖縄の基地問題にしても、本土の国民一人ひとりがもっと声を上げないといけない。沖縄にあまりにも押しつけ過ぎてきているわけですから。
 来年、幾つかの選挙がありますので、そういった場面を通じながら、私たち国民自身がどういう選択をするのか、ということがもう一度問われると思っています。
 また、今年の夏には参院選がありますが、そこで民主党が大勝し、大きな力を今まで以上に持ち、連立も要らなくなるというふうな状況になっていったとしたら・・・権力を持つ人たちは、どうしてもそれを濫用しがちだし、強い力を持てば持つほど暴走しがちであるというのは、人類の歴史の教訓です。そこでいま一度、立憲主義の観点から、先ほどのアフガニスタンの問題なども含めて、おかしなことには批判し続ける、監視し続けるということが、今までの自公政権に対して行ってきたように、またそれ以上に重要になってくると思います。

小林  私、もう語る気がしなくなってきているんです。自民党が利権政党で、アメリカに許された利権政党という生まれ方をしているから、ああいう、憲法をないがしろにしたアメリカの属国のような振る舞いをしてきたのはよくわかるけれども、民主党にせっかく政権交代したにもかかわらず、最近の動きを見ていると、民主党も第二自民党に露骨になりかけているような気がして、期待する気も、しかる気もなくなってきています。私としては、29歳でアメリカから帰ってきて、30歳から憲法学者をやっていて、今、60歳でしょう。フルコース語って、何回も語って、あきちゃった。何か、そういう感じですね。
 護憲も改憲も、議論に参加する気が、個人的に全然しなくなってきた。それよりも、本当に次元の低い話かもしれませんけど、やっぱり私も、この時代、この場所に縁あって生まれて、だから60になると死を意識しますね。あと、死ぬときに、これも憲法的なんですけど、我が人生、有意義であった、楽しかったと思って死にたい、幸福に生きたという実感を持って死にたいですから。そうするとこういう不毛で裏切りの多い憲法論議なんかに参加していることに何の意味があるのか。むしろ、それよりも家族と楽しく、お友達と楽しく、そして縁あって私のもとに集まった大学院生たちに、こういう立派な素材を、人材として世に送り出していく作業とか、そういう作業に打ち込むことのほうが、私自身の幸福追求ではないかと。右や左の壁に向かって語り続けることに、もう何も喜びを感じなくなっちゃったんです。それでも語り続けると、自分の性格が悪くなるようで。この問題にいら立っている自分が嫌です。そういう意味です。

 改憲論者として、30年前にアメリカから帰って日本で発言を始めて、そのうち伊藤先生のような方と共感できる、改憲論の前提にあるところは立憲主義だったんだということに行き着いて、数年、下手したら10年くらいこういう観点で語り続けてきて。基本的には、改憲派も護憲派も旧来のそれぞれの勢力が、それぞれの陣地から全く動かず、同じ旗を立てている。この言論することのむなしさみたいな、そういう状況で、今、私は、全く次元の違った幸福追求をしようと立ちどまっているというところなんです。

編集部  小林先生は、2年前にお話を聞いたときよりも、より深く失望されているということでしょうか?

小林  そういうこと。あのときは、政権交代をすれば、という希望がまだあったんですよ。

編集部  まだ・・・政権交代してそんなに時間がたってないじゃないですか。

小林  でもいくつか出てきている平野官房長官や鳩山首相の発言はひどいですよ。自衛隊の海外派兵は違憲ではないとかね。もちろん、自衛隊の海外派兵について、カンボジアに後始末に行ったのは違憲でないと、まだ言い得ると思うんです。要するに、戦いが終わった後に、下手すると、武力解除されたはずの軍隊が襲ってきたりするから自衛隊でないといけない文民活動というのがあったんですよ。そういうことを鳩山が言ったのかと思ったけど、平野がインド洋の給油についても、合憲だったなんて追認しているとしたら、これは変節ですよ。もう語ることがむなしい。夜の六本木で飲んでいたほうがいいです(笑)。

編集部  最後のところで大きく意見が違いましたね。伊藤先生は、民主党にまだ期待。小林先生は、失望。

小林  最近、伊藤先生とは討論にならなかったからよかった。私は、伊藤先生に期待していますから、政治家になってください。ばかな政治家に任せておけないから。伊藤先生が参議院の議員になって、憲法調査会の重要人物でいてくれれば、この国は安泰で、僕は安心してカナダに行ける(笑)。

編集部  小林先生は、前政権の時には、失望のあまり本気でカナダ移住のための、資料を取り寄せていたそうですが・・・。そして、小林先生は、民主党ではなく、伊藤先生に期待ですか? そのお気持ちはとてもよくわかります。私も個人的な希望として、伊藤先生が都知事になられたら、東京から立憲主義教育が全国に広がっていくのではないか、と夢みていましたが・・・。いずれにしても、「マガジン9条」では、あきらめずにしつこくやっていきたいと思っておりますので、今度ともよろしくお願いします。ということで、先生方、長時間、ありがとうございました!
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「岡崎慎司と高校選手権初出場初優勝チームとの大事な接点」 文科系

2010年01月14日 12時37分34秒 | スポーツ
 今回は、日本のサッカー界で急成長する個人、チームには必ず走りの専門家有りと、そんな時代がやってきたのかなというお話だ。
 日本代表も先日の合宿で、福島大学陸上部の名だたる名コーチ、陸上部監督の先生を呼んで、その話を聞かせているが、表題の接点も清水エスパルスの杉本龍男フィジカルコーチなのである。現在世界的上り坂にある日本陸上短距離界の、元オリンピック代表選手。戦後初めて日本がリレー種目で決勝進出を成し遂げたバルセロナ五輪の、4×100mリレーのアンカーを務めた人物である。

 まず、この年末年始の高校サッカー選手権大会で初出場初優勝という23年ぶりだかの快挙を成し遂げた山梨学院大附属高校のことだが、走り勝ったチームとして知られている。ただしこの走りというのを、誤解してはいけない。速く走れればよいとか、長く走れればよいとかいう事もサッカーではとても大事なことなのだが、杉本コーチのいう「サッカーの走り」は、これだけでは意味は半分だ。以下は、そういう誤解を解いて頂く事になる記事でもあると、僕は考えている。
 山梨学院のコーチの話をまず聞こう。以下は週間サッカーダイジェスト1月5、12日号からの抜粋である。
【 練習の指揮を執るのは、吉永一明コーチだ。北九州市生まれの41歳。90年から三菱養和のコーチを務め、福岡の強化育成、ナショナルトレセン九州担当コーチ、清水のトップコーチ、鳥栖の育成部統括などを担当。今年から山梨学院大付で体育教員とサッカー部のコーチを務めながら、寮で部員と寝食を共にしている。
 前週に期末テストが行われたこともあり、12月第2周は走り込み中心の練習メニューが組まれていたのだが、その距離や時間、本数の設定には、毎日微妙な変化がつけられていた。
 「1000mを10本やった日もあれば、1500、1200、1000と距離を減らしたり、入りの100mのタイムを変えたり。これは清水で一緒だった杉本龍男フィジカルコーチ(陸上短距離の元オリンピック代表選手)のノウハウを取り入れさせてもらっているんです。ウォーミングアップのメニューも、杉本さんが作ったサーキットトレーニングをアレンジしています。おかげで筋肉系のトラブルはほとんどない。さすがは杉本龍男って感じですね(笑)」
 練習の大枠は、横森監督と吉永コーチが相談した上で決定するが、細かなメニュー内容は吉永コーチに一任されている。 】

 岡崎慎司のネタもサッカーダイジェスト9/1号から取った。杉本コーチと岡崎は05年清水に入った同期の間柄。その年のオフシーズンから岡崎は、杉本が監督をしていた浜松大学陸上部に通い始めたという。「走り方」の特別個人授業を受けるために。
 【 「めちゃくちゃ地味な練習になるぞ」。あらかじめ、杉本コーチは釘を刺しておいた。腕の振り方はこう、足はここまで上げる、正しい姿勢はこの角度で……。いわゆる体育の授業で習うような、走りのベーシックな部分を事細かに叩き込んでいった。
 1年目はこうして終わった。そして、わずかながらも出場機会を増やしたプロシーズン2シーズン目を終えると、オフシーズンは岡崎はまたひとり杉本コーチのもとへと出向いていった。
「今度は、去年こなしたメニューから少し発展させた内容のものを考えて、またコツコツやっていましたね」 】
 【 昨年の北京五輪が終わったあと、2人の間にこんな会話があった。
「相手の当たりがすごかった」という岡崎に対し、杉本コーチは「そんなの筋肉だけじゃない」と返した。
 筋力差があったとしても、身体を当てるタイミングをズラすことで十分勝つことはできる。裏への抜け出しでは、相手より足が遅くとも、最初の2,3歩でどう駆け引きするかで決まる。
「結局、フィジカルというのは、身体の動かし方のスキルでもあるんです。それを知っているのと知らないのとではプレーの質も違ってきます。そのスキルの向上が、今の岡崎の活躍を支えていると思うんですよ」 】

 非常によく分かる。世界1クラブ・バルサの中盤チビトリオ、イニエスタ、シャビ、メッシが170センチ前後の背丈であれだけ出来るのは全て、身体の使い方、自分の重心を相手のどこへ・いつ・どう入れるか、そういう「脚捌き」などなのであろう。背が高い人間はいくら頑丈でも、最初の当たりを反らされて足元へ低く入られれば、身体が浮いてしまう。我々日本人には、相撲の立ち会いでおなじみの知識である。こういうことのためには、体幹の強さが大事になるが、これの強さと走持久力とは、岡崎は既にプロ加入時から備えていたらしい。
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政権交代と「憲法の力」(その2)憲法論議を封印してはいけない

2010年01月14日 10時26分14秒 | Weblog
★マガジン九条の新年号の伊藤真さんと小林節さんの対談の第二回です。(ネット虫)

●「憲法審査会」は凍結ではなく、有効利用するべき

編集部 (その1)では、立憲主義について正しい理解をマニフェストに明記した民主党が政権をとり、小林節先生と憲法論議をした経験もおありになる鳩山さんが首相になったという、前政権から比べると「正反対」なほど、憲法状況がよくなっているというお話をお聞きしました。さて、そういう現状を踏まえた上で、2010年5月には憲法改正のための手続き法、国民投票法がいよいよ施行されるわけですが、憲法審査会は凍結されたままです。連立を組んでいる社民党の福島瑞穂さんは、「憲法集会」で、「憲法審査会凍結のためにがんばる」と発言しているという報道もありました。こういった状況を、先生たちはどうご覧になっていますか?

伊藤 私は、参議院の付帯決議事項などまだまだこの憲法改正、国民投票法には問題があると思っていますから、その問題点をきちんと審議することが必要だと思っています。特に、この国民投票をよりよくする審議はやはり進めるべきだと思います。
 改悪の危険があるから、一切、手をつけないということを今、言っていると、もっと危ない時期に、勢いで、さらに悪い手続法に変えられてしまったり、または、今の不十分な法案のまま進んでしまう危険性があると思っています。今は、憲法改憲の中身についての議論は置いておいて、中立的に手続きの公正さ、適正さという観点で冷静に議論ができる時期じゃないかと思うんですね。
 安倍政権下においては、自民党のとんでもない新憲法草案を無理やり押し通そうという意図で、この手続法が強行採決されたようなところがありました。その目的とするところに反対であれば、その手前の入口のところで、こういった手続法自体の制定に反対するということは意味のあることだったと考えます。私も大反対でした。ですが、今、そのようなとんでもない憲法案に改悪される危険性がやや遠のいているときだからこそ、国民投票法をより良くするための議論は、可能だし必要だと思います。例えば、公務員や教育者の地位利用の規定を削除することや、国民投票運動期間の有料広告の禁止をきちんと設けることなど。これらは、もともと提出された民主党案には書かれていたことだったわけです。また、組織的多数人の買収の罪の構成要件が非常に不明確などと、いくつもの問題があります。ですから、そこを明確にするためにも議論はきちんとしておくべきではないかと思います。このように国民投票法の不備を補う上でも、憲法審査会の始動は重要だろうと思っています。

 また、これは小林先生が新聞のコラムにも書いていたことですが、政権交代があったわけですから、前の政権下での憲法違反を洗い出すということを、憲法審査会を開いて、公開の場の議論でしっかり行うべきです。
 少し前に平野官房長官が、イラク特措法に基づいて派遣した自衛隊の活動について、「違憲だとは考えていない」と述べました。要するに、活動場所は非戦闘地域だったという認識を示したというのです。野党時代には「違憲だ」と批判していたところです。それから小沢幹事長も、インド洋での補給活動についても、当時は「違憲だ」と言っていたはずなのですけれども、今になったら「憲法違反ではないと認識している」と述べるなど、さきの政権のやってきたことをこうして追認してしまうべきではありません。本当にそれは正しかったのかということをきちんと検証する場というのは、やはりどうしても必要だと考えます。そういう場として、憲法審査会を有効活用すれば良いのでは、と思っています。

 それから、もうひとつ。国民に対する憲法教育、立憲主義教育をどう進めていくのかが重要です。小学校、中学校、高校などの子供たちにどういう立憲主義教育を進めていけば、この国は10年後、20年後に真の立憲民主主義の国になっていくのかということを、きちんと議論する、そういう憲法の本質を議論する場というのが、本当に今、どこにもないんですね。そういう場としても、この憲法審査会を有効活用できる可能性だってある。それなのに「改憲の危険性があるからといって、一切活動させない」というのはすごくもったいないという気がしているんです。ここは、いわゆる護憲派と言われる人たちとは、意見が異なるのかもしれませんが、私はこのように考えています。

小林 以前、国民投票法についてのシンポジウムで福島瑞穂さんと一緒になった時、彼女は「夜中に隣で包丁を研いでいる人がいて、“何してるんだ?”と聞いたら、“うん? あんたを殺そうと思ってるの”と言われて、“どうぞ”と答える人はいませんよね」というようなことを、国民投票法の成立を阻む理由として述べていたと記憶しています。だけど、憲法審査会など手続きを整備するというのは、外科手術のためにメスを研いで薬品その他も整えているし、この国をより良きものにしようという動きであったと、私は見ています。もちろん、安倍晋三元総理とか小泉純一郎元総理のしていたことは、(内容的には)まさに憲法という「良き人」を刺し殺そうという刀研ぎであったのは間違いないですが。
 しかし、福島さんが勘違いしているのは、社民党は万年野党だったから、議論することの可能性を、議論すれば負けるものとずっと思い込んでいることです。福島さんにしてみたら、議論には勝っても議決に負けるという体験があるからでしょう。だけど僕から見たら、なぜ議決に負けるかというと、議論にまず勝ってないという面がかなりありますよ。
 衆参の憲法審査会に、伊藤先生と僕が参考人として呼ばれて、現に、僕らは少数派の民主党に賛成する意見を言ったんです。そして自公案が、私や伊藤先生がしゃべったことによって修正されて、民主党案に近づいていったという経緯があります。ただし、最後には、安倍さんが焦ってぶっ壊しちゃったんだけど。
 というような経験から言って、私は、議論することをあきらめていないんです。逆に言えば、ずっと僕は体制派としていたから、議論が通った経験が多いという体験の差でもあるとは、思うんですね。

 そこで話を戻すと、今、福島さんは自分が与党に入ったことを忘れています。以前は、彼女が言う意見は少数意見として無視された。今回、社民党は民主党と国民新党と連立を組んで政権与党なわけです。自らも大臣になっている福島さんが、内閣の意見を形成できれば、少なくとも内閣の意見に影響を与えることができれば、それは国会の多数派の意思になるんですよ。そういう前提で今の政権下でできる憲法審査会というのは、実は自民党と公明党が社民党を襲うものではなくて、民主党と社民党と国民新党が自民党と公明党を襲う場に変わっているわけです。なのになぜ、これを利用しないのか?

●自民党政権下の違憲行為を審査するべき

小林 さっき、伊藤先生も触れたけれども、自衛隊のイラクへの海外派兵なんて、明らかに戦争参加ですから憲法違反に決まっているんですよ。そして、僧侶が共産党のビラを、出入りできるマンションに配って捕まって有罪になりましたが、このようなことも含めて、自公政権下、あるいは自民党の50何年の治世における憲法破壊というものを、どこかで審査しなきゃいかん、でしょう。
 国家は、日本国憲法によって、「立法」と「行政」と「司法」と3つの独立した権力を持っていますが、国会はその三本柱の一つである立法権の最高機関です。憲法審査会というのは国会に置かれますから、国権の最高機関における違憲審査機関になります。そこを、戦後の自民党による憲法破壊を全部精査する良き場にするべきです。

 そしてこれも伊藤先生と考えが一致するのですが、それは、国民に立憲主義教育をするためにも、非常に有効な機関になりうるのです。憲法がどういうものか? 憲法を道具として、主権者・国民と権力者の関係はどういうものであるべきなのか? そしてその関係を、自民党がいかにだまくらかしてきたのか? ということを、はっきりとさせる。そして、今後は二度とそういうことにならないように、自民党や公明党に同じことをさせないようにしなくてはいけない。それと同時に、伊藤先生が指摘されたように、民主党も政権を取った途端に、自民党政権がしてきた憲法違反を追認する発言がありますが、こんなことを民主党にさせてもいけないんです。

 結局は、主権者・国民がしっかりしていなきゃ、憲法はどうにでもされてしまいます。だから、憲法審査会を今開いたら、そういう国民の憲法教育のいい教材になるということです。手続法の議論は一応終わっています。むしろ審査会は、はっきり言って、改憲に向けて憲法の論点整理をする場なのですよ。それは、憲法の論点を各論的に議論する場であるからこそ、それをまさに民主党と社民党のイニシアティブで、自民党悪政下における権力による違憲行為の審査会にしちゃえばいいのです。何で、こんないい体制でやらないのかな?

編集部 確かにそうですね。社民党は今与党なのですから、そんなに懐疑的にならずに、前政権の憲法違反を徹底して追及できる機関の設置として、憲法審査会を前向きにとらえてもいいように思いますが・・・。

小林 少しでも動いたら負け、みたいな一種の強迫観念にとらわれているのでしょう。

編集部 一方民主党はどうなんでしょうか? 国民投票法の民主党案が最後にひっくり返されたという経緯があるので、そこをまたひっくり返すということのためにも、憲法審査会を開き審議し直す必要があるように思いますが。

小林 今の民主党には、社民党に対して、説得する知恵も勇気も時間もない。むしろ、目先の政策課題を片づけることに忙しいだろうし、そのためには今、内閣の連帯を維持することがよろしかろうという一つの政治判断があるのでしょう。
 それからもう1つは、自民党と民主党というのは、実に第一自民党と第二自民党なんです。民主党は基本的には社民党でも共産党でも公明党でもない。アメリカの民主党と共和党と同じです。資本主義体制を前提とし、自分は権力者としてそれなりの生きがいと利益があればという人々の集まりですから、政局事情で、たまたま自民で出ていたり、民主で出ている、といった人の集まりです。自民は、既得権を維持した世襲議員が多いだけで、それで入れなかった優秀な若手は民主党に行ったというような構図ですから、民主党には右から左までいるわけです。特に、参議院民主党は旧社会党的な人がいっぱいいるから、案外、福島さんなんかに共感を持つ人が多いわけです。
 党内野党を黙らせてまでやるほど、憲法は票にもお金にもならないですからね。そこが、民主党の第二自民党的なところです。憲法のことは、できる時になったらやればいい、という考えなんです。

●今こそ冷静に議論ができる時ではないのか

伊藤 私は、その「できる時」というのが、とても危険だと思うんです。政治家たちが「憲法論議をやろう、改憲だ」と言い出す時というのは、非常にきな臭い時ではないかなと思う。だからこそ今のような時期に、もし憲法を変えるならば、この条文のここが原因でこうだから変えたほうがいい。でも、ここを変えるとこういうリスクもあるから、やっぱりやめたほうがいいという議論を、冷静にする場がどうしても必要だとは思うんですけれどもね。

 そうでないと、本当にまたいつか改憲の論議がうわっと流れてきて、そして護憲派は、感情でそれをただ押しとどめようとするだけ。勢いと感情のぶつかり合いで、全く知性的な、冷静な議論がなされないまま、とんでもない方向に転がり込んでいく危険性があるように思います。

小林 例えば、追い詰められた北朝鮮が核兵器を保有したままで、ひょっと日本海の島に上陸したとしましょう。アメリカだったら、ドンパチって追い出しちゃうけれども、おそらく日本じゃそれはやらないでしょう。「島の日本人住民の犠牲を増やさないために」、といってにらみ合いがずっと続いていく中で、北朝鮮によるさまざまな犠牲が見えてくる。簡単に言うと一般市民が殺されたり、女性が強姦されたり子供が傷つけられたり・・・そういうことが起きているらしいという情報が流れてくると、国民は興奮して、「やっちまえ」ってことになる。そうすると、「9条がいけないんだ」と。こういう時こそが、安倍晋三的憲法改正(改悪)のチャンスです。日本人は思考停止になりますから。気づいてみたら、明治憲法に戻ってしまったと。

編集部 前回の対談のときは、そのときは政権交代の前だったんですけれども、小林先生は、このままだと必ず施行されるときに自民党はまた改憲案を出してくるだろうとおっしゃっていました。今、自民党は野党ですが、今年5月になったときに、何か新しい改憲案が出るということはあるんですか。自民党だけでなく、民主党も改憲派の議員はいると思いますし。

小林 まず、自民党が政権を失った以上、多数を持っていませんから、出すことはしないでしょう。ただ、自民党内的にはもう党議決定していますから、新憲法草案と称する、明治憲法に戻ろうという露骨な改悪案ですけど、あれを自民党は出してくるのが筋ですよ。
 民主党の中では、改憲についての具体的な議論は進んでいなくて、鳩山さんが前の代表のときに要綱案みたいなものをつくりましたが、――あれは、完全に鳩山さんが下書きをして、私が全面真っ赤っかに直したやつですが、――それは、鳩山レベルでは持っているけど、民主党の中では、何も決まってない。
 要するに、今、憲法は旬じゃないんです。アウト・オブ・シーズンなんです。

編集部 国民投票法が5月に施行されても、政治のほうも盛り上がらないし、世論も盛り上がらない。またしばらく凪状態が続くというのは、あまりよくない状況ですよね。

小林 そうそう。右翼は「ちくしょう、悔しい」。左翼は「何もされない、ほっとした」。しかし、立憲主義が忘れられている、伊藤先生や僕には、心配な状態に入っていくんじゃないですか。だから、あなた方みたいな、この日本の中で、悪趣味と言われようが、奇特と言われようが、少数派の憲法マニアが集うところが、立憲主義を身につけて、民主党をきちんと教育して、よりよき憲法状況をつくるように、民主党を使いこなすべきではないですか。その認識を持って、今後の振る舞いを考えるべきだと思いますよ。
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「FCバルセロナとユニセフのこと」  文科系

2010年01月13日 15時44分05秒 | スポーツ
 眠り薬代わりにサッカー雑誌、スポーツ雑誌をめくっていると、時々とても興味深い話、良い話に出会う。そんなことをこれからちょこちょこっとご紹介していきたい。今日は、「FCバルセロナとユニセフのこと」。

 年末の世界クラブチャンピオン大会で予定通り順調に優勝を飾ったのは、スペインのFCバルセロナ。去年はスペイン(国内)・ヨーロッパ(地域)・世界と合計6つ、関与できる全ての大会で6冠を獲得した世界最旬のクラブである。
 同じスペインのいわば「読売巨人軍」が、首都にあるレアル・マドリッド。そこが、300億円をはるかに超える特別強化を敢行したのも、バルセロナのこの隆盛が悔しくて悔しくて、傍観できなかったからだろう。07年、08年度の世界最優秀選手2人などを各々イタリア、イングランドのトップチームなどから、かっさらってきてしまった。それでも、レギュラークラス8人ほどを子飼いの選手で占めるバルセロナには勝てないだろうなとは、世界もっぱらの噂なのである。そんなことも、既にここにも書いてきたところだ。

 さて、そのバルセロナのユニホーム、胸についているのはユニセフのマークである。これもサッカーファンなら知る人ぞ知るところ。ところでこのマークの値段はいくらだろう? ユニセフはいくら払っているのか。日本のマスコミは案外、このことを知らせてくれなかった。僕も全く知らなくって、フランス人スポーツ記者の文章によって最近知ったばかりなのだが、実にこれが毎年マイナス20億円なのである。つまり、ユニセフのマークを付けてあげて、さらにクラブが毎年20億円ずつユニセフに寄付していると。こういう契約が確か今、06年から5年間、進行中だとか。

 国連児童基金にこんな多額の定例的寄付って、みなさん、ちょっと特異なことと思われませんか? そこでこんなことまでを連想してしまったのだけれど、これってお門違い、的はずれかなー? そう思いつつも夢想してみます。
 バルセロナと言えば、かろうじて戦前を知る我々には「スペイン内乱における共和派最後の根拠地」。ヘミングウェイを初め世界のリベラルな人士が志願集結して銃を取り、フランコ、ヒットラー、ムッソリーニと闘い抜いた歴史的伝統の街。「その国際連帯の伝統、感謝が今こんなかたちで残っているのかなー」と、こんな夢想は事実か否か。誰か教えて。ちなみにこのFCバルセロナの財政は、市民の株式によるところがほとんどであり、つまり協同組合方式でこういう財政を誇っているのである。いわゆるスポンサーは「市民以外にないという民主主義」なのだそうだ。
 さて、この夢想が事実であれば、このチームをもっともっと好きになるのになー。
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新成人へのリーフ配付とシール投票結果!  九条の会員

2010年01月13日 15時32分54秒 | Weblog
 今年も成人式にむかう新成人に「憲法九条をまもろう」、「日本と世界の平和を実現しよう」とハンドマイクで宣伝をしました。
 新成人には、憲法の果たしている役割を簡潔に説明したリーフを配りました。

 また、「9条を変える」「変えない」「わからない」を問う『シール投票』も同時進行で行いました。会場に急ぐ新成人に投票を呼びかけ、投票場所に誘います。予想よりも多くの彼や彼女が投票をしてくれました。
 その中で、Tさんの誘い方は圧巻でした。四、五人で談笑する新成人のところに出向き、「憲法9条を知っている」、「9条が変えられたら大変だよ」、「成人式を記念してシール投票をやってよ」などと熱心に声をかけ、若者グループを投票場所まで導いていました(いつもの事ながら、脱帽です)。
 Tさんの奮闘はみんなを励まし、Yさんは、投票所の近くで大きく両手を広げ(投票するまで通さないぞ、という感じ)、若者に投票を促していました。
 それらの方々の頑張りもあって、振袖姿のグループ、スーツ姿の若者たちが投票をしてくれました。JRや地下鉄鶴舞駅方面からきた新成人のうち、80%を超える人が投票に参加してくれたと思います。
 投票結果は、「9条を変えない」72名(67%)、「わからない」21名(20%)、「変える」14名(13%)でした。投票数は107名。

★若者たちは平和に無関心ではなく、語りかける我われの努力が足りないのだと痛感しました。

「今後の検討課題もあります」
 上記の様に新成人の80%余りは、投票しましたが、駅方面から来る新成人は少なく、多くは、車に同乗するか、家族などに送ってもらい、別ルートで公会堂に入るので、投票に参加をしてもらえませんでした。
 また、「変えない」が70%を割ったのをどう考えるのか、若者の保守化か、改憲派の宣伝が行き届いているのか、単に知らないだけなのか。
① 別ルートの者にも投票してもらうためにどうすればよいのかは、検討課題です。
②  行動の時間も成人式終了後にしたらどうか(終了後の方が、新成人と話し合うことができるかもしれません)。
③ 式終了後であれば公会堂の前で談笑する新成人にリーフなどを配付しても咎められないかもしれません(他の会場でそのように行ったグループがいた)。

 *行動に参加された方、リーフの印刷、折って戴いた方お疲れさまでした。
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成人式に参加する。         まもる

2010年01月13日 14時15分53秒 | Weblog
 小学校の教員をしていたので、卒業させた子供たちの成人式に招待されることが多いのですが、今年も最後に勤めた学校の卒業生の成人式に呼ばれました。
 2002年の卒業だから八年前の子供たちで、忘れもしない修学旅行中にアメリカの同時多発テロがあったのを覚えています。
 テロとの戦いと称する歴史の中で成長し、世界的な大不況の中で成人した彼らです。
 女の子はほとんどが艶やかな和服姿であり、男の子はスーツや羽織はかまを着こなして華やかでした。一時期のように荒れる成人式ではなく、河村市長の減税と地域委員の公選制を自慢した祝辞もおとなしく聞き。君が代も抵抗なく唱和する子供たちでした。
 式の後話しかけてくる教え子に九条のリーフレットを渡すと「へー、先生元気だね」と不思議そうな顔をするこもいたりして楽しいひと時でした。しかし俺はこの子たちの胸に何を残したんだという懺悔の念も胸をかすめました。
 夕方彼らの宴会にも参加し戦争を知らない子供たちや青春時代を合唱しながら、私にとってはこれが最後の成人式参加だけれど、これからも彼らに呼び掛けて、彼らが戦争で泣くことの無いよう運動を伝えたいと痛感し痛飲してしまいました。
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808勝   らくせき

2010年01月13日 12時42分24秒 | Weblog
大相撲の魁皇関が歴代最高の勝ち星を
あげました。
すばらしい記録。

一方、その試合で負けたのは、千代大海関。
試合後、引退を表明したそうです。

怪我が治らないのに、土俵に上がらねばならない。
場所前にテレビが千代大海関の治療と練習風景を
紹介していました。
「引退という声があるが、自分の納得するまで
戦いたい」と話していました。
ごくろうさまでした。

魁皇関も怪我が治ってはいません。
おそらく怪我を持っていない力士はいないでしょう。
スポーツマンにとっては
怪我に強いのも大切な素質のひとつですね。

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「昭和くさい」    らくせき

2010年01月12日 10時01分26秒 | Weblog
中日春秋が、こう書き出していました。

駄洒落(だじゃれ)のつもりはないが、
それを初めて聞いた時、
流行(はや)りそうなにおいがすると思った。
<昭和くさい>という言葉。

昭和くさい、とはナルホドと思わせるコトバ。
このブログも、まさに昭和クサイブログ。

降る雪や明治は遠くなりにけり、という
名句がありますが、
昭和もだんだん遠くなりつつあるようです。

童謡でお家がダンダン遠くなる・・という
歌詞があったように思いますが、
そんな感じです。

昭和クササとは、形容詞で表現すると
どんなものなんでしょうね?




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韓国に接近したい鳩山政権   らくせき

2010年01月11日 15時57分22秒 | Weblog
最近の日本の政権は韓国との友好関係を
強化しようとしているように思われる。
韓国の朝鮮日報も同じ様な感じており
こんな解説記事を載せていた。

    

なぜ日本政府は韓国にこのように積極的なのだろうか。
その答えは、鳩山首相が首相になる直前の昨年、
月刊誌『ボイス』に寄稿した文の中にある。
「私の政治哲学」というタイトルのこの文には、
次のような部分がある。
「覇権国家であり続けようと奮闘する米国と、
覇権国家たらんとする中国のはざまで、
日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、
国益を守っていくのか。
これからの日本の置かれた国際環境は容易ではない」。

こうした認識は、鳩山首相個人のものではない。
小沢幹事長が話してきたことでもあるし、
民主党のマニフェスト(政権公約集)にもまとめられている内容だ。
最近、韓国と日本の政治家が会った場でも、同様の話が出るという。

(しかし、韓国側は、日本ほど積極的に歓迎しているわけではないようです。
記事は続けてこう言っています。)

日本の民主党政権が韓日関係の再調整に乗り出したと
判断するには時期尚早だといえよう。
日本国内の政治力学上の限界で、
靖国神社に代わる国立戦没者追悼施設の設立問題や、
永住外国人の地方参政権問題が実現しない可能性も高い。

しかし、日本政府の本当の目標が何であれ、
日本が韓国をますます必要とする新たな状況が生まれている。

     


韓国も、ある意味で同じ環境のなかにあるわけですが、
必ずしも日本を必要としない可能性もあります。
日本と連携しないのなら中国との連携という手もあります。
韓国には。

日本には、当分、この手はない。
(脱米入亜の路線を採る場合、韓国との連携が
最重要と思っていましたが、すでにそのように
動き出しているんですね。)

鳩山さんは、通常国会で、永住外国人の地方参政権を
実現させようとしています。
また、天皇の韓国訪問も、そうした政治目的を完遂するための
一つの方法として模索されているのでしょうが、
急に仲良くしようとしても無理が生じるでしょう。
平素が肝心です。
そういった意味で、安倍さんたちの行動は大きい。
私は、日本の国益を大きく損うほうに肩入れしていると
思っていますが・・・

保守系さんは、どうお考えですか?




















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民主党の憲法観を検証する。 マガジン九条特別対談から

2010年01月10日 19時47分07秒 | Weblog
★マガジン九条の新年号の伊藤真さんと小林節さんの対談です。http://www.magazine9.jp/taidan/008/index1.php (ネット虫)

伊藤真●いとう・まこと伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)、『憲法の力』(集英社新書)、『なりたくない人のための裁判員入門』(幻冬舎新書
)、『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)など多数。

小林節●こばやし・せつ慶應義塾大学教授・弁護士。1949年生まれ。元ハーバード大学研究員、元北京大学招聘教授。テレビの討論番組でも改憲派の論客としてお馴染み。共著に『憲法改正』(中央公論新社)、『憲法危篤!』(KKベストセラーズ)、『憲法』(南窓社)、『対論!戦争、軍隊、この国の行方』(青木書店)など多数。「大阪日日新聞」にてコラム「一刀両断」を連載中。
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今回は、「総選挙の結果政権交代が行なわれて、憲法状況はどうなった?」「凍結したまま動かない憲法審査会は?」そして「国民投票法が施行される2010年は、どうなる?」などについてです。3回にわたって転載します。


●総選挙マニフェストからわかる各党の憲法観
編集部  今年の夏に総選挙が行われて政権交代が行われました。「日本初のマニフェスト選挙」とも言われましたが、ほとんど話題にならなかったのが、「憲法」についての記載です。民主党のマニフェストには、ページの最後に憲法について次のように書かれてありました。これについては、どのように評価されてますでしょうか?

資料1)[国民の自由闊達な憲法論議を]
 「憲法とは、公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範である」というのが近代立憲主義における憲法の定義です。決して一時の内閣が、その目指すべき社会像やみずからの重視する伝統・価値をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではありません。民主党は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という現行憲法に足らざる点があれば補い、改める点があれば改めるということを国民の皆さんに責任を持って提案していきます。 民主党は2005年秋にまとめた「憲法提言」をもとに、今度も国民の皆さんとの自由闊達な憲法論議を各地で行い、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます。「民主党マニフェスト」

小林  民主党のマニフェストにあったこの憲法観については、点数でいくと私は100点満点だと思います。
 長いこと自民党による憲法をないがしろにした、いわば悪政の時代に一番無視されていたのが「憲法は主権者・国民が権力を託した人々を管理するための規範」であるということ。憲法は、「主権者国民と政治家の間の最高度の約束である」という、これまで一番忘れられていたことについて、民主党の枝野幸男さんや園田康博さんらが中心になって、憲法調査特別委員会においては、意識的に主張していました。それがこのマニフェストには、きちんと書かれています。「民主、人権、平和」という日本国憲法の三大原則を否定するのが、旧来の改憲・改悪派ですから、それに対して正しいことを簡潔にうたっている。
 かといって、憲法というのは不磨の大典ではなく、時代の産物だから時代の変化に応じて改正していっていいものだと、ただし、それは主権者・国民が決めることであると書いてあります。
 したがって、この文章自体は、抽象的に採点するなら、100点満点であると思います。

伊藤  私もこの文章自体は、100点だと思いますし、さらに総選挙前のマニフェストの中で政党としてきちんと掲げたというのは、とても意味のあることだ、と思っています。多くの国民が読み、意識するマニフェストというものの、最後のページではありますが、特別の枠を設けて、正しい理解に基づく「憲法とは?」 ということについて、国民に明確にこのように断言したのは、たぶん初めてではないかと思うんです。
 今回、他の政党のマニフェストなどをいろいろ見比べてみました。自由民主党はマニフェストの最後のところで、「自民党新憲法草案に基づき早期の憲法改正を実現する」と言っています。そもそも、憲法とか立憲主義とは何なのか、ということをまるでわかっていないグループの人たちによって作られたこの新憲法草案というものを、今だにそのままの内容で、いわば堅持しようとしている。自民党は憲法に関して、何の学習もできていないんだな、ということが、よくわかるマニフェストでした。

 他方、共産党はいわゆる護憲政党と言われていますけれども、共産党のマニフェストを読んでみると、立憲主義というものをきちんと国民に伝えようという意識が、伝わってきません。「憲法改悪を許さず、憲法の全条項をまもり、平和・人権・民主主義の条項の完全実施をはかります」という項目の中で、「憲法の前文を含むすべての条項を守る」と言っているんですね。「憲法改定に強く反対し、改憲につながる一切の策動を許さず」と言っています。憲法改定に一切反対だというのは、憲法の一言一句動かさないということなんでしょうか。天皇制も変えず、資本主義経済体制の財産秩序も変えずということを、このマニフェストで断言してしまっているんです。

 そして社民党も、これも護憲政党として知られますが、社民党は、冒頭で「憲法理念を実現します」ということを大きな4項目の1つに掲げています。それ自体はよいことだと思うのですが、その前提である立憲主義の理解、そしてそれを国民に伝えようという意識があまり伝わってきません。

 私は、今のこの国の憲法状況で最も問題なのは、国民が憲法とは何かを知らない、とりわけ政治家が知らない。そしてまた、そのことを伝えようという努力を政治家があまりしていない。立憲主義教育が行われていない、ということだと思っているものですから、その観点から見たときに、民主党が、「憲法とは?」「立憲主義とは?」という内容をマニフェストに掲げたということは、とても意味のあることだと考えます。

 もちろん、民主党のマニフェストのこの部分を批判する人も大勢います。特に後半部分のところで、「『憲法提言』をもとに、今後も国民の皆さんと自由闊達な憲法論議を各地で行い、国民の多くの皆さんが改正を求め、かつ国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか、慎重かつ積極的に検討していきます」というところで、いわゆる憲法改正を推し進めようとしているのではないか、というふうに読み取って、批判される方がいます。しかし、憲法改正の議論自体を封じ込めよう、要するに議論そのものを封じ込めようとする態度には、私は全く賛成できないんです。特に、これは「国民の多くの皆さんが改正を求め〜」と最初に書かれていますから、あくまでも、国民の合意形成が先だということは述べているわけです。国民が憲法を改正したいと思ったら変える、それが民主主義です。そういう議論すら封じ込めようとするような主張であるとしたら、それはそもそも憲法の理念に真っ向から反するものである、というふうに私は考えています。

小林  私も全く賛成ですね。最近、伊藤先生とは、意見の違いがほとんど、テクニカルな問題以外ないんですよ。

編集部  お二人とも民主党のマニフェストに書かれた「憲法観」については、100点満点ということですね。私もこれは、画期的だったと思いました。しかし残念ながら、選挙期間中もその後も、これらの文言は、ほとんど注目されませんでした。

伊藤  そうですね。この部分については、メディアは全く取り上げなかった。いかに日本の国民というか、我々の憲法意識が希薄なのか、ということを露呈してしまっている現象だと思いました。

●憲法の解釈と運用
編集部  さて総選挙の結果、政権交代が起こましたが、ここ最近で憲法について話題になったことの一つに、集団的自衛権の解釈をめぐる発言がありました。まず11月4日の国会で自民党の石破茂さんが集団的自衛権についての質問を鳩山さんに対してしましたところ、答弁がありました。*その同日、平野官房長官が、「政治判断で憲法の解釈をしてもよいのだ」というような発言があったと、テレビニュースで伝えていました。また、国会法を改正して、官僚の答弁を禁止し、「政府特別補佐人」から内閣法制局長官を外す法案も次の国会で出されることになりました。ここで心配になるのは、時の内閣の都合によって、「憲法解釈が進む」というのでは、自民党の時と同じではないのか、ということです。

*鳩山由紀夫首相は11月4日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈に関し「歴史的経緯の中で考え方が固まってきたと理解しており、現政権で考え方を変えるつもりはない」と答弁し、従来の解釈を踏襲する考えを改めて示した。

小林  そもそも一般論として、憲法というものは──これは世界の常識の話をしているんですよ──高度の抽象規範である。憲法は、くるくる変えるものではない、一種の歴史的宣言書です。だから、解釈で運用していくしかないものなのです。
 例えば民法というものは、800条もあるにもかかわらず、憲法は民法に関しては、財産権とか家庭における男女の平等とか、そんな条文しかないでしょう。何が言いたいかというと、憲法は少ない条文でたくさんのことをカバーするわけですから、本質的に抽象的になるわけです。だから、それは解釈で運用していくしかない。
 解釈というのは、1つは、国会による有権解釈としての法律で具体化するし、内閣による有権解釈としての閣議決定その他で具体化していく。ときに裁判になったら、最高裁判例という形で具体化する。そもそも憲法というものは解釈で運用していくしかないもので、しかも歴史的文書で、しかも法の中で最も政治的なものなんです。
 だから、国民主権国家・日本において、主権者・国民の直接代表たる最高機関・国会の中から互選されてきた内閣総理大臣が、ときの最高権力者として内閣を仕切っていますが、憲法問題というのは国の命運にかかわるわけです。だから、それは最高政治権力者たちが解釈で運用していく。そして、その責任を次の選挙で問う。それだけの当たり前のことを言っているのですよ。
 それを、選挙で選ばれてもいない、たかだか役人の1人にすぎない法制局長官が、憲法解釈を決するということの方が、おかしい。それから、ある意味では、最高裁判事だって政治的責任をとる立場にはありませんからね。ですから、この件について、平野官房長官らは当たり前のことを言っているんですよ。

編集部  内閣・首相が責任を持って「憲法解釈」も含め運用していく、ということでしょうか?

小林  本来はそういうものなんですよ。自民党のこれまでの政治は、自分たちの頭が空っぽだから、あるいは空っぽのふりをしたいものだから、法制局のせいにしてやってきた。そして政治的に都合の悪いときは「法制局が悪い」と言ってきた。しかし、だからといって法制局長官をクビにするでもなく、そういう曖昧なことが行われてきたわけです。
 それに対して、「偏狭な護憲派」からしてみれば、憲法改正というのは少しでも動かないほうがいいと思うから、内閣法制局が頑張ってくれているから、かろうじて、集団的自衛権の行使や、あからさまな海外での武力行使は許してこなかった。と、こんな異常なことを当然のことのように言ったりするんです。 すでに9条は法制局に侵されているのに。
 国民が選んだ鳩山内閣が、法制局長官のお説に従っては行動しませんと言うのは、位置関係としては、当たり前のことなんですよ。これを「しんぶん赤旗」(11月7日)では、「内閣判断で、海外での武力行使につながる危険」という話にしているけれど、これは危険でも何でもないんですよ。私たちが選挙で断罪すれば直るのです。真っ当なことが始まったんです。自民党が、法制局を隠れみのにして、ときに法制局を悪者にしてやりたいことをやってきたことのほうが問題なんです。

伊藤  平野官房長官の会見で、朝日新聞(11月4日)によると、「これまでの法制局長官の憲法解釈には、内閣は縛られないのか」と問われ、「もちろんそういうことだ」と言っていますが、これは当たり前のことなんですね。法制局長官は役人ですから。内閣は、例えば憲法解釈ならば、内閣の公定解釈というものを出すわけです。そこに、法制局長官なり内閣法制局の解釈がたまたま時の内閣によって採用されている、というだけの話なんですね。法制局長官の口を通じて、内閣の考え方や解釈を今まで述べてきたというだけのことであって、これは昔も今も何も変わらないわけですよ。別に、法制局長官に内閣と異なる解釈を、1つの意味のある公権的な解釈として主張する権限は全くないですからね。その法制局長官の考えを参考にしながら、内閣が自分たちの考えとして発表するというだけのことです。

 ただ、発表するときにあまり専門知識はないし、自分で堂々と言えないものだから、法制局長官の口を借りて発表しているだけのことであり、結果的に法制局の解釈が採用されてきたというだけのことなんです。それを小林先生がご指摘のように、ずるい政治家たちが、あれは法制局長官が言ったことであって、別に私とは関係ないみたいなことを言い出す。そこがおかしいんですよね。
 ですから、そうではないんだと。あくまでも、内閣の考えとして堂々と発表するんだと。ただ、そのときに、当然ですが、法律の専門家の意見は聞いて発表することにはなると思いますがね。
 ですから、そのこと自体は何ら問題ないんだと思いますけど。

●ご都合主義の憲法解釈には、国民がノーを突きつけるべき
編集部  平野官房長官の発言は、立憲主義からみて真っ当で当たり前のことなのですね、よくわかりました。官僚政治から、今ようやく本来の政治が始まろうとしているところなんですね。

小林  だから、そういう手続き論にかみつくよりも、その手続き論を逆手にとって憲法を空洞化しようという右や左の動きがあるんです。その内容を突かなきゃいけないんですよ、あなた方は。

伊藤  法制局長官に答弁させる、させないという問題じゃなくて、内閣自体がころころ、そのときのご都合主義で解釈を変えようとしていくということが問題なのです。

小林  憲法というものは、内閣の責任で解釈は決め、必要とあれば変えていくものなのです。ただし、それが文言的にでたらめだったり、論理的にでたらめだったり、憲法制定者の趣旨に合わなかったりするものは、だめです。ですから、権限は内閣にあるけれど、「おばかな内閣」はだめ。だから、問題がある場合は、その権限を行使しちゃだめよと、かつて小泉や安倍に向かって言ったのと同じことを、今度は鳩山と平野に向かって言えばいいわけです。要は、それをもって何をしようとしているかが問題なんですから。

伊藤  これまで、いわゆる法令違憲、法律が憲法違反だというふうに最高裁で判断されたものは、戦後、8件しかないんですね。その1つの理由は、法制局などで事前にきちんとチェックをしているからだといわれます。例えば、内閣法制局の見解を無視して政治家がさまざまな法案を通してしまって、内閣が憲法違反の行動をとるようになったら、最高裁がどんどん違憲判決を出して、それをつぶしていくというだけのことです。
 その際に、最高裁が違憲判断も出さずに、合憲判断で内閣を追認していくようなことになったら、最高裁が憲法の番人としての役割を果たしていないというだけのことだと思います。そして最後は国民です。

編集部  政権交代によって、最高裁は憲法の番人として、違憲判決を出していくというようなことも増えるのでしょうか? しかしこれまでの経緯を考えると、なかなかそうはならないのでは、ないでしょうか?

小林  我々国民が監視人になるんですよ。「法制局が頑張ってくれ」とか、「最高裁が頑張ってくれ」とか、そうじゃない。要は内閣が法制局をどう道具として使おうが、最高裁がどういう憲法判断をしようが、それについての最終判断は、我々、国民がやっていかなきゃいけない。

●鳩山首相の「憲法9条について」
編集部  さきほど、民主党のマニフェストにかかれた憲法観についてお聞きしましたが、選挙公示の直前に「憲法9条あなたの考えは?」というアンケートを、「マガジン9条」のほうから、民主党の候補者全員に出しました。その結果、鳩山さんからは資料2)のような回答がありました。
 これは、もちろん首相になる前の鳩山由紀夫という名前での回答ですが、民主党のほかの候補者も、これに倣って答えている方が数名おり、民主党の一つの「模範解答」となっているのかな、とも思いました。これについては、どう思われますか?

資料2)「憲法9条あなたの考えは?」のアンケート回答
鳩山由紀夫:「自衛の範囲を超えた武力行使や、国連決議によらない海外での武力行使を結果的に認めるような改憲には反対です。一方で、いくら9条を墨守してみても時々の内閣の都合で事実上の解釈改憲が進んでいます。政府が行う自衛権行使や国際協力について、国民が憲法の明文できちんと歯止めを設ける必要性が高まっています。自衛隊の「できないこと」を明確にするという観点であれば、条文を変えた方がより良くなる余地があると考えます。」

小林  この考えは、私と全く同じです。実は昔、彼とは憲法論議をやっているんです。9条についても、2年ぐらいに渡って議論をしています。鳩山さんは、東大工学部卒ですから、憲法というものについての予備知識がないんです。そこへ、真っ当な憲法論が入っていったわけですよ。

編集部  憲法を学ぶ上で、鳩山さんが理系だったから、かえって良かったと。

小林  そうです。この回答を読むと、まず「自衛の範囲を超えた武力行使」とありますが、これは、いけませんに決まってますね。そして「国連決議によらない」、つまり、世界の常識に反する「海外での武力行使も、結果的にどういう理屈をつけようが認めるような改憲は反対です」。これは、私がいつも言っていることと同じことですね。
 一方で、「幾ら9条を墨守してみても、時々の内閣の都合で事実上の解釈改憲が現に進んでいます。」そう、護憲派は、9条が守られていると喜んでいるが、私に言わせりゃ、9条なんかずたずたじゃん、と。あれだけ、自民党政府によって拡大解釈が行われている9条を、いまだに「汚れていない」なんて言うから「ばかやろう」と言いたくもなる。
「政府が行う自衛権行使や国際協力について、国民が憲法の明文できちんと歯 止めを設ける。」そうなんですよ。自民党によるずたずたな解釈改憲ができないように、憲法9条でできること、できないことを書きなさいよ、と。これ、いつも私が言っていることと同じことでしょう。
 自衛隊の「できないこと」を明確にするという観点であれば、これが立憲主義じゃないですか。そういう意味では、条文を変えたほうがよりよくなる余地があると考えます。私、これもまた100点だと思う。

編集部  小林先生が、鳩山さんに憲法指導をされていたとは、知りませんでした。

小林  別に教えるというつもりはなかったけれど、彼と2年ぐらい一緒に昼飯を食っているうちに、彼がいろんなことを聞いてくるわけです。僕のことを憲法学者だと知っているから。そして、ある時彼は、憲法私案の下書きを持ってきたので、僕が徹夜で真っ赤にして返したことがある。当然その後、激論を交わしましたが、1点をのぞいては、考え方が共有できました。外国人参政権については意見が一致しなかった。僕は反対、彼は賛成。彼は宇宙人ですから。僕は日本人ですから。宇宙に国籍ないからね。(笑)

伊藤  立憲主義という観点からは、この文言は極めて真っ当な発言です。これを、鳩山さんが正しく理解しているように、民主党議員や他の政党の国会議員にも理解してもらえると、ありがたいなと思いますね。
 その上で、最後に書かれている「憲法に明確にするという観点で条文を変える」ということのメリット、デメリットを、具体的に検討し議論する。そういう場がいろいろと出来ていけば、より良いのではないかと思うんです。
 たとえば、自衛隊にできないことを明確にするという観点で、そういう善意で条文を変えるとしても、それを時に悪用したりする輩が出てきたときに、きちんとそれに対して歯どめをかけられるだけの力、つまり立憲主義の力を国民がつけることなどが、前提として必要だと私は思いますから、そういう議論などを含めて、よりよくなる余地があるのかを検討し議論することは意味があると考えます。憲法を変えることによるメリット、デメリットをきちんと検討していくということはありなんじゃないでしょうかね。

編集部  立憲主義を正しく理解している鳩山さんが、まさに今、私たちの国の首相だということは、とてもいい状況なんですね。

小林  そうですよ。小泉とか安倍とか麻生とか、鳩山とは真反対のおばかで悪人が続いた後に、真っ当な立憲主義を理解している鳩山内閣が立ったんですよ。喜ぶべきことなんです。

編集部  そうですね。そういった中で、国民投票法が来年5月には施行されるわけですけれども、一方で、憲法審査会が凍結されているという現状もあります。この点について、引き続きお聞きしていきます。

その2へつづきます
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番組紹介 BS特集「反骨の映画監督 マイケル・ムーア」

2010年01月10日 10時48分56秒 | Weblog
★ 坂井貴司さんから、番組の紹介がありました。是非見てください。(ネット虫)
 
 新作映画「キャピタリズム~マネーは踊る」の宣伝で日本を訪れたマイケル・
ムーア監督のインタビュー番組がNHKBSで放送されます。
 
 NHKBS1
 
 BS特集「反骨の映画監督 マイケル・ムーア」
 放送日 :2010年 1月16日(土)
 放送時間 :午後0:10~午後1:00
 http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20100116/001/11-1210.html
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新政権をめぐる最大の世界的問題  文科系

2010年01月10日 00時20分46秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 以下に、新政権をめぐって最も重要と考えている世界的な矛盾、判断の分岐点のようなものをまとめてみる。この間切り抜いた以下3つの毎日新聞記事の言葉で、これをやる。新政権を最も大きく動かすだろう根本的な世界の矛盾を押さえておくと、非常に多くのことが正しく見えてくるのではないかと思い立ってのことだ。
 
①11月24日「なぜ今、保護主義なのか?」 エマニュエル・トッド(フランス人類学者)、御厨貴(東京大学教授)、片山善博(慶応大学教授)の3者対談 
②中谷巌(三菱UFJリサーチ・アンド・コンサルティング理事長)の12/2「インタビュー、この国はどこへ行こうとしているのか 『貧困』」、1/7「経済への視点 世界的な需要不足 中流階級没落こそ根本問題」
③1/8 加藤陽子(東京大学教授 日本近代史)「論点 2010年日本への提言 政策論議は長い目で」

 読みやすいように結論を先に述べておくと、こういうことである。世界経済が相変わらずグローバリズム中心で行くのか、世界的な需要創出に比重を置いて行くのかということである。前者は、国際的金融資本や世界的輸出産業を抱えた大国だけが持ちうる強者の理論であり、後者はそれ以外の世界の人々の職業、人生、死活問題に一定目を向けてくれるもののようである。需給関係という近代経済発生以来の最大難問で言えば、レーガノミックス以来の供給サイド経済か、ケインズの例のような需要サイド経済かと言っても良いのだろう。
 そして、この日本で最近起こった自民党政権から新政権への移行は、予算編成方針などがよって立つ理論が前者から後者へ転換したということでもあるようだ。①~③の記事は、こう語っている。上の前者が、大国やそこの超大企業の株価だけを上げても失業者・低所得者を世界に溢れさせるといった社会を作るのであって、世界の大部分の人々の生活を無視する理論であると。

 三つの資料から抜粋してみる。
『保護主義は、内需拡大に繋がります。それによって、地域外との交流もむしろ増えます。逆に、今の自由貿易は、世界規模では需要減少をもたらしている。私の主張する保護主義は、内にこもって外を排斥する非理性的なものとは違います。
 この前の金融危機にもかかわらず、世界のリーダーたちは危機が終わったと考え、自由貿易で再出発したがっています。まだ人々の苦しみが足りないので、保護主義を論ずるに至っていません。自由貿易には、理性的に見れば問題がたくさんあるのに、特に指導者層の、いわば信仰となっている。これが保護主義の実現を妨げています』(上記①トッド)
『〈……「構造改革」と、それに伴って急速に普及した新自由主義思想の跋扈、さらにはアメリカ型の市場原理の導入によって、ここまで日本の社会がアメリカの社会を追いかけるように、さまざまな「副作用」や問題を抱えることになるとは、予想ができなかった〉中谷さんが1年前、”懺悔の書”と銘打って著した「資本主義はなぜ自爆したのか」の一節だ』(②の前者)
 『このように、「中産階級の崩壊」は世界の需要不足問題の根幹に位置する最重要な問題なのである。(中略)中産階級の崩壊は中国でも顕著になっているのだ。すなわち、世界の需要不足問題は中産階級の没落という根本的問題を解決しない限り、解決しないと考えなければならない』(②の後者)
 『しかし、総供給が総需要を上回っているのが不況なのだから、生産側ばかりを成長させれば需給ギャップが広がり不況は深刻化する。よって「国民の生活第一」として需要拡大を目指す鳩山内閣の政策は、社会経済学者の松原隆一郎氏が論壇時評で述べてたように、方向性として正しい(12月26日付「朝日新聞」朝刊)。経済学の指し示す基本として、先ずこの点を確認しておきたい』(③)
 
 トッド氏と中谷氏の紹介をちょっと詳しくしておく。
 トッド氏は「英国ケンブリッジ大博士号取得 仏国立人口統計学研究所所属」「ソ連崩壊や金融危機を『予言』してきたトッドさん」などと紹介してあった。因みに彼は、フランスの作家、ポール・ニザンの孫でもあるらしい。
 中谷氏は「小渕恵三首相(当時)の諮問機関『経済戦略会議』で議長代理。99年に出した最終答申『日本経済再生への戦略』では『労働者派遣の早期原則自由化』を提言し、同年の労働者派遣法改正に道筋を付けている」と紹介があった。そういう人が今、上のように過去を懺悔しているのである。

 最後に日本の今後に関するトッド氏の言葉を抜粋してみよう。
『日本社会は、フランスよりはるかに平等的でした。技術力や教育の高さがあり、社会が一つの家族のように機能してきた。だから、格差が小さかった。今後、格差拡大が止まらないと、否定的な反応がフランスなどに比べてもはるかに大きく出る可能性があると思います』
『私の申し上げる保護主義は、生活水準の均質な欧州内での話です。日本とその周辺では、中国の人口があまりに多いし、給与水準も違いすぎる。日本は、欧州と比較できない固有の状況に基づいた解決策を模索し続けるしかありません』
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国民気質の比較 日本は女性+子ども   らくせき

2010年01月09日 14時07分54秒 | Weblog
東亜日報の記事です。
ちょっと面白いので引用します。

一国の気質とその国の女性、
自動車を一目瞭然にまとめることはできるのか。
技術経営コンサルタントの仮説です。

「女性+子ども」の気質を持った日本。
車はプリウス、シビックCVCC」(自動車)、
女性は、モーニング娘、浜崎あゆみ。

米国の気質は「男性+子ども」。
キャディラック、マスタング、
マドンナ、マリリン・モンロー。

「女性+成人」気質のフランス・イタリア。
車はフェラーリ、シトロエン、
女性はソフィア・ローレン、カトリーヌ・ドヌーブ。

ドイツと北欧が持つ「男性+成人」気質。
ベンツ、ボルボ、
グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリッヒ。


日本には、「少女」気質とオタク指向。
お腹から出る恥ずかしい音がなくす菓子、
道を譲ってくれた車に感謝の気持ちを伝える「サンクステイル」、
「おやじのにおい」を防ぐキャンディーなどが、
こうした傾向から誕生したという。

   

なるほどね。
そういわれれば、当っているような気もします。
東北の町が「少女」を町おこしに使って
大成功をおさめているといいます。

日本の若者の少女化(肉体というより精神の)は
ある意味で成熟した社会がうみだしたものでしょうね。

アメリカの男性+子ども
というのも、分かるような感じ。

ヨーロッパが大人。

韓国は  男性+子ども  ?
中国は  男性+子ども  ?



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